DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

「黄金のバンタム」

2022年10月12日 05時45分10秒 | ボクシングネタ、その他雑談

「黄金のバンタム」(ガロ デ オロ/Galinho de Ouro)という異名を持ち、その名の通り世界バンタム級、そしてそのキャリアの後半にWBCフェザー級王座を獲得したエデル ジョフレ氏が今月2日にお亡くなりになりました(享年86歳)。心よりご冥福をお祈りいたします。

(強くて凛々しかったジョフレ。)

ジョフレは、ブラジルというボクシングとは縁の薄い国から登場したボクシング史に残る名選手で、今でもバンタム級史上最強と呼ばれています。2019年に国際ボクシング研究機関によると、ジョフレは、ボクシング史上全階級を通じ16位にランキングされています。また、その他の世界的に著名なボクシング各誌のランキングでも、常に上位にその名を覗かせています。

(強豪たちを倒しまくったジョフレ。)

1956年の豪州メルボルンで行われた夏季五輪に出場し、2回戦で敗れたジョフレは翌1957年3月にプロデビュー。毎月のようにリングに上がり続けたジョフレは、きれいに白星を重ねていきます。1960年11月に米国のリングに初登場したジョフレは、当時空位だったWBAの前身であるNBAバンタム級王座を獲得。プロ38戦目にして念願の世界一の座に就きました。その後、1965年5月に来日し、天敵ファイティング原田(笹崎)に王座を奪われるまで8度の防衛に成功。そのすべてをKO/TKOで終えています。

1965年、そして翌66年に原田とのボクシングに残る死闘を演じたジョフレですが、史上最強のバンタムにも苦手な選手というものが存在したんですね。原田に2つの大金星を献上したジョフレは、失意のままリングから去ることになりました。原田との2連戦では、偉大なる敗者となったジョフレですが、そのライバル戦は2試合ともどちらの手が挙がってもおかしくない接近したものでした。

(天敵ファイティング原田との一戦。)

すでにボクシング史に残る偉業を果たしていたジョフレでしたが、約3年のブランクを経てリングに復帰。14連勝後、すでに37歳となっていたジョフレはフェザー級で世界王座に返り咲いてしまいます。初防衛戦では、こちらも歴史に残る大選手「メキシコの赤い鷹」ことビセンテ サルディバルを見事なボディーブローで仕留め勝利。その後1976年10月まで、自身が40歳を過ぎるまで戦い続けました。

72勝(50KO)2敗4引き分けという終身戦績を残したジョフレ。1992年にはこれだけの実績を残し、評価され続けてきた選手としては遅すぎるボクシングの殿堂入りを果たしています。78度のプロキャリアの内、敗れたのは原田に喫した2敗のみ。現在よりも試合をストップするタイミングが遅かった時代に、バンタム級で64パーセントものKO率を上げたのもまさに驚異的の一言。

(原田との対戦の一年前にも来日し、得意の左ボディーで青木 勝利をKO。)

自己管理能力に長け、リング外では常に紳士的な態度で臨んだジョフレ。ボクサーの枠を超え、鏡とする人物と言っていいでしょう。

 

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