遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

敗戦特集。1.慰問袋

2019年08月13日 | 敗戦特集

今年も、8月15日が来ます。日本が焦土と化し、悲惨な戦争が終わった日です。

第二次世界大戦ほど、日本を大きく変えた出来事はないと思います。有史以来、はじめて、外国によって、国が焦土となったのです。しかし、その戦争に対して、その政治的責任と思想的責任が十分に検討されたとは言えないまま、かつての敵国のやり方にすべて追従し、アメリカナイズされたのが今の日本です。そして、もはや戦後ではない、との甘言をまき散らしながら、夢(利益)よもう一度と、きな臭い道を歩ませようとの動きがあからさまになってきています。

どんな戦争でも、利益を得るのは為政者と一部の取巻きたち、散々な目に合うのは一般庶民です。

ブログでは、第二次世界大戦の戦争前、戦争中の息詰まる世相のなかで、人々がどのように暮らしていたかを、いくつかのモノを紹介しながら、戦争と一般庶民との関係を見ていきたいと思います。

今回は、次の慰問袋、2個です。

 

          大、29x19㎝。小、28x18.5㎝

 

慰問袋は、戦場の兵士を見舞うための袋です。

日用品や娯楽用品、雑誌、御守り、手紙などを入れて送りました。

日露開戦直後の1904年(明治37)に始まり、満州事変以降、日中戦争では大量の慰問袋が送られました。最初は、木綿の手ぬぐいを二つ折りにして縫った、手作りの袋でした。その後商品化され、できあいの慰問袋が売られるようになりました。さらに戦争が拡大し、物資が欠乏すると、慰問袋も下火になりました。

 

サル蟹合戦の猿に扮したルーズベルトを、臼が退治しています。 

右下には、「宇知弖斯夜麻牟」(ウチテシヤマム)の文字が。

このスローガン、「敵を撃ち砕くぞ」が登場したのは、昭和18年の陸軍記念日です。以来、商品の広告をはじめ、日常のあらゆるところに、このスローガンが登場したのです。

しかし、昭和18年といえば、戦局がかなり怪しくなって来たころです。

戦局が危うくなる中でのスローガン、「うちてしやまむ」は、裏を返せば、「うたずばやまじ」、つまり、殲滅しなければ止まないという意味となります。まともな戦略も打ちだせず、盲目的に精神の昂揚だけをはかるこのスローガンは、すでに、その後の破滅への道を表していたのです。

 

「宇知弖斯夜麻牟」の出典は、古事記(中巻 神武天皇 四)です。久米歌としてしられています。

   美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 

   久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟

みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植えし椒(はじかみ) 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてし止まむ

 勇ましい久米の兵たちが、垣に植えた山椒の実は、口がヒリヒリするほど辛い。敵から受けた痛みを我々はわすれない。敵を撃ち砕くぞ。

 

 日本書紀などにも、類似の歌が出てきます。

 

もう一つの袋には、王(サル?)とカッパ、桜の花びらが書かれています。

意味は不明です。

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20年ぶりの根尾川~薄墨桜と鮎にふられ、ランチ~

2019年08月11日 | 故玩館日記

鮎釣りをやめてから、20年以上になります。

それまで足繁く通った川の一つ、根尾川を久しぶりに訪れてみました。

根尾川は、揖斐川の大支流です。揖斐川はダムが多く、水が潤んでしまっています。それに比べ、根尾川はダムの影響が比較的少なく、良い水質を保っています。いきおい、そこで育つ鮎の味も一級、全国から多くの釣り師が押し寄せました。

鮎釣りと骨董市は似ています。他の人より少しでも早く行かないと・・・・心がはやるのです(笑)。今は両方とも御無沙汰ですから、心はいたって平静、小旅行気分で家族にかつての武勇伝など聞かせつつ、上流部へ。

根尾川と並行して、第三セクター、樽見鉄道が走っているので便利です。

今回は、もちろん釣りは無し。家族サービスです。濃尾大震災と薄墨桜を目指します。

薄墨桜の2㎞ほど南(下流部)に濃尾震災の震源地があります。

 

観測史上最大の地震、濃尾震災の跡

尾震災は、明治24年(1891)10月28日、岐阜県本巣郡根尾村水鳥を震源に起こった巨大地震です。マグニチュード8の直下型地震で、観測史上最大の地震といわれています。

 

根尾谷断層帯(長さ80㎞)がずれ、地震が起こりました。この場所に、その時の跡がはっきりと残っています。画面の上部、左側奥へ、地震による段差が続いています。畑と右側の道路などが断層のずれを表しています。段差6m、横ずれ最大8mもあるそうです。阪神淡路大震災時の野島断層のずれが、縦、0.5-1.2m、横1-2mだったことを考えると、濃尾震災がとてつもなく大きな地震であったことがわかります。

 

 

かなりの段差です。これだけ大地が動けば、恐ろしいことになる。

 

故玩館蔵の鶏卵写真です。尾張清洲(織田信長の清洲城があった地)の被害も相当なものです。直下型地震ではあったのですが、地震波は濃尾平野を北から南へ走り、遠く離れた名古屋なども大きな被害を受けたのです。濃尾平野は巨大な扇状地なのですね。地盤が非常に柔らかいのです。濃尾地震の特徴は、家屋の全壊率が非常に高いことです。故玩館の辺り、全壊率100%、震源の根尾水鳥地区と同じです。

 

隣には、断層をまたいで、地震断層監察官・体験館があります。

 

そのすぐ下流部には、巨大な岩が河原に。これは、右側の山が川に崩れ落ちたものなのです。

 

まるで山のように大きな岩。地震のエネルギー、莫大なものです。

昔は、よく大雪が降りました。2月のアマゴの解禁日、ここまでたどり着くのに、必死だったのを思い出しました。

 

薄墨桜

薄墨桜、真夏に行っても、誰もいません。

 

樹齢1500年以上、幹周り9.9mの迫力はさすがです。

 

4月の初めなら、こんな景色が。

もちろん、シーズンには混雑するのですが、かつてのようなブームはありません。今から40年ほど前でしょうか。宇野千代の短文で人気に火が付き、昼間はここまでたどり着くのが難しいほど多くの人が、全国から訪れました。ここから何十㎞も南の故玩館の辺りでも、関東、関西ナンバーの人から、薄墨桜への道を聞かれたことが何度かありました。

 

薄墨桜下の根尾川です。三日にあげず、鮎釣りに通っていた場所です。先ほどの薄墨桜へは赤い橋を渡って、山道を200mほど。

肝心の川です。釣り人がいません。目をこらすと、左岸にポツンと一人が竿を握っています。なんということでしょう。ここは、釣り人銀座のはず。釣り人たちがズラッと両岸から竿を出すのが当たり前の場所なのです。水も石も悪くない、でも釣れてないんですね・・・何故でしょうか。

 

意気消沈してランチ

釣りをするつもりで来たのではないのですが、根尾川がこの有様では意気が上がりません。お腹もすいてきたので、お昼を・・・この辺りには、ほとんど店がありません。先ほどの、赤い橋を渡った所にあるお店(野原屋さん)へ。仕出し、民宿、食堂、なんでもありです。オトリ鮎もあります。

 

ランチを注文しました。一番リーゾナブル(^_^;)

まずは、サラダとスープ。

 

鯖、ナス、カボチャの南蛮揚げ、カレーソースかけ。

 

デザートとコーヒーがついて・・・・ワンコインでした。

うーん、リーゾナブル。飲まず食わずで鮎と格闘していた時とはエライ違いです。

と言うわけで、今回は、すっかりマダムブログになってしまいました(笑)

 

 

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ものぐさ有機農業・ゴーヤジュースで酷暑をのりきる

2019年08月09日 | ものぐさ有機農業

今日も酷暑。

もう、毎日を何とか過ごすだけですね。

こんな炎天下でも、ゴーヤは(モロヘイヤも)生き生き。熱帯原産だから当たり前といえばそれまでですが。


          今日の収穫


ゴーヤ、今年もなりはじめました。これからしばらくコンスタントに採れます。シーズン中、台風で柵棚が倒れなければ、かなりの量のゴーヤがとれます。ゴーヤチャンプルばかりでは、すぐに消費が行きづまります(^_^;)。で、例によって、大量消費のレシピを紹介します。

ゴーヤジュースとゴーヤの佃煮です。

今回は、ゴーヤジュースです。何回かの試行錯誤の末、次のレシピに行きつきました。

 

【用意するもの】(8-10杯分)

ゴーヤ大 1本

リンゴ 1個(バナナを加えてもOK、但しリンゴは不可欠)

レモン  1/2個

はちみつ(梅はちみつなら、さらに良し) なければ砂糖

     適当量

 

ゴーヤは、種とワタを取り、カットしてフードプロセッサで粉砕します。

 

今回は、1年前に処理し、冷凍にしていたものを使いました。

そうなんです。これが、ゴーヤの一番良い保存法です。私の所では、20袋ほど、この方法で保存します。他は、料理と佃煮です。

 

ミキサーにカットリンゴ、水150mlを入れ、処理します。

そこへ、ゴーヤミンチとレモン絞り汁(無農薬のレモンなら、皮ごと)、はちみつを入れて再度、ミキサーON。甘味は、好みで調整してください。

このままでは濃すぎるので、水を加え、2-3倍に薄めます。苦味はほとんど気になりません。子供も大好物。

 

 

さて、器はどれにしようか。

 

たくさん飲みたいので、ゴブレットをチョイス。

このガラス器、かろうじて気泡!妙な日本語ですが、骨董根性が抜けません(^_^;)

 

ハーブと氷を浮かして・・・・

 

いただきます。

これで、今日も何とかやれそう(^_^;)

 

 

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鼓の会で一調を打ちました ~小督・駒の段~

2019年08月07日 | 能楽ー実技

  鼓の会で、一調、小督・駒の段を打ちました。

 

平家物語と能・小督 

 

 この掛け軸、どこかで見たような気がしませんか。

 

 

 月明かりの夜です。

 

季節は秋。菊が咲いています。

蔦がからまった折戸の奥、美しい女性が琴をひいています。

 

 折戸の前では、馬上の男性が笛を吹こうとしています。

 

平家物語、小督の1シーンです。多くの日本画家が描いています。

この掛け軸の作者は、名古屋の大和絵画家、尾関圭舟です。

 

ここに描かれた、平家物語巻六「小督の事」に拠って作られた能が、小督です。

【能・小督のあらすじ】

 平安時代、平清盛が全盛の頃、琴の名手小督の局は、高倉天皇の寵愛を受けていた。高倉天皇の妻、中宮徳子は清盛の娘なので、清盛の怒りを知った小督は、密かに身を隠した。それを知った天皇は嘆き悲しみ、源仲国を勅使として、嵯峨野にあるらしい小督の隠れ家を探し出すよう命じた。仲国は、中秋の夜、月下に鞭をあげ駒を早めて尋ねまわり、とある片折戸の家から流れ出る琴の音を聞いた。それは、小督の琴の音で、夫を想って恋う想夫恋の曲であった。小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督は、返書をしたためた。返書を受けた仲国は、名残りの酒宴で舞を舞った後、馬に乗り、小督が見送るなかを都へと帰っていった。

 

駒の段

能・小督のハイライトが駒の段です。

           【駒の段】

シテ「あら面白の折からやな。三五夜中の新月の色。二千里の外も遠からぬ。叡慮かしこき勅を受けて。心も勇む駒の足なみ。夜の歩みぞ心せよ。牡鹿なくこの山里と。詠めける。」
地謡「嵯峨野の方の秋の空。さこそ心も澄み渡る。片折戸を知るべにて。明月に鞭をあげて駒を早め急がん。」
シテ「賤が家居の仮なれど。」
地謡「もしやと思い此処彼処に。駒を駆け寄せ駆け寄せて控え控え聞けども。琴彈く人はなかりけり。月にやあこがれ出で給うと。法輪に参れば。琴こそ聞こえ来にけれ。峯の嵐か松風かそれかあらぬか。尋ぬる人の琴の音か楽は。何ぞと聞きたれば。夫を思いて恋うる名の想夫恋なるぞ嬉しき。」

「十五夜の新月、本当に面白い月夜だ。二千里も遠いとは思わぬ。恐れ多い勅命を受けて、心は勇み、馬も勇み立つ。夜の歩み、馬も気をつけてくれ。牡鹿がなくこの嵯峨野の山里と詠まれた所だから」「嵯峨野の辺りは空気が澄み切って、心まで清まりそうだ。片折戸を目印に、明月に鞭をを打って、馬を急がせよう。」「粗末な仮家だが」「もしやと思いあちこちで馬を駆け寄せ足を留め、耳を澄まして聞けど聞けども、琴を弾く人はいない。月に誘われ外に出られるかもしれないと思い、法輪寺の辺りまで来たとき、琴の音が聞こえてきた。峰の嵐か松風か、それとも、尋ねる人の琴の音か。曲は何か?高倉の君を想い懐かしむ想夫恋ではないか。なんとうれしいことか。」

 

宮中で小督の琴に合わせて笛を吹いたことのある仲国は、小督の琴の音を聴き分けることができたのです。


 平家物語では、掛け軸の絵にあるように、小督の片折戸の前で、腰から笛を抜き、ピーと鳴らすと、琴の音が止む、という場面です。

         【平家物語より】

・・小督殿の爪音なり。楽は何ぞとききければ、夫を思うてこふとよむ想夫恋といふ楽なり。さればこそ、君の御事思ひ出で参らせて、楽こそおほけれ、此楽をひき給ひけるやさしさよ。ありがたうおぼえて、腰より横笛ぬき出し、ちッと鳴らいて、門をほとほととたたけば、やがて弾きやみ給ひぬ。」

しかし、能では、笛は吹きません。かわりに、能では、駒をはやめる鞭が象徴的な小道具として用いられます。

なお、シテ(主役)は小督ではなく、仲国です。しかも、仲国は、直面(ひためん)で能面をつけません。人間の顔が能面の代わりをするのです。

静かな秋の夜、嵯峨野をバックに、月明かりの下、優雅で情感に満ちた物語が展開します。

仲国と小督の心の通い合い(情?)など、いろんな余韻を感じられる能です。

 

    月岡耕漁筆『小督』(駒の段)

月岡耕漁:明治2-昭和2年。明治大正期の浮世絵師、日本画家。月岡芳年門。能画を多く残す。

能・小督、駒の段です。能舞台の橋掛かりで、仲国が、馬に乗り、鞭をもって、小督の家を尋ねまわる場面、月にやあくがれ出で給ふとと、一の松へ出るところです。

 能には駒(馬)は登場しませんが、仲国が装束、狩衣の肩を上げ、鞭を持てば、駒に乗っていることを表します。


 

 河鍋暁翆筆『小督』(駒の段)(木版、『能楽図絵』明治32年)

河鍋暁翠は、河鍋暁斎の娘。女性画家。

駒の段で、仲国が駒を走らせ、想夫恋の琴の音を聞いて、片折戸の家を尋ねあてた場面。

 

『小督』(駒の段)(木版、作者不明『能狂言図画』明治時代)

小督の最後のシーン、駒の段の後。やっと小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督の返書を受けた。名残りの酒宴で舞を舞い、勇み立つ馬に乗り、小督の見送りをうけ都へと帰る場面。

この絵にある謡曲の部分:シテ(仲国)「木枯に。吹き合わすめる。笛の音を。ひき留むべき言の葉もなし」(木枯の風に合わせて妙なる笛を吹いていらっしゃるが、あの笛の主をどうしたらお留めすることができようか、私にはその術がわからない)

 仲国が舞を舞ったあとに発した言葉です(元歌は、源氏物語帚木巻木枯の女の歌)。これは、どう考えても小督の言葉です。が、能ではこのように、相手の心情や言葉を、成り代わって述べるくだりがままあります。

 

段物:駒の段のように、ある曲の中で、まとまった謡いどころ、舞いどころ、囃子どころで、「〇〇の段」と名付けられています。すべての曲に段があるわけではありません。駒の段は、能・小督の一部、この能の見せ所、聞かせどころです。想夫恋として、小唄や黒田節にも取り入れられています。「峰の嵐か松風か」の名文で広く愛されています。

  

一調・駒の段

 一調とは、能の演奏の特殊な形態で、謡い手1人と小鼓・大鼓・太鼓のいずれか一種(1人)が演奏をします。能のうちで、一番要所となるところを、謡い手と囃子手が、1対1で真剣勝負をする形式の出し物です。

打ち方は通常とは異なり複雑で、謡い方も高度になります。謡い手、囃子方ともに、力量が要求されます。囃子方で言えば、能一番を打つくらいの重さがあります。

 演奏中は、何とも言えない緊張感が漂います。能楽堂での公演でも、一調が演奏されることが時々あります。昔、観世流の名手、〇〇師、謡いが途中で止まってしまったことがありました。プロでも、やってみないとわからない怖さがあるのです(^_^;)

私が、一調・駒の段を打ったのは、年に数回ある小鼓の会のうちの浴衣会です。この季節、浴衣を着てくつろぐように楽しんで打つ、という趣旨でしょうか。ところが、実際は、浴衣を着てリラックスして、というふうにはなりません。紋付袴ではないですが、それなりの格好で。

何よりも、実質が発表会(曲は短く、一曲が数分)なのです。年度末の発表会を期末試験とするなら、浴衣会は中間試験、緊張します(^_^;)。私の属する小鼓社中の規模はかなり大きくて、当日、60曲以上が、次々と演奏されました。

一調を打つということで、順番は、最後。トリと言えば聞こえがいいですが、要は、待ち時間最大。ズーっと、腹が痛かった(笑)。

ところで、私は、鼓を始めてからずっと、鼓の会のプログラムをもとに、統計をとってきました。この統計は、どこかの国の腐った政府や奴隷官僚のように、勝手に数値の改竄や誤魔化しをしたものではなく、いたって真面目なものです(笑)。

で、何十年かのデータ分析から出た結論:一調を打つようになった人は、数年後にはプログラムから消える・・・・ご退場になったのですね、人生から。この結論でいくと、あと数年で私もこの世からオサラバか(^_^;)

もしよかったら、聞いてみて下さい。

一調「小督 駒の段」(4分)

https://yahoo.jp/box/V_4wBU

 

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嗤うアフリカ 5.謎のカリンバ

2019年08月02日 | おもしろグッズ

アフリカの楽器カリンバです。木製。22x44㎝、370g

アフリカ南東部ジンバブエ、ショナ族の民族楽器と言われていますが、他所でも似た楽器がありますから、特定はしかねます。

別名ムビラ、西欧では、親指ピアノと呼ばれています。

オルゴールの原型と言われています。

カリンバは余計な装飾をしていない品がほとんどですが、私の事ですから、例によって、顔が付いています(笑)。

共鳴をよくするため、ボックスになっている物も多いですが、この品は平板。

薄く木を削りだしています。一番薄い所では、3㎜くらい。響きやすくするためでしょうか。

 

裏は、至って簡素。

 

長さの違う、7本の竹製の弦が取り付けられています。かなり使い込まれています。今では、カリンバの弦は金属の方が一般的です。

親指ではじいてみると、ボーンという懐かしい音がします。箱の上で鳴らすと、共鳴してさらによい音になります。

 

 

この7本の弦、2本の横木と鉄の針金を使って、実にしっかりと固定してあります。

 

 

裏側から見ると、固定の仕方がよくわかります。二本の横木は、6個の鎹でとめてあります。先のブログで紹介したドゴン族の穀物庫扉と同じとめ方です。

 

板の下方には、ヤシの木の下で、穀物をついている人物が彫られています。

胎内世界?

 

ズームアウトしてみると・・・・

左の方に焦点をあててみると、織田広喜描くところの少女の顔のようなものが浮かんできます(私の幻想か? ^-^;)。

ルビンの壺ならぬルビンの楽器?

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