プロボクシングの元日本、東洋(OBF、現OPBF(東洋太平洋)の前身)フライ級王者で、引退後はボクシング評論家、解説者として長きに渡り活躍した矢尾板 貞雄氏(国光)が先月13日にお亡くなりになりました(享年86歳)。心よりご冥福をお祈りいたします。
(日本ボクシング史の偉人 矢尾板 貞雄)
私(Corleone)は、日本ボクシング史の偉人について、それほど知識はありません。しかし同氏の戦績を紐解いてみると、とてつもない選手だった事が否応なしに分かります。ライバル視された米倉 健志(日興)は日本フライ級、OBFバンタム級王座を獲得し、「槍のヨネクラ」と言われた名選手。引退後はヨネクラジムを開設し、柴田 国明、ガッツ 石松、中島 成雄、大橋 秀行(現大橋ジム会長)、川島 郭志の5人の世界王者と、数々の日本、OPBF王者を育てた名伯楽でした。日本、東洋の枠を超え、世界でも活躍したレオ エスピノサ(比)、「リング際の魔術師」と言われたジョー(ホセ)メデル(メキシコ)、世界王者になる直前の「黄金のバンタム」エデル ジョフレ(ブラジル)、そしていまだにフライ級最強と言われるパスカル ペレス(亜)とは2度も対戦。拳を交えた選手たちが凄すぎます。
1959年11月5日、大阪でペレスの保持する世界フライ級王座に挑戦した試合では、テレビ視聴率が現在とは違うとはいえ、何と92.3パーセントという漫画の世界のような数字を出しています。1962年秋に、ペレスを破り世界フライ級王座に君臨していたポーン キングピッチ(タイ)の挑戦を控えていた矢尾板。しかし試合開催発表の直後、矢尾板は突然の現役からの引退を発表してしまいました。原因は中村 信一会長との決定的な心の乖離と言われています。名伯楽と謡われた中村氏ですが、日常的に言葉の暴力や体罰が絶えなかったとか。また、酒癖も悪かったそうです。現在はもちろん、当時でもこういう人間を、どんな世界であれ指導者置くべきではないでしょう。ファン、そして日本国民としては矢尾板を世界の晴れ舞台でもう一度見たかったですが、こればかりはどうしようもありません。
引退後はリングの外からボクシング界を支え続けた矢尾板氏。「リングの兵法者」とまで言われた技師は、特にそのフットワークが「日本ボクシング史上最高」とまでいわれました。終身戦績は54勝(7KO)11敗2引き分け15エキシビションマッチ。1950年代の中盤から1962年の前半、白井 義男(シライ)とファイティング 原田(笹崎)の間の時代を牽引した矢尾板。世間一般からもっと知られ、評価されるべき方でしょう。