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ブルガリア・ルーマニアツアー♯1 出発~ルーマニア・ブカベスト市内観光

2016-08-23 10:12:12 | ルーマニア・ブルガリア

 

 

 平成28年7月11日ー18日 8日間

東欧の彩り古都、田舎町の風景が広がる、ブルガリア・ルーマニアの旅へ。

 

初めて羽田空港国際線ロビーを利用し、出発まで空港内のラウンジで寛ぎ、

羽田空港発00:30空の5つ星と言われるカタール航空にて、 ドーハ国際空港へと飛びたちました。

深夜便にも関わらず、空港内はこれから出発する人達が溢れていたのは驚きでした。

 

カタール航空は、1993年に設立以来一回も死亡事故を起こしていないことで、

安心感の持てる航空会社です。この機体も新しいようです。

そしてJALのマイレージも貯まるので、お得感もあります。

機内アメニティは往復とも同じで、アイマスク、歯ブラシセット、靴下、耳栓でした。

離陸して1時間もすると、お食事。

夜、あまり強くない私は、食事が来るまでウトウトウトウト。

食後も、直ぐに爆睡していた様な気がします。深夜便は寝て行けるので結構楽でしたが、

3列シートの窓際の座席でしたので、トイレに行く時は、

寝てる人の上を2回跨がなければならなく、ちょっと難儀でありました。

羽田国際空港を飛びたち10時間後、カタール・ドーハ国際空港着5:45 

税関を抜けると、目の前に大きな熊?犬?猿には見えなかったけど・・・

大きな縫いぐるみが鎮座していました。目印になっていいですね。

 

カタールの首都ドーハ国際空港は2014年5月に,世界的なハブ空港として新しくオープンいたしました。

ここから世界中へと乗り継いで行く利用者は,年間4000万人を超え、

ドーハを本拠地とするカタール航空も,スペインなどのヨーロッパ各地へ行くのに大変便利な空港。

 

最近は、成田空港だけではなく羽田空港からの出発便もかなり増えているので、

日本人の利用客も多くなっているそうです。

 


空港内は開放的な空間を贅沢に利用した作りになっており、スタイリッシュで清潔感が溢れています。

長時間の乗り継ぎも快適に過ごせそうでした。

 

この縫いぐるみを起点に、搭乗口1番から真っ直ぐ伸びた長いコンコースが続きます。

2時間程のトランジットは、ラウンジに入りのんびりとし、

我々の搭乗口は、確か26番ゲートなので遥か先まで歩く訳で、広い空港です。

ところどころに、オブジェがあり子供の遊び場もありました。

長いコンコースを左に折れエスカレーターを降りると26番ゲート。

1階にあるゲート前は人で溢れ、中東の国の熱気でムシムシです。

ここでチェックを受け、バスでタラップまで行くのですが、

ラッキーな事に、エコノミークラスからビジネスクラスにグレードアップしてもらえました。

超ラッキー!

子供が小さい時に一度グレードアップしてもらって以来、25年振りの幸運でした。

 

7:15 ドーハ国際空港からルーマニア首都 ブカレスト アンリ・コアンダ国際空港へ。

前から4列目のシート、流石!ビジネスクラス。

楽々シートは、リクライニングできベットになります。

羽田からのドーハまでの、10時間の飛行の時に乗りたかったなぁ~、なんて!贅沢な事を思ってしまいました。

ドーハ空港からブカレストまでの飛行時間も5時間なので、足を伸ばして寝れた事は凄く楽でした。

座席に付いて直ぐに、ウェルカムドリンクのサービス。

そして、シャンパン・ワインのサービスと続き・・・。

 

豪華な機内食は、フルコースメニュー。

世の中、お金!って事をつくづく思い知らされました。

とっても優雅な気分を味わっていたかったのですが、

睡魔には叶いません、この後 直ぐに爆睡。

リクライニングシートは、気持ち良く寝心地最高っす。

 

ドーハからブカレストまでは、イラン・トルコ・黒海上空をほぼ最短距離で飛び、

 12:10 ルーマニアの首都ブカレストに到着。

空は青く、強い紫外線が照りつけています。

 

東欧の中で唯一ラテン民族の血筋を引いているルーマニア。

その為、イタリア語・スペイン語が通じる人が多い国。

面積は日本の約半分、人口は約1900万人、ルーマニアと云えばドラキュラとコマネチですかね?

 空港前で待機していたバスに乗り込み、ブカレストから北へ約170kmにあるブラショフへ、

車窓から飛び込んでくるひまわり畑に麦畑の広大な風景は、北海道の風景と重なるものがあり、

のどかな田園風景が広がっています。

 

そんな景色を眺め、

ブラショフの町から南西に30km行った、トランシルバニア地方に建設されたブラン城に到着。

ゲート前は、沢山のお土産屋さんで賑わっています。

ブラン城のゲート。

ジリジリ照りつく日差しを避け、日陰で現地ガイドさんがチケットを買って来るのを待ち入場。

石畳の坂を登り、見上げるとお城を仰ぎみる事が出来ます。

そして、城の中へと入ってゆくのですが、狭い入口と階段は順番待ちでゴチャゴチャ状態。

吸血鬼ドラキュラ城のモデルとされているブラン城は1388年に完成しました。

敵であるオスマン帝国をいち早く見つけるために、標高750mの山の上に築かれています。

 

最初にドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)の祖父が建設し、

ハンガリー王家、ルーマニア国王フェルディナンド1世、ルーマニアの国有化などという風に所有者が時代と共に変わっていきました。

お城の中は、狭い通路や狭く急な階段で繋がれ、1つ1つの部屋も狭く、迷路のようになっています。

何処をどの様に通って、外が見渡せる通路に出たのかよく分かりません。

中は、一応ここで生活している人が居たのだと分かりますが、

生活するには、どうも使いにくそうでした。

この方が・・・

ドラキュラのモデルになっています。

ルーマニアの南部にある、ワラキア公園を統治した人です。

この人はなんと、当時敵であったオスマン帝国の兵士を串刺しにして、一列に並べたとの伝説があります。

この様な伝説があったので、ヴラド・ツェペシュは「ツェペシュ」という名で呼ばれたそうです。

ツェペシュはルーマニア語で串刺しという意味。

そして、串刺し王として有名になった人物です。

しかし、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ(ヴィラド3世)は、

ブラン城に住んだことがありませんでした。

では、なぜブラン城がドラキュラ城と呼ばれるようになったのか。

それは、19世紀末にアイルランド人の作家ブラム・ストーカーが「ドラキュラ」という小説を発表し、

その中で登場するドラキュラ城がブラン城を模したものだからです。

中庭を囲むように木でできたバルコニーが張り巡らされていて、趣があります。

 お城近くのお土産屋さん。

 

ブラショフ市内観光

☆黒の教会 画像がかなり傾いていますが・・・。

町の中心に聳えているのは、高さ約65mのトランシルヴァニア地方最大の後期ゴシック様式の教会。

14世紀後半から15世紀初頭まで、約80年の歳月をかけ建設された。

1689年ハプス軍の攻撃に遭い、外壁が黒こげになってしまったことから、この名がある。

教会内は、ルーマニア最大級のパイプオルガンがあるそうですが、

中には入らなったので、確認はしていません・・・。

ミサは現在でもドイツ語で行われているそうです。

☆スファトゥルイ広場

黒の教会から北東へ少し歩いていくと、ブラショフの町の中心にあるスファトゥルイ広場に出ます。

大きな広場で、周りには歴史博物館、カフェ、レストラン、お店などが沢山あります。

広場の真ん中には噴水があり、市民憩いの場所のようです。

 

夕食を頂き、

 ブラショフ・ホテルキュービックス。

長いフライだったので、やっとホテルのベットでゆっくり眠れます。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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