今から30年前の1993年5月21日、日本武道館で行われた試合結果です。
WBAジュニアバンタム級戦(現スーパーフライ級):
王者鬼塚 勝也(協栄)判定2対1(117-113、116-115、115-116)挑戦者林 在新(韓国)
(林の巧みなボクシングの前に大苦戦を強いられた鬼塚)/ Photo: Amazon.co.jp
*この試合が行われる13ヶ月前に、当時空位だった王座決定戦に出場した鬼塚。タノムサク シスボーベー(タイ)に大苦戦を強いられ、論議を呼ぶ僅差の判定で王座獲得に成功しました。その後2度の防衛に成功し評価を高めていた鬼塚ですが、林の独特の間合いを伴うボクシングに大苦戦を強いられました。
終盤9回、右ストレートで挑戦者をグラつかせた鬼塚でしたが、試合終了のゴングが聞かれた時、「鬼塚の勝利はないだろう」という雰囲気が会場を包みました。しかし判定は僅差ながらも王者の防衛を支持。リングサイドで試合を観戦していた多くの元世界王者をはじめ、当時の日本ボクシング・コミッションの保坂 誠氏も判定に対し疑問を投げる発言を残しています。
それらの反応に対し当時の協栄ジム会長は、「鬼塚を引退させる」と激怒。同時にWBA王座を返上し、WBCタイトル保持者だった文 成吉(韓国)に挑戦するプランがある事も明かしていました。
修行僧のようにストイックな姿勢でボクシングに臨んでいた鬼塚ですが、リング内外での話題が絶え間ませんでした。それでも毎試合高い視聴率を得ていた鬼塚。辰吉 丈一郎(大阪帝拳)と人気を二分する、当時の日本ボクシング界の牽引者であったことに間違いはありません。