クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

竹久夢二の関東大震災

2023-12-19 | アート・文化

アートの、ではないのですが、

今年の9月1日は、関東大震災から100年目だったので

クリンも、展覧会に行ったんです🐻。

 東京新聞本社に、竹久夢二が描いた関東大震災のルポルタージュが、展示されている」

と 聞いたので。

 大正時代を代表するロマンチック画家・たけひさゆめじ(竹久夢二)は、

当時、「都新聞」(今の東京新聞)に 恋愛小説を 書いていましたが

 しんさい(震災)発生にショックを受け途中から、

東京各地の惨状を 挿し絵入りでリポートする、

「東京災難画信」に 切り替えました。

(もちろん新聞紙面は、すべて震災関連記事で埋め尽くされています この中に万が一にも恋愛小説があったら苦情が殺到でしょうね・・

 連日、がれきの街を カメラ片手にさまよった・夢二さん。

いったい、彼が、どんな様子を 伝えたか・・?


~震災スケッチ部分紹介~

 家を失い、行くところがなくなっちゃった人

 死んだほうがましだった、となげく人

 焼け野原に座り、名月をずっと見ている親子・・

 炊き出しか何かに並ぶ人々・・

 浅草観音に祈りすがる、おおぜい(大勢)の人

など。

揺れや火災が 

収まった後なので、

生き残った人々は、次の次元で苦しんでいます。

 夢二がいちばんショックを受けたのは

3万8千人の死者が出た「本所被服廠の跡地」を見た時で・・

死体の山のスケッチは、どうしてもできなかったそうですが、

後日、

泣き叫ぶ遺族や、骨を拾いに来た人のようすを、苦しみとともに 記しています。

みんな、それぞれが抱えた すさまじい地獄絵図・・

その中で、夢二がとくにズキッと心をいためたであろう・カットは

多分以下です。。

 煙草たばこを売る娘>※文章も夢二です

「三日の朝、私は不忍の池の端で、おそらく二十と入っていない「朝日」の箱を持って、大地に座って煙草を売っている娘を見た。

煙草をパンに換えて終しまったら、この先娘はどうして暮らしてゆくのであろう。

売るものをすべてなくした娘、殊に美しく生まれついた娘、最後のものまで売るであろう。」

 <自警団遊び>

「万ちゃん、君の顔はどうも日本人じゃあないよ」豆腐屋の万ちゃんを摑かまえて、一人の子供がそう言う。郊外の子供達たちは自警団遊びをはじめた。
「万ちゃんを敵にしようよ」
「いやだあ僕、だって竹槍で突くんだろう」万ちゃんは尻込みをする。
「そんな事しやしないよ。僕達のはただ真似なんだよ」そう言っても万ちゃんは承知しないので餓鬼大将が出てきて、
「万公!敵にならないと打殺(ぶちころ)すぞ」と嚇かしてむりやり敵にして追いかけ廻わしているうち真実(ほんとう)に万ちゃんを泣くまで殴りつけてしまった。

子供は戦争が好きなものだが、当節は、大人までが巡査の真似や軍人の真似をして好い気になって棒切れを振りまわして、通行人の万ちゃんを困らしているのを見る。
ちょっとここで、極めて月並みの宣伝標語を試みる。

「子供達よ。棒切を持って自警団ごっこをするのは、もう止やめましょう」

 

(※このころ、朝鮮人暴動のデマが流れ、民間人の自警団が在日朝鮮人を2千人も虐殺しています)



「未曽有の悲劇」が もたらされた時、

人は、ふだんの人間性を失う。

人をせんどう(扇動)するデマ、便乗強盗、

そういうのに まどわされず、巻き込まれず、しのぎきることが

令和のあなたたちに できますか?

そういうことを訴えかけてくる、直球な展示でした。


さすがは、ふだんからがんばっている、東京新聞です。

 そして、夢二みたいなせんさい(繊細)な男が、

よく、この取材を 耐え抜いたな

と・・

つらく思いましたね。

 

 

 

コメント (22)
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