閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

現在位置について

2010-12-16 22:14:43 | Q&A

◆ウルファさんから。

>サンゴロウについて質問です。
>サンゴロウは今どのあたりを旅しているのでしょうか??
>無線を切っているので詳しくはわからないかもしれませんが(汗
>よかったら教えてください。


ウルファさーん!
それはこっちのほうが聞きたいよーっ!(←叫んでいるらしい/笑)

現在位置は特定できませんが、こちらよりも、
ウルファさんちに近いことだけは確かです。
どんなお天気でも、目印の旗はしっかり揚げておこう。
あなたが陸でできることは、きっと海でもできる。
水平線に白い帆が見えたら、立ちあがって大きく両手を振るんだよ。

以下はおまけです。

   ル・パレの港。今夜は、ここかも。

 

  アポティケルリ洞窟。やみさんち?


  朝早く通っていった謎の帆船。

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サンゴロウの絵について・その2

2010-12-16 17:08:49 | Q&A

サンゴロウ&ドルフィンの「絵」についてのご質問がたくさんあり、
重なる部分はまとめさせていただいています。
ひきつづき、描いた人が回答します。どーぞ。

◆i.rさんから。

>本文の挿絵の方で、サンゴロウとドルフィンとではペンタッチが違うように見えますが…
>意図的に変えて描かれてるのでしょうか?      
>また、悩みに悩んだ絵、何か思い出深いエピソード等がありましたら教えてください


サンゴロウとドルフィンでは、扱われているテーマや、物語の展開から、
現実世界との接点や、物語世界の方向性というか、
何に重点を置いているかという点で、
微妙に世界が違うと感じたので変えています。


悩んだ絵というのはないのですが、
『流れ星レース』の表紙は、描いてみて作者に見せると、
「ちょっと違う…」ということで、何枚もいろいろ描きました。

住んでいるところが海に近いせいもあり、
あっ、これは散歩したあそこの浜だ、これはあの磯の崖だ…と、
取材とかしないでも、身体に刷りこまれたものが
白い画面に見えてくるので、そこに色を置いていくだけです。

そのほか、描きたかった絵や、描きたいシーンが
文章の中にたくさん含まれているので、
ひとり仕事場で「これこれ、この場面が描きたかったのだ」とか
「うーん、きれいすぎ! 完璧!」と自画自賛して、
わくわくして描いていました。

『青いジョーカー』の中に、鳥の学者さんが、
鳥の巣の作り方を説明しているところがありますが、
その当時は、鳥の巣を集めて喜んでいる段階で、
まだ鳥の巣の博士になっていませんでした。

  鳥類学者イソキチ君

また、フランスで行った灯台の灯台守の人が
「霧の灯台」のカイとそっくりなイメージで、
あまりに似ていて、作者と思わず顔を見合わせてしまったことなど、
現実が後からついてくるようで、不思議です。

  フレネルの灯台(1836年建造)

白地に、描きすぎても描かなすぎてもいけない、という緊張感の刺激が、
うまく形になるのが、たまらない快感で、どれもとっても好きな絵です。

童話の本ということで、1色刷りという白地に黒だけの形態で描いているのですが、
自分の中では、深い深い世界が、できあがっているので、
いつか絵本や絵としても発表できたら、おもしろいと思っています。

 

閑猫追記:

サンゴロウとドルフィンは、世界はつながっていますが、
読者の方はご存じのように、出版社が違います。
どうしてそうなったか、ということには、ここではふれませんが、
変わるんだったら、がらっと変えてしまおう、という意識が
作者にはありました。

本のデザインというのは、カバーの絵だけの問題ではありません。
版型から、紙の種類や厚さ、中の文字の書体や大きさなど、
すべてが合わさって、その本の「すがた」が出来ます。
もちろん作者・画家の意向もありますが、それ以上に、
それぞれの出版社、編集者、デザイナーさんたちが、
内容にふさわしいようにと工夫を凝らしてくれるところで、
そういう人たちのセンスや好みも入ります。
また、現実的なコストの面から、特殊な紙やインクが使えたり、
使えなかったり、ということもあります。

たとえばサンゴロウシリーズは、カバーの紙の風合い、本文の紙の色、
本文のゴチックという書体などにはっきりした特徴がありますが、
それを、他社でもそっくり同じに、というわけにはいきません。

結果として、その違いが、うみねこ島と三日月島の文化の違い、
サンゴロウとテールの性格や、おかれている状況の違いに、
ちょうど重なってくれたんじゃないかなあ…という気がします。
ドルフィンシリーズは、表紙がつるっとして、中の紙が白いので、
それだけでもかなり雰囲気が違って見えるかもしれません。

サンゴロウシリーズの表紙(カバー)絵は、枠のパターンがあるので、
見た目にもそろってシリーズ物らしくなっています。
ドルフィンのほうはゼロからいきなり始まったため、
表紙を描く人は、毎回、あれこれ悩んでおられました(…ね?)

『流れ星レース』の巻だけ、担当編集者さんが男性だったので、
こころもち男の子テイストになっているのも面白いです。

 
 
 
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「木苺通信」について

2010-12-16 13:50:28 | Q&A

◆道草さんからのご質問。

>『木苺通信』の「トプ」はどのようにして生まれたのでしょうか?
>「わたし」はどのように木苺谷にやってきて定住したのか、
> 設定があるのでしょうか?


『木苺通信』は、1986年の暮れから書き始めました。
その年の初めに東京から田舎に引っ越してきたばかりで、
何もかも珍しくて、毎日こまかい日記をつけていました。
花や鳥の名前を図鑑で調べたり、山菜や果実を採って食べたり、
地元の木こりのおじさんにいろんなことを教わったり…

「わたし」が「木苺谷」にやってきたのは、
意図してそういう設定にしたわけではなく、
つまり作者がそうだったというすごく単純な理由で…(笑)

それ以前に、『風町通信』を書き始めたのが1980年、
ちょうど結婚して変てこなアパートに引っ越した年でした。
だから、それも、ほぼそのまんま。

そもそも風町の連載を始めたときのコンセプトが
「エッセイをフィクションで」。
現実にあること、起こったことを、ちょっとずつ変えて、想像と混ぜて、
一見エッセイみたいなフィクションにする、ということ。
風変わりな人は、何倍もあやしくなってるし、
行ってみたい場所は、行ったことにしてある。
これは「物語を作る」ということと、同じといえば同じなんですが、
「偽エッセイを書いてる」という意識のほうが気楽っていうか、
自分で楽しめちゃう、という効果がありました。
その延長線上で、木苺連載開始時のコンセプトは
「田舎に引っ越した風町」でした。

なので、風町&木苺には、たいてい「元になったもの」が存在し、
思い出せるものもあるんだけど、元を忘れちゃって、
まるで書いたことが実際にあったことのように
自分でいつのまにか錯覚してる部分もあったりします。

さて、トプですね。
トプには、はっきりしたモデルがあります。
名前の由来も、ちゃんとあります。
しかし、「じつは…だった」と知ると、
トプのファンの方はガッカリされるでしょうし、
わたしもお気に入りの狼さんですから、
モデルは極秘、にしておきましょう。


道草さんから、もうひとつ、「青い羊の丘」についての
ご質問をいただいたのですが、これについては、

いつか、良いお知らせが、できると、いいなあ…

というお答えしか、現時点では、できません。
ごめんなさい。
ひきつづき、来年の課題のひとつです。

 

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サンゴロウの絵について

2010-12-15 23:39:31 | Q&A

サンゴロウの絵についてのご質問をまとめました。
回答は、描いた人です。(ちょっと長いです!)

◆直美さんから。

>私がサンゴロウシリーズに惹かれたのはなんと言っても表紙でした。
>かっこいいサンゴロウと海のモチーフに釘付けでした。
>表紙では『ほのおをこえて』とドルフィンの『光のカケラ』が特に好きです。
>ドルフィンシリーズはサンゴロウシリーズよりも絵具がしっかり塗ってあるように
>見えるのですが、それぞれどんな画材で描かれているのでしょうか?

『旅のはじまり』が1994年7月出版なので、絵のほうは、
正確には覚えていませんが、その年の春ころに描いたのだったと思います。

最初の表紙のイメージはもっとシンプルなスッキリした物でしたが、
シンプルすぎるのでは、という出版社の意見で今の方向になりました。
少しクラシックで木のレリーフのようなイメージで、
周りにあれこれ海的な物を楽しんで描きました。

ところが絵として完成したのですが、本の表紙として、
タイトルや装丁という意識で見ると、”楽しんで”という部分が多すぎ、
どうもごちゃごちゃと多く描きすぎてうるさい、という気がして、
ひとつ消し、ふたつ消し……ようやく今の形になりました。
せっかく描いたのに、という気持ちもありましたが、
大局的判断で消しました。

調子良く筆が動いたり、気分が乗るのは良いことなのですが、
時々後ろに下がって、客観的に見ることも大事と反省しました。
ですから原画を見ると、ホワイトで絵を消した跡がずいぶん残っています。

以後、2巻からは、1巻のイメージをさらに広げたり、
ちょうどフランスの小さな島に行ったりして仕入れた、
昔の港町の雰囲気を心がけました。

ドルフィンシリーズは、出版社も違うこともあり、
サンゴロウとは意図的に変えた表紙にしました。
サンゴロウはスミ線に淡彩ですが、ドルフィンは
絵の具で地色を塗った上に描いています。
絵の具はどちらもアクリルガッシュです。

(閑猫記:ドルフィンについてはまた別にまとめますね)


◆美雪さんから。

>この原画は画用紙にペンでお描きになっているのですか?
>どれぐらいの大きさで描かれているのでしょうか?

線の部分はサクラのピグマペン(0.1~1.0)で描いています。
普通の付けペンやロットリングより自分には合っているようです。
紙はごく普通の画用紙(ミューズ社のサンフラワー170)です。
印刷で縮小するため、いつもだいたい1.2倍くらいに描きますが、
勢いもあり、もっと大きくなることもあります。

   ← ピグマペンその他


>サンゴロウは他の姿が考えられないくらい、絵がぴったりだと思うのですが、
>画家さんに対してあらかじめ指示とかお願いをした部分はありますか?

ほかの原稿の場合もそうですが、いただいた原稿を読むと、
絵が頭の上30センチくらいに出てきます。
それをうまく、手と画材を伝って紙の上に導き出します。
ですから指示とかはないのですが、文を書いた人の気持ちが
そのまま出ているのだと思います。

「キング・クリムゾンという音楽がうまれると、
キング・クリムゾンというバンドが、その音楽をプレイする」
とロバート・フィリップは言っておりますが、
サンゴロウという世界がうまれた時、サンゴロウはできていたのです。

  注:キング・クリムゾン
  イギリスのプログレッシブ・ロックバンド。
  1969年アルバム「クリムゾンキングの宮殿」で、
  当時アルバムチャートの1位だったビートルズの
  「アビーロード」を蹴落とし戦慄的にデビュー。
  何枚かアルバムを出すと解散、再結成を繰り返し今に至る。

文章に書かれたことの表面的な説明として物を描写して描くのではなく、
現実との離れ具合を,白地の空間のなかで感じてもらえればと思っています。

ペン先が紙の表面にタッチしたあと、描く(なぞる)のではなく、
そのなにもないサンゴロウの世界に色を置いていく、
あるべきところに、あるように、しているだけなのだと思います。

ムーミンのトーベ・ヤンソンさんのペン画は
非常に色彩豊かで大好きですが、ヤンソンさんも、
ものすごくしっかり、心の中に世界ができているのだと思います。



閑猫記:

最初に「かっこよく!!」ってお願いした記憶はあります(笑)
あとは、おまかせです。
1冊出来上がるまで、ものすごくドキドキでした。
ちょっとギャグの入っちゃった絵が、10巻の中に1枚だけあって、
それははずしてもらったかなあ。

 

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立ち読み

2010-12-15 16:51:14 | お知らせ(いろいろ)

先月出た絵本『ちょうどいいよ』(佼成出版社)が
絵本ナビというwebサイトで
「全ページ立ち読み」できるようになりました。

まず「絵本ナビ」のメンバー登録をして、
メールアドレスとパスワードでサインインして、
タイトル検索で『ちょうどいいよ』の紹介ページに行って、
「全ページ立ち読み」のボタンをクリックしていただくと、
表紙から裏表紙まで、全部めくって見ることができます。
ただし「1回だけ」です。

ネット上での絵本の「全紹介」は、作り手側でも賛否あるようです。
でも絵本1冊って、なかなかお安いものじゃないですし、
表紙とあらすじだけで買うのは、ちょっとリスクが高い。
手に取って、ぱらぱらっとでも中を見てからでないと。
しかし、すべての書店にすべての絵本が常備してあるわけではないし、
忙しい人には書店めぐりをしている時間もないし。
「中身がわからないから、やめとこう」…っていうよりは、
おうちのパソコンで見て検討できるシステムになってるほうが、
少しでもチャンスが増えるのではないかしら。

で、自分で「立ち読み」体験してみました。
なーるほど。
パソコン画面の中での見開きなので小さいけれど、
文字はけっこうはっきり読めます。
ページ移動も「めくる」のに近い動きで、
ちょっと速すぎる感じはありますが、違和感は少ないですね。
でもでも、これは、あくまでも立ち読み。
内容を確認できるという、便利な、それだけのもの。
これで見ちゃったら本が売れないじゃないかー、
というようなものではない。
(ちょっと安心した)
そして、これで見た上で購入してもらえたとしたら、
それはほんとに気に入られてその人の元に行けた、ということ。

「電子書籍の脅威」という、宇宙人が攻めてくる的な話題を、
子どもの本の世界でもひんぱんに耳にするようになったのですが、
なめたりかじったり破ったり放り投げたりする年齢の子どもの本は、
少なくとも、そう簡単には電子化できないだろう、
というのが、わたしの楽観的な予想であります。
絵本が「子どものさわっちゃいけないもの」リストに
入るようになったら、それはもう末期的だから、
わたしは引退しても、いいや。

 

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トラックのかきかたについて

2010-12-15 10:31:47 | Q&A

◆小1男の子くんから。

>まもるせんせーは、ぶるどーざーとか とらっくとかを かくときに
>どこから、かきますか。ぼくは、たいやから かきます。

ああ、とてもよいご質問ですねえ。
では、せんせー、おねがいします。

「うーん…いつも手が勝手に動いて描いてるから…
あらためて考えると、わかんないな。
タイヤからじゃ、ない、と思うけど…」

ということなので、実際に描いていただきましょう。
クレーンつきトラックです。

    「うん、まず、ここからだね」(←右利きの人)

    「屋根と窓をかいて」

    「前のタイヤかいて、荷台かいて」

    「後ろのタイヤでしょ」

    「クレーンつけて、出来上がり」


なるほど。では、パワーショベルはどうでしょうか。

    「あ、これはキャタピラが先か」(←自分で気がつく)

    「運転席かいて」

    「アームかいて」

    「ブームとバケットかいて」

    「こまかいとこかいて、出来上がり~」

ということでした。
男の子くん、わかりましたか?

 

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Black on black

2010-12-15 10:12:34 | 日々

黒猫が2匹で寝ている写真を撮ると、
当然のごとく、何が何だかわからないのであった。

すごい雨が降って、翌日はすごい暖かくなって、
それからすごい風が吹いている。

《そして俺ときたらいつもこのごろになると
何かやり残したよなやわらかな後悔をする》
(SION『12月』より)

児童出協の新刊情報誌「こどもの本」1月号の
「私の新刊」というページに、田中六大さんが
『ねこやのみいちゃん』について書いてくださってます。
お写真に猫のヒゲがあるので、
「写真にラクガキしたのですか?」とおたずねしたら、
「顔に直接描いたんですよ! アクリル絵の具で」とのこと。
あはははは。
耳もつければよかったのに~。
猫さんも抱いて撮ろうとしたけど逃げられちゃったんだそうです。

質問リクエストをたくさんありがとうございます。
順次掲載していきますので、しばらくお待ちくださいませ。


 

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やみねこについて

2010-12-14 17:49:39 | Q&A

もうひとつ、サンゴロウ関連で。

◆匿名さんからのご質問。

>はじめて読んでから何年も経つのに
>いまだにやみねこの正体について考えてしまいます…

はい。
考えてくださってありがとうございます。
どうぞ深く深ーく考えてください(笑)

これはネタバレになっちゃうので詳しくは書けませんが、
最後のほうで、やみねこが「3度目だ」って言ってるのが鍵で、
じゃあ1度目と2度目に何が起こったのか?と考えていくと、
いちおうは読み解けるんですけども、
そこから先が、ねえ…(←と、他人事のように…)

ご参考までにですが、
『キララの海へ』のやみねこと『最後の手紙』のやみねこは
同じだという説と、別モノだという説があります。
別モノっていうのは、最初に登場するのがノーマルやみねこで、
あとのはやみねこに化けてる奴、とか。

あるいは実体のない、「心の中の」敵だとか。

自分自身だとか。

うーん。なるほど。

また、「やみねこ=作者」という怖い説もあり、
つまりサンゴロウを誰にも渡したくなかっただけだろ、とか…(こらこら)

ですが、こういうのはすべて後付けの解釈でして、
そもそも書いた本人でさえ、本が出て数か月たってから
「そうか、わかった!」なんて叫んでたくらいですから。
言葉で説明すると微妙にずれてしまう感じなので、
各自いろいろに解釈していただけると一番うれしいです。

(お答えになってません。もうしわけありません。
やみねこの生態に詳しい研究者の方のご意見もうかがってみたいです)

↑と小さい声で言ってみたら、さっそくこちらの記事が。

えーっと、ちょっとむつかしい、ですか?
とりあえず説明抜きで上のリンクを貼らせていただきましたので、
興味ある方はじーっくりお読みくださいませ。
作者本人はあんまり(ぜんぜん)考えてない人なので
「だ~~か~~ら~~ち~が~う~~」
がこちらでも繰り返されそうな予感。

 

 
 

 

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「黒ねこサンゴロウ」について

2010-12-14 10:01:57 | Q&A

◆白鳥さんからご質問をいただきました。

>黒ねこサンゴロウシリーズで、語り手がサンゴロウだったり
>イカマルだったりと、入れ替わる時は何か意図がありますか?
>それから「やまねこ」は「うみねこ」の対義語という感じに作られたのですか?


サンゴロウシリーズは、全巻を一人称で書きました。
語り手は、こうなっています。

前半
『旅のはじまり』=ケン(ぼく)
『キララの海へ』=サンゴロウ(おれ)
『やまねこの島』=ナギヒコ(わたし)
『黒い海賊船』=サンゴロウ/イカマル
『霧の灯台』=サンゴロウ

後半
『ケンとミリ』=ケン
『青いジョーカー』=サンゴロウ(最初だけ)/イカマル
『ほのおをこえて』=サンゴロウ
『金の波 銀の風』=サンゴロウ
『最後の手紙』=サンゴロウ

とにかくサンゴロウを書きたかったので、
サンゴロウが一番よく見える位置をさがして、
周囲をうろうろした結果、このようになりました。

人間の男の子ケンから見たサンゴロウ。
同じ猫族で医者であるナギヒコから見たサンゴロウ。
それに若い見習い船員のイカマルから見たサンゴロウ。
同一人物であっても、見え方は少しずつ違ってきます。
そこに、サンゴロウのひとり語りを重ねれば、
立体的な像が浮かび上がるのではないかしら…と思ったわけです。
(このあと、さらに「ドルフィン・エクスプレス」シリーズに移行して、
また別の角度からテール君に「見て」もらってます)

さて、1章ごとに入れ替わるのは『黒い海賊船』ですね。
このときは、イカマル君がまだちょっと頼りなくて、
1冊まるごと任せるのは心配な感じだったので、
親分に半分手伝ってもらいました。
実験的というか、まあ、ほとんど作者のお遊びで。
1章の最後の「イカマル、でてこい」で2章につなぐ呼吸が
自分ではすごーく気に入っています。

『青いジョーカー』は、ほとんどイカマルひとりで大丈夫でした。
こうなると、イカマルにわからないことは読者にもわからないわけで、
それだけミステリアスなサンゴロウが書けて楽しかった~。


やまねこ族とうみねこ族は、最初から
一対のもの、対立するものとして設定していました。
でも、歴史的な因縁などは書きながら途中で考えていったので、
『ほのおをこえて』の頃は歴史年表みたいなものを作って、
「えーっと…??」と見ながらやっていました。

 

 
 
 




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「きょうりゅう一ぴきください」について

2010-12-13 15:58:00 | Q&A

◆年長女の子さんよりのご質問です。

>『きょうりゅう一ぴきください』の おにいちゃんは、
>さんたさんに きょうりゅうを もらえましたか?

残念ですが、もらえませんでした。
なぜかというと、お兄ちゃんはとっても良い子だったのですが、
恐竜がサンタさんの袋の中でうなったりあばれたりするので、
トナカイがこわがって、配達するのはヤダと言い出したためです。
(もしかしたら、ワシントン条約にもひっかかったりして…?)
それで、かわりに、この本をプレゼントにもらったの、ね。


『きょうりゅう一ぴきください』(高畠純/絵 偕成社 1994年)
この話を書いたのは、息子が4歳になる前くらいで、
「電車」を卒業して「恐竜・怪獣」時代に突入したころでした。
保育園のお友だちとゴジラごっこ、ウルトラマンごっこで盛り上がり、
ゴジラに「乗って」バース島へ行くんだ!とか毎日言ってましたっけね。
(おかげでわたしは恐竜の化石発見からウルトラシリーズを経て
ポケモンの第一期くらいまで、たいそう詳しく学習いたしました)

絵の高畠さんも、さすが「元・男の子」さんで、
いろんな種類の恐竜を楽しんで描いてくださったようです。
レストランにいるのは草食恐竜のパラサウロロフス君なので、
ハンバーガーの「レタスだけ」食べるというお行儀っぷり。

うちに男の子がいなかったら生まれなかったと思われる本は、
これの他にもずいぶんたくさんあります。

 
 
 
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