****** 読売新聞、長野、2006年4月15日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news001.htm
【ニュース追跡】深刻な産科医不足 集約化加速
「分娩」受け入れ施設 5年で14減
産科医不足を背景に、県内で「お産」のできる病院が減っている。下伊那赤十字病院(松川町)と安曇野赤十字病院(安曇野市)が、4月から出産の受け付けを休止した。辰野町の町立辰野総合病院、池田町の県厚生連安曇総合病院でも昨年、受け付けをやめている。この5年間で県内14施設が分娩(ぶんべん)受け入れを休止または停止した。住民の働きかけで受け入れが継続された例もあるが、出産可能な施設の減少は全国的な傾向だ。「少子化対策」が叫ばれる今、減っていく産科施設の問題を追ってみた。
(服部牧夫、浅子崇)
■ ■受け入れ休止■
松川町にある下伊那赤十字病院(134床)の2階。ナースステーション隣にカーテンで仕切られた一室がある。ピンクの内装で統一された10畳ほどの中に、白い布で覆われたままの分娩(ぶんべん)台が2つ。3月までは3日に2人のペースで新生児が取り上げられていた。今月から同院はお産の受け付けを休止、赤ちゃんの産声は3月21日を最後に聞かれなくなった。
同院では3月末、2人いた産科医の1人が退職した。これまで産科医を派遣していた愛知県の藤田保健衛生大は医師不足を理由に後任を送らなかった。
多数の妊婦を抱える医療機関がお産を受け入れるには、急な分娩、万が一の事態に備えて24時間体制を採る必要がある。それには最低でも2人以上の産科医がいることが望ましい。
同院は、信州大や県にも医師の補充を要請したが、回答はなく、今月から出産受け付けを休止した。
桜井道郎院長は「医師を確保し、一刻も早く再開したいが……」と話すが、めどは立っていない。
■ ■分業体制導入■
同院は同町のほか、下伊那郡北部の大鹿村や豊丘村、上伊那郡南部の中川村や飯島町の住民も利用する。さらに周辺15市町村を見渡すと、飯田市の産科医院1か所も出産の受け付け休止を決めるなど、これまで5か所だった産科施設が今春は3か所に。こうした事態に対応するため、15市町村の「南信州広域連合」と県飯田保健所、地元産科医らで「産科問題懇談会」を結成し、お産は中核病院の飯田市立病院(403床)が引き受け、出産前の検診は開業医で――との「分業体制」導入を決めた。
医療機関が連携しやすいように共通カルテも導入。信州大医学部の協力で、同市立病院に医師1人が派遣され、産科医は3人体制は4人に増強された。
■ ■根強い不満■
これに対し、女性たちの間で不満が渦巻いている。下伊那赤十字病院で出産を経験した母親たちは、同院でのお産受け入れ継続を求め、約4万7千人分の署名を集めた。先月20日の飯田市役所での意見交換会では、市立病院への集約化に批判が相次いだ。お産にあたって多様な選択肢を求める母親たちと、「産科医が不足する以上は集約化が避けられない」とする行政の主張は平行線のままだ。
下伊那赤十字病院での出産受け付け再開を要望する「心あるお産を求める会」の会長、松村道子さん(34)は、「検診とお産を1か所でしたいという私たちの思いが後回しにされた」と訴える。しかし、飯田市立病院の分業体制は4月、本格的にスタートした。
■ ■苦しい医局事情■
県内ではこの1年で産科医不足の問題が急浮上。これまで、県内の病院は信州大をはじめ県内外の大学の医局から産科医が交代制で派遣され、不足はなかった。しかし今、どの大学でも要員確保に苦労し、余裕がない状態。信州大医学部産科婦人科教室も「『空白地区』が出ないよう県全体のバランスを考えているが、産科医が増える見込みはなく、すべての要望に応じられないのが実情」としている。
****** 読売新聞、長野、2006年4月15日
医師不足 過酷な勤務実態背景
厚労省によると、2004年時点の全国の医師は約25万7000人、10年前と比べて約16%増えた。ところが、産科または産婦人科に勤務する「産科医」は逆に7%減少し、約1万6000人。県内では、産科医は過去10年間、180人前後で横ばい状態が続いてきたが、県によると、産科施設のうち出産を取り扱う病院や診療所は、2001年の68か所から、05年には54か所に減った。
県産科婦人科医会によれば、県外の大学から県内の病院に派遣される医師の引き揚げや退職がここ数年増え、産科医の派遣数は2年前よりも30人ほど少なくなったという。
産科医不足は全国的な傾向だ。産科医の仕事は過酷で、病院では出産に備えて24時間体制で待機する必要もあり、当直勤務や休日出勤が多い。医療訴訟全体の3割以上が出産がらみということも、なり手が少ない要因になっている。
(2006年4月15日 読売新聞、長野)
****** 読売新聞、長野、2006年4月15日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news002.htm
閉院危機から存続へ 上田市産院
署名短期間で8万人、市側 派遣元の信大に配慮も
発端は2005年8月、信州大学医学部が2人の常勤医師の派遣を06年6月末でやめる方針を市側に伝えたことだった。産科医不足を受け、県内全体の派遣体制を見直し、危険の伴うお産に対応するために小児科や麻酔科を備えた病院に産科医を集めたい、というのが理由だった。
同産院は、1952年に開設された。東御市と長和、坂城両町、青木村を含めた「上田地域」の住民が主に利用し、同地域の新生児の約4人に1人にあたる、年間約450人がここで産声を上げている。
同産院では、〈1〉妊婦の希望に添った出産姿勢の採用〈2〉へその緒がつながったまま新生児を母親が抱く「カンガルーケア」導入〈3〉母乳指導重視――などの方針を掲げ、県内では唯一、国連児童基金などが認定する「赤ちゃんにやさしい病院」にも選ばれた。
医師派遣停止による閉院の危機に、同産院で出産した母親らが存続のための署名活動を開始。20日足らずで約8万人分が集まった。
母親らは「私たちの意思を生かした形でのお産ができるのはここだけです」「産んですぐ『もう1人産みたい』と思えました」などと、市長に直接訴えた。
同市は、こうした声を受けて、信州大学に医師派遣中止の再考を求め、閉院は回避された。
だが、これが他の施設のモデルケースになるかどうかは疑問だ。
派遣継続の見返りとして、同市が信州大に危険な出産に対応する体制の整備を約束したり、派遣中止になった場合に同市が行おうとした産科医公募に、同産院の広瀬健副院長(56)が応じる考えを表明するなど、恵まれた事例が重なった。
お産受け入れを休止している南信地方の病院関係者は「上田市産院は特別だ。住民運動で存続できるわけではない。やむなく我慢しなければならないこともある」と話している。
(2006年4月15日 読売新聞)
****** 読売新聞、長野、2006年4月15日
激務、訴訟・・・ 国は処遇改善を
信州大医学部産科婦人科学教室・小西郁生教授
「ここ数年、産科医を目指す医師の卵が減った。原因は、厳しい仕事と訴訟の多さだ。国は処遇改善に努める必要がある。万が一の時に、医師に過失がなくても患者に一定額を補償する『無過失補償制度』導入も検討してほしい。産科は生命の誕生に携わり、非常にやりがいがある仕事だ。長い目で見れば、産科医は増えるはずだが、今は緊急の対策として、医師の集約化を図るしかない」
****** 読売新聞、長野、2006年4月15日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news003.htm
【記者から】「望むお産」思い切実
「私たちの望むお産ができる産院を残してほしい」――。上田市産院が閉鎖の危機に陥った時、乳児を抱いた母親たちが、涙ながらに訴える姿を目の当たりにした。お産に対する女性の切実な思いを感じた。
全国的な産科医不足は、県、市町村レベルだけでは解決できない。国は対策を急ぐべきだ。だが、現実には、医師が少なくてもお産ができるよう、工夫が必要だろう。病院と開業医が連携して「分業」するのも一つの手かもしれない。
安心で、満足のいくお産が出来るにはどうするべきか、男性も含めてよく考え、実現しなければならない。
(服部牧夫)
****** 参考