哲学者、西田幾多郎の書です。
『白雲満地無人掃』
白雲地に満ち人の掃う無し
寸心(西田幾多郎の号)
全体:44.3㎝x191.5㎝、本紙(紙本):32.7㎝x127.7㎝。昭和。
【西田幾多郎(にしだきたろう、明治三(1870)年―昭和二十(1945)年)】日本を代表する哲学者。京都帝国大学教授。京都学派の創始者。東洋的思想を基盤として西洋哲学を理論化し、独創的な西田哲学をうちたてた。また、多くの門下生を育てた。能書家、歌人としても知られる。
北宋の詩人、魏野(960-1019)の「尋隠者不遇」からの一節です。
尋真誤入蓬莱島、香風不動松花老。
採芝何処未帰来、白雲満地無人掃。
真を尋ね誤りて蓬莱島に入る、香風動かず松花老いたり。
芝を採るに何処か未だ帰り来らず、白雲地に満ち人の掃う無し 。
真実を尋ねたが誤って蓬莱島に行きついてしまった。香風が松の老木を動かすことは無い。霊芝を採りに何処へ行ったのか、隠者はまだ帰ってこない。白雲が地に満ちているがそれを掃う人はどこにもいない。
「尋隠者不遇」と題されたこの詩は、隠者を尋ねて来たのに、遇うことができなかった時の情景を書き残しています。「白雲満地無人掃」は、静寂の極致を表しています。このような境地に、今回の書は人をいざなうのです。
西田幾多郎の書は人気があります。しかし、彼の書は、太い万年筆を用いたかのような独特のもので、容易に真似ることはできません。全身の力を抜いて、素の自分を表現する・・・東洋的無や禅に通じる彼の字を、私は、ほねホネ書体とよんでます(^^;
贋物つくりが難しい一方で、印刷物が多く出回っています。
今回の品は大丈夫!?
最初の字「白」を拡大してみると、筆の上下関係がはっきりわかります。また、文字の描線の端(縦棒の左端)に、筆の外側の毛一本がなぞった極細の擦れ線がみられます。
どうやら、西田幾多郎の肉筆でOK(^.^)
真贋の俗世間にまみれていると、『白雲満地無人掃』の境地には、なかなか至れませんね(^^;
西田幾太郎の書ですか!
恥ずかしながら教科書に載っている人くらいの認識でしたが書も残しているのですね。
また独特の書体ですね!
確かに真似するのが大変そうです。
哲学者の独特の書となるとマニア受けしそうな貴重なものに感じます(^^)
西田幾多郎さんの、何かの本は読んでいたかもですが書は初めて拝見です。
う~ん・・・人気のある書なのですか。
う~ん・・・やっぱり書はわかりません。
あのう・・・お怪我のほうは、もう大丈夫ですか?
御不自由はありませんか?
ただ、ブログを書いて恥をかくのはたまりませんから、それなりに泥縄の勉強を(^^;
それに、自分が西田幾多郎センセーの直筆をもっているとなると、なんだか距離が近く感じます(^.^)
手の方は、3割方動くようになりました。関節が板のように硬化しているので、リハビリ、リハビリです。プロレスの関節技をかけられているようなものですから、痛さは、本家の傷を凌ぎます(^^;
「尋隠者不遇」・・いろいろ思いを巡らせ、さらになかなか出口が見えなくなりながら、哲学の道を歩いた日もあったんだろうな~
って、この書を見て思いました🐻
京都に行きたくなりました~~✨
(あとjikanさまがこれについて何かコメントをくださるだろうか、そのコメントを読みたいなって思います🍀✨)
西田幾多郎の書は、独特ですね。また、味がありますね。
これでは、人気が出ますね。でも、印刷物が多く出回っているのですね。要注意ですね!
人生も最終コーナーにさしかかって、少しわかってきたような気がします。
哲学の道は、観光客まるけで、哲学どころではありませんね。でも。哲学は無理でも、社会学なら何とかなる?
彼の書は、書法のイロハを超えてますね。書き出しはゆっくりとグッと力をいれ、次第に筆を走らせ、最後はまたグッと止める・・・こうやって生まれる線の肥痩がほとんど無いです。ロボットが、マジックハンドで書いたみたいです。現代受けしそうな書ですね。
ありがとうございます。