ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

医療クライシス:忍び寄る崩壊の足音 現場の危機、待ったなし (毎日新聞)

2007年03月16日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

今、全国的に分娩取り扱い施設が激減しています。

新人の産婦人科医を増やしていく努力も大切ですが、中堅・若手の医師達が疲れ果てて集団で辞めていく現象をまずは何とかしなければなりません。

基幹病院の中堅・若手医師達が辞めないでも済む、ゆとりのある勤務環境を作ることが先決です。基幹病院には、産婦人科医が少なくとも7~8人は常勤している必要があります。(それでも、週に1~2回は当直業務をこなす必要があります。)

その上で、医学生、研修医、若い産婦人科医達を、しっかりと教育し、彼らを一人前の産婦人科医(産婦人科専門医、周産期専門医、婦人科腫瘍専門医、など)に育て上げていく後進育成システムを各地域でしっかりと確立していく必要があります。

誰も地域の産科崩壊を望んではいません。しかし、基幹病院の産科がスタッフ不足により診療縮小に追い込まれ、地域内の産婦人科医の平均年齢が年々上がって、頭数もだんだん減っているようなところでは、非常に近い将来において、地域の産科医療体制が完全に崩壊する可能性があります。

国も県も大学も、今後我々が進むべき道の指針・方向性を示してくれて、多少は間接的に支援してくれるかもしれませんが、決して直接的に救済してくれるわけではありません。それぞれの地域で、地域の力を結集し、自ら道を切り開いていく必要があります。

地域の産科医療を絶滅の危機から守り、十年後、二十年後も持続可能な地域産科医療体制を確立するために、今やらねばならないことを断固として実行してゆかねばなりません。

****** 毎日新聞、2007年3月15日

医療クライシス:忍び寄る崩壊の足音 現場の危機、待ったなし----勤務医ら座談会

 ◇ゆとりのない医師たち

 深刻な医師不足などを報告した本紙の連載「医療クライシス-忍び寄る崩壊の足音」(1月23日-2月3日の朝刊計8回)を受けて、大学教授や病院の勤務医ら5人が、大阪市北区の毎日新聞大阪本社で、医療のあり方について話し合った。医師不足の実態や、ぜい弱な医師の支援体制、医師としてのモチベーション低下など、医療現場の危機的な状況を訴えた。苦境脱却のため、医師やスタッフの数を増やし、医療費の増額を求める意見が相次いだ。司会は砂間裕之・毎日新聞大阪本社科学環境部副部長。主なやり取りを紹介する。【鯨岡秀紀、今西拓人、根本毅、河内敏康】

 ◆木村正氏 大阪大大学院教授(産科学婦人科学)

 ◆高見元敞氏 森之宮クリニック所長

 ◆伊賀幹二氏 伊賀内科・循環器科院長

 ◆山本晴子氏 国立循環器病センター臨床試験室長

 ◆中島伸氏  国立病院機構大阪医療センター脳神経外科医長

 ◇辞めるのは40代中堅/勤務過酷、志続かず

 ----医療現場で起きている崩壊の実態は?

 木村 医局が医師を派遣する関連病院で医師が辞め、いくつかの病院が産科を閉鎖するという事態に陥っている。大阪大の関連病院で04年と05年に五十数人の産科医が辞めた。40代で辞めるケースが相次いでいる。医師は20年たってようやく人を指導できる立場になるのに、その年齢で辞められると代わりがいない。

 山本 どの病院もギリギリの人数。1人いなくなるだけで日常業務がこなせなくなる。最近は、人手が増えないのに、手術件数が増加し、処理しなければいけない書類も多くなっている。雑用が医者に降りかかってきている。看護師も状況は同じで2年で辞める人が多い。病院全体がギスギスしている。

 伊賀 24時間体制で心筋梗塞(こうそく)の患者を受け入れる病院は、連日、寝泊まりしても大丈夫という少数の医師がいるから成り立つ。奈良の病院の循環器内科にいた時、緊急カテーテルは日常茶飯事だった。30代のころは、呼び出されなかったら腹が立ったが、40代になると、一晩泊まったら知的労働ができなくなった。このままではつぶれると思い、47歳で開業した。

 高見 病院の中心になって働いてほしいと思う中堅の医師が辞めていく。理由は「忙しくて自分を見失ってしまう」ということだ。勤務医の給料が安すぎるのも一因だが、高い志やパッション(情熱)が保てなくなっているのが問題だ。かつて3000人だった医学部の卒業生が、今は8000人。それでも医師不足なのは、勤務医が病院を去っていくからだ。

 中島 身近な医療崩壊の例として、けいれん発作を起こした患者が13件も受け入れを断られ、うちの病院に運ばれたという報告があった。片頭痛の妊婦が、20件断られ、運ばれたこともあったという。

 ◇スタッフ不足も原因/自らも意識の変革を

 ----医療崩壊を招いている原因は。

 山本 医局に所属する勤務医は、大学の関連病院を回るが、将来への期待が持てなくなっている。ある時は国立病院、ある時は民間病院。身分が勤務先で変わる。私の場合、常勤医になったのは30歳を過ぎてから。定年まで勤めても大した退職金はもらえない。30代で研究生や非常勤で大学に戻ると健康保険などすべて自前で出費が多い。開業するなら、できるうちにと思う人がいても不思議でない。

 高見 医師が足りないのは、医療の内容が細分化したためだ。医学の進歩と患者の要求で専門化が進み、すべての領域に対応するなら医師数は以前の2倍や3倍では足りない。医師をサポートする医療従事者(コメディカル)の数が圧倒的に少ないのも原因。米国なら部長級でも医療秘書が1、2人いるのに、日本では病院長でさえ専任の秘書はゼロ。医師や看護師が仕事に専念できる環境ではない。また(99年に)横浜で起きた手術患者の取り違え事件では、1人の看護師が同時に二つのベッドを運んでいた。そんな医療環境が、事故を多発させる。

 山本 留学したスイスでは、クラーク(事務員)が日本の倍以上いる。ベッドを専門に運ぶ人もいる。日本の公立病院では、事務職員が役所の中を定期的に異動するため、専門的な知識が身につかないのも問題。患者にとっていい医療をするほど経営が悪くなる構造になっている。

 伊賀 ある医大の非常勤講師をしているが、無給だ。いい医師を育てるには、お金も必要だという認識を持ってほしい。米国の講師クラスから、教授として日本に戻ってきて、給料が5分の1になったと聞く。

 中島 給料の問題だけではない。患者に「よくやってくれた」と言われたら、いくらしんどい思いをしても吹っ飛ぶ。こういう医師の内的動機付けがなくなってきた。「医は仁術」というように、医療人の献身で支えられてきたが、ついに耐え切れなくなったというのが実態だ。

 伊賀 昔は、一生懸命やれば患者、家族から感謝された。最近は不満を言われたり、攻撃を受けることが多い。医師はパッションで生きている。患者、家族から感謝されたい。ネガティブな事を言われると、ひいてしまう。

 ----医療崩壊を食い止めるには、どうしたらいいのか。提言を。

 伊賀 問題は、厚生労働省などの役人が医療の現場を見ずに議論すること。現場を知らないから、とんでもないことを言い出す。現場を見て医療政策を考えるべきだ。

 木村 便利と安全は両立しないと分かってほしい。奈良・大淀病院の転送問題では、分娩(ぶんべん)という最も危険性のあることを医師1人でしていた。他の先進国とは異なる体制だ。

 日本は中小の産院が林立して便利だったが、母体死亡率も高かった。これを、搬送システムの確立と現場の医師の必死の努力で下げてきたが、人的資源も努力も、限界に達した。

 高見 医師しかできないこと以外の仕事が多すぎて、医師は燃え尽きる。日本の医療はこれまで、医師の頑張りで何とか成り立ってきた。医療の崩壊を防ぐには、いま医療を支えている働き盛りの勤務医が病院を離れていかない工夫をすることだ。医師にもう少し、ゆとりを与えなければだめだ。また、国が真剣に医者を育てようとしていないことも問題だ。本気で医師を育てるなら、現在の10倍の予算が必要だろう。

 木村 病院が多いため医師が分散し、しんどくなって辞めていく。二つの自治体病院を一つにしたら、医師が倍になり当直も回ると説明しても、話はまとまらない。

 中島 医師の数が少ないというのは本当か、と思う。医師にしかできない仕事以外にも、多くのいろんな仕事をしている。医師が本来すべき仕事に絞れば、数は足りているのではないか。

 また、もっと仕事を楽しめるようにし、さらに社会に訴えるなど、自分たちが変えていく努力をするべきだろう。

(毎日新聞、2007年3月15日)