ここあコテージ

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津軽弁の本

2013-04-17 07:25:07 | 読書・本
昨日もいい天気でした。

気温は10℃前後。外の風はまだ少し冷たいけれど、
真冬に比べたら、快適、快適。


一方ではボストンでとんでもない事件が。

ボストンは観光地だし、学生も多いし、
日本人の方もたくさん暮らしているようですね。

テロと断定されたそうです。
9.11を思い出します。


これ以上また
悲劇が生まれないように祈ります。



  


さて、教会の方が書かれた津軽弁の本をいただきました。



この方は、長年、看護の現場と学校で働いてこられました。

そして、看護の現場で、津軽弁の高齢者の言葉が、
津軽以外からこられた医師や看護師たち、看護学生たちには
なかなか通じない、理解がむずかしいのを感じて、
数冊の本にまとめたものなのだそうです。


津軽弁の解説をはじめ、言葉のもつ意味など、
頷けるものばかりでした。

そして、とてもおもしろかったのは、
著者がお孫さんに向けて津軽弁で語ったものをそのまま載せている
ばっちゃんがこどものとき なかったもの」。

この方、私より10数年早く生まれた、いわゆる団塊の世代の方。
だから、私の子供の頃より、もっと不便な生活でしたが、
でも、私にも懐かしい、切ない、楽しい、飽きない、
そんな本でした。



たとえば「トイレ」。


覚えていませんか?


水洗トイレがない頃は、みんなくみ取り式。

におったし、暗いし、危ないし、はえもいたし、
足はしびれたし・・・。

田舎のトイレほど、家の外にありました。


学校のトイレは、小用と大用が別々でしたね。
(これはたぶん今、40代以下の人は知らないかもね。)
もちろんドボン式。


私は学校のトイレは、いまでも夢に出てくるくらい
怖くていやでしたよ。


水洗トイレになって、衛生的で便利になったけれど、
停電したら大変。こんなときには、くみ取り式がありがたい。


水洗トイレが登場したとき、日本人は、どう使用するかわからず、
便器の上に足をのせて、またがったとか。

今は、子供たちも洋式トイレになれて、
和式トイレでふんばれないとか。


時代ですよね。
ああ、なつかしい!


こんないろんなエピソードを津軽弁で、
お孫さんに語るように書かれています。



これらの本は絶版らしいのです。
残念です。





この本を読んでも、私にもわからない、聞いたことのない
津軽弁がたくさんありました。


そして、この方は元々黒石市の出身ですが、
わたしの育った弘前の津軽弁とも違うし、
西北五地区ともなると、これまた全く違ってきます。



やはり、だんだんと津軽弁は死語になっているのだと感じますね。
方言そのものが消えつつある・・・


青森では、毎年10月23日に「津軽弁の日」を作り、
県内はもとより、日本全国、時には外国からも
津軽弁の俳句、川柳、短歌、詩が送られてきて、
それを発表するのです。
テレビ放送もされます。


実はこの日は、津軽の方言詩人・高木恭造さんが亡くなられた日。
いなかっぺいさんたちが会を作って、この日を盛り上げています。
毎年、テレビで楽しみに見てますが、
一度は会場で見てみたいです。






ちなみにうちのまりまり、幼い頃はやはり北海道弁でした。
だから、標準語とも違って、イントネーションが
ものによっては変でしたね。

たとえば「椅子」。
標準語だと「す」にアクセント。
でも、北海道だと「い」にアクセント。


でも、青森に引っ越す少し前から、自分のルーツである
津軽に興味を持ち、津軽弁をとても愛して、
津軽弁の本も読んでました。


そして現在、
津軽弁、高齢者(特にジイチャンたち)が使っているような、
こてこての?津軽弁を家で使っては、私たちを笑わせています。



「ン~だべぁ~」(そうでしょう)とか、

「すらんでゃ~」(知らないよ)とか。


注)人前じゃ、決してそんなこと言いませんけどね。笑



津軽弁に対して、まったく抵抗はないようですね。
外から津軽に入った人たちは、案外そうかもしれません。
こんな若者が増えてくれたら、津軽弁も残っていくのかな。



そういえば、牧師夫妻の中には、
津軽をとても愛してくれて、
自然に津軽のなまりを身につけて、
それを誇りに思っている、喜んでいる方がいます。

そんな方々は、地元の方々ともよいコミュニケーションを
とっているようですね。


私もそういう先生方を見るとうれしいですね。




せば!(じゃあね!)・・・^^



ここあでした~。