ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

激務と出産・育児 悩む女性医師

2006年04月01日 | 地域周産期医療

最近の若い産婦人科医では女性医師の占める割合が圧倒的に多くなり、今後もその傾向は変わりそうにないので、女性医師が辞めずに働き続けられる柔軟な勤務体制を整備することが、今後の産婦人科生き残りのための必須条件となると考えています。

****** 読売新聞、2005年11月24日

激務と出産・育児 悩む女性医師

「辞めざるを得ませんでした」

 名古屋市内の産婦人科病院に勤務する40歳代の女性医師は、4年前まで愛知県西部の公立病院にいた。産婦人科に在籍していたが、同科の医師は計5人で当直は5日に1回、緊急の呼び出しもあった。結婚し、妊娠を機に勤務条件の緩和を希望したが、病院側は「頑張ってくれないか」というだけ。「結局、激務の中での出産が不安になり、退職しました」という。

 現在、この医師の同僚で30歳代の女性医師も、かつてつらい経験をした。県内の大学病院で研修医をしていた6年前のことだ。

 初めて妊娠したが、当時は医師が3人で、月に10回の当直という激務だった。「私自身が大きなおなかのまま、出産に立ち会ったこともある」という。女性医師は激務が影響したのか、予定より数週間早く出産する切迫早産になった。

 2人とも今の職場では、当直や呼び出しを免除されている。「育児や家事ができるように」という配慮だ。「産婦人科の医師不足で、女性医師も激務になる。そして出産、育児、家事に支障が出て、辞める。そうすると、また産婦人科医が足りなくなる。悪循環が続く」と2人は口をそろえる。

 国の統計では、女性の産婦人科医は2000年末で1878人、02年末では2202人と増えている。また、国の調査に合わせて統計を取っている愛知県でも、00年末の産婦人科の女性医師は123人、02年は142人だった。しかし、統計に表れないところで、激務と出産、育児を両立させられず、退職していく女性医師がいることも事実だ。

 仮に、子育てが一段落して、出産から数年後に復帰しても、その間の医療技術の進歩に追いつくには大変な努力がいる。働きにくい環境が、女性医師を現場から遠ざけ、結果的に医師不足に拍車をかけている。

(以下略)

(2005年11月24日  読売新聞)

青森県臨床産婦人科医会の抗議声明

2006年04月01日 | 大野病院事件

http://www.med.hirosaki-u.ac.jp/~obste/rinsanpu.html

抗議声明

平成18年3月28日

日本医師会長
日本産婦人科医会長
日本産科婦人科学会長
東北各県医師会長
東北各県産婦人科医会支部長
東北各県産科婦人科地方部会会長
福島地方裁判所長

日本産科婦人科学会青森地方部会会長 水沼英樹
日本産婦人科医会青森県支部支部長  齋藤 勝

 

 はじめに、平成16年12月、福島県大野病院にて帝王切開を受けられ、お亡くなりになられた患者様とご遺族に対し、心よりの哀悼の意を捧げます。お産に際して、担当した患者様が亡くなられる事は、ご家族と同様に、私たち分娩に携わるものにとっても大変残念で悲しい事であり、現代産科医療の限界を痛感させられるものです。

 平成18年2月18日、この帝王切開術を執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死および医師法違反の容疑で逮捕、その後起訴されました。本声明は、この逮捕・起訴につき、日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会の共同抗議声明を強く支持するものです。

 今回の事件に関し福島県では事故調査報告書による処分も終了し、加藤医師はその後も献身的に唯一の産婦人科医としての責務を全うし続けておりました。したがって、「逃亡のおそれ」、「証拠隠滅のおそれ」があったとする福島県警の逮捕および同検察の起訴理由は、まったく理解出来ません。さらに、医師法違反の容疑とされた異状死の届出義務違反に関しましても、異状死の概念や定義が曖昧な状況下にあって、これを理由にするには公平性を著しく欠いていると考えます。そもそも、今回のように、出血の原因が医学的に手術前診断の困難な癒着胎盤にあることが特定でき、医療行為の相当する過失によるものでは無いことが明らかな場合、届出義務は生じないものと考えます。

 さらに、患者様が、大野病院での分娩や手術を希望同意された上で、手術を施行していること、子宮摘出の希望が当初より無かったこと、当該地区での輸血供給の現状を考慮に入れれば、加藤医師の判断は、きわめて妥当であり、またその実施も医師の裁量権の範疇であり、業務上過失致死容疑には該当しないものと考えます。また、今回の事例はきわめて頻度の少ない稀な症例でした。稀な疾患の担当医として全力を尽くした医師個人が、その結果が悪かったために事故の責任者として刑事罰を受けるようなことになれば、医師は萎縮せざるを得なくなり、その結果、我が国の医療そのものが衰退して行く危険性すら懸念されます。

 分娩周辺期の母児が死に至る事象は、我が国の周産期に関わる産科医・小児科医の献身的な努力により、世界的トップレベルにまで改善してきました、しかし、それでも完全に無くすることが不可能であるのが現状です。厚生労働省による2002年の我が国での妊産婦死亡の直接的産科死亡数の内訳では、分娩後出血14例、前置胎盤および常位胎盤早期剥離11例となっています。医療資源が充実し、出生数あたりの産科医師数が東北地方よりも充実している大都市圏であっても、未だ妊差婦死亡はゼロになっておりません。すなわち、医師の単数勤務や複数勤務、医師の偏在等の有無にかかわらず、ある一定の確率で不可避かつ不幸な事態は起こり得ることを示しています。今回の事件において加藤克彦医師は現場に臨んだ医師としてできる限りの医療を行ったと私どもは判断しています。稀な疾患の担当医として表に立った加藤医師が、事故の責任者として排除されるような刑事罰は、医療事故の再発防止上も全く意味がありません。私どもは今回の福島県警並びに同検察のとられた行為に対し強く抗議するとともに、加藤医師が速やかに職に復されることを強く望みます。加藤医師の早期復職によって、このような医療中の悲しい結果について、より詳しい御遺族に対しての説明と対応も可能になると思われます。