現在までの日本ボクシングの発展と成功に導いた偉人の一人である米倉 健司氏が先月20日、逝去されました(享年88歳)。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
選手としてはアマチュアの名選手として知られ、1956年の豪州メルボリン五輪に出場。プロでは日本フライ級、OPF(現在のOPBF=東洋太平洋王座の前身)バンタム級王座を獲得。当時、8階級しか存在せず、世界タイトル認定団体もただ一つだけだった時代に、フライ級とバンタム級の2階級に渡り世界戦のリングに立っています。
フライ級では歴史的強豪で、日本人として初の世界王者となった白井 義男(シライ)からタイトルを奪取したパスカル ペレス(亜)に挑戦。バンタム級ではジョー ベセラ(メキシコ)に挑戦するも、中盤戦以降の消極性が災いしタイトル奪取ならず。
現役引退後は名門ヨネクラジムを開設し、柴田 国明、ガッツ石松、中島 成雄、大橋 秀行、川島 郭志の5人の世界王者を育てると共に、30名以上の日本、OPBF王者を誕生させました。日本が誇る世界的な名選手である井上 尚弥は、大橋 秀行氏の選手であり、米倉氏の孫弟子にあたります。そして同ジムは、尚弥選手以外にも実弟拓真選手を含め、多くの好選手たちが在籍しています。2017年夏に、かねてよりジムは自分一代のみとしていた名門ジムを、自らの高齢、体調不良により閉鎖しています。
米倉氏が現在の日本ボクシング界に残したものは、計り知れないと言って過言ではありません。一ボクシングファンとして「ありがとうございました」とお礼を申し上げさせていただきます。
(愛弟子の一人ガッツ石松氏と大米倉会長)/ Photo: デイリースポーツ