生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

尾張国分寺!

2017年04月30日 08時20分07秒 | 旅行
東京の国分寺市にあるのは「武蔵国分寺跡」ですが、稲沢市には「尾張国分寺跡」がありました。

そもそも、東京では国分寺の名前は「国分寺市」と市の名前にまで昇格しています。無論、稲沢市でも「国分小学校」といった感じで、国分寺の名前は地域に根付いていますが、尾張国分寺市とかにはならなかったわけで・・・

なんせ、尾張国分寺跡はこの様子。

もう少し、人口が増えて、行政区画が小さくなっていれば、この地域も「国分寺市」や「国分寺町」になっていたのかもしれませんね・・・
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【古墳巡り 番外編】 国分小学校の隣の神社

2017年04月30日 07時17分28秒 | 古墳
自転車で一宮市→稲沢市→あま市と向かう途中、稲沢市の国分小学校の隣の場所で立ち止まりました。

名前はわからぬものの、神社があったのです。


で、鳥居を抜けると・・・古墳?


どう見ても古墳。墳墓の上にお社があるのも、100以上、愛知県で見てきた古墳の定義と合致しています。しかし、ネットでどれだけ探しても古墳の情報はでてきません・・・古墳じゃないのかな。。。
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中嶋宮

2017年04月30日 07時00分26秒 | 旅行
中島城跡からすぐのところに「中嶋宮」の石碑が!

これは一体なんなのでしょうね。ネットで調べると、いろいろ情報がでてくるのですが。


>大和国の小国が大和朝廷としてこの国を統一していく物語は、 武力制圧として倭武(ヤマトタケル)や
>四道将軍の派遣があり、政治的融和として倭姫(ヤマトヒメ)の巡国安撫があると見る事ができる。
>神護景雲2年(768)選集の「倭姫命世記」は次のように伝えます。 皇女倭姫命は皇祖天照大神を奉じ
>て十余か所の諸国巡廻を行う。 垂仁天皇10年に美濃国伊久良河宮(岐阜県本巣郡川崎村大字居倉)に
>4年滞在、 その後、尾張国中嶋宮に遷座、3カ月逗留。 のち伊勢国桑名野代宮(三重県桑名郡野代村)
>を経て五十鈴川のほとりに遷座。 これより、皇大神宮としての伊勢神宮となる。
>ヤマトタケルは伝説上の人物。壬申の乱により政権を樹立した 大海人皇子(天武天皇)が、それまでの
>故事を編纂して皇神の叙事詩を書上げた。 「古事記」をそう解釈することができる。 史実ではないが、
>それなりの歴史的事実が元になっているのは確かだろう。 ヤマトヒメも伝説上の人物。だが、「倭姫命
>世記」にも、 それなりの歴史的事象があるはずだ。

ひょっとしたら、この地が「伊勢神宮」の代わりになっていたかもしれないってことでしょうか?
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