コメント(私見):
産科の場合、どの妊婦さんでも、妊娠や分娩の経過中にかなりの確率で異変が突発する可能性があり、24時間いつでも緊急事態に適切に対応できる体制を維持する必要があります。異変はいつ誰に起こるのか全く予測できませんから、産科業務を少ない人員で回そうとすれば、スタッフの負担は非常に大きくなります。劣悪な労働環境のまま放置すれば、必死で頑張ってきた産婦人科医たちも、いつか耐え切れずに医療現場から静かに立ち去っていくことでしょう。
今、多くの地域中核病院の産科が破綻し、分娩の取り扱いや急変患者の受け入れを休止しています。分娩経過中に何か異変が起こる度に、大あわてで搬送先を探して、救急車で患者を送り出すというような体制の分娩施設では、急変患者の受け入れ先がだんだん見つかりにくくなっています。
地域内の産婦人科医たちが燃え尽きて全員いなくなってしまってからでは、今後どこからも産婦人科医は補充されず、もはやどうすることもできません。手遅れとなる前に、地域の少ない医療資源を有効活用し、地域で協力して分娩体制を維持していく必要があります。
しかし、地域の協力体制で、産科崩壊の危機を何とかギリギリしのげたとしても、それはあくまで一時的な緊急避難措置にしか過ぎません。産婦人科医や助産師を地域で養成し、地道にその数を増やしていかない限り、地域の分娩体制を長期的に維持することは困難です。
****** 読売新聞、2007年4月30日
医の現場 疲弊する勤務医
(1)「医師逮捕」心キレた
ミスの不安と激務 女医辞める
「精いっぱいやっても患者が亡くなれば逮捕。これではやっていけません」
昨年夏、公立病院に勤務していた一人の女性産婦人科医(42)が、そんな理由で医療現場を去った。月6回の当直日は翌日夕まで32時間の連続勤務。仕事の合間にコンビニエンスストアのおにぎりをかじり、睡眠不足のまま手術することも。たまの休日でも呼び出しがかかる。スタッフ削減などで仕事は増える一方だ。
体力の限界。この生活がいつまで続くのかという不安。燃え尽きる直前の女医に、白衣を脱ぐ決断をさせたのが福島県で起きた「大野病院事件」だった。
大野病院事件 2004年12月、福島県大熊町の県立大野病院で、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が失血死した。同県警は昨年2月、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の容疑で産婦人科医(39)を逮捕。その後、起訴された医師は無罪を主張している。
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「逮捕・起訴の時に殺到した医療関係者からの抗議のメールや投書が1年以上たった今も続いている。こんなことは初めてだ」。福島地検の幹部はそう明かす。
福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、医師が逮捕・起訴された事件は、医学界に空前の反発を巻き起こした。昨年2月の逮捕以降、捜査を遺憾とする陳情書の署名が、全国の病院勤務医を中心に1万2000人にも及んだ。
「病院の産婦人科を支えるたった一人の医師をこんなふうにつぶしてしまえば、地域医療は崩壊する」。医学会や医師たちの会合、医師個人のブログで、そんな声があふれる。「医療に刑事罰はなじまない」とも。欧米では、捜査当局ではなく、第三者機関が原因を調べる方法が一般的なのに……。そんな考えが背景にある。
今月27日、福島地裁で開かれた医師の第4回公判。「癒着胎盤の処置で過失があった」とする検察と、「できる限りの施術を尽くした」とする被告の主張は真っ向から対立したままだ。
警察庁によると、医療事故で、医師が業務上過失致死容疑で逮捕されたのは大野病院事件が4件目。最初は1988年、鹿児島県で研修医が造影剤を脊髄(せきずい)に誤注射して患者を死亡させた事件だったが、当時、この逮捕は注目されなかった。
分岐点は、1999年の横浜市大病院の患者取り違え事故。逮捕はなかったが、医療不信が燎原(りょうげん)の火のように広がった。その後も医師が腹腔(ふくくう)鏡手術で60歳患者を死亡させた慈恵医大青戸病院の事件(2003年)など、医師逮捕が続く。だが、過酷な労働実態の問題は棚上げされ、むしろ悪化した。医師の反発は今、臨界点に達した感がある。
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今年2月、妊娠10か月の母親が東京都内の病院に担ぎ込まれた。異常妊娠で男児は死亡していたが、産婦人科医(35)は母親の命を守るため陣痛促進剤を使い、出産を支えた。「助けるよ。心配しないで」。十数時間の格闘で、医師は母親を励まし続けた。
翌日、両親は男児の病理解剖を望んだ。「原因が分かれば他の赤ちゃんが救われる。でも顔は傷つけないで」
が、その後の病院の対応が両親との信頼関係を壊す。大野病院事件の医師は異状死体の届け出義務違反でも立件されたが、この二の舞いを恐れた病院側が警察に連絡したのだ。警察官の姿を見た父親が叫んだ。「なぜ警察を呼ぶの?(司法解剖で)顔も切るの? 僕の赤ちゃんだよ」
4か月以上の胎児は異状死の届け出対象になりえるが、その判断基準はあいまいなまま。この時は司法解剖は見送られたが、両親には病院への不信感が残った。格闘の末、母親の命を救った産婦人科医は月に8回以上の当直をこなしていた。彼は悔しそうに話す。「患者さんからの『ありがとう』の一言さえあればやっていけるのに。今はその関係さえ揺らいでいる」
大野病院事件のショックで産婦人科医を辞めた女性は今、化学会社の専門職として働く。「改善の取り組みがなければ、踏みとどまっている元同僚たちも、遠からずいなくなります」
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勤務医の劣悪な労働環境をどうするのか。厚生労働省は、患者の流れを整理し、病院の負担を軽くする「総合科」創設構想をまとめたが、医の現場では、医師不足に医療事故への不安が重なり、崩壊寸前の所もある。勤務医の現状を追う。
(2007年4月30日 読売新聞)