五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

アウトサイダーアート

2008年07月17日 | 第2章 五感と体感
松下電工 汐留ミュージアムに行ってきました。

昨日はアボリジニのアーティストの作品に魂そのものを感じ、本日も興味深い展覧会に行ってきました。

ある個性をもった人々のアート。

ボーダーレスアートとも云うのだそうです。そもそもスタイルに名称をつけることに意味はないとは思いますが、区別しないもの、境のないものということを考えると、アウトサイダーよりもボーダーレスのほうが腑に落ちるかもしれません。

量子や分子の集まりによる成り立ち。

一つのことに執着し出すと、それを無限に描きたくなったり、漢字という形に興味を示すことで、まるで原子記号のように「漢字」という記号を細かく描いたり、言語表現には興味はないが、言語を図象に置き換えて描いたり、実際に上から見たかのように街の風景を描いたり、ひたすら電車の正面だけを小さく並べて描いてみたり。。。

昨日のエミリーの絵画も同じく、内在する生命の原風景を思い起こすような、不思議な感覚が絵から湧き上がってくるのです。

心地よいものもあれば、見ているうちに気持ち悪くなる作品もあります。

統合失調症を公言している世界的に有名な草間弥生さんの作品も、鑑賞しているうちに心地よくなるものもあれば、悪くなるものがあります。

それは、「開放性と閉塞性」の違いかもしれない、と昨日、今日の美術館巡りで感じました。

枠の中に収めるために意識している作品と、枠を意識せずに無限大へ延長を期待できる作品が、同じような作風であっても、観る者にも感じ取ることができるようです。

感じ取る体感は、五感の集積。

もう少し、感じ取る訓練を積んでいきたいな、と思います。

アウトサイダーアートもしくはボーダーレスアートは、美術界の領域から離されていることを初めて知りました。
何故でしょう。

福祉と美術がなぜ共存できないのか?
もっともっとボーダーレスにできないものか?

作品のウンチク抜きに、湧き出す感情を語り合う、鑑賞者中心の絵画鑑賞療法が、美術館の展示室で囚われなくできる日がいつかきますように。

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アボリジニの見神欲

2008年07月17日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
エミリー ウングワレー展
7月28日ま・国立新美術館にて

かなり期待して行きました。
そして、久しぶりに期待に応えてくれた展覧会を観ました。

「人が描く」行為、というのは、魂の情動だと常々思います。

自己の魂を顕わにし、それを自分の表現にどう表すか。
難しい言い方かもしれませんが、簡単にいえば、「湧き出す情動」は、誰にも止めることはできません、ということでしょうか・・・

生きる「しるし」を表層の世界に表すことは、現在、芸術という言葉で区切られてしまっていますが、本来、区切るべきものではないと考えています。

区切りは無いのです。人が勝手に区切っただけの話。

顕わにしたい魂の情動を、規則的に表現したくなった時に、表現のためのルールをつくり、そこに音楽とか美術という区別ができ、それぞれの分野でさらにルールができ、技術をもち、工芸的になっていくのが、知性ある人間の技であるとも云えます。

でも、時々、そんな概念を吹き飛ばしてしまう表現者が現われてくることも事実ですし、その表現を商業にしたいと行動する人間が出てくることもよくある話です。

「ベルリンの壁」以前の20数年前、ニューヨークで出会ったドイツ人の現代美術家・キーファー氏のアトリエで衝撃を受けたことが私が絵を描くのをすんなりやめたきっかけとなりました。
彼の持つ激しい闘志と平穏でありたい心の葛藤がコールタールという材料で画面いっぱいに表現され、その表現力に打ちのめされたと同時に、描くことの意味が瞬時に私の内在していた想いと一致したのです。

エミリーの絵は、その時の私の体感を包み込んでくれるようなものでした。
大地の母は、普遍的で、アボリジニという民族を超越した魂の融合を得たように感じました。
描くエミリーは、誰よりも表現力のある人かもしれません。もしかしたらシャーマンかもしれません。でも、そんなことはどうでもよく、湧き上がる情動が彼女の手を動かしているに過ぎないことを目の当たりにしたときに、人の持っているといわれている「見神欲」という言葉が私の頭に浮かんできました。

人は見えないものを見、そこに普遍性を見出し、真善美を求めていく。
感謝と喜びは、普遍性の中に留まり、それを巡って螺旋状に天に昇っていくのだと
確信しつつも、いつもそのことを確認したい自分がいるのです。

エミリーの描いたしるしは、私たち人間の代弁者であるといっても過言ではないと思いました。

時満ちて出合うものとは、このことかもしれません。

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