With A Little Luck!

趣味と生活と衝動買い日記です!(笑)。

春の日か・・・。

2005年03月21日 | 日常
今日は休日出勤!。
いつもの時間に出発したら、首都高はガラガラで超快適!。いつもこうならなあ…。

会社に着いてからも、今日はピーピー鳴く、やかましいオヤジが出勤してこなかったので超快適(笑)。
けど、なんだろう、気合が足りんのか、あんまはかどんなかったな…。

途中、部のマスコット的存在(!)のYちゃんが出勤してきた。花粉症の完全防備姿で現れたから、ダイナマイトがよけいダイナマイトになっていた(ここ見てないよな…)。
Yちゃんは超マイペース!。ちょこちょこ話しかけて来るが、こちらの話はあんまり聞いてくれない。
よくコピー機とか壊す…。今日もなんかキャー、キャー言ってた。でもとにかく一生懸命だから影ながら応援してる。ホントに影からだけど(笑)。

花粉もすごいけど(みんながしてる、あのテッカマンみたいなマスクしよっかな)、今日なんかはすごく春を感じる陽気だったなあ。
朝は友人から新しいスタートを切るメールをもらったし(何も聞かんけど、応援しとるよ!)、自分も色々リセットして新しいこと始めるかな。

日本公演もの・・・。

2005年03月20日 | Beatles
3月はポール・マッカートニー初来日公演月間ということで(笑)、自分の持っている日本公演ものを…。

90年のポール・マッカートニー日本公演は、3月3日をスタートに、一日おきの日程で東京ドームでのみ6回行われた。その中で7日と9日の公演は、クローズド・サーキットと呼ばれる衛星中継により、全国10箇所の会場にてライブ中継された。ブートとして出回っているものは、この衛星中継の映像を元にしている。

写真の上段は、VHS時代の一本で、画質は残念ながらあまり良くない。90年代前半に販売されていたもので、テレビを3倍モードで録画したものを、さらにダビングしたような画質(笑)。
パソコンなんて全然普及してない時代だったから、日本公演のパンフや、雑誌の切り抜きを一生懸命切り貼りして作ったジャケットが泣かせる(笑)。

下段左は、ネットで購入した一本で、残念ながら上のVHSをDVD化したようで、画質はほとんど変わらない。ノイズも同じ部分で同じように入っている。VHS版には、90年2月のグラミー賞、特別功労賞受賞の模様が収録されていたが、こちらにはなく、代わりに89年6月の「夜のヒットスタジオ」出演時の映像が収められている。裏ジャケットには、ギター雑誌「ヤングギター」が日本公演中ドームで撮影した、ポールの使用楽器の写真が使われていて面白い。ウォルにヘフナーにゴールドトップのレスポール…。

最後の一本、下段右側は新宿「ブラインドフェイス」で手にいれた一本。「過去最高画質で…」という文句につられつい購入(弱っ)。
気になる画質は、まあ、最近のデジタルビデオ撮影されたオーディエンス物にはとてもかなわないながらも、先に紹介したものより数段見やすくなっている。あとメニュー画面付きなので、見たい曲にすぐに飛べるのもいい(笑)。
さらにこのタイトルは、ボーナス・ディスク付きで、正規発売されているライブ映画「Get Back」のチューニング補正版(でいいのかな?)がついている。正規版「Get Back」は音声がなぜか半音下げて収録されていて、聞いててなんとも気持ち悪かったのだけど、ついにこれで解消(笑)。今のところはこれがベストなタイトルかな?。
いずれのタイトルも残念なことに完全収録ではなくて「Let It Be」までを収録。

昨日のポッツさんライブ聞いてから「Put It There」がまた聞きたくなってきたから早速見てみよう…。


今度は福岡で地震。何もできず恐縮ですが、被害に遭われた方たちにはお見舞い申しあげます。

ポッツさん、テキサン

2005年03月19日 | Band
今夜は、新宿レノンハウスにて、「イェスタディ&トゥデイ」のポール役、ポッツさんのソロ・ライブを見てきた!。

3ステージ構成で、1回目と2回目は、ポッツさんによるギター、ピアノでの弾き語り、3ステージ目は、「プラスティック小田バンド」のハッピー小田島さん、レノンハウス・マスターの本田さん、「ビートリッパー」のドラマー、たっちゃん(さん!)をサポートメンバーに迎えてのバンド形態でのライブだった。

ポッツさんは、Y&Tでの姿しか見たことなかったけど、ギターの弾き語り姿もカッコよかったなあ!。
演奏される曲も、最近強いて聞かなくなった曲が多く、その曲のよさを再認識したりできたし…。

「Blackbird」ものすごく雰囲気出てたなあ。ピッキングもそっくりで、今まで聞いてきた「Blackbird」の中でイチバン良かったかも!。
2ステージ目で多く演奏された、アルバム「マッカートニー」からの曲も素晴らしかった。「Man We Was Lonely」、「Junk」まさにアコギ向けの曲で、マーチンの低音が心地よかった。曲間のMCも面白く、ポール愛が伝わってきた(笑)。
「She‘s Leaving Home」そうそう!、こないだのツアーからとりあげてくれたんだっけ…。

それにしてもポッツさんが弾く、エピフォン・テキサンを見ていたら、今度リイシューされる、ポール・モデルが欲しくなってきてしまった(笑)。
ポッツさんのは、練馬の楽器店「W○TH」プロデュースの復刻モデルだと思うんだけど、今度発売されるポール・モデルも廉価版(といっても30万強!)は日本製だから、ひょっとしたら近いものなのかな?。

まあ、自分の場合は、もっと弾けるようになんなきゃな…。

ゆっくり、あせらず・・・。

2005年03月18日 | 日常
今日は、山口営業所時代の上司(というか、もう同志だな(笑))が、予算のヒアリングのため、東京の本社にやってきた。
約1年半ぶりくらいに会うが、まるで昨日事務所で別れて今朝出勤して会うような親近感があった。
この人は典型的な関西人で、中途で入ってきたこと、高卒であることのコンプレックスをバネにのし上がって来たタイプで、ハッキリ言って自分とは正反対の人間。
けれど、すごく可愛がってくれて、山口時代も、こちらが提案したこと、やりたいことを相談した時には、決してNO!とは言わなかった。それだけ信頼されると、逆に人間裏切れないもんで、実現しようと一生懸命頑張った。うまいこと操られてたのかも(笑)。

午後、その元上司と一緒にTさんのお見舞いに向かった。
Tさんは、うちのメインの工場の元工場長で、去年の夏、丁度世間がお盆を迎えている頃(工場にとっては最盛期)突然倒れた。
脳梗塞だった。しかも重度の…。
完全な植物状態で、よくなったとしても、わずかに自由のきく左手で筆談ができるようになるのが精一杯で、言葉を発することはこれから一生、ほぼ不可能と言われた。

去年の11月以来2度目のお見舞いとなる。
Tさんは年明けに退院し、今は自宅マンションでリハビリを続けている。
呼び鈴を押すと、本人がカギを開けて出迎えてくれた…。立って歩いている。
元気だった頃は肥満というかデブで、かなりの大男だったが、今はカロリー制限を続けて15キロやせたとかで、以前よりもずっと若々しく見える。
こちらの言うことは完全に理解できているようで、言葉も単語なら話せるようになっている。記憶も徐々に戻って来ているようで、倒れた当日のことまで話してくれた。

発せられる単語を組み合わせ、なんとか話している内容を読み取ろうとする。違っているとTさんは、思いっきりがっかりした顔をし、合っていると、右半分にしびれを残した顔に満面の笑みを浮かべ「そうだ!、そうだ!」と言わんばかりにうなずく。
そんなやりとりを続けているうちに、自分達もTさんも、奥さんの目にも涙が浮かんでいた。
倒れてから約半年、どんなにリハビリ頑張ったんだろう。最悪の状態だったのに、今は杖を使いながらも歩け、まったく動かなかった右腕もわずかながら上がるようになっている。

きっと帰ってきてくれると確信した。あせらないで、ゆっくりに、と言ってマンションを後にした。

人間なんて、いつどこでどんな風に運命が変わってしまうかはわからない。
でもそこで、人生が終わるわけではなく、ちょっと流れが変わるだけなんだぜって、Tさんに言われた気がした。

どうなんだろう・・・。

2005年03月16日 | Car
今日は営業車を先輩にとられてしまったため、自分の車で出かけるハメに…。
高島平で一件目の商談を終えて、午後の予定が入っている千葉へ向こうとしたんだけど、高速入り口付近の電光掲示板に「高島平-竹橋 渋滞75分」の文字が!。さらに環状線にまわろうとしたところ、「高島平-平井大橋 渋滞70分」…うーーん、参った。
仕方ないので下道で、ひたすら17号を行った。まあ、天気良かったし、気持ちはよかったけど…。
しっかしオートマの便利さに完全に慣れきっちゃってる体に、MT車での渋滞はしんどい!。左足がフラフラする。坂道に停車すると、今だに緊張するし(笑)。

そういえば、今月号の車雑誌「Tipo」に、MGについにATが導入されるという記事が載っていた!。
CVT、つまりセミオートマってヤツで、オートマのシフト操作で、マニュアル・モードがお手軽に楽しめるってものだ。

「これで女性も気軽にスポーツ・ドライビングを楽しめる」なんて書いてあったけど、どうだろう…。今の世の中、オープン、2シーター、信頼性ではまだまだ国産車に劣るイメージのあるイギリス車、さらに価格が300万円を越える車にどのくらいの女性が気軽に手をだすだろう…。
だいたいこの新しいMG、自分のMG-Fをマイナーチェンジした車で、そりゃ足まわりに大きな変更を加えはしたものの(っていっても構造上、以前より安く作れるんじゃない?)、ボディや内装はほとんど変わりがなくて、価格だけ60万円近くも高くなってる。これはあり?。

MGと言ったら、既存の市販車のパーツをうまく流用して、安価で高性能なスポーツカーを提供するってのが、本来の姿だと思うんだけどなあ…。
この新生MGはかなり販売面で苦戦してるらしく、自分の行くディーラーにも現MGローバー日本の南原社長(マネーの虎ですね…)が直々にやって来て、「弱った虎を助けてください!」と頼み込みがあったそうな。一度日本での信頼も失ってるわけだし、原点に立ち戻る意味でも、せめてロードスターと同じくらいの価格設定にしないと厳しいと思うなあ。

タイミング悪いことにロードスターもフルモデルチェンジするっていうし…。

春の思い出2

2005年03月15日 | 仕事
おととい書いた、日記の続きを書く!。
長くなりそうだけど、今の自分にも関係あることだし、自分にとっては大きな出来事だったから、書いておこう。


社長は、自分に反発、意見する人間はわりと露骨に遠ざける人だったから、「ああ、来たか…。」とその時は素直に思った。
しっかし、たったひとりで山口なんて、いまどき島流しじゃないんだから、ありえないんじゃないかい?。
でも、同時に、自分は見た目と違って負けず嫌いというか物事を重く考えないタチというか、落胆した気持ちの半分、「おいしい。やったるで。」という気持ちが、今思えば悪い方に考えたくないという逃避だったか知れないが、ふつふつと沸き起こっていた(笑)。

この頃、実は迷っていることがあったが、何も言わないまま山口に行くことに決めた。この判断が、後々自分にダメージをくれることになるが、その時の自分の心境では、そう判断するのがベストだと思ったし精一杯だった…。

そしていざ山口へ…。

自分を待っていたのは、想像以上の状況だった。
買収した会社とは、ある得意先がもともと設立した会社で、創業以来14年間、ずっと赤字の会社だった。都合のいい売却理由だが、「本業に専念」、というわけでうちの会社に売却の話が来たわけだ。

そこで働く従業員達は、今の時代、ちょっと反発が起きてもおかしくないくらいの冷遇のされかただった。定年近い人でさえ、自分より余裕で年収低かったし、残業代も当然のように無し。休みも交代で週に一度だけ。中には365日出勤してる人もいた!。労働環境もひどく、関東のうちの工場に比べたら劣悪と言っても言い過ぎではなかった。初めて工場を見た時の印象は「ここが自分の働く場所か…」だった。

先に工場長(兼取締役)として入っていた元上司からは、「買収された会社の人間は、買われたという意識が強い。一方で、買われた先の人間がうわついた気持ちで入ってくると、顔には出さないがすぐになめてかかる。お前が山口に来てくれるのはいいが、『わざわざ東京から来たけれど、売り上げは上がらない』と、彼らから一瞬でも判断されると、ここでは人間扱いされない…。」なんて、マジなんだか、脅しなんだかよくわからない歓迎の言葉をいただいた(笑)。ただ、必死でやってくれ、という願いに近い気持ちだけはしっかりと受け取った。

自分にこの場所で課せられたことは、とにかく一時でも早く、安定した供給先を見つけて、経営の安定化、つまり黒字化してみせること、利益を出すことと理解した。うちの親会社からは、いつも「清算」、というナイフを突きつけられていたから。

従業員達は、露骨に不信感を浮かべた眼差しを向ける人もいたが、先の上司の言葉とはうらはらに、おおむね優しくて人なつっこい、田舎のとっちゃん、かあちゃん達が多かった。

知的障害を持つI君は、雨が降ろうと、雪が降ろうと、毎日工場から4キロ離れた自宅から自転車で山を、時にびしょ濡れになりながら登ってくる。発する言葉も、正直ままならない感じで、それでも自分に対してせいいっぱい大きな声で挨拶をしてくれるし、気遣いの言葉までかけてくれた。そして彼なりに、この仕事と自分の作る商品にプライドを持って働いていてくれていた。
借金取りに追われ、家族ともバラバラになり、ここに流れ着いたオッサンもいた(借金取りに事務所の電話番号教えんなよなあ!、怖かったよ)。
生活の苦しさから、この仕事の他に、夜の代行運転業までこなすオバチャン達。
生活苦しいって言うわりには、工場に住み着いたネコに高いキャットフードを買ってきては食べさせていたっけ…。

そんな人達を見ていると、実際に外に出て商談してくるのは自分しかいないので、物言わぬ彼らの期待(されてたかどうかはわかんないけど)に応えなきゃって思った。自分一人の力なんて、実際大したことなんかできやしないけれど、そうやって思い込むしか、やってられなかった。


着任早々、動きまくった!。本当によく動いた。山口を拠点にして、広島、福山、尾道、愛媛松山、九州の小倉、果ては岡山まで…、一日の平均走行距離は400キロはくだらなかった。時間と経費をかけて、毎日商談を続けた。問屋にもどんどん商談に連れ出してくれるようアプローチした。必死だった。

一番しんどかったのはやはり一人ということ。権限が何もないペエペエの社員を一人で置いとくというのは、今だにひどいし、いかがなものかと思う。この業界は即答を求められる緊迫した場面が多く、工場を背負っちゃってる分、常に緊張した状態が続いていた。

プライベートな面でも困ったもんで、土日の休みがきても(実際はあまり休めなかったが)、とりあえずしゃべる相手もおらず、当然一緒に遊ぶ仲間もいなくて、ひとりドライブが少ない休みの定番となっていた(哀)。一人で街をぶらついて時間を過ごしたりするのは全然苦じゃなく、むしろ好きな方なんだが、さすがにこの転勤でのひとりぼっち感はこたえた…。そんな自分を見かねたのか、それともボヤきが届いたのか(笑)、「お前ひとりじゃけえ、寂しかろう!?。」と、得意先のバイヤーは釣りに連れて行ってくれたり、問屋や、他のメーカーの営業マンは、広島の夜を食べ歩き、飲み歩きに連れ出したりしてくれた。今思えば、刺激のない田舎暮らし、彼らも自分をだしにして楽しんでたというむきもあるが…(笑)。それを差し引いても、向こうの人達にはよくしてもらった。お互いまったく別の会社にも関わらず、自分の仕事をフォローしてくれたり、今思い返しても感謝の気持ちでいっぱいだ。(ホント救われましたよ)。

半年経過したあたりから、徐々に営業の成果があらわれはじめ、夏には冷夏だったにも関わらず、ついに利益を出せるようになった!。当然自分の力だけでなく、商品の力がマーケットに支持された結果であるが、とても嬉しかった。心底嬉しかった。工場のみんなの顔も明るくなってきた。30過ぎて、こんなさわやかな喜びを得られるなんて思ってもみなかった。
関東の連中からはもう忘れられてるかも知れないけれど、自分はまだまだ終わってない、やってるぞ!って思った。

冬の声が聞こえ、来年の春のプレゼンの準備にとりかかろうとしていた頃、唐突に、関東営業部への異動の内示が出た。
実績を出したから帰れるのかな、なんてうぬぼれた考えも浮かんだが、関東の売り上げの急降下、親会社による、うちの会社の関東、関西の分割売却案などが出、若い社員を戻せと、社長が動いてくれたと後から聞いた。

わずか1年に満たない転勤だった。
この転勤がなければ、生活は変わっていたかも知れない。考えてもしょうがないけれど、たぶん変わっていたと思う。する、しない、どっちが良かったなんて比べられないけれど、とりあえず、一人になる、という貴重な体験ができた。自分をみつめるなんて感傷に浸る時間はあんまりなかったが、その時間を、数えられない人に出会い、数えられない孤独感や達成感を味わうことによって埋めてきた。東京に戻ってきて一年、ようやくあの一年のことが自分の中に活きてきてる実感がしてきた。

たぶんまだ途中だと思うけど。

春の思い出

2005年03月13日 | 仕事
3月は、サラリーマンにとっては異動の季節。

今から2年前の3月、自分は山口県に転勤することになった。
高校卒業までを下関市で過ごしたこともあり、故郷と言っても差し支えない場所なのだが、
山口市という、県の中央に位置するその土地は、まったく馴染みのない場所だった。

転勤が決まってからは送別会の嵐で、当時のバンド仲間には自分が原因で解散になってしまうのにも関わらず、他のバンド仲間に声をかけ、会社の女の子らも巻き込んで、送別ライブを開いてくれた。

そのとき、餞別がわりにと、自分が確保できなかったストーンズの武道館公演のチケットを友人のSが譲ってくれた。
30年ぶりに実現されたローリング・ストーンズの武道館公演。それはそれは素晴らしく、感動的なライブだったけど、自分にとっても特別なライブとなった。特にキースの歌う「Slippng Away」という曲。アルバム「Steel Wheels」のラストを飾る、地味な一曲だけど、その切ないメロディーと、2日後に東京を去る自分の心情が重なり、聞いているうちに、思わず涙が出てきてしまった。それ以来3月になると季節柄どうしてもあの時の切ない気持ちが蘇えってしまう(笑)。


会社に入ってからすぐに営業部に配属となり、20代をずっと営業部で過ごした。また、同じ部署に同期がいなかったせいもあり、いつも、部の先輩たちは自分の年齢の時にどんな仕事をしていたかを意識して、それに負けない様に頑張ってきた。そしてそれなりに実績を残してきた(つもり!)。

02年春、会社から突然、企画室への異動を命ぜられた。
そこは社長直轄の部署で、主に数字を扱う経営企画から秘書、広報・販促が一緒になった部署だった。
社長は、企画室出身で、営業を経験してのし上がっていった人で、営業の役員時代には、経験が無いなりに新規へのアプローチを行ったり、よく自分の得意先に顔を出してくれたり、ピンチになったときも率先して得意先回りをしてくれる人だった。クセもあり、アクも強く嫌う人も多かったが、社内営業ばかりして、外に顔の効かない上司より、よほど「使える」役員だった。自分の企画室への異動も、実は社長が指示したものだった。

ただタイミングが悪いことに、時はうちの会社に、というかグループ(今お騒がせ中のSグループです!)にとっては厳しい時期で、グループ各社のリストラ、清算、売却などが推し進められるという、非常につらい時期だった。例にもれずうちの会社も、少しでも利益を出そうと奮闘していたわけだが、鬼のような親会社に吸い取られるだけ吸い取られ、さらにグループ外に売却を、なんていう厳しい状況にあった。さらに、営業面でも別業種メーカーの参入によりシェアを奪われ、売上の下降に歯止めがきかない時期にあった。

そんな中、自分は企画室という場所で、それはそれは重要な部署なんだけども、いかんせん異動してきたばっかりなので即戦力にはなり切れない。周りは皆思いつめた顔してパソコンに向かったり打ち合わせをしてるのに、なんだかまるで自分は新入社員の様な心もとない心境。一方営業部は春の組織変更で自分同様に、他部門から来た新米営業マンばかりで、泥臭い他社の営業マンに連敗を喫してばかりだった。
だから自分は、少しの思い上がりの気持ちもあったと思うが、このタイミングに営業にいれない現実に腹立たしさと、戻してくれれば…という歯がゆさで、悶々とした日々を過ごしていた。新商品のリリースなんか書いてる間に、会社潰れちゃうぜっ…って。とられたシェアを取り戻すのがどんなに大変なことか…。
そんなある日、自分もよほど思いつめていたからだと思うが…、思い切って社長に直談判した。

「そんなに私の部署にいるのが嫌か!」と普段一般社員にはおだやかな口調で話す人がキレた。ヤバイ!とは思ったが、今、この時期に自分を最大限に生かせる=会社に貢献できる場所は営業部だと自分なりに思ってたからひく訳にはいかなかった。ただ予想外の怒りをかってしまい、「こりゃ、営業には戻れないな」という思いを強くした…。

数日が経った午後のこと。社長室に上司が呼ばれ、数分の後、青ざめた表情で帰ってきた。「社長がお呼びだよ…。」って。
社長室に入ると、いつもの様に穏やかな笑みを浮かべた社長がマイナーチェンジを施した組織図を前にして座っていた。

「君が一番コストパフォーマンスを発揮できるのは営業でしょう。僕もそう思うよ。期待してるよ。」と言って組織図で指した場所は、なんと「山口営業所」!。山口に営業所なんかあったっけ!?。
頭の中が真っ白に…。
うちの会社が、とある小さな会社を買収し、その会社を中国地方と九州地方へ向けた製造拠点とし、そこに営業所を置くので、中国地方の販路を拡大して来い、というのだ。
元上司が先発隊で工場長として入っているものの、行くのは一人。見知らぬ土地に…。山口営業所の管轄は九州事業所になるから、直属の上司は博多にいることになる。
あまりにも急で、考えもしなかった展開に慌てたが、動揺を悟られたくなかったので、
「わかりました。行ってきます。」とだけ答えた。というか、それでいっぱい、いっぱいだった…。
飛ばされるのか…!?。

長くなったから、続きはまたあらためて書こっと…。

写真は、伝説となったローリング・ストーンズ、03年3月10日の武道館公演を完全収録したDVD!。ブートのくせに2カメラ使用の2アングル収録(もちろん隠し撮り!)。
更に音声は5.1ch(あまり効果は確認できなかったけど…)。
「Slipping Away」も、もちろん収録(涙)。

実家に帰らしてもらいます。

2005年03月12日 | 日常
今日はこれから実家に帰ります!。

正月は、雪やら仕事やらで集まれなかった一族が集まるってことで…。

楽しみなのは、妹の娘に会えること。
妹が母親やってるなんて、ホントに笑っちゃうんだけど、この娘が身内ながら可愛い!。
まだこの世に生まれて一年、しゃべれないけど、もう立って歩いているそうな…。
人見知りをまったくしない子で、目が会うとニヤっと笑って、ズンズン近づいてくる(笑)。
こういうのを伯父バカとでも言うのかな?。え、ただのバカ?。ありがとうございます。

愛車にとっても復帰後初のロング・ドライブ(でもないか)になるから、道中楽しもう!。
天気いいし、花粉もすごいんだろうけど、フル・オープンで行っちゃうぜ。

初めての生

2005年03月11日 | Beatles
1990年3月11日は、初めてポールを生で見た日。

もう15年も前のコト!。
当時は山口県の下関に住んでいて、ピッチピチの高校生だった。年明けだったかなあ、天気のいい朝に、登校前、新聞を見ながら朝食をとっていると、「ポール・マッカートニー来日公演」の広告が!。今思えばこんな地方版によく広告なんか載せるな、と思うもんだが、「蘇るビートルズ伝説。5万人のイエスタディ大合唱!」と大げさなコピーとともに、レスポールを抱えるポールの写真を見た瞬間、軽くパニック状態になったのを覚えてる(笑)。

当時は、それこそファン駆け出し期といった時期で、ビートルズの曲に触れる度に強い衝撃を受けてまくっていた頃。でも当時、元ビートルズのメンバー達はほとんどライブやツアーなんかやってなかったから、あくまでもビートルズはCDで聴くバンド、もうライブは見れない伝説のグループ、といった存在に感じていた。だからポールがアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」を発売し、「夜のヒットスタジオ」に生出演して「ワールド・ツアーやるよ。日本にも行くよ」とコメントしたときも、今ひとつ実感がなかった。っていうかそん時のオンエアでは、久しぶりに登場したヘフナー・ベースに目が奪われて、コメント内容まで注意して聞いてなかった(笑)。今の様に楽器本も出てなかったし、本物のヘフナーなんか見たこともなかったから、クリアに映し出されたそのベースの美しさに見とれてしまっていたのだ(笑)。

とにかくまさか元ビートルズのメンバーのライブが見れるなんて想像だにしていなかった頃だから、この広告はものすごい衝撃だった。
当時はもちろんインターネットなどはなく、もっぱらツアーの様子を知るのは雑誌がメイン。「FMステーション」などでセット・リストが発表されても、「グッデイ・サンシャイン!?、サージェント・ペパー!?、どうやって演奏するんだろう、とまったく想像がつかなかった。今や、ライブ後数日の間には隠し録り音源が出回るような時代だけど、当時は海賊盤の存在すら知らないウブな状態(笑)だったから頭の中はまったくのまっさらな状態だった。

果たして、親を説得し費用を工面し(後でちゃんとバイトして返した!、と思う…)、約1000キロ離れた東京へ。
発売日に必死で電話して、やっととれた席はスタンド席だったけれど、今のようにヤフオクで大枚はたいて良席をゲットするなんてアタマもヤフオクもなかったから、自分にとっては特別な席だった。1時間くらい前には会場に入って、大判のパンフレットを、自分のと当時のバンド仲間の分と2冊買って、じっと席で眺めながら気分を盛り上げていた(笑)。そして開演!。
15分ほどのフィルム(これがまた登場までの気分を盛り上げる!)の後、とうとう本物のポール・マッカートニーが姿を現した。

「Figure Of Eight」、ドラムのカウントから始まり、ウォルの5弦ベースの重たい重低音が響き初めてからはもう興奮のるつぼ!。1曲、1曲が驚きと感動の連続だった。隣の席の女の子から何度も双眼鏡を借りて、そこにいるのが本物のポール・マッカートニーだと確認したのを憶えている(笑)。迷惑そうな顔してたけど、構わず借りた。色、白かったなあ。オレンジ色のシャツを着ていたっけ。確か「P.S. Love Me Do」が初演で、ベース持たずにマイクを手に持って歌う姿にすごく違和感を覚えたのも印象に残っている。約3時間はあっという間に過ぎて、余韻に浸りまくりながら、遠路下関へ。

田舎に帰ってからも、ああ、ポール・マッカートニーのライブを見たんだあ、という充足感というか興奮は覚めやらず、当時の高校生バンドのメンバーにライブの一曲、一曲を、練習場所にと無理言って借りてた音楽室の倉庫(音楽室はブラバンが使用中!)で解説してやった。
あらから早15年。相変わらず彼らの音楽を聞き、テレビに映りゃ、心躍らせてしまうし、雑誌に写真載ってりゃ買ってしまう。そして上達は一向にしないけど、バンドも続けてる。
たぶんあのライブを見なくても似たような生活はしてただろうけど、あの日に感じたポールの「現役感」みたいなのを、今も追い求めてるような気がする…。たぶんこれからもずっと。

懐かしい!。

思えばあの90年前後は、前年にはリンゴが来日し、翌年にはジョージが来たりとファンにとってはすごい3年間だったんだねえ。

結構イタかったです。

2005年03月10日 | 日常
午後、出先から戻って、ある得意先向けのPOPを作ろうと、ラミネートフィルムを買いに池袋ハンズへ…。

6階の文房具売り場をウロウロと…。ラミネートフィルムを買いに来たんだけどついついペンとかに目が行ってしまう。
目的のブツを見つけ、さらにウロウロしていると、背中に何やら視線を…。

振り返ってみて見ると、ちっちゃい女の子がこちらをじっと見ている。いくつぐらいの子だろう。背丈は自分のひざがしらくらいで、20代半ばくらいのお母さんが、そばで夢中になって手帳を物色してた。
その女の子、あまりにもこっちをじっと見るので、ちょっとひきつり気味に微笑んでみせた!。すると女の子、ニヤあっと笑い返してきた。可愛いなあ、と思ってたら、すごすごと笑顔のままこちらに向かってくる。
犬や猫って、犬好き、猫好きの人間がわかるって言うけど、ちっちゃな子供も子供好きの大人がわかるんだろうか。なんて思いながらそれでも近づいてくる女の子を見ていたら、いきなり腕を振り上げ、「これはクリリンの分!」って言いながらパンチしてきた。
あんまりにも急で、遠慮なかったもんで言葉をなくしていると、その女の子、周りにいる大人、客に同じセリフを言いながらパンチしまくっていた(笑)。お母さんは、相変わらず手帳探しに夢中…。外ももに思いっきり来たから結構痛かったぞ。ガキンチョめ。
でもまあ、お母さん可愛いかったから許す!(アホです)。

夜はバンド「TEDDY BOYS」の飲み会。リーダーの新しいヘアースタイルについて語り合った。
リード・ギターのまるさんから、新しいクイーンのベスト盤をいただいた(ラッキー!)。
クイーンはちゃんと聞いたことないから、今度の再結成を機会に聞いてみようと思ってたところだったんでとても嬉しい(ありがとうございました!)。

はあ、今朝は4時起きして、明日は5時起きだあ…。寝ます。おやすみっす!。