戦前の教よう(養)人にとって、ロシア文学は
「一種のバイブル」だったようですが・・、
中でも、
チェーホフに ドはまりして
『桜の園』を下じきにした小説まで書いたのが、
だざいおさむ(太宰治)です。(※太宰治は、『斜陽』の中で、没落華族の女性に自分と思われる主人公
」
そして、今回とりあげる太宰作品『桜桃(おうとう)』にも!
やはり、
チェーホフは、オー
~『桜桃』出だし~
「私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。
それこそ『心に
・・いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心
ほとんど必 いつも後ろ向きで、ぜつぼう(絶望)的な太宰にしては、
がんばっているかんじです。
・・・・・
太宰治があこがれた・チェーホフ
は、
びんぼう(貧乏)家庭に育ち、苦労したそうですが、 ネクラ(根暗)にならず、いつも 家ぞくをはげまし
未来を信じて前に進もうとするつよさを 失わなかった
って ききました。
(そういえば、小説の中にも、前向きな青年が出て来ます)
『桜桃』の出だしで「自分、努めて明るくしてます
」
と宣言した、太宰治・・。
(走れメロスに通じる陽の部分が出たのかな?)
と
こっちも元気に 読みすすめたのですが・・
そこから5行くらいで、いつもの暗い「太宰節
」が、
シャッて出て来て だまされました。。 (以下要約)
明るい態度は「あえて」なのに、
人々はそれに気がつかない。
それどころか「軽薄だ」とさげすむ。
いや、それより、
人々が気づかないどころか、
妻ですら、
気がつかない。
オレがこんなに苦しんでいるのに、、
彼のごとき、めんどくさい「破滅型男
」に
かかわりたくない
クリンたちには、
この私小説について
的をいたかんそうは、述べられないでしょう・・。 でも、この『桜桃』には、この作家の心の真ん中の部分が
したためられており、
読者は、そこから血が流れるさまを、はっきりと見ることが できます
彼の命日に「桜桃忌(おうとうき)」の名がついた理由が
この本を読んで、
とてもよく わかりました。
【おすすめ度:】
(🐻おうとう(桜桃)って、サクランボのことでした~。桜小説じゃなかったですね
今さらだけど・・
※次回は、同じく太宰治より、『葉桜と魔笛』という、奇跡のステキ小説をとりあげます)