駅に到着し、ホームへ降りた。最後にこの地を踏んだのは、いつの事だったろうか。
バンドをやめた時だから、20才の夏だったと思うが。
思えばその時に2度とこの地は踏むまい、と誓ったが、あれから16年も経つのか。もう時効だろう。いや、それは僕が決める事ではないか。
その夏以来、小・中と共に過ごした人達との関係は途絶えた。
駅から出て、まっすぐ以前に住んでいた地区を目指す。ここから僕が住んでいた地区まで歩くと30分くらい掛かる。
駅周辺は高層マンションが立ち並び、雰囲気がガラリと変わってしまったが、その高層マンション地帯を抜けると見知った風景が見えて来た。

それは僕が住んでいた地区ではないが、友達が住んでたので、このA地区にはよく出入りした思い出がある。

僕が住んでいたのはC地区なのだが、中学でこのA地区と同じ学区になった。
A地区の生徒の親たちがC地区の事を「スラム街」と呼んでいたのを僕は知っている。
A地区の人がC地区を忌み嫌うのも無理はなかった。C地区は安い賃貸マンションに対して、A地区はかなり高い金額で購入して住んでるマンションだった。
もちろんA地区の人たちは、中学でC地区と一緒になるのを知っていて買ったわけだが、だんだんC地区の素行が悪くなっていったのである。
万引き、喧嘩、カツアゲなどが日常的に起こり、補導者が後を絶たなかった。そのため周辺地区からの評判を著しく落としていた。
A地区の親たちは近くにある地元では有名な頭の良い高校へ我が子をいれたくて、こんな田舎に高いマンション買ったのだ。そんな連中と一緒になって、わが子が非行に走ったらどうすんのよ!という気持ちだったのだろう。
無理はない。ただ、貧乏だろうと金持ちだろうと、悪ガキだろうと真面目だろうと、悪いことをする奴はどんな環境でも悪いことをするし、真面目に勉学に励む人は周りの環境など気にせずに勉学に励むものである。
それにシンナーやらイジメなどをするのは、だいたいA地区から来た生徒だったけど。
そんな思い出のあるA地区を抜け、B地区を通り過ぎて、いよいよ僕が住んでいたC地区に入る。変わってないなぁ。

実際に僕が住んでいた家まで行ってみる。ポストの表札を見たが、どうも空き家っぽいな。ここも人が減ったのだろうな。
かつてのクラスメイトたちはまだここに住んでいるのだろうか?いくらかは残ってるかもしれないが、大方は僕と同じように東京へ出たり、結婚して他の地へ引越したのではないだろうか、というのが僕の予想だ。
そんなことを考えながら、いつも遊んでいた公園に辿り着いた。子供が遊んでいる姿が全くない。というか地区全体に人影がほとんどない。これじゃ本当にスラム街じゃないか。
この光景は一体どういうのだろう。
・物騒なので子供だけで遊ばせられない。
・熱中症防止で外に出さない。
・家の中でゲームしてる。
・そもそも子供が減っている。
おおかた原因はこんなトコだろうか。それにしても寂しい。野球するのに取り合いになっていた金網フェンスの広場も誰もいないじゃないか。それに今の時期は祭りがあってヤグラが組まれているはずなのだが、そんな気配もない。告知もしてない。なくなってしまったのか。
僕らが子供の頃は各学年4クラスあって、1クラスに35人くらいいたので、だいたい全校で840人くらいいた計算になる。C地区とB地区の半分だけでこの人数である。
そりゃどこ行っても子供だらけになるわけだ。どれくらい減っているのだろうか。半分?いや、もっとか?
そうして馴染み深い場所を散策してゆくが、もう暑くてどうしようもない。光化学スモッグ注意報まで発令されてしまい、まだまだ見たい場所があったけど、今回はこれで断念することに。
いろいろと思うところもあるので、また秋の終わりくらいに来てみようと思います。