平成27年6月12日(金)・13日(土)・14日(日)
金曜日のお昼頃から、のんびりと群馬へ夕方老神温泉へ着き 夕食の時間まで温泉&お酒を飲んで楽しみ。
翌13日、天気もいいので尾瀬へ散策。
予定では、アヤメ平から龍宮小屋に行って鳩待峠に戻る予定だったけど、
Pちゃん「そんなに歩きたくないって!」 はぁ~?
仕方ないので、いつもお決まりのコースで尾瀬ヶ原散策。
リュウキンカが綺麗に咲いてました。
平成27年6月12日(金)・13日(土)・14日(日)
金曜日のお昼頃から、のんびりと群馬へ夕方老神温泉へ着き 夕食の時間まで温泉&お酒を飲んで楽しみ。
翌13日、天気もいいので尾瀬へ散策。
予定では、アヤメ平から龍宮小屋に行って鳩待峠に戻る予定だったけど、
Pちゃん「そんなに歩きたくないって!」 はぁ~?
仕方ないので、いつもお決まりのコースで尾瀬ヶ原散策。
リュウキンカが綺麗に咲いてました。
平成27年5月30日(土)・31日(日)
二子山&武甲山へ。
30日は、二子山へ登る事になった。
登山口から・・・
西岳・東岳の分岐まで登り、
まずは東岳から登る事に
東岳山頂
東岳山頂から両神山
そして分岐まで戻り、西岳へ・・・
西岳山頂。
翌日31日は・・・。
埼玉県のシンボル武甲山へ。
いつか登ってみたいと思っていた武甲山。
山頂からは、秩父の街並みを覗き下山。
平成27年5月24日(日)
岩手山に行った翌日は、八幡平へ・・・
メンバーの皆さんは、既に八幡平には登っていたのですが、岩手まで来ていて
八幡平を登らないで帰ってしまったら、またここまで改めて来るのも厄介なので、
皆にお願いして、八幡平へお付き合いしてもらう事にした。
早朝登山口近くまで車で走ってゆくと、八幡平山頂レストハウスまでのゲートがまだ開いてなく、
ゲートの開く時間まで
近くのふけ湯温泉に入り時間潰しをする事にした。
広大に敷地に男女別々の露天風呂に混浴風呂があり、我々は露天風呂へ・・・。
女湯の露天風呂は熱くて入れず、私は内風呂へ入りのんびり。
露天風呂の温度が適温になった頃を見計らって、再び露天風呂に浸かる。
朝から温泉入っていい気分!温泉後はビールで一杯ではなく温泉玉子。
ホクホクって云うか柔らかくて味があって美味しい温泉玉子でした。
温泉玉子のパワーをつけて、八幡平へ。
八幡平アスピーラインは、まだ雪の壁が残っていた。
前日登った岩手山。
八幡平レストハウスのある場所はちょうど県境。
昨年雨の中、傘さして登っていった行き途中から雹が降りだし寒くて寒くて引き返した八幡平。
今年の残雪は例年に比べ多いのか少ないのか?良くわからないが、まだまだ残雪がありました。
熊の顔みたいだねぇ~。
話しながら歩いていると、アット云う間に山頂。
やったぜぇ~、八幡平制覇したぞぉ~!
この日の八幡平は、ちょうど山開きでした。
八幡平の帰り道に・・・。
岩手県の毛越寺へ。
この日は、暑い日でありました。
毛越寺から厳美渓に周り岐路へ。
皆様、お疲れさまでした。
平成27年5月23日(土)
標高2038mの岩手山、馬返し登山口から登る事となった。
岩手山は昨年の秋に登る予定で来ているが、天候が悪く断念した山である。
清々しい朝、広々とした駐車場に早朝に到着し身支度を整え出発。
駐車場からキャンプ場まではすぐそば、ここに湧き出ていた鬼水清水は冷たくて美味しく、
広い芝の上に1棟だけ建っていた、赤い屋根の小さなバンガローは印象的であった。
キャンプ場から岩手山を眺め、
ブナ・ミズナラなどの広葉樹林帯の中へともぐり込んで行く。
一合目付近に差し掛かると、シラネアオイを発見!結構興奮。
へぇ~、岩手山でもシラネアオイが見られるのね。なんて悠長な事を感じながら歩いていると、
まもなく旧道と新道の分岐点である2.5合目に着く。
我々は旧道へと登って行くが、ここは石バネと呼ばれる岩の道で樹林は乏しく夏場の炎天下は辛そうです。
分岐点から三合目・四合目・五合目とひたすら直登が続く。
辛い直登から開放された場所には、再びシラネアオイの群生があり写真に納めホット一息付く。
花々の写真を撮り、
七合目・鉾立へ。
ここから八合目までは快適な緩やかな登りになる。
八合目 避難小屋へ到着。
ここで暫く休憩。
不動平分岐から目指す岩手山へと進むのである。この地点までは天気も良く極楽気分であった。
分岐からは丸みをおびた薬師岳火口へと向かうが、歩きにくい黒い火山砂礫の道であり、
ズリズリと後退して行き一向にはかどらないもどかしさを感じていると、
次第に西風が強くなり砂礫が顔にビシバシと飛んでくる、風速はどんどん激しさを増し歩くこともままならなくなった。
どうにか山頂に到着。
天気は良く景色は最高だったのに、山頂は突風が吹き荒れ岩にしがみ付いてないと
飛ばされる状態であり、優雅に景色を満喫することも出来ずに下山する事になった。
山頂から時計回りにお鉢を巡って下山した方が、風がなさそうだって事で進んでいったが、
とんでもない!こちらも突風であり途中で歩く事も出来なくなった4人は、体勢を低くし正座し飛ばされないよう身構え、
そして、山友さんメガネを飛ばされてしまい、這い蹲りながらメガネ・メガネって探しまわっていました。
やっとの思いで八合目の避難小屋に無事辿り着き、「登って感動」の看板に目が留まりましたが、
感動ではなく恐怖を感じました。 風の恐ろしさを改めて知り良い経験と勉強になりました。
あの突風でみんなクタクタ、避難小屋で大休憩をして下山。
この後、八幡平へ登り行こうかぁ~等と、朝は言っていたのですが、あの山頂の突風で疲れ果てそんな気力もなく、
温泉宿を探し、八幡平にある「えのぐ箱」の宿で大爆睡となりました。
お疲れさまでした。
7日目 平成27年4月9日(木)
マインツ ライン河流域へ→【世界遺産】ライン河クルーズ→リューデスハイム~
フランクフルト空港→フランクフルト発 19:10 日本航空直行便にて帰国。
モ―ニングコ―ル 6:00
朝食 6:00
出発 8:00
空は青空
渡航してから7日目の朝、ツアーの人達と打ち解けてくる頃、当たり前の事だが決ってツアーも終盤になりお別れも近づいてくるのです。
そう、本日19時の便で帰国するのです。
最後の観光フィナーレは、今回の旅の目的のひとつでもあった世界遺産 ライン河ク―ルズ。
ビンゲンを過ぎて右手に最初に見つけたお城がこちら。1211年にマインツ大司教により税関所として築かれた城砦です。
1689年にフランス軍に破壊されたまま廃墟になっています。修復せずに300年以上も放置されているなんて驚きます。
この先しばらく左手にお城が続きます。つまり…午前中の方が綺麗に写真が撮れるのです。
ラインシュタイン城はライン川でも美しいお城に数えられ、かっちりした作りが好印象です。
築城者や築年代はよく分かっておらず、領主や名称も何度か変わっているようです。内部は見学が可能だそうです。
続いて左側に見える大きなお城。外観にやや赤みがあり、歴史を感じさせてくれます。
基礎は11世紀初めに造られ、ライン川の沿岸で最も古いお城だそうです。
13世紀初めには盗賊騎士団の根城となっていたところ、1282年にルドルフ1世の攻撃により廃墟に。
近年ホテルとなった後、現在は博物館になっているそうです。
同じく左側、元はライヒェンシュタイン城の守りとして11世紀に建てられたお城です。
中は見ていませんが、住んだら楽しそうな作りです。いったい何階建てなんでしょう?
ここも盗賊騎士団の根城になってしまったものを、ライン都市同盟やルドルフ1世に攻撃され、
1689年にはフランス軍に破壊されて…とライヒェンシュタイン城と同じ運命を辿ります。現在は国有化され、博物館になっています。
ここも左側です。1219年、ケルンの大司教によって周辺の守護と関税のために建てられたもの。
左手に見えるバッハラッハの町を過ぎたところの丘に建つお城。とんがり帽子の塔がカワイイですね!
このような主塔はベルクフリート Bergfriedと呼ばれます。
突然現れて驚かせてくれたのは、中州に浮かぶ真っ白なお城。まるで屋根がオモチャみたい。
ライン川の通行税を取り立てるための税関所として、1326年にルートヴィヒ4世によって作られたもの。
船を模して五角形になっているのは、水流による損傷を避けるためだそうです。
中州まで渡し船が出ており、中は博物館になっています。
一つ上の写真で岩壁の上に見えているのが、グーテンフェルス城です。
こちらも徴税のために使われていた歴史があります。現在はホテルになっているそうです。
ライン川でもひときわ優美な外観のお城が左手に見えてきました。
Schönburgとは、ドイツ語で「美しい城」という意味だそうで。遠目に見ても十分にその美しさを感じられます。
1166年にフリードリヒ1世(バルバロッサ)から戦功をたたえてこの城を与えられた家臣は、
ライン川からの徴税と周辺で作られるワインで財を成し、後にシェーンブルク家を名乗るように。
1689年にフランス軍の攻撃を受けるも、強固なため完全には破壊できなかったそうです。
現在は改修されて、ライン川で随一の高級ホテル「アウフ・シェーンブルク 」として営業しています。
1371年にカッツェンエルンボーゲン伯によって造られた城、進行方向右手に見えます。
正式にはノイカッツェンエルンボーゲン城と、舌を噛みそうなほど長い名前です。短くカッツ城と略され、
ドイツ語で猫を意味するカッツェ Katzeから、「ねこ城」とあだ名されています。
ちなみに愛知県には「犬山城」というお城がありますが、犬山市はここザンクトゴアルスハウゼンと友好都市になっています。(笑
左手に見えるお城は、何度も増改築が繰り返されて、ライン川で見られる城の中では随分と規模の大きなもの。
1245年に造られてから、幾多の争いにも関わらず落城したことがなく、
他のライン川のお城が軒並み破壊されたフランス軍の攻撃にも耐え抜いたそうです。
現在は近代的なホテル「シュロス・ラインフェルス 」として営業。ここもライン川の古城ホテルの中では魅力的でした。
11:00下船
リューデンハイム~ザンクトゴアハウゼンの1時間半のクルージングも終わり下船バスに乗車し、
下って来たライン河沿いをバスで戻り、メルヘンの街リューデスハイムへ。
リューデスハイムに入り目に留まったのが、手動でオルゴールを回し優しい音楽が流れていました。
ライン川クルーズの拠点の街 リューデスハイム。
リューデスハイムで1番の名所がこの「つぐみ横丁」です 。長さ144.5メートルの狭い路地にはとても可愛らしいお店が並び
多くにの観光客で賑わっています。
この横丁にはワイン酒場がぎっしり並んでいますが、まずは昼食に。
「つぐみ横丁」の中にある可愛らしいレストランで昼食です。
漫才コンビのおじ様達と愉快なおば様とガイドさんと同じテーブルになり、もう笑いが止まりません。
昼食後はワイナリー見学、その後はフリータイム。
6日目 平成27年4月8日(水) PM
オランダ・オッテルローからバスで3時間程の移動をし、
国境を越えドイツ・ケルンへと入った。
ドイツではベルリン・ハンブルク・ミュンヘンに次いで4番目に大きな都市である。
ライン川の橋の中腹からは、ひたすら『天』を目指したドイツ・ゴシックの金字塔、ケルン大聖堂が天を仰ぐ。
石畳に響く中世の声、荘厳なゴシック様式で知られ、完成当時世界最高の誇り、現在でも世界最大級の大聖堂となっている。
1996年に世界遺産となった、ケルン大聖堂。
ドイツ・ケルン市のシンボルであるケルン大聖堂は、1248年に建設が始まり完成したのは1880年のことです。
途中200年余りの中断があったとは言え、最初の建設計画を変更することなく、ゴシック様式の巨大な聖堂が完成しました。
建造物そのものに備わっている格別の価値とともに、ヨーロッパに脈々と続くキリスト教信仰の証としての価値が評価されています。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのが1996年。
しかし、周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機から、2004年には危機遺産に指定されました。
その後、大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により2006年解除されています。
目の前にありすぎて大き過ぎてよく見えない!! 写真を撮ろうとしても全てが入らない!
この大聖堂の建築物を目の前にしたら「とにかく大きいな!」というような一言で始まるでしょう。
記念撮影に一枚と思っても、なかなか全体像が入りきらないサイズで、
目の前の広場にはこの巨大な大聖堂を、どうにかして写真におさめようと試行錯誤する方が多く見られます。
世界第2位の大聖堂の高さは、なんと157.38メートル!!幅61メートル。
その高さも圧倒的だが、それ以上に堅実で細かい建築様式のすごさが遠くからでも見てとれる。
大聖堂は3つの玄関と2つの塔が構成に組み込まれています。
ただ大きいだけでなく、この建築物には何百体もの彫刻が飾られており、しかもその一つ一つが有名な彫刻作家によるものです。
そしてブロンズの扉にも数々の美しい彫刻が施されています。
これらに彩られた様はさながら天に向かってそびえたつ屋外彫刻美術館です。
この大聖堂上ることも出来るんです。この横側の下に下がる階段から入場料を払って入ります。
3ユーロくらいだったと思います。大きな大聖堂なので、それなりの覚悟が必要です。
エレベーターはありません。533段のらせん階段をひたすら上がるだけです。
ちょっと怖いくらいですが、ケルンの町並みが一望できるそうですが、
なんせ我々はツアーだったので、何百段の階段を上がって町並みを眺める余裕の時間などありませんのでスルーです。
大聖堂の礼拝堂です。天井までの高さは43.5mあります。
大聖堂内部の大きさは外からのサイズ感での想像を全く裏切りません。
なんと全長144M、翼廊の幅86M、中廊の高さ43Mもあります。
大聖堂を支える石柱の重厚感、それを装飾する石像。また、数々の美しいステンドグラス。
そこから差し込む光。そして祈りをささげる人々。それらをすべて感じながら静寂なひと時を過ごすことができる空間です。
大聖堂の入り口をはいって右回りに歩いてゆくと、バイエルンの窓があります。
バイエルン王 ルートヴィヒ1世が奉納(1847年)
上部 最後の晩餐、中部 キリスト降架、下部 4人の福音書記
左 ミラノのマドンナ と呼ばれる有名な像です。
なぜミラノなのかというと・・・
12世紀、 東方三博士の聖遺物 と一緒にミラノから運ばれてきたからだそうです。
聖クリストフォルスが見下ろす祭壇画、大聖堂内陣の「大聖堂の絵」です。
1440年頃のシュテファン・ロホナーの作です。
この作品はシュテファン・ロホナーの代表作で、市の守護聖人たちの祭壇画または大聖堂の絵と呼ばれています。
真ん中の作品に東方三博士の礼拝、左右にはケルン市の守護聖人が描かれています。
大聖堂を支える石組みには彫像が掲げられているのは、全高3.7m礼拝堂内陣の「イエスを担ぐ聖クリスフォロス」です。
イエスが背負う人間全ての罪の重さを同時に背負っています。
元々はギリシア語で「キリストを背負う者」という意味を持つ聖人で、旅の守護聖人らしいです。
ケルン大聖堂にきたらコレは欠かしちゃダメですよ。ミラノからやってきた東方の三賢者の聖遺物。
この聖箱には1000の宝石と真珠で飾られていて、300以上のとても高価な準宝石とカメオが取り付けられているそうです。
確かにめっちゃきらびやかでした…。
そして1月6日の聖三賢者の祭日には、金の冠の置かれた三つの頭蓋を見ることができるらしいです。
これまた金ピカ 木製十字架、976年にゲロ大司教によって制作された十字架像です。
現存するヨーロッパ最古の十字架。
まだまだ沢山の素敵なステンドグラスがあったのですが、時間に追われゆっくり写真が撮れなくて残念、
名残惜しくも、大聖堂の中から広場へ・・・。
16:30出発し夕食へ。
夕食はドイツ名物、シュニッツェル
宿泊場所は、マインツ・パークイン バイ ラディソンでおやすみなさい。
明日はいよい帰国日、その前にとっても楽しみにしているライン川クルーズです。