ここあコテージ

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桜の剪定枝

2019-03-11 05:50:07 | 植物

数週間前に、ある方から桜の剪定した枝を頂きました。
公園で剪定していたのを頂いたようです。

ということは、ソメイヨシノでしょうか。
詳しい情報はわかりませんでした。





家の中は日当たりの良い所は狭くて置かれず、
とりあえずつぼみが膨らむまでバケツに入れていました。





こんなに堅いつぼみでした。





数日後、少し膨らんできました。




3/8に更に膨らみ、少し開きました。








そして、昨日ついに開花!




白いですね。
ソメイヨシノは薄いピンクなのですが、
やはり室内に置いて、日当たりが今一つだったせいか、
白い花になってしまいました。




それとも、ソメイヨシノではないのかも・・・。


いずれにせよ、一足早く、家の中に春が来てくれた感じです。

まだバケツの中なので、散ってしまわないうちに
別の花とともに花瓶に生けたいと思います。





***



ここから震災の話です。長くなります。


今日3月11日は、東日本大震災が起こった日。
あれから8年が経ちました。

忘れもしません。あの日の事。
今でも生々しく覚えています。


その頃は別の町で暮らしていましたが、
今まで何回か経験していた震度4程度の地震でしたが、
発表とは異なる大きさの揺れに、随分恐怖を感じました。
(自分の地域は震度5くらいはあったのではないか?)


外に出ようか、家の中に留まろうか、
あまりの揺れの大きさに、少し落ち着いたら逃げよう!と
そう思いました。


外に出てみると、多くの方々が家の前に立ち尽くし、
大揺れしている電線を眺めては、不気味だと口々に言っていました。


揺れが少し収まり、家に戻ってみると、
停電している事に気づいて、それ以降はテレビの情報は
まったく得られませんでした。

3月でも、こちらはまだ寒い時です。
火の気がありませんし、電気が来ないので暗いのが、
一層心細さを増させました。


電気無しの生活。
カセットコンロで暖をとり、できるだけ早く簡単に夕食を済ませ、
いつまた大地震が来てもいいように、洋服を着たまま寝ました。


この段階で、どこが震源なのか、どの程度の被災状況か、
まったく情報がありませんでした。

ガソリンも少なく、スタンドもガソリンを供給できず、
混乱していました。


その後、県内の家族は無事だとわかりましたが、
当時被災した県に学生として暮らしていた娘から
何の情報も得られず、大丈夫かと心配していました。

数時間後、この地震が宮城沖地震であると知りました。
でも、まさか津波で大変な事になっていたとは知らず、

丸1日以上経って、ようやく電気が回復した時に
テレビから大津波被害の様子が映し出された時に、
改めて驚きと恐怖に包まれました。

娘から、数日前に送ったと思われる
「怖いよ-、まだ揺れてる」という生々しいメールが
今頃届くなど、実に電波も混乱していました。

その後、娘もなんとか避難して、食べ物なども
与えられた事を知って、少し安心しました。

毎日繰り返される地震。
地震ではなくても、めまいのように体が揺れる気がしました。


緊急地震速報の音の不気味さ、
当時、テレビで流されていた繰り返しのCMの不気味さ。

震源はどこ?と、娘の安否を心配する日々。
さすがに神経が参ってしまいました。

そんなときに、聖書の言葉がどんなに支えになったか。

お財布の中に、聖書の言葉を書いたカードを入れて、
外出しても、いつでも見られるようにしていました。



そんな中、テレビから原発事故の報道。
当時はまだ原発についての詳しい知識もほとんどなく、
事の重大さに気づくまでは数日かかりました。

これは大変な事になった!
日本はどうなるのだろう、原発の知識を一から勉強しなくては、
そう思って、数ヶ月後に友人と立ち上げたのが、
「3.11虹の会」でした。

原発の勉強会を何人かで始め、
時には講師を呼んで教えて頂いたり、
原発反対の映画会や勉強会に行ったり、
DVDを観たりして、とにかく知識を得ようとしました。


この働きは、その後、福島や岩手、宮城などの
子供達の保養支援の働きへと変わっていきました。


東日本大震災が、今までの他の地震被害と最も異なるのは、
原発事故が伴ってしまった、という点です。


あれから8年が経ちました。


いつしか原発事故の情報は少なくなりました。

「日本は安全です。福島も安全です。原発はコントロールされています。」
という事実に基づかない情報だけは声高に叫ばれます。


最近では、汚染土を公共工事に使うという、
とんでもない事が環境省から発表されました。
8000ベクレル以下だから大丈夫と。

「8000ベクレル以下だから安全」という矛盾。

汚染土は、「危険だから」袋に入れて、
中間貯蔵施設に保管すると決められたはずが、
8年すると「安全」とされる矛盾。


原発に関しては、いつでも矛盾が起こるわけだけれど・・・。



日本列島、どこに大地震が起きても不思議ではありません。
首都直下型地震、南海トラフ地震。

先日は再び東日本の太平洋側で30年以内に
起こるだろう地震のパーセンテージが発表されました。

青森、岩手は震度7以上の確率が90%だそうです。


こんな危ない日本列島の各地に原発があり、
更に次々に再稼働され、外国にまで原発を売り続ける日本。

書けば切りの無い原発の事だから、
ここで閉じますが、

大地震はいつでも起こり得るという事を
心していなければなりません。


最後に、こんな記事を見つけましたので、リンクを貼ります。

☆リンク先☆



リンクの文が長いですので、少なくとも中の動画だけでも
是非ご覧下さい。


当時の様子の緊迫感が伝わる動画です。


まだ被災地では、仮設で生活している人々が多くいます。
まだまだ復興にかかる時間とお金は必要なのです。

軍備にかけるお金、原発にかけるお金を
まず被災地の為にかけてほしいと本当に思います。


長くなりましたが、
読んでくださって、ありがとうございます。





ここあでした。