前回取り上げた、『源氏物語』・・
人妻のうつせみ(空蝉)
と光源氏
が、別れた後、
おうさかのせき(逢坂の関)で すれちがうシーンを
ある歌が よみがえってきました。
「 これやこの 行くも帰るも別れては
知るも知らぬも 逢坂の関 」
せみまる(蟬丸)の歌です。 百人一首かるた中、もっとも名前に
インパクトがあって
子どもたちに 人気のある・せみまる、、
クリンたちも、幼き日
、
坊主めくりで
さんざん・楽しませてもらいま
せみまるの
この歌は、
「関所で行き交う人をみていると、それぞれに人生があるんだよね ただすれ違っているだけだけど、
という、
ふとした・かんがい(感慨)を
よんだものですが・・
今も
駅や交差点を 歩いている時
、
同じ気持ちになることが あるから
なかなか、
ふへん(普遍)性のある・和歌かと
存じます さて
そんな・「蟬丸法師」ですが、
どんな人だかは よくわかってなくて・・
わずかに
『今昔物語集』や『平家物語』、能やカブキで
断片的に 語られるのみ・・。
・天皇の子かもしれない
・逢坂山に住んでいた
・目が見えない
という以外は
てきとう(適当)に そう(創)作されています。 中でも、いちばん「脚色度」が高いのが
ちかまつもんざえもん(近松門左衛門)
の「蟬丸」ですが、
これが
蟬丸がすげー女たらしで、妻や浮気相手からの怨念をうけ、
盲目に
という・・
因果応報の物語
だったので、 おもしろい
とは 思うけど、、そんなふうに書くなんて、
近松もんざえもん(門左衛門)って、
せみまるに、何か恨みでもあるのかな
と
気になりました 坊主めくりの時、「蝉丸」を引いて、いつも
負けていたとかね
【おすすめ度:古文が読める方に・・】
(次回は、中山可穂『悲歌』を レビューします 現代の小説です
)