鼓の会で、一調、小督・駒の段を打ちました。
平家物語と能・小督
この掛け軸、どこかで見たような気がしませんか。
月明かりの夜です。
季節は秋。菊が咲いています。
蔦がからまった折戸の奥、美しい女性が琴をひいています。
折戸の前では、馬上の男性が笛を吹こうとしています。
平家物語、小督の1シーンです。多くの日本画家が描いています。
この掛け軸の作者は、名古屋の大和絵画家、尾関圭舟です。
ここに描かれた、平家物語巻六「小督の事」に拠って作られた能が、小督です。
【能・小督のあらすじ】
平安時代、平清盛が全盛の頃、琴の名手小督の局は、高倉天皇の寵愛を受けていた。高倉天皇の妻、中宮徳子は清盛の娘なので、清盛の怒りを知った小督は、密かに身を隠した。それを知った天皇は嘆き悲しみ、源仲国を勅使として、嵯峨野にあるらしい小督の隠れ家を探し出すよう命じた。仲国は、中秋の夜、月下に鞭をあげ駒を早めて尋ねまわり、とある片折戸の家から流れ出る琴の音を聞いた。それは、小督の琴の音で、夫を想って恋う想夫恋の曲であった。小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督は、返書をしたためた。返書を受けた仲国は、名残りの酒宴で舞を舞った後、馬に乗り、小督が見送るなかを都へと帰っていった。
駒の段
能・小督のハイライトが駒の段です。
【駒の段】
シテ「あら面白の折からやな。三五夜中の新月の色。二千里の外も遠からぬ。叡慮かしこき勅を受けて。心も勇む駒の足なみ。夜の歩みぞ心せよ。牡鹿なくこの山里と。詠めける。」
地謡「嵯峨野の方の秋の空。さこそ心も澄み渡る。片折戸を知るべにて。明月に鞭をあげて駒を早め急がん。」
シテ「賤が家居の仮なれど。」
地謡「もしやと思い此処彼処に。駒を駆け寄せ駆け寄せて控え控え聞けども。琴彈く人はなかりけり。月にやあこがれ出で給うと。法輪に参れば。琴こそ聞こえ来にけれ。峯の嵐か松風かそれかあらぬか。尋ぬる人の琴の音か楽は。何ぞと聞きたれば。夫を思いて恋うる名の想夫恋なるぞ嬉しき。」
「十五夜の新月、本当に面白い月夜だ。二千里も遠いとは思わぬ。恐れ多い勅命を受けて、心は勇み、馬も勇み立つ。夜の歩み、馬も気をつけてくれ。牡鹿がなくこの嵯峨野の山里と詠まれた所だから」「嵯峨野の辺りは空気が澄み切って、心まで清まりそうだ。片折戸を目印に、明月に鞭をを打って、馬を急がせよう。」「粗末な仮家だが」「もしやと思いあちこちで馬を駆け寄せ足を留め、耳を澄まして聞けど聞けども、琴を弾く人はいない。月に誘われ外に出られるかもしれないと思い、法輪寺の辺りまで来たとき、琴の音が聞こえてきた。峰の嵐か松風か、それとも、尋ねる人の琴の音か。曲は何か?高倉の君を想い懐かしむ想夫恋ではないか。なんとうれしいことか。」
宮中で小督の琴に合わせて笛を吹いたことのある仲国は、小督の琴の音を聴き分けることができたのです。
平家物語では、掛け軸の絵にあるように、小督の片折戸の前で、腰から笛を抜き、ピーと鳴らすと、琴の音が止む、という場面です。
【平家物語より】
「・・・小督殿の爪音なり。楽は何ぞとききければ、夫を思うてこふとよむ想夫恋といふ楽なり。さればこそ、君の御事思ひ出で参らせて、楽こそおほけれ、此楽をひき給ひけるやさしさよ。ありがたうおぼえて、腰より横笛ぬき出し、ちッと鳴らいて、門をほとほととたたけば、やがて弾きやみ給ひぬ。」
しかし、能では、笛は吹きません。かわりに、能では、駒をはやめる鞭が象徴的な小道具として用いられます。
なお、シテ(主役)は小督ではなく、仲国です。しかも、仲国は、直面(ひためん)で能面をつけません。人間の顔が能面の代わりをするのです。
静かな秋の夜、嵯峨野をバックに、月明かりの下、優雅で情感に満ちた物語が展開します。
仲国と小督の心の通い合い(情?)など、いろんな余韻を感じられる能です。
月岡耕漁筆『小督』(駒の段)
月岡耕漁:明治2-昭和2年。明治大正期の浮世絵師、日本画家。月岡芳年門。能画を多く残す。
能・小督、駒の段です。能舞台の橋掛かりで、仲国が、馬に乗り、鞭をもって、小督の家を尋ねまわる場面、「月にやあくがれ出で給ふと」と、一の松へ出るところです。
能には駒(馬)は登場しませんが、仲国が装束、狩衣の肩を上げ、鞭を持てば、駒に乗っていることを表します。
河鍋暁翆筆『小督』(駒の段)(木版、『能楽図絵』明治32年)
河鍋暁翠は、河鍋暁斎の娘。女性画家。
駒の段で、仲国が駒を走らせ、想夫恋の琴の音を聞いて、片折戸の家を尋ねあてた場面。
『小督』(駒の段)(木版、作者不明『能狂言図画』明治時代)
小督の最後のシーン、駒の段の後。やっと小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督の返書を受けた。名残りの酒宴で舞を舞い、勇み立つ馬に乗り、小督の見送りをうけ都へと帰る場面。
この絵にある謡曲の部分:シテ(仲国)「木枯に。吹き合わすめる。笛の音を。ひき留むべき言の葉もなし」(木枯の風に合わせて妙なる笛を吹いていらっしゃるが、あの笛の主をどうしたらお留めすることができようか、私にはその術がわからない)
仲国が舞を舞ったあとに発した言葉です(元歌は、源氏物語帚木巻木枯の女の歌)。これは、どう考えても小督の言葉です。が、能ではこのように、相手の心情や言葉を、成り代わって述べるくだりがままあります。
段物:駒の段のように、ある曲の中で、まとまった謡いどころ、舞いどころ、囃子どころで、「〇〇の段」と名付けられています。すべての曲に段があるわけではありません。駒の段は、能・小督の一部、この能の見せ所、聞かせどころです。想夫恋として、小唄や黒田節にも取り入れられています。「峰の嵐か松風か」の名文で広く愛されています。
一調・駒の段
一調とは、能の演奏の特殊な形態で、謡い手1人と小鼓・大鼓・太鼓のいずれか一種(1人)が演奏をします。能のうちで、一番要所となるところを、謡い手と囃子手が、1対1で真剣勝負をする形式の出し物です。
打ち方は通常とは異なり複雑で、謡い方も高度になります。謡い手、囃子方ともに、力量が要求されます。囃子方で言えば、能一番を打つくらいの重さがあります。
演奏中は、何とも言えない緊張感が漂います。能楽堂での公演でも、一調が演奏されることが時々あります。昔、観世流の名手、〇〇師、謡いが途中で止まってしまったことがありました。プロでも、やってみないとわからない怖さがあるのです(^_^;)
私が、一調・駒の段を打ったのは、年に数回ある小鼓の会のうちの浴衣会です。この季節、浴衣を着てくつろぐように楽しんで打つ、という趣旨でしょうか。ところが、実際は、浴衣を着てリラックスして、というふうにはなりません。紋付袴ではないですが、それなりの格好で。
何よりも、実質が発表会(曲は短く、一曲が数分)なのです。年度末の発表会を期末試験とするなら、浴衣会は中間試験、緊張します(^_^;)。私の属する小鼓社中の規模はかなり大きくて、当日、60曲以上が、次々と演奏されました。
一調を打つということで、順番は、最後。トリと言えば聞こえがいいですが、要は、待ち時間最大。ズーっと、腹が痛かった(笑)。
ところで、私は、鼓を始めてからずっと、鼓の会のプログラムをもとに、統計をとってきました。この統計は、どこかの国の腐った政府や奴隷官僚のように、勝手に数値の改竄や誤魔化しをしたものではなく、いたって真面目なものです(笑)。
で、何十年かのデータ分析から出た結論:一調を打つようになった人は、数年後にはプログラムから消える・・・・ご退場になったのですね、人生から。この結論でいくと、あと数年で私もこの世からオサラバか(^_^;)
もしよかったら、聞いてみて下さい。
一調「小督 駒の段」(4分)
https://yahoo.jp/box/V_4wBU