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この平穏退屈な日々にもそれなりに感動って在るもの。

分断された世界で

2024-07-03 19:52:37 | わたし的育児日記
娘の中学で絶賛PTA副会長をやっている。なんとなく、流れるままに引き受けてしまったが、これが楽しい。とても楽しい。こんなことなら、子供の頃、生徒会にでも入っとけばよかった、と思うけど、あの頃の自分にはそんなこと考えられない。何事もやってみないとわからないものだ。全ては、息子が無事高校生になって、転職した仕事も落ち着いて、そんなタイミングで娘が中学に上がったものだから、重い腰も軽々と上がったというものだ。

なってみると、これまでは出席しようとも思わなかった色々な会がある。
最近参加したのは、地域の人、地域の小学校長、もちろん自分の中学校長、中学生の親たち、とどうしたら、もっと子供にいい環境が作れるか、みたいなことを自由に話し合う場だった。何グループかに分かれてグループディスカッション。
私の参加したグループには、情緒クラスに子供を通わせ始めた中学1年生のお母さんがいて、情緒クラスは、3年前くらいに新設されたクラスで、不登校の子だったりを中心に受け入れているが、各学年、五人にも満たない。不登校の子もいたりするので、広い教室にたった一人だったりする時も多々あるようだ。そのお母さんのお子さん(男の子)は、小学校の時は普通の小学校に通っていたが、身体的ハンデがあるので、熟慮の末、実家を離れて祖父母の家から通えるこの学校を選んで入学したという。どんな中学生活になるんだろうと期待と不安の中、部活に入ることも楽しみにしていたというのだが、結局、その子は部活には入れなかった。情緒クラスの生徒である自分が、普通クラスの子たちがいる部活にポンっと入る空気感があまりに異質で重いと本人が肌で感じたためだった。



最高の運動会だった。よく晴れて、子供たちはクラス毎に競い、一致団結を深めていた。
来賓の受付をしていた私は、この裏門に運動会に参加した方がいいとは分かっていても、どうにも気が重い、そんな生徒たちが、やっとの思いで(時には親に連れられて)入ってくる様を目の当たりにした。参加したいのに参加できない、不甲斐ないと感じているのか泣いている子もいた。ひどく切なかった。表を見ると、みんなはしゃいで楽しそうな子ばかり。走るのが速ければそれだけでヒーローだ。
クラス毎に座って必死に前を見て応援している。その後ろに、情緒クラスの子たちがぽつりぽつりと座っているのだ。どうなんだろう、と思った。あの子たちは、紅白、どっちの組に入っているの?そこから見る景色はどうなんだろう。そんなことが引っ掛かってしょうがなかった。

私が不登校児なら、絶対参加したくない行事No.1は運動会だ。


この前読んだばかりの清水潔さんの本に、「小さな声を聴こう、小さな声にこそ耳を傾けよう」とあった。果たして、その小さな声を私たちは聴けているのかな?こんなクラスを新設しましたって大義名分ばかりを前面に押し出して、一番困っている当事者たちの声に丁寧に答えられているのかな?

私が小学生の頃は、ダウン症の子も同じクラスにいて、みんな何を言われなくても自然に手助けしていた。それで当たり前の光景だった。

今は迷惑がかかるからって、そういう子たちは一体どこにいったの?
本当に、みんな違ってみんないいんだよね?多種多様な世界に、なってきているのかな?

私には、より分断を深めているとしか思えない。
まだまだ戦いは続くのだ。




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