生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と19の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

合格のために・・・

2011年12月23日 23時26分47秒 | ちょっと立ち止まって・・・
自分の学歴(学校歴)を振り返って思うこと、それは、合格についてのちょっとした思いである。

最初の大学は共通一次試験(今で言うところのセンター試験)で失敗して、志望校のランクを落として受験した。事前に大学を訪問し、「いい大学だな~」と思ったものの、やはり、心の片隅で、納得いかない不条理なビリーフがあった。

結果、欠員補充での補欠合格。

事前に大学を訪問していなければ、きっと、不合格だったと思っている。なんせ、母校は学習する上では、この上ない、すばらしい環境と、施設、および教授陣を擁していましたから。

で、社会人になってから産業能率大学大学院を受験したのだが、意外と不合格者も輩出する上、会社の推薦状なしでの受験であったが、何とか合格できた。その際、私は明星大学大学院の受験を諦めてまで、産能を受験しており、本当に本学で学びたいのだという気持ちが、面接でも現れていたのだと思う。

次に、明星大学大学院を受験する。これも、教職者7割という環境で、一般のサラリーマンが受験するという場違いなものであったが、もともと行きたい大学院であったし、何よりも、生涯学習を学べるフィールドはここしかないという思いで受験した。ここでの面接も、熱意あるものだったと思う。

そして武蔵野大学大学院。最も無難な受験であったが、それなりに不合格者は出ているため、安穏とはできないものであった。やはり、面接では、自分の学び=「人」に対するアクションを一生懸命説明し、学習したいという思いは伝わったと思う。

放送大学大学院でも、「自分の生涯学習を実現できる大学で、そのために放送大学多摩学習センターから徒歩10分のところに引越した」と、どれだけ放送大学が好きかを語った。そして、上記、3つの大学院で学びながらも、7年以上、放送大学の選科履修生及び科目履修生で学び続けてきたことを伝えた。

一方、機構の試験においても、自分の「好き」という気持ちを大切にレポートに変えてきた。ただ、よくよく思い返すと、不合格となった栄養学だけは、自分のためではなく、友人の役に立つかな~という、ちょっと、偽りの気持ちを心の片隅に抱きながら受験した。結果、不合格となった。

こう考えると、結局は、「好き」あるいは「愛」を感じるものが合格していることに気がつく。産能は「建学の精神」が語ることができるくらい、明星は効果が歌えるくらい、武蔵野は校舎内案内できるくらい、放送と機構は近所に引っ越すくらい、それぞれ、母校への愛しい思いをいだいている。

その思いが、やはり、合格へといざなってくれたのではないか・・・という思いを持っている。就活ではないが、やはり、志望する企業の採用担当者も、多数志願者がいれば、より自分の企業を愛し、研究し、知り尽くした学生を採用するのではないだろうか?

学力的には、とてもじゃないが、経営学を学んだ方、教職の方、その他の方々に及びもつかない私だが、今まで合格できたものについては、人一倍、愛情を感じていたから、合格への熱意があったから、面接官や試験官の方々に拾っていただけたのだと思っている。
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検索キーワードのトップは・・・

2011年12月23日 22時51分31秒 | 大学評価・学位授与機構
武蔵野大学大学院のレポートも残すところ、あと4本!

すべて現状書いてよい状態ではあるのだが、今、浄土教特講の第4回レポートの1,300字ほど書いてくつろいでいるところである。相変わらず、詰めが甘い。25日までに提出しないと可能性すらゼロになるのに、明日でいいや~と思っている点で、既に、緊張感が失われている・・・

で、詰めが甘いついでに、昨日の、拙ブログの検索キーワードのトップを確認してみると・・・「学位授与機構 合格率」だそうな。そろそろ、機構の試験も一段落したのだから、このような検索ワードで、拙ブログに来られる方は少なくなりそうなものなのに、相変わらず多い。

そもそも、機構の各分野の合格率を調べること自体、意味の無いことなのだが、ついつい、興味本位でやってしまったために、訪問する方がいるのであろう。罪つくりなことをしてしまった。

意味が無い理由・・・それは、機構の試験が上位何名を合格させるというものではないから。合格する人は、必然的に合格するし、合格水準に未達の人は必然的に不合格となる。全員すばらしければ、全員合格にしてもいいし、全員いまいちであれば、全員不合格にしてもいい。

競争相手は自分自身なのに、合格率を調査しても、将来的には何の意味も無い。ただ、過去の傾向として調べるのなら、それなりには、意味のあるものなのだが、機構の試験を受験しようとしている人は、こんな合格率に振り回されることなく、単位をできるだけたくさん集めて、自分のレポートをしっかり書き、本番に備えるのがよろしかろう。

戦い方は色々あるのだが、私はギリギリというのが、好きである一方、小心者のため、敏感に反応する一面も持ち合わせている。資格マニアと呼ばれていたころ、私にとって資格試験の美学とは、ギリギリの点数で合格することであった。試験をたくさん同時に受験するため、各試験の準備に投下するエネルギーはギリギリであるほうがよい。だから、合格最低点で受かった試験は、最高のパフォーマンスをあげたといえるのだと思っていた。

しかし、一方、機構の学位においては、これでもかって感じで単位を余分に積上げている。基本的なスタンスが反していると思えそうだが、金額2万5千円の試験で単位不足で不合格になるのは辛い。しかも、機構は単位の仕分けを公開していなので、何があっても文句が言えない。

栄養学において、「82単位」計上した科目が「24単位」に削られたのだ。しかも、どう考えても、機構の例示する専門科目とほとんど同じ名前の科目(例:機構「カウンセリング」 私「カウンセリング演習Ⅰ」「カウンセリング演習Ⅱ」「カウンセリングの理論」等)が「専門科目ではない」とされたのだから、完全一致でなければ、心配で心配で仕方がない(笑)。

とはいえ、私のスタンスとしては、こんな感じで不合格にされたくなければもっと積上げるべしというものであり、決して敵対することはありえない。敵対するくらいなら、潔く、学位を諦めて、二度と試験を受けなければいいじゃないかというもの。

消極的といわれそうだが、争いになるくらいならさっさと撤収し、次の目標に向かって邁進すべしという考え方である。いわば諦観。納得できないのは分かっているが、それを諦めることが諸行無常の受容につながる。これができないと、一生、執着心から解放されることはない。たとえ戦って勝利を得ても、次の執着により、心の安穏は得られない。

まあ、人間学で学んだひとつの考え方。大学院レベルでこんなことを学んでいるのかと呆れ返られそうだが、煩悩から解放される手段として、私自身、結構、気にいっている。

世の中、不条理なことがおこることが多々ある。病気もそうだし、事故もそう。色々な不条理の中で、「なぜ自分がこんな目にあわなければいけないのか!」と思い続けると、いつまでたっても救われない。だからこそ、不条理を不条理として受け入れ、諦めることができれば、この世に怖いものは何もない。
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そういえば・・・

2011年12月23日 09時31分53秒 | 大学評価・学位授与機構
先般の機構の試験で、ついつい、異例なアクションを取ってしまった。

それは「トイレに行く」ということ。

機構の試験の前日が飲み会で、ビールを飲みすぎてしまったことと、思ったほど試験会場の暖房が効いておらず寒かったことが要因である。

試験の内容説明が始まる9時40分の直前にもトイレに行っていても行きたくなったのだから勘弁して欲しい(笑)

今回の試験の前に、過去10回試験を受けたのだが、トイレに行ったのは1回だけ。試験開始前の説明でも「体調が悪くなった場合は手を上げてください」といわれていたし、解答がかなり早めに完了してしまったので、トイレに行くことを決意した。

数百名が受験している会場で、トイレにいくため、必死に戦っている受験生を尻目に、会場を機構職員と退出するのは、結構、勇気がいるものである。とはいえ、このような、通常と違ったアクションを取るのは、自分が天邪鬼な証拠。自分で体験し、自分でその先例を築き上げることが、私の特技であり、変人なところである。

トイレから戻るとき、最後の試験ということもあり、試験監督官の目線で、受験会場を俯瞰できたのは有益であった。受験生の方で、「こんな大事な試験でトイレに行くなんて非常識なやつ」と思った方がいらしたら、そう、その非常識なやつが「私」です!(笑)

色々な点について、実地検証していくことも、研究者にとっては必要なのです(って、試験中にトイレに行くことの言い訳にするな)。
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