今朝、テレビを観ていて大笑いしたことがありました
いつもと何ら変わることなく、朝ごはんを主人と一緒に食べながら、NHKの朝のニュースを観ていた時のことです。主人がお馴染みの気象予報士のオネエサンが出てくると・・・
「おっ髪、切りはったんやな。」と言ったのです。
いやいや、びっくりです。私が美容室に行き、同じショートとは言え、かなりスタイルが変わっても、髪の色が奇抜になっても、ほとんど気の付かない主人なのに、気象予報士のオネエサンのカットには気づくんだあ ほんと、笑えました。実際、オネエサンには、それほどの大きな変化はなかったのですよ。妻や夫は空気のようだ、と昔から言いますが、まさにそうなんだなあと実感する出来事でした
まあね、これは夫婦間での話なので「笑い話」で済むのです。
でも、これが夫婦ではなく、父と子、母と子、であれば、ちょっと悲しい・・・いえいえ、髪形のことを言っているのではありませんよ。子どもの変化、異変に「気づかない、気づけない」ということ。それは、大問題に発展する「小さな変化を見落とす」ということであったり、子どもの何らかの「異変をキャッチできない」ということであったり・・・
いずれにしても、気づいていさえすれば、注意深く「見守ったり」、ちょっとした「声をかけたり」と、子どもの心に触れることができるのですよね
日々の日常生活は、様々なルーティンの連続です。そこに、何らかの「違和感」「変化」「異変」をキャッチするのはたやすいことではありません
それに、お仕事でトラブルを抱えていたり、大きなプロジェクトに気持ちがいっていたり、何かの特別があったとしたら、日常のルーティンはルーティン以外の何物でもない。
でもね、どうぞどうぞ、このことを今一度、心に留めていただけませんか?
「今日の我が子は、もう二度とない」ということを。子どもは毎日、親から巣立つ日にむかって静かに一歩一歩、歩いている、ということを。
他愛ないと思っている子どもとの食事の時間も、じつは、本当に尊い親子の時間なのです どうぞ、そのことを時々、思い出してくださいね