アカネちゃん。
本ができたよ。
2011年の新刊1冊め。
『旅するウサギ』(大庭賢哉/絵 小峰書店)です。
この本を、うさぎ年の年明け早々にお届けすることになったのは、
まったくの偶然です。計画したのではありません(笑)
アカネちゃんて名前の子が出てくる本を書くからね、
と、10年前、わたしはアカネちゃんに約束しました。
でも、それはなかなか本にはなりませんでした。
あのとき15歳だったアカネちゃんは、
大学に入って、海外留学して、卒業して、
それからまた別の専門学校にも行って、資格をとって、
いまはひとり暮らしをしながらお仕事がんばっています。
いろんなことがあった、長くて短い10年。
アカネちゃんとの約束がなかったら、
この話を書き上げることはなかったかもしれないし、
本にすることもきっと途中であきらめていたと思います。
大庭賢哉さんの絵との出会いが転機になりました。
ウサギではないウサギを、
ウサギの耳ではないウサギの耳を、
本文の内容とは違うシーンの絵を、
描いてください!
という、なんとも奇妙なお願いをきいていただいて・・
編集者さんとデザイナーさんにも、
「どこから読んでもいいような目次」とか、
「日記帳のページの間にはさんであるような絵」とか、
抽象的なイメージをひとつずつ現実の形にしていただいて・・
ありがとうございました。
作者の独断でゲスト出演いただいたお友達、
そして10年間にアドバイスをくださった方々にも、感謝を。
ここがまた新しい「旅」のはじまり。
この本が、これからどんなところへ旅していくのか、
たのしみです。
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つづきです。
『でんしゃがくるよ!』(シャーロット・ヴォーク/作絵 偕成社 1998年)
というイギリスの絵本の翻訳をしました。
これも、わたしが選んできたのではありませんが、
乗り物の絵本を書いていることから起用していただいたのでしょう。
原文は3人称で書かれていて、クロエとウィリアムの姉弟が
お父さんと陸橋の上に電車を見に行く話です。
電車の好きな子どもには「わかるわかる!」という感じの、
国の違いをこえて楽しめる素敵な絵本なのですが、
なじみの薄い外国の子どもの名前が出てくることが、
幼い読者にとってハードルになってしまうおそれがありました。
このときは、編集者さんとも相談の上、弟の1人称にして
「おねえちゃん」「ぼく」と訳すことにしました。
訳者はどこまでやっていいものか・・
判断は人によってさまざまだと思います。
原作者の意図を尊重するのは、もちろん当然のこと。
しかし、海外の作品を、できるかぎり原作に忠実に、
その魅力がもっともよく伝わる形で、
しかも「美しい日本語にして」子どもたちに手渡すためには、
がちがちの忠実だけではだめで、柔軟な「意訳」も
欠かせない大切な要素だと思っています。
原題は「Here Comes the Train」で
the Trainと作者名が橋の下にくるようになっている。
日本語では逆になっちゃうのも難しいところ。
以下、余談になりますが・・
ナルニア国シリーズの『ライオンと魔女』(1966年初訳)で、
エドマンドが女王にもらうturkish delightというお菓子を、
瀬田貞二さんは意図的に「プリン」と訳されました。
「ターキッシュ・ディライト」(あるいは「トルコぎゅうひ」!)では、
日本の読者にはどういうものやら見当もつきませんが、
英国ではおそらく誰もが知っているスウィーツ。
『クマのプーさん』の作者ミルンもこれを好んだそうですから、
子供のおやつというよりは、コーヒーにそえて出されるような
ちょっとおとな向きのお茶うけかしらん。
それをねだるところにもエドマンドの性格が垣間見える。
つまりこれも翻訳ならではのハードル。
「プリン」でよかったのか、という議論はさておき、
訳者の思案のしどころであったでしょう。
しかし、その「箱にどっさり入ったプリン」を
「むしゃむしゃ口にほうりこむ」という描写に
(むしゃむしゃ? 手づかみ? スプーンは?)と
妙な違和感をおぼえたわたし(読んだ当時、小4くらい)は、
あとになって、それが実はプリンではないことを知り、
さらに後年、映画でようやくその実物を目撃することができて、
(なにやら「ひとくち苺ジャム大福」みたいなものであった・・笑)
長い旅を終えたような深い満足感を味わったものでした。
そんなのも、翻訳物の愉しみのひとつ、といえるかもしれません。
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◆春待ち草さんからご質問をいただきました。
>翻訳されている『人魚の島で』、大好きな本です。
>翻訳する本はどのように選ぶのでしょうか。
>また、翻訳のむずかしさや気をつけている事など教えて下さい。
語学を専門に学んだわけではないので、翻訳は趣味の範囲です。
お手本は石井桃子さんの名訳『クマのプーさん』です。
好きな本を勝手に(自分用に)訳してみたり、
Mにたのまれて資料本を訳したりしていますが、
お仕事としては、たまにご縁があれば、させていただく程度です。
本職の翻訳家の方々は、どのようにお仕事をされているのか、
おたずねしたことがないのでわかりませんが・・
わたしはいま住んでいるところがかなり田舎のほうで、
輸入本を扱っている書店に行こうとすると片道3時間半かかりますので、
新刊本を自分で見て選ぶということはなかなか難しいです。
(店頭でぱらぱらと見たって内容把握できないし・・笑)
海外と日本の出版社の仲介をするエージェントという会社があり、
各出版社にはそういうルートから「おすすめ本」が入ってきます。
絵本などは、国際的なブックフェアの会場で編集者が見て、
その場で商談、ということもあるようです。
そういう場合は、本が先で、訳者はあとから決まります。
『人魚の島で』(シンシア・ライラント/作 偕成社 1999年)は、
この著者の本をすでに何冊か出している編集者さんから
「訳してみない?」と声をかけていただきました。
このときは、最初のページを見ただけで、
「あ、これは、あれだ」という感じを受けました。
「あれだ」って、何だ?
ということが説明しにくいんですが・・
自分の文体に変換可能だ、ということ、かな?
目で見たセンテンスが、自分の日本語になって、すっと出てくる感じ。
これが「すっと出てこない」と、ぜんぜん楽しくありません。
学校の宿題をやってるのと同じです。
辞書さえひけば、単語や文章の意味はだいたいわかるし、
それを日本語に直すことも、できなくはないですが、
翻訳としては、でこぼこの石ころ道を自転車こいで行くような・・
いわゆる「ノリが悪い」というやつですね。
変換可能か、そうでないかは、何で決まるのか。
わたしの場合は、著者が女性のほうがうまくいきます。
(男性でも、世の中からちょっとはずれたような人だと
変換できることがあります。文豪タイプはだめです)
ライラントさんの本を読んだのは初めてでしたが、
「あれだ」に続いて「わかる」と思いました。
つまり、この人も、わたしと同じく、ある種の変身願望をもって
物語を書いている人なのではないか、と。
ご本人にお聞きしてみたわけではないので、
もしかしたら、まったくハズレかもしれませんが・・
ともかく、一方的だろうと、思い込みだろうと、
直感的に「わかる」ことは、重要です。
英語の単語を辞書でひくと、いくつかの訳語が出てきます。
たとえば「lovely」を手元の辞書でみると、
「美しい、かわいらしい、愛らしい、人格のりっぱな、すぐれた、
敬愛すべき、うれしい、すばらしい、愉快な、快い」
というような日本語が並んでいます。
一番近いのはどれか。
または、どれでもないのか。
文脈から、前後の言葉から推察するのはもちろんですが、
「この作者なら、この場面で、どんな言葉を選ぶだろうか」と考える。
そのときに、自分と何か共通点のある相手なら、想像しやすい。
あれかこれかと無駄に迷わずにすみます。
気をつけている点は・・
訳者であることを、ときどき思い出すようにすること。
訳している途中で、すっかり作者の気持ちになってしまい、
ほんのちょっとした文章のキズのようなものが目につくたびに、
「ここ、わたしだったらこう書くのになー」などと、
ついつい思ったり、しないこと。
長くなったので、次回に続きます。
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あけましておめでとうございます。
閑猫堂を今年もよろしくおねがいいたします。
元旦を自宅ですごすのは十数年ぶりのこと。
おせちをいくつか作ったりはしたものの、
いまひとつあらたまらず、なんとなく、ふだんの暮らしのつづき。
大晦日までお仕事だった呼夜は、新年も2日から出勤とか。
(ま、しっかり稼いで、旧正月にでも帰っといで~)
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴きながら
亀戸天神名物くずもちを食べる閑猫。
いや、これ、デザートじゃなく「ごはん」ですから(笑)
くずもちといえば、きなこ(旧名じゃこてん)が来たのが
2009年のお正月だったから、ちょうど2年になる。
がりがりにやせていたのが、うちに来て急に太ったため、
詰めこみすぎたソーセージみたいにぴちぴちになり、
猫にしてはどことなく変な体形であった。
それがこの冬は、だいぶ皮にもゆとりが出てきて、
ようやく手触りが他の猫と変わらなくなった。
膝にのせて、ぷにゅぷにゅと、あっちこっちつまんで遊べる。
「きーなちゃん」と呼ぶと、眠ったまま尻尾をぽてんと振る。
何度も呼ぶと、律儀に何度でも振る。
2周年記念に、ウチワ太鼓でも買ってあげたくなる。
TVをつけたら、「高い天井からバンジージャンプで落下しつつ
卵を割って目玉焼きを作る」という番組をやっていた。
新年早々、こういう無意味さを目にすると、宇宙人ジョーンズじゃなくても
この星の人間はかなり奇妙だと、思うよね。
上の写真は、どこかの(どこでしたっけ)おみやげ。
最初、猫かと思い、まねき猫の間にしばらく飾ってありましたが、
ある日よくよく見たら、お耳の長い「まねき兎」でありました。