前日雨が降り畑仕事はお休みでした。
鉢植えの乾き具合を確認するために畑に行きました。雨は水やりとは別です。
雪解けからゆっくりする間も無かったので少しでもゆかりが休める様にと思います。仕事をバトンタッチする時に何時バラの栽培販売を辞めても良いと私は言い続けてます。
自分の好きにして良い。
花達と暮らしています。
開店時間から閉店時間まで、そんな小売業を移転とともに止めました。
最近営業時間はと聞かれますが「無いです。」店では無く農園です。
「前日までにご予約下さい。来園時間に合わせ作業の手順を替えてお待ちしております。」
娘と親子二代小売業の店に縛られそうだったのに、自由に使える時間が増えました。
定休日が有っても自宅兼店舗は実際お休み何て無いも同然でした。
過労で入院リハビリしても左手の不具合が残りました。
出来無い事が増え、しなくても良い事が多くなりました。
移転は結構心理的にもハードルは高かったです。数日前にも「久し振りに行ったら店が無い。」移転から3年経ち歩道の拡幅で駐車場が無くなり6年です。10年以上前のバラのカタログをお持ちで「新しい品種に代わってます。」新しい情報を得た方が良いです。
バラの一番綺麗な5月下旬に見て無いのかしら、花好きなら損してます。
今年も救急車で運ばれた日を越え、元気で暮らせてます。ブログも義母が事故で突然無くなっているので、私が故人になったら当時学生の娘たちが振り返れるようにと書き始め、再度脳梗塞にもならず20年が過ぎようとしています。6月3日はブログ開設から偶然5555日でした。
当時ご一緒だったお部屋の患者さんは今彼の地です。
半年間通ったリハビリの間に亡くなった方が多かった。
医師の話では真面目に通い通す患者も少なく途中で諦める人の方が多い。通い通したおかげで左手親指が使い勝手が少し悪いだけ、自分の事は大抵出来ます。元気なら15分程度の病院まで30分掛け通いました。着替えて端のリハビリ室まで行く事がリハビリでした。
店のスタッフがバラの季節で部屋に飾る花を切って持参したのを、皆さん楽しそうに枕元に生け楽しみました。花に関わる仕事だけは続けたいと思いました。
身動きできないのに「カーテン開けてよ。」甘やかしてくれませんでした。
「頑張れ自分」と思えました。
後で聞くと私より重い病気の方が多かったです。
知人の90歳越えの義父さんが救急搬送され意識不明らしい話、回復の見込みは薄いのが会話の様子で分かりました。脳出血2度目の様子で娘に当たる妻が積極的に治療をせず、自然に任せる事に納得出来ずに居たらしい。
倒れた日どう考えたか聞かれました。
治療の後、目が覚め身動き出来無い。
医師の予測より血栓が詰まった位置が悪く感覚は有るが動けない。
「頑張って働いたけれどお気の毒よね、て回りの方に言われるだろうし母より先に行くで彼の地の父に叱られそうと思ったわ。」
私は回復出来たら働き方を替え楽しい事や娘たちと過ごす時間を大事にしよう。「未だ遊んでない。」
回復する迄「球根で過ごす。」そう思ったの。
そう答えました。
そんな話から近くにいた娘に「90歳越えて回復に見込みが無いような状態になったら、痛みを取る治療だけして延命処置はしなくて良い。」と何時もの自分の希望を伝えました。
夫の意思も同じ、確認しました。
知人は妻の決断を聞き戸惑いは有る物の自分だったらと考えたようです。
先に高齢な叔母さんやお母さんを見送っているし出来る限りの治療をしても亡くなっています。治療に対するお考えも奥様は当然有ると思います。
お父さんの希望を聞いていたかもしれません。
夫が「妻と娘のお陰で何の心配もなく暮らしています。」何て事を挨拶の続きでしたらしい。知人が驚いて「何か有ったの。」夫の友人の妻の中では65歳私が若い、70代色々な体調不良の話を聞きそんな珍しい事口にしたようです。
コロナの影響で多くの人が大事にしていた感謝や別れが出来ないままです。
お見舞いにも行けません。
不快な事が無い訳でも無い、こんな出掛けて楽しむ事が難しい時代です。
自力で楽しみを作り出します。
植物に関わると花の種から枯れるまでを見続けます。
習うことが多いです。
半身麻痺を経験し未熟な自分なりに当時色々考えました。
毎日ご近所の救急車が走ります。
6月は季節が大きく変わり脳梗塞が意外に多く体調を崩しやすいので皆様ご自愛ください。
今年も私は元気なので欲しかったお皿を買いました。
落ち着いたら何か季節の物で知人をもてなします。
夏野菜も美味しい季節が来ます、お皿が新しくなれば娘も違う料理を作りたくなると思います。
畑の料理用のハーブや野菜を収穫しました。
今朝も目が覚め「何して楽しもうかしらーー。」
本日も最後までお付き合い頂き有難うございます。