生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

自由が丘に行ってきた!

2006年11月03日 17時54分41秒 | 旅行
家内と自由が丘に行ってきました(おいおい、レポートはどうなったの?)。夕方の遅い時間でしたが、自由が丘ロールのお店に行ったところ、最後のロールケーキが残っていたのでいただいてきました。

一本2,625円也。まあ、こういうことも大切かな~と思って買ってきました。で、本日の晩御飯はロールケーキとなりました。(嘘)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横への展開!

2006年11月03日 14時20分59秒 | 産業能率大学大学院
事情があって、またもや幹事を仰せつかった。で、メールを諸先輩方を中心に出している。といっても、名刺交換があんまり好きじゃないタイプの人間なので、先輩の名刺をあまり頂戴していない。しかも、会社のアドレスじゃ、3連休なので、すぐには返事がこない・・・。


でも、とある先輩が休日出勤をされていて、「2年生の人のアドレスわかるから連絡とってあげる!」とありがたいお言葉をいただいた。


私はどちらかというと(というより完璧に・・・)、個人の専門性を上げることを得意として、あまり、場をまとめる=リーダーシップをとることは苦手である。(そう、自閉的傾向で人とコミュニケーションをとるのが下手なのです)


でも、このように、先輩に助けられ、レポート山積みの中、幹事の仕事もしております。これが、なかなか、うれしかったりする。人間の感覚なんて、微妙なもんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巣箱を取った!

2006年11月03日 11時35分04秒 | その他
そろそろ3匹のヒナも大きくなったので、巣箱から取り出した。と同時に、これ以上セキセイインコが増えても困るので、巣箱を鳥カゴからはずした。ピーちゃんはちょっとご立腹気味だった。


ヒナ用の鳥カゴを買ったので、都合、3つの鳥カゴがあることになる。


2匹は何とか止まり木に止まれるが、1匹は地べたに這いつくばっている。名前はない。いい名前があったら教えて欲しい。


ちなみに、

ピーちゃん
シロちゃん
バウちゃん
シロバウちゃん
チビバウちゃん

が、現在のインコの名前である。

3匹のインコのヒナの中に、かなり「白い」のがいる。目が大きくて非常にかわいい。他の2匹もかわいいのだが、私は、この「白い」のがお気に入りである。


でも、あまりに、白いのを褒めると、真っ黒のピーちゃんに怒られそうである・・・。最近、後がつくほど噛みつくので困っている。昔は、手にカラシを塗って、わざと噛み付かせてお仕置きをしたものだが・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハプンスタンス・アプローチ

2006年11月03日 04時12分18秒 | 産業能率大学大学院
【引用】
>クランボルツ教授の「予期せぬ出来事が人生やキャリアに
>果たす役割は大きい。ならば、積極的かつ肯定的にそうした
>出来事をとらえよう」と考えるのがハプンスタンス・アプロ
>ーチの考え方だ。

私の思っていたことを代弁してくれています。キャリアの形成は、ほんのちょっとした出会いやきっかけが原因ということです。

キャリア以外でも「人生の転機」っていうものは、ちょっとしたきっかけじゃなかったですか?読者は既にご存知の、私と家内との出会いが「偶然」であったのと同様、何事も、偶発的な出来事の重なり合い。しかし、後から振り返るとあたかも、それが必然だったように思えるのが、人生の面白いところ。

ちまたの人々は「運命の糸」とか言っているが、わたしは、これを「神の見えざる手」と提唱?している。「運命の糸」と言ってしまうと、なんだか、受身であるが、「神の見えざる手」の働きは、努力したり、積極的にかかわっていくといった自己の内面からの「作用」を行うことに起因するところが違う。

色々な人の話を聴いて、かかわりを持ち、学習して、意欲を持ち続けることが、何らかの、触媒となって、自己を「化学反応」させることが、「神の見えざる手の働き」ということだ。


子供が「自閉症的」といわれたのと同様、私も、学生時代までは「自閉的性格」であったので、人とかかわりを持つことが苦手であった。人の目を見て話すこともできないし、付き合いをする時間があったら図書館で本を読んだり、遺跡をめぐっているほうがずっと「楽」で楽しかった。(この、ブログの文章を見ても、その性格の一端がうかがわれる・・・)

社会人として、人とかかわっていかなければいけないのだが、かなり無理をしていたようだ。「喧嘩ばかりして、協調性がない」というのが、人事評価であった。上司も使いづらかったろう(謝)。

産能大学の通教に入ったのも偶然だし、その入学動機も偶然そのもの。多くの仲間を得ることができたのも偶然だし、行こうと思っていた大学院を変更したのも偶然。試験に合格できのも偶然だし、それ以前に「行くことについて反対はしない(しかし、応援もしない・・・)」という会社側の暗黙の了解を得ることができたのも偶然だ。

そうやって考えると、生命が生まれたのも偶然に他ならない。そんな偶然のつながりで生きているのが人間。壮大なスケールで展開された歴史の中に、自分という「必然」が「偶然」に生まれているわけだ。

そう考えると、ちっぽけなことで悩んでいるのがバカらしくなる。そして、なんやかんやと理屈をつけて、積極的に動こうとしない自分が恥ずかしくなる。

太古より、そのDNAというバトンを「偶然」にリレーしているのが我々である。いわば、聖火をリレーしているようなものだ。我々世代が担えるのは、よくて100年しかない。その中で、どれだけ、精一杯努力したかが、自分がリレーしている中での成果といえる。

積極的に最初の一歩を踏み出さないと、ハプンスタンス・アプローチの「ハプン」の部分は永遠にやってこない。

その一歩を踏み出すことを決めるのは自分である。

しかし、その一歩を踏み出した「勇気」を救うのは、人生のメンターであり「友」であるといえよう!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする