江戸の代表的文化人、太田蜀山人の狂歌です。
全体:28.4㎝x181.5㎝、本紙(紙本):26.4㎝x123.8㎝。江戸後期。
【太田蜀山人】寛延二(1749)年―文政六(1823)年。江戸、中・後期の文人、知識人。名は覃 、号は四方赤良、蜀山人、寝惚先生など。和漢の学に通じ,狂歌、黄表紙、随筆など多方面に活躍した。特に、天明調を代表する狂歌作者として有名。また、多くの文人墨客たちと文化サロンをつくり、江戸後期の庶民文化をになった。
風のいるすきまもミえぬ山さくらさくらか山歟
やまかさくら歟 蜀山人
風の入る 隙間も見えぬ 山桜 桜が山か 山が桜か
「山花盛」(やまはなざかり)と題されたこの歌は、どこが狂歌なのでしょうか。
思うに、山の桜花をその美しさや華やかな風情を感傷的に綴るのではなく、山と桜が一体となった情景をたんたんと詠んでいる点が、世間の一般的なお花見や伝統的和歌の世界に対する風刺となっているのではないでしょうか。
どこか正岡子規にも通じるものがありますね。
下級武士でありながら、武士や町人たちの身分を越えた交流をすすめた蜀山人は、江戸時代後期に花開いた絵画や文芸など江戸庶民文化の立役者であったわけです。
ところで、今回の品は本物でしょうか?
以前の真贋鑑定本のブログで書きましたが、実は、蜀山人には代筆人がいたようです。人気作家であった蜀山人には、専任の代筆(二代目蜀山人、亀屋久右衛門)がいて、宴席にも同伴したと言われています。依頼する人も、代筆を承知で書を所望した(^.^) 蜀山人は、昼と夜の顔の使い分けた有能な幕府官吏でもありました。公認代筆人を置くなどは、洒落の一つに過ぎなかったのかもしれません。
いかにも蜀山人らしい筆致の今回の品は、代筆さんの作品と考えた方がよいと思います。
本物は、もっと下手(蜀山人らしくない)(^^;
代筆人を公然と置くなど、実生活の中でも、世間の一般的な生活に対する風刺を実践していたのかもしれませんね(^_^)
我が家にも、蜀山人のものが1点有ったと思いますので、探し出せたら紹介したいと思います。
ただ、江戸の官僚体制のなかで、二つの顔を使い分けてやっていくのは相当に大変だったでしょう。危ない橋も渡ったのではないかと思います。
Drも蜀山人ものをもっているのですか。ぜひ、ご披露ねがいます。
蜀山人は代筆人がいたというのは面白いです。そんなことが当たり前に通っていたのもなかなか洒落ています笑
本物が代筆人より下手というのもなんとも皮肉というか美術品としてはどうなのかと面白いですね(^^)
蜀山人に限らず、あの大物、谷文晁も弟子に印章を預けていたらしい(^^;
こうなってくると、何が本物か、難しいです。
古筆のように、傳〇〇筆とせねばならないかもしれませんね(^.^)