16歳の頃、三島由紀夫の「花ざかりの森」を読みました。
偶然ではありますが、この「花ざかりの森」は三島由紀夫が16歳の頃に書いたものだと記憶しています。
私は、短編小説を読んだときにふと、「いつか私も自分の幼い頃に経験したことを書き綴る機会を得るだろう」という思いが頭によぎったのです。
その機会が訪れたら、必ずこの「花ざかりの森」の一節、「憧れとは川のようなものである」を引用しよう、と心に決めていました。
そのころ、インターネットなどという便利なものはなく、ラジオを聞き、好きな音楽を聴き、本を読み、想像を巡らせて自分の好きな世界を楽しんでいました。
こんなに簡単に自分の想いを綴り、不特定多数の人々に発信するなどという時代になるとは思ってもみませんでした。
この「憧れとは川のようなものである」というくだりが、未熟ではあっても、それなりに色々な経験を積み、子育てと共にカリタス カウンセリングの学びに出合った私にピタリと繋がったのです。
日々起る出来事、そして、朝目が覚めてから眠りにつくまでの時間、私たちは様々な感情で暮らしています。毎日同じ太陽を見ても、空を見ても昨日とは違った心の風景に出合います。
私が見ている川は、数分前に見た川とは違うのです。川という風景は同じでも流れている水は違う。。。その上、気分だけでなく、解釈によっても違ってくるのです。
川は身体。
流れる水は、感情。
他人の心は変えられませんが、自分はいかようにもなります。これは、そのことに気付いた人にだけ与えられる贈り物のように思います。
五感を磨き、身体で感じる本音の体感を大切にしながら、益々学びを深めてゆきたいと思います。
このブログを読んでくださる方々、そして講座で 長年学びを共にしているメンバー、そして四月から新しく加わるメンバーの方々と一層学び深めることができたら幸いです。
この繋がりを大切に、もっともっと心の風景を顕わにしていきたいものです。
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偶然ではありますが、この「花ざかりの森」は三島由紀夫が16歳の頃に書いたものだと記憶しています。
私は、短編小説を読んだときにふと、「いつか私も自分の幼い頃に経験したことを書き綴る機会を得るだろう」という思いが頭によぎったのです。
その機会が訪れたら、必ずこの「花ざかりの森」の一節、「憧れとは川のようなものである」を引用しよう、と心に決めていました。
そのころ、インターネットなどという便利なものはなく、ラジオを聞き、好きな音楽を聴き、本を読み、想像を巡らせて自分の好きな世界を楽しんでいました。
こんなに簡単に自分の想いを綴り、不特定多数の人々に発信するなどという時代になるとは思ってもみませんでした。
この「憧れとは川のようなものである」というくだりが、未熟ではあっても、それなりに色々な経験を積み、子育てと共にカリタス カウンセリングの学びに出合った私にピタリと繋がったのです。
日々起る出来事、そして、朝目が覚めてから眠りにつくまでの時間、私たちは様々な感情で暮らしています。毎日同じ太陽を見ても、空を見ても昨日とは違った心の風景に出合います。
私が見ている川は、数分前に見た川とは違うのです。川という風景は同じでも流れている水は違う。。。その上、気分だけでなく、解釈によっても違ってくるのです。
川は身体。
流れる水は、感情。
他人の心は変えられませんが、自分はいかようにもなります。これは、そのことに気付いた人にだけ与えられる贈り物のように思います。
五感を磨き、身体で感じる本音の体感を大切にしながら、益々学びを深めてゆきたいと思います。
このブログを読んでくださる方々、そして講座で 長年学びを共にしているメンバー、そして四月から新しく加わるメンバーの方々と一層学び深めることができたら幸いです。
この繋がりを大切に、もっともっと心の風景を顕わにしていきたいものです。
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