先回に引き続き、江戸後期から幕末、明治初期に活躍した美濃の南画家、村瀬秋水の山水画です。
全体:64.1㎝x211.5㎝、本紙(紙本):48.0㎝x170.7㎝。明治五年。
有名な養老の滝を描いた水墨画です。
古くから歌に詠まれ、画題としても多く取り上げられてきました。さらに孝行息子のお話しも、さして大きくないこの滝を全国版に押し上げました。
瀧脇の楼には、文人墨客が集い、浮世の憂さを晴らしたそうです。
ブログで2回にわたって紹介した水墨画は、いずれも村瀬秋水、晩年の作です。先回の『寒江獨釣図』は、地元、美濃の長良川に、今回の『養老の滝図』は、西濃、養老山地など身近な風景を基に、文人が隠棲する理想郷を求めた村瀬秋水は、地味ながらも、美濃を代表する文人画家といえるのではないでしょうか。
白と黒の濃淡だけで表現しているのに迫力がありますね!
前回と紙の色が違うのは材質ですか?
それとも状態なんでしょうか?
因みに養老の滝は美濃だったんですね!
居酒屋さんの名前の印象ばかりでした。
私も水を汲みに行って親父に飲ませてみます笑(^^)
養老山脈は600mほどの山々ですが、東西(京<->江戸)の往来を完全に遮断しています。なので、行き来するには南の海側を通る(東海道)か、関ケ原辺りで山並みの間を抜ける(中山道)かしかありません。養老の滝は、中山道寄りにあります。この辺りは、古くから歴史的出来事が勃発した所です。
滝へ行く道沿いの売店には、瓢箪がずらりとぶら下がっています(^.^
現実に存在する滝だったのですね。
遅生さんの周辺は、古くからの歴史の宝庫ですね(^_^)
この掛軸も、現実の「養老の滝」の存在を世間に知らせることに役立ちそうですね(^-^*)
奈良時代、女帝元正天皇がこの滝を訪れて感銘し、元号を養老と改めたと言われています。
養老伝説ができてからは、瓢箪が名物になりました。ここの水を瓢箪に汲んで念ずれば、ひょっとすると名酒に変わるかも知れません。左党の聖地ですね(^^;
今はなき文人たちの優雅で浮世離れした暮らしが、あの世のものに感じられました。
今の世のなんと殺伐としたことか。
今年も大変お世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。
羨ましいです。
文人画のなかでも、池大雅は別格ですね。元々は農民の子らしいのですが、早くから書、絵に並々ならぬ才能を発揮していたそうです。いわゆる天才ですね。
しかし、彼らが文人画を描いたのは、やはり、現実が理想とはかけ離れていたからではないでしょうか。
いつの時代も息苦しい、けれど、その度合いは増加の一途ですね(^^;