ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

カンガルーケアで安全指針

2009年06月02日 | 周産期医学

カンガルーケア(赤ちゃんを母親の乳房と乳房の間に抱いて、裸の皮膚と皮膚を接触させながら保育する方法)は、1970年代に南米コロンビアで低出生体重児に対する保育器不足対策として開始されました。1980年代より欧米で、日本でも1990年代より新生児集中治療室(NICU)の中で行われるようになりました。最近は規模の大きな病院のほか、産科のクリニックなどにも急速に広がっています。カンガルーケアのメリットとしては、母乳の分泌が促進されたり赤ちゃんの不安が和らいだりして、母子の絆を深める効果があるとされています。しかし、出生直後のカンガルーケアにより、児の死亡や重大な脳の障害が残るなどの深刻なトラブルも起こっていることが報道されています。

このため、カンガルーケアを安全に実施するためのガイドラインが、「カンガルーケア・ガイドライン ワーキンググループ」によってまとめられました。ガイドラインでは、児にモニターをつけて血液中の酸素濃度や脈拍数を監視することや、経験を積んだ医師や助産師などが立ち会うことなど、十分な安全対策が求められています。

****** NHKニュース、2009年5月30日

カンガルーケアで安全指針

生まれたばかりの赤ちゃんを母親の胸に抱かせる「カンガルーケア」というスキンシップをしているときに、容態の急変に気づくのが遅れて赤ちゃんが死亡するなどの深刻なトラブルを防止するため、カンガルーケアを行う際は赤ちゃんの呼吸の状態などを監視する安全対策が必要だとするガイドラインがまとめられました。

このガイドラインは小児科や産科の専門医や助産師などでつくるグループが作成したもので、30日に那覇市で開かれた講演会で公表されました。

「カンガルーケア」は、生まれたばかりの赤ちゃんを裸のまま母親の素肌の胸に抱かせていっしょに過ごすスキンシップで、母乳の分泌が促進されたり赤ちゃんの不安が和らいだりして、母子のきずなを深める効果があるとされています。

最近は規模の大きな病院のほか、産科のクリニックなどにも広がっていますが、母親と赤ちゃんだけになって容態が急変していることに気づくのが遅れて、赤ちゃんが死亡したり脳に重い障害が残ったりする深刻なトラブルも起きています。

このためガイドラインでは、赤ちゃんにモニターをつけて血液中の酸素濃度や脈拍数を監視するとともに、経験を積んだ医師や助産師などが立ち会って安全を確保することなどを求めています。

(以下略)

(NHKニュース、2009年5月30日)

日本産婦人科医会報、平成19年、第59巻01月号、No.682:p12-13  

カンガルーケアの留意点

正常産児生後早期の母子接触(通称:カンガルーケア)中に心肺蘇生を必要とした症例

長野県立こども病院
総合周産期母子医療センター長
新生児科部長 中村友彦

問 カンガルーケアとは

 Kangaroo care は、1970年代に南米コロンビアで、低出生体重児に対する慢性的な保育器不足に対して開始され、1980年代より欧米で、低出生体重児に対する「愛とぬくもりと母乳」を期待して新生児医療施設で実施、評価されました(Kangaroo Mothers Care Program)。
 さらにUnicef/WHO の後援のもとに発展途上国に広がり、日本でも1990年代より低出生体重児に対してNICU の中で行われるようになり、本医会報でも平成13年3月号に、聖マリアンナ医科大学の堀内勁教授(現日本周産期新生児医学会理事長)が解説されています。日本でもカンガルーケア研究会が発足し、国際的にもカンガルーケア国際ネットワークが国際ワークショップを定期的に開催しているようです。

問 正常産児の生後早期の母子接触とは

 哺乳類の動物は、出生後一度母親から離されると正常な母子関係が築けないことはよく知られています。人間の正常産児でも出生後母子を分離しないことによって、良好な母子関係が構築できるのではないかと考えられ、1990年代より正常産での生後早期の母子接触の有効性の報告が出始め、この行為はEarly skin-to-skin contact:Kangaroo care と呼ばれるようになりました。前述の早産児に対するKangaroo Mothers Care Program が、医療行為の一貫として考えられているのに対して、同じKangaroo care と呼ばれていますが、Early skin-to-skin contact:Kangaroo care は、分娩後のより良い母子関係を築き、母乳哺育を進めるための文化的、生活習慣上の行動として推奨されています。開始するのは多くの文献が生後約10分後より、施行時間は15分から48時間までと様々のようです。この生後早期の母子接触中に初回の母乳哺育が試みられています。

問  正常産児の生後早期の母子接触の有効性と安全性について

  2003年のCochrane review では、17の文献、総数806組の母子で正常産児の生後早期の母子接触の有効性について検討しています。生後早期の母子接触は、有意に1~3カ月の母乳哺育率を向上させ、母乳哺育の期間を延長し、生後1時間後、または生後1.5時間の間の児の啼泣回数が少なくなると報告しています。
  しかし、生後早期の母子接触によって、その後の良い母児関係が築かれるかどうかについては評価するのが難しいとしています。早産児関連では、ほとんどの文献が未熟児無呼吸発作の頻度は変化ないか、減少していると報告しており、短期、長期的な副作用については報告されていません。安全性については、早産児、成熟児ともに系統的な検討は報告されていません。

問  我が国の現状は

  毎年2月に、長野で開催している新生児呼吸療法モニタリングフォーラムでは、全国の新生児医療に関わる医師、看護師、企業が集まって様々な新生児に関するモニタリングについて検討しております。本年行われた第8回フォーラム(平成18年2月15~17日、大町)で、前述のカンガルーケア研究会に参加する184施設に「正常産児のカンガルーケア」に関するアンケートを行い、118施設(64%)から返答をいただきました。
  回答をいただいた施設の80%が認可されたNICUのある病院で、一般診療所は含まれておりませんので、我が国の現状と言うには偏りがあるかもしれませんが、115施設(97%)で「正常産児のカンガルーケア」が行われており、36施設(31%)で全員の児に行っており、施行する適否の判断基準を定めている施設は66施設(56%)でした。臍帯切断直後より開始するのが26施設(22%)、初期処置後から開始するのが61施設(52%)でした。施行時間は5分以内が26施設(22%)と最も多く、次いで1時間以上が21施設(18%)でした。112施設(88%)がモニターを装着しておらず、看護師または助産師が観察しているとの結果でした。

問  カンガルーケア中に心肺蘇生を必要とした正常産児の症例とは

  最近私の施設で、産科診療所にて正常分娩で出生し生後早期のカンガルーケア中に心肺蘇生を必要とした症例を経験しましたので報告します。

症例1:
在胎40週3日、出生体重3,036 、経腟分娩にて出生。助産師が付き添いながら出生直後より母親の胸でカンガルーケアをし、出生50分後より乳頭からの授乳を開始しました。生後70分助産師が児の観察を行ったところ全身蒼白、筋緊張低下、心拍数50回/分であったため直ちに助産師がマスクアンドバックで心肺蘇生の初期対応を行うと同時に、産婦人科医師を呼んでさらなる心肺蘇生が行われ、20分後に自発呼吸が見られるようになり、当院に搬送依頼入院となりました。入院後全身強直性痙攣がみられましたが、脳波、頭部MRI、ABR に異常なく、日齢15に退院しました。

症例2:
在胎38週4日、出生体重2,950 、経腟分娩にて出生。助産師が付き添いながら出生直後より母親の胸でカンガルーケアを開始したところ約5分後に全身チアノーゼが出現、心拍数80回/分、直ちに助産師がマスクアンドバックで心肺蘇生の初期対応を行うと同時に、産婦人科医師を呼んでさらなる心肺蘇生が行われ、多呼吸が持続するため、当院に搬送依頼入院となりました。一過性多呼吸のため4日間陽圧換気療法を行いましたが、脳波、頭部MRI、ABR 検査に異常なく、日齢13に退院しました。本症例は、本年の長野県産婦人科医会で症例報告し、現在米国誌に投稿する準備をしています。

  いずれの症例も、発見が早く、かつ蘇生が適切であったので、大事にはいたりませんでしたが、非常に危険な状態でありました。私が調べた限りでは、正常産児のカンガルーケア中の心肺蘇生を必要な危険な状態に陥ったとの文献的報告はありません。しかし、我が国の新生児医療施設では、私どもが経験した症例に似た状態の児を経験していることが知られており、現在我が国の新生児医療施設170カ所が参加している、新生児医療連絡会で、新生児医療施設に入院となった「正常産児のカンガルーケア中に急変した症例」について、調査検討する予定です。

問  Systematic review ならびに我が国の現状から推測する正常産児の生後早期のカンガルーケアに関する問題点は

  胎内生活から胎外生活に呼吸循環状態がダイナミックに移行する出生後早期は、呼吸循環状態が不安定なため、危機的状況となる可能性は高い時期であると考えられていますが、正常産児の生後早期のカンガルーケアに関する文献では、その安全性についてはほとんど議論されていません。
  また、我が国の現状では、正常産児でカンガルーケアを行うか否かの選択基準、判断する時期が不明確です。新生児医療従事者は、早産児のKangaroo Mothers Care Program は治療の一貫で、その安全性の責任は医療者側にあることを認識していると思われますが、母子関係の確立に望ましいと考えられ、文化的、生活習慣上の行為であると思われる正常産児のEarly skin-to-skin contact:Kangaroo care 中の安全性の責任は、医療者側なのか母親なのかが不明確と思われます。

問  正常産児の生後早期のカンガルーケアに関する今後の課題は

  正常産児の生後早期のカンガルーケアについては、以下の3点について検討する必要があるのではないかと思います。
1.適応(または不適応)症例の判断、その判断方法と時期
2.安全性について責任の所在の明確化
3.子供の異変に気づいた母親・家族、医療従事者がすぐに対応できる体制

おわりに

  我が国には、今まで系統的な新生児蘇生の研修・研究プログラムがなく、蘇生に使用する物品、使用法、蘇生方法も標準化されたものがありませんでした。平成16年度より厚生労働省子ども家庭総合研究事業「アウトカムを指標とし、ベンチマーク手法を用いた質の高いケアを提供する周産期母子医療センターネットワークの構築に関する研究」(主任研究者:藤村正哲)の分担研究「小児科・一般産科医・助産師・看護師向けの新生児心肺蘇生法の研修プログラムの作成と研修システムの構築とその効果に関する研究」(分担研究者:田村正徳)で、米国小児科学会のNeonatal resuscitation program を参考に日本における新生児蘇生の標準化を検討しています。
  私もその研究協力者として、長野県では周産期医療従事者に月に一度、新生児蘇生講習会を地域周産期センターで開催しております。今回症例報告した一般産科診療所の医療従事者は、いずれもこの講習会に積極的に参加している施設でした。
  我が国において「正常分娩」の分娩室での母子ケアについては、科学的根拠に基づく標準的な方法がないと思われます。母乳育児、母子関係の確立に有効性が期待される生後早期のカンガルーケアについて様々な側面から検討することが、分娩後の母子ケアを向上させる良い機会となるのではないかと思い、話題提供させていただきました。

(日本産婦人科医会報、平成19年、第59巻01月号、No.682:p12-13)