夜中にカルメン幻想曲を聴きながら書き込んでいます。産能から「入学説明会のご案内」が来ました。そうそう、一度行きたいと思っていたのでいってみようかな。特筆すべきは、同封されていた「SANNO Review」に短大(短期大学士)となっていた点。そう、準学士ではなく、短期大学士に変わったんですね。ということは、家内が卒業するときは、すでに、「卒業証書」から「学位記」に変更されているのかな?
大学院を修了した後、いつになるかわからないが、私の産能のスタートラインである短大へ再度入学してみたい。自分の心の中では「大学院」が上とか「短大」が下とかの、学校による上下の序列付けはない。学んでいる人の姿は全て美しい。それが基本。好きな科目の履修や、学び続ける意味のほうが大きい。その中に序列をつけるのは意味がない。ましてや、大学の名前でランクをつけるのも大嫌い。必要なことは、自分が大学で何をしたか。超有名大学でも要領よく卒業する人もいれば、3流大学といわれても、そこで一生懸命学ばれた方もいる。
「学校で何を学ばれましたか?」と、神さまにたずねられた時、「はい、私はこれを学びました」と正直に答えられる人のほうが、私は好きです。そう、「天知る、地知る、我知る」学生時代を全うにがんばったかどうかは、偽ることもできなければ、ごまかすこともできない。看板が大事なのではなく、そこで学び取った「成果」が大切だと思っています。それこそ、「(学)功序列主義」から、「(学習)成果主義」への変化だと思っています。
大学院を修了した後、いつになるかわからないが、私の産能のスタートラインである短大へ再度入学してみたい。自分の心の中では「大学院」が上とか「短大」が下とかの、学校による上下の序列付けはない。学んでいる人の姿は全て美しい。それが基本。好きな科目の履修や、学び続ける意味のほうが大きい。その中に序列をつけるのは意味がない。ましてや、大学の名前でランクをつけるのも大嫌い。必要なことは、自分が大学で何をしたか。超有名大学でも要領よく卒業する人もいれば、3流大学といわれても、そこで一生懸命学ばれた方もいる。
「学校で何を学ばれましたか?」と、神さまにたずねられた時、「はい、私はこれを学びました」と正直に答えられる人のほうが、私は好きです。そう、「天知る、地知る、我知る」学生時代を全うにがんばったかどうかは、偽ることもできなければ、ごまかすこともできない。看板が大事なのではなく、そこで学び取った「成果」が大切だと思っています。それこそ、「(学)功序列主義」から、「(学習)成果主義」への変化だと思っています。
「学ぶことを学びました」と答えます。
それが原点かも。産能に入って本当によかったです。
また来年もいろいろあるかと思いますが是非よろしくどうぞです。