私は子供の頃、夏休みになってもあんまりどこにも連れて行ってもらわなかったので、おじいちゃんの家に行くくらいが最大のお楽しみでした。
おじいちゃんの家には、母の兄夫婦がいて、私よりいくつか年上のいとこもいるのですが、お互い無口であまり話した記憶がありません。
でも家族揃って、そのおじいちゃんの住む街、母の実家へ出掛ける時の高揚感は、今思い出しても懐かしくて幸せな気がします。
そこで、何より楽しみだったのが、犬の存在。
祖父の家では常に犬が飼われていて、小さい頃から犬が欲しくてたまらなかった私は、まるで夢見るような心地でその鎖に繋がれた犬をそっと撫でるのです。
私の小学校3年生の時の夏の思い出、一番楽しかった出来事は、犬との散歩でした。祖父と私と弟と犬で連れ立って、何キロも歩きます。相模川にでて、養豚場に出て、あの頃は、夏もまだまだ普通の夏でした。じっとり汗ばんで歩き疲れた私たちは、おばさんの作った夕食を囲みます。母以外のまた別の家庭の味。
先日、そんな祖父の一周忌に母と向かいました。
祖父が犬と散歩中に転んで骨を折って以来、10年以上飼っていなかった犬を再び飼い始めたと聞き、会ってみたくて仕方なかった私。
コーギー犬のコロ(この単純な名前はたぶんいとこの5歳になる子供がつけたのでしょう)は人懐っこく、狐みたいな顔をしています。
早速、喪服の上にコートを羽織って散歩しました。
十年以上ぶりの犬との散歩。コロは、終始地面に鼻をくっつけて匂いを嗅ぎまわり、なかなか前に進みません。テニスボールを投げると転がるように駆けていき、ご褒美を待ってお座りをします。工事現場にも興味深々らしく、何がわかるのか、耳をピンとして覗き込んでいました。
私は犬といることに慣れていない為、つい猫にするように話しかけてしまいます。
たとえば、語尾に「ニャー」をつけたり。(←これじゃまるで猫ヒロシですね)
最後にコロに別れを告げるところで、ふとまた懐かしい気持ちに襲われました。
おじさんの運転する車に家族4人乗り込み、私は別れがつらくて鎖をピンと張り、こっちをジーっと見つめ続ける犬を涙の滲んだ目でいつまでもいつまでも身体を捩って振り返り続けるのです。車はすぐに大通りに出て、私が諦めて姿勢を元に戻す頃にはまた、退屈な夏休みの続き。ラジオ体操や、近所の公園。たまに碑文谷ダイエーへお買い物。
だけど、その年の夏休みの一番楽しかった記憶として、永遠に私の心の中に刻み続けられるのです。
おじいちゃんの家には、母の兄夫婦がいて、私よりいくつか年上のいとこもいるのですが、お互い無口であまり話した記憶がありません。
でも家族揃って、そのおじいちゃんの住む街、母の実家へ出掛ける時の高揚感は、今思い出しても懐かしくて幸せな気がします。
そこで、何より楽しみだったのが、犬の存在。
祖父の家では常に犬が飼われていて、小さい頃から犬が欲しくてたまらなかった私は、まるで夢見るような心地でその鎖に繋がれた犬をそっと撫でるのです。
私の小学校3年生の時の夏の思い出、一番楽しかった出来事は、犬との散歩でした。祖父と私と弟と犬で連れ立って、何キロも歩きます。相模川にでて、養豚場に出て、あの頃は、夏もまだまだ普通の夏でした。じっとり汗ばんで歩き疲れた私たちは、おばさんの作った夕食を囲みます。母以外のまた別の家庭の味。
先日、そんな祖父の一周忌に母と向かいました。
祖父が犬と散歩中に転んで骨を折って以来、10年以上飼っていなかった犬を再び飼い始めたと聞き、会ってみたくて仕方なかった私。
コーギー犬のコロ(この単純な名前はたぶんいとこの5歳になる子供がつけたのでしょう)は人懐っこく、狐みたいな顔をしています。
早速、喪服の上にコートを羽織って散歩しました。
十年以上ぶりの犬との散歩。コロは、終始地面に鼻をくっつけて匂いを嗅ぎまわり、なかなか前に進みません。テニスボールを投げると転がるように駆けていき、ご褒美を待ってお座りをします。工事現場にも興味深々らしく、何がわかるのか、耳をピンとして覗き込んでいました。
私は犬といることに慣れていない為、つい猫にするように話しかけてしまいます。
たとえば、語尾に「ニャー」をつけたり。(←これじゃまるで猫ヒロシですね)
最後にコロに別れを告げるところで、ふとまた懐かしい気持ちに襲われました。
おじさんの運転する車に家族4人乗り込み、私は別れがつらくて鎖をピンと張り、こっちをジーっと見つめ続ける犬を涙の滲んだ目でいつまでもいつまでも身体を捩って振り返り続けるのです。車はすぐに大通りに出て、私が諦めて姿勢を元に戻す頃にはまた、退屈な夏休みの続き。ラジオ体操や、近所の公園。たまに碑文谷ダイエーへお買い物。
だけど、その年の夏休みの一番楽しかった記憶として、永遠に私の心の中に刻み続けられるのです。