クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

あれから15年になります・・・

2024年12月10日 | その他

 今年の12月8日で、息子の心臓弁置換手術から15年になります。
当時、息子がお世話になった心臓血管研究所病院は、六本木のミッドタウンの向かい側、つい最近まで「メルセデスme」という施設があったところにありました 現在は、同じ六本木でも、六本木ヒルズのけやき坂の側に移転しています。
 いずれにしても六本木は、息子が中学高校と6年間、母校に通った広尾のお隣の駅。11月5日の入院から手術までの約1ケ月間、入院中にも関わらず、比較的自由に外出が許され、息子は慣れ親しんだ六本木界隈をちょくちょく散歩に出かけていたものです そんな自由な時間は、じつはもう先のない息子への、ドクター達の彼への愛情だったのだ…と知るのは、ずっと後のことでしたが
 あまりに重篤になった心不全の状態で入院した息子の心臓は、手術が無事に終わっても、手術中の人工心肺から切り替えた時、再び自力で動き出せるとは、どの先生も思っていなかった、とのこと。
 手術が終わり、主治医が私達のところに来られて言われた第一声は「手術、終わりましたよ」ではなく、「動いたよ動いた動いた彼の心臓が自力で動き出した」というお言葉でした。

 心臓や循環器科専門のこの病院では、当時、手術日には2件だけ、というのが原則でしたが、この日は彼の手術1件しか行われず、外来担当のドクター以外は、全員が息子の手術に立ち会ってくださいました。
 その先生達が手術室から出てこられた時、「奇跡が起こったね」「驚異的な力を持った心臓だったんだな」と口々におっしゃっていたことを私達は聞き逃しませんでした。
 「魚釣りをしていて、釣り上げた魚をリリースしてやっても、弱っている魚の場合は、せっかくリリースしても元通りに泳ぐことはできず、死んでしまう…お分かりになりますよね?」こんな例えで、手術前の息子の心不全の状態を主治医から説明を受けました。

 そんな状態になるまで、ひと言も私達親に体調の異変を伝えず、ひたすら大学の部活のシーズンが終わるまで、主将としての責任を全うした、と言うと聞こえは良いですが… 親としては納得がいかない 諦められない
 高校卒業後、3年間の引きこもりの原因となった高2後半からの1年半。人間関係で悩み、疲弊しながらも、その原因は「自分自身の性格、自分の未熟さに起因した」と自ら結論づけた息子は、そんな「負の自分」「負の時間」を払拭すべく、大学での部活の時間や、仰せつかった主将としての責任を、自分で十分に納得できるように務めた 終えることが出来た
 その結末が「春からの体調不良を認識しつつ、部活のシーズンが始まるからとそれを放置し、心不全を発症していたにも関わらず、シーズン終了の11月まで7か月間、何の手も打たなかったために悪化させた」ということ。(息子は、ダイビング部でした)
 何と情けなく、何と残酷なことか…
 それでも息子は、自分の思い通りに部活のすべてを全うし、次学年にきちんとバトンタッチ出来たことに大いに満足をして、「体調は最悪にはなったけれど、僕は全く悔いはない」と真剣に話す息子に、高校からの大変な約5年間をただただ見守るしかなかった親としては、結局は息子が選択した道を「よくやった本当によくがんばった」とほめてやるしかありませんでした

 部活の先輩、後輩、そして友人達が心を込めて折ってくれた2組の千羽鶴。
その年の小学校受験がつつがなく終了した時点で、「じつは、息子が現在こんな状況で…」と公表したことで、マナーズの卒業生家庭に情報がまたたく間に拡がり、みなさんで折ってくださった千羽鶴
 3つの束、3000羽の鶴達が吊るされた病室には、連日、大学の友人達の笑い声が溢れていました。私はそんな様子を病室の前で、ドア越しに聞きながら、「体調は最悪にはなったけれど、僕は悔いはないよ」と言い放った息子の胸の内を思い、あらためてうん、うん、と五感で理解し、噛みしめました。
 3000羽の鶴に象徴された、多くの方々からの大きな大きな祈りと、最高の高度な医療と、心臓の専門医達に「驚異的な力を持った心臓」と言わしめた息子の奇跡の心臓のお陰で、今息子は、救っていただいた命をまさに輝かせるように、微力ながらも社会に貢献し、充実した暮らしをしています

 こんなふうに救っていただいたのだから、あとは好きに生きれば良いと、すっかりそんな偏った意識の低い思いだけに固執し、手術からの約10年間、十分なアフターケアを怠り、息子はまたもや大動脈解離で入院することになりますが… この時にも奇跡が起こりました
 命を落とす危険性の高い大動脈解離ですが、奇しくも心臓から脳に向かう大動脈は、息子の場合は弁置換手術の折、大動脈も人工物に取り換えていたため、血管の裂け目は手や足のほうに向かい、脳に向かう大動脈は無傷でした…そのお陰で、またもや奇跡的に命が救われました。まるでアニメやコミックにあるような、泣き笑いのストーリーです

 それ以降は「2度も奇跡的に救っていただいた命だからこそ、医療のケアを決して怠らない」を旨とし、過ごしています。
 毎日、たくさんの種類の、薬だけでお腹いっぱいになるんじゃないか?と思われるほどの量のお薬を見ると、健康体に産んでやれなかった母親の責任をいつもいつも感じますが、そんな悲劇のヒロインになったところで、誰にも何の利もありません
 その代わり、とでも言うのでしょうか… 私は、健康管理への啓蒙や、心身の健康のためのアドバイスやエッセンスを伝えることが、私の使命なのだと思っています
 
 とまあ、ここまで書いて終わると、楽しいクリスマスシーズンに、すっかりみなさんを深刻な顔つきにさせてしまいますよね そんなことは、ちっとも私は望んではいないのですよ
 ただ、手術から15年という節目に感じる年月を迎えて、少しお話をしたくなりました。
 どんより気分で終わらせたくないので、息子つながりのお話しで「かなり驚くお話」「不思議なお話」を付け加えますね
 上記の文中にも書いた「3年間の引きこもり」。
振り返ってみると、あれは息子にとっては「必須の、心のための貴重なリハビリの期間」だったわけで… 本人も安穏と過ごしていたわけではないのですが、正直、その真っただ中にいる時には、親としてはかなり辛く、しんどく、長い3年間でした
 3年目に入った時、やっと「優しい時間」のお陰で、重い重い腰を上げた息子は、「大学受験を目指します」と宣言。先に何も見えず、ただただエールを送るだけの私でしたが、とうとう目標が設定されたことが本当にうれしく、ありがたく、身震いする思いになりました。
 さあ、今度は目標の見えた応援です 何でもしたい、してやりたい、と思いました。それこそお祓いも、お百度参りも
 いえいえ、実際にはお祓いも、お百度参りも実践したわけではありませんが、もともと縁起を担ぐ私ですから、家族には内緒で、密かに飛行機に乗って、少しでも菅原道真公に近いのではないか?!と、大宰府の天満宮までお参りにはいきました
 そんな中で、仲良しのお友達が「よく当たる占い師さんがいるから、行ってみるのも良いんじゃない?」と勧めてくれたのです。「占い師さん」とは書きましたが、実際には「然るべき能力のあるライフプランナーさん」と呼ぶべき人、だったかもしれません。
 引きこもり中でも、私達親子のことを興味本位ではなく、大真面目に応援し、気にかけてくれていた友人のせっかくのお勧めなので、ご相談?に行くことにしました。
 その先生(と呼ばれていました)に、コレコレ、しかじか…と、様々な方向から、彼の高2以降のことをお話しました。すると、その方が然るべき作法の後、こんな風に言われたのです。
 「ご本人も、ご家族も、長きに渡り本当によくがんばられました。今回の大学受験、苦労はしますが、願いは実ります。ご安心ください。ご子息は来春には大学生になられます。でも、ご子息にまつわるご苦労、ご苦難はこれで終わりません。今後、あと2回、大きな苦難がやってきますよ。ご本人も、ご両親も、かなりの覚悟が必要です!」と。
 ちょちょちょちょっと待ってください
高2後半から卒業までの1年半、そして、時間だけが経過し、家族がそれぞれにギクシャクした2年間、もう十分に苦労をしてきましたよ来春、大学受験を経て息子が晴れて大学に入学を果たせる、ということは何よりもうれしいことですが、それからまだ1度ならず2度も苦労、苦難がやってくると断言なさるのですか
 息子には、そういう方のところに相談に行く、ということは内緒でしたし、ましてや、あと2度も苦難がやってくるなんて言えるわけがありません。そのことは、夫だけには話しましたが… 夫婦で「ははは、当たるも八卦当たらぬも八卦やあ」などと一笑に付しはしたものの、実際には密かに、夫も私も、本当は心にかなりひっかかり、時にはびくびくと過ごしたのでした…

 …が… いかがですか?気づかれましたか?

 息子は次の春、確かにかなり苦労はしましたが、中央大学に入学しました どんなに家族で喜んだかしれません。
 でも…その2年半後、大学3年の12月に心臓の弁置換手術。そして、その10年後には大動脈解離。確かに「2度の苦労、苦難」がやってきて、そのたびにかなりの覚悟が必要でした
 きゃー、ゾゾゾッとしませんか?
 その先生が今、どうされているかは知りません。友人にも確かめたこともありません。けれど、あまりの「ピタリ」に、驚愕というか、何というか… 今でも、あの相談の時に言われたシーンを思い出すと、鳥肌が立ちます… そう、実際に言われた通り、「2度の苦難」が訪れたから…

 町のあちこちのクリスマスイルミネーションがとってもきれいです
でもね、私は毎年、かならずしも町中の人達全員が「ハッピーな気分」でそれを眺めているわけではない、ということを感じます。そして、そういう方達のために一生懸命に祈ります
 息子が手術をした12月8日。この日は、仏教では「成道会(じょうどうえ)」。お釈迦様が悟りを啓かれた日で、宗派を問わず、仏教では大きな法要が営まれます。
 カトリックでは「無原罪のマリアの日」と呼ばれる日です。聖母マリアが、その母、聖アンナの胎内に宿ったことを記念する日で、イタリアやスペインなどのカトリック国では祝日で、盛大に祝われます。
 奇しくも、そんな日が手術日に決まったのも、奇跡に導かれる、とても不思議なことだったのかもしれません…

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スライサー事件! | トップ | 2024年もありがとうございま... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

その他」カテゴリの最新記事