きのう(6月15日)の午後、京阪宇治線とJR奈良線に乗ってきました。
例の〝レールマップ〟の乗り歩き旅は、これで最終回とします。
以下、写してきた画像をドドドーッと貼って、報告に代えます。
↑6月15日(月)午後2時半、近鉄大久保駅前からスタート。
まず、路線バスで京阪宇治駅へ向かいます。
↑京都京阪バスの、21系統、京阪宇治駅ゆきです。
21系統は、京阪淀駅から久御山町を経て、近鉄大久保までやってきて、
城南荘前・JR宇治駅を経由して京阪宇治駅まで行く路線です。
↑宇治橋をわたっています。まもなく、京阪宇治駅(終点)に着きます。
宇治橋と並行するJR奈良線の鉄橋が見えています。
京阪宇治駅の建物も見えています。(←丸窓みたいなデザインの建物です)
↑バスを降りると、ちょうどJR電車が鉄橋を通過しているところでした。
↑京阪宇治駅のすぐそばを、宇治川が流れています。
きのうまで雨続きだったので、天ケ瀬ダムも放流中みたい。
ふだんより水量が多いですね。宇治川、元気に流れています。
↑いきなり寄り道です。
京阪宇治駅から、駅前の道路を400mほど北進(六地蔵方向)しました。
平和堂のはとマーク(看板)が見えます。フレンドマート宇治莵道店。
莵道荒槙バス停(とどうあらまき)があります。
↑フレンドマートが建っている場所は、かつて「宇治車庫」があった場所だそう。
京都京阪バスのルーツである、古くは京阪宇治交通の時代から、ここにはバス車庫がありました。
さっき乗ってきた21系統の路線も、昔は〝宇治車庫ゆき〟で運行されていたと私も記憶しています。
↑ふたたび、京阪宇治駅へ戻ってきました。
ちょうど駅前バス停に止まっていたバスが、ユニークなデザインでした。
ハート形の窓!? 宇治田原町にある正寿院というお寺に、こういうのがあるんですね。
↑京阪宇治駅の建物を写そう… と思ったら、またJR電車が鉄橋を通過!
↑京阪宇治駅です。大きな建物です。
↑駅の建物へ入ると、いきなり、下り階段です。短い階段です。
きっぷ売り場や改札口は、この先にあります。
↑階段をおりて、地下道のような通路を少し進みます。
この先に、今度は上り階段があって、それをのぼれば改札口前に到達です。
階段の箇所には、エレベーター・エスカレーターも付いています。
この地下道の上をJR奈良線が通っているので、こういう独特な構造になっています。
↑のぼり階段のところで、天井(頭上)を見上げてみました。
一番高いところの壁面に、ツバメの巣がいくつか見えました。
↑改札口です。
↑駅名標。ステイション・ナンバーはKH77。
宇治線の駅は、KH〝70番台〟でナンバーが付けられています。
↑ホームから、JR奈良線の鉄橋が見えます。
↑電車がホームに入ってきました。中書島から走ってきた宇治ゆき(終点)です。
現在、宇治線の列車は、中書島~宇治間の折り返し運行のみ。京阪本線直通はありません。
4両編成の「普通」ワンマン運行で、宇治線は回っています。
↑私もこの電車に乗りこんで、宇治線の旅をスタートです。
宇治15時09分発、中書島ゆきです。
↑次駅の三室戸(みむろど)で下車しました。
宇治から三室戸までは駅間距離が0.4kmです。所要時間1分、運賃160円。
きょうは乗り歩きなので私は降りたけれど、この一駅だけ乗車する客って珍しいのではないか?
…と思っていたら、宇治から乗った女性2人連れがこの駅で降りました。
「ここの一駅だけ乗っていく客って、いるんやね」
↑プラットホーム面から、そのまま改札口へつながっています。
↑改札口を抜けると、スロープで外へ出ていきます。
島式ホーム1面で、駅へ出入りする通路はここだけです。
ここはもう改札口の外なので、これは構内踏切ではありません。ふつうの踏切(歩道)です。
踏切道の途中に、駅への出入り通路があるのです。
踏切のなかに踏切がある…!? よく見るとふしぎな光景です。
↑駅前の交差点から眺めてみる。
車道と歩道が分離された踏切道です。
歩道の踏切道の途中に、駅への出入り通路があります。
↑駅前からちょっと南のほうへ歩いてみました。(宇治駅のほうへ戻る格好になる)
↑「莵道稚郎子尊 宇治墓参道」
↑宇治墓のそばに、「宇治川太閤堤跡」の石標があります。
周辺は工事中のため雰囲気がありませんが、史跡として環境整備が行われるのでしょう。
↑三室戸駅へ戻ってきました。
ちなみに、この駅前から西国十番・三室戸寺(みむろとじ)までは約1kmです。
↑改札口。
↑15時23分発の宇治ゆきがやって来ました。
↑ホームの駅名板。
お寺(三室戸寺)の名前は〝みむろと〟ですが、駅名は「みむろど」です。濁ります。
↑宇治ゆきが発車していきます。
私は、この電車が宇治から折り返してきたのに乗って、三室戸を後にしました。
(→三室戸15時30分発の中書島ゆきに乗りました)
↑三室戸を出ると、まもなく、JR奈良線の線路が車窓にならびます。
次駅の黄檗(おうばく)まで、並走区間です。
↑JR黄檗駅のそばを過ぎると、こちらも黄檗に到着します。
↑黄檗でも下車しました。15時32分到着です。
午後から出かけてきたので、あまり時間も無いし、ここは「下車してみただけ」です。
↑黄檗駅のホームは大きくカーブしています。
↑京阪のすぐ隣りをJR奈良線が通っています。
この電車は、JR黄檗15時33分発の普通京都ゆき、205系。
↑駅名標です。「おうばく」って、サッと漢字で書けますか。
地元の人とか、黄檗に関わりがある人でないと、なかなか書けそうにない(!?)
「壁(かべ)」という字の下を、土ではなくて木にすればいいんやね。
↑駅前のようす。
↑改札口。駅員はいません。
上りホームと下りホームは、改札口が別々になっていて、地下道や跨線橋でつながっていません。
この改札口は上り(中書島ゆき)ホーム専用です。
↑ホームの宇治方に見えるのが、JR黄檗駅です。
京阪駅とJR駅はつながっていません。
↑駅のそばにある、京都芸術高校。この建物の向こう側に校舎があります。
↑15時41分発の宇治ゆきがやって来ました。先頭車両が10005号の編成です。
きょう最初に、宇治から三室戸まで乗った車両です。
あれから中書島まで行って、折り返して、黄檗まで走ってきたところやね。
この電車、宇治線内を行ったり来たりしてるんやね。お疲れさまです。
↑この時間帯、京阪宇治線は「普通」が10分間隔で走っています。
実は、並行するJR奈良線も、「みやこ路快速」と「普通」を合わせて京阪に匹敵する運転本数で
回しており、頻繁に電車が通ります。〝奈良線は本数が少ない〟というのは昔の話。
これは、JR黄檗15時42分発となる普通奈良ゆき、221系。
↑写し損なった (肝心の京阪電車をきちっと捉えられませんでした)
15時42分発の中書島ゆきがやって来ました。
黄檗では1本落としただけで、この電車に乗って木幡へ向かいました。
↑黄檗からまた一駅乗って、15時45分着の木幡(こわた)で下車。
↑駅名標。京阪の駅名は「こわた」と読みます。
住所は「宇治市木幡…」で、その読み方は「こはた」です。
並行するJR奈良線にも木幡駅がありますが、それも「こはた」駅と読みます。
京阪の駅だけ、こわたと読むのです。不思議やね。
↑前日(6月14日)撮影。
参考画像です。JR奈良線の木幡駅の駅名標。読みは「こはた」です。
↑木幡の次駅が六地蔵ですが、京阪の六地蔵駅は京都市内(伏見区)にあります。
なので、きょうの宇治線の旅は、ここまで。
↑木幡も、改札口は上りホームと下りホームとで別々になっています。
↑改札口。駅員はいません。
↑木幡駅前からは、JR六地蔵駅を目指してウォーキングです。
途中、かつての宇治火薬製造所へ敷かれていた鉄道引込み線跡を見物します。
↑引き込み線の跡地にやって来ました。
盛り土…というか、築堤になっていて、ここを貨物車両が往来していたのですね。
↑少しの距離ですが、立ち入れるようになっています。(もしかして立ち入ったらダメなのか?)
足元に、石ころが。バラストの名残だろうか。
↑フェンスが張ってあり、これ以上は進めません。
↑今来たほうへ戻ります。
右カーブの線路跡。雰囲気が伝わりますかな。
↑築堤を、下の道路から見上げてみる。
ここに橋桁がかかって、道路をまたいでいた当時の様子を、思い浮かべてみます。
さきほどのフェンスが見えています。
↑橋桁を支えた土台(橋台)。ここに線路が通っていた証です。
↑築堤に沿って歩いていくと、また、道路をまたぐ地点があります。ここには橋桁がありますね。
ここは、散歩ウォークで幾度か通ったことがある地点です。
↑さらにその先へ進むと、京阪宇治線の線路が見えます。
↑きょうは、引込み線跡と合わせて、この場所へ来たかったのです。
京阪の線路の下をくぐる道、です。
↑制限高が1.2mと書いてあります。かなり低いです。(ホンマに低いよねぇ?)
どうやってくぐり抜ける? かがんで、身を低くして通るしかないですね。
↑頭をぶつけないように注意しながら、通り抜けました。
こちら側から写すほうが、光の向きが良いですね。
引込み線の築堤がここで京阪の線路をまたいでいた痕跡も窺えます。
↑おっ、電車が来た
↑迫力ありますねー。
こういう目線で電車を見上げることは、あまりないですね。
このタイミングで道をくぐり抜けろと言われたら、ちょっと怖いかも。
↑自転車のおじさんが通りかかったので、何の許可も得ていないけれど、後姿を写しました。
こんなふうにして通り抜けるのですね。
自転車を支えにして、また体重もかけられるので、こっちのほうがラクかもね。
単なる歩行者は、前かがみになって頭上に注意しながら歩かねばならないので、案外大変です。
↑さらに西へ、もうちょっとの距離、引込み線跡は続いています。
このあたりからは舗装されていて、道路として使われているのですね。
↑それでは、また線路の下をくぐって、向こう側へ戻ります。
線路のところで、私が目の高さでカメラを構えて写したら、こんな感じ。
↑六地蔵のほうへ歩きます。
↑山科川のそばまでやってきました。
川の向こう側に、京阪六地蔵駅が見えています。電車も写っています。
この場所では、山科川が宇治市と京都市の境界になっています。
こっち岸が宇治市で、向こう岸が京都市です。
↑前日(6月14日)撮影。
京阪六地蔵駅が見えます。こちらの画像のほうが明るくて見やすいな。
↑前日(6月14日)撮影。
この橋を渡ると京都市です。京都アニメーション放火事件の現場のすぐ近くです。
↑前日(6月14日)撮影。
JR奈良線の電車(京都ゆき)が山科川を渡っていきます。
↑JR六地蔵駅のそばに、京都市交通局(地下鉄東西線)の六地蔵駅があります。
京都市交通局の駅だけど宇治市内に立地している、東西線の六地蔵駅です。
六地蔵の次駅石田は京都市内に入るので、今回私は東西線には乗ることができません。
入場券を買って六地蔵駅に立ち入ってみる-、のはアリかもしれないけれど。やめておきます。
↑JR六地蔵駅です。
ここからJR電車に乗って、南へ向けて帰ります。
「さて、どのルートで帰ろうかなぁ。いろんな方法が考えられるけど…」
↑前日(6月14日)撮影。
JR六地蔵駅の改札口。
↑JR六地蔵駅は1992年に桃山~木幡間に新設された駅です。
↑前日(6月14日)撮影。
JR六地蔵は、カーブ区間の途中に無理やり(?)造ったような印象の駅です。
でも、地下鉄東西線との乗換駅となって、快速も停車するようになり、重要度が高まった駅です。
↑前日(6月14日)撮影。
六地蔵駅付近では、複線化工事が進められています。
↑16時26分発の普通城陽ゆきがやってきました。私もこれに乗りました。
私は、今から新田辺まで帰りたいので、どんなルートが良いか悩むところでありました。
城陽ゆき電車に乗って、
・新田で降りて、歩いて、近鉄大久保へ乗り換える
・城陽まで乗って、歩いて、近鉄寺田へ乗り換える
・城陽まで乗って、あとは新田辺まで歩く
・後続の快速に乗り継ぎ、木津回り、学研都市線京田辺駅へ帰る
など、いろいろ考えました。
『城陽まで乗って、あとは新田辺まで歩く-』というのが、実は一番心が傾いていたルートですけど。
その選択肢は一番ないやつやろ、とツッコミが入りそうかな。
きょうはそんなに歩いていないので、〝歩きたかった〟というのもあります。
↑前日(6月14日)撮影。
黄檗~宇治間にて。京阪電車と並走。
※京都ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
京阪宇治駅のそばを通過します。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治川鉄橋を渡っているところ。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治川鉄橋を渡っているところ。
※京都ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
鉄橋を渡り終えると、まもなく宇治に着きます。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治に到着。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治に停車中。205系車内。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治~JR小倉間にて。
※京都ゆきの車内から撮影。
JR小倉(じぇいあーるおぐら)駅
前日(6月14日)撮影。
↑JR小倉にて、京都ゆきが発車していくところ。
↑駅名標。京都ゆきホームで撮影しました。
「JR小倉」という駅名です。〝おぐら〟と読みます。JRが駅名に含まれます。
「近鉄の小倉駅」と言うならば、こちらは「JRのJR小倉駅」と言うのが正しい(はず)。
↑駅名プレート。
↑ホームから階段で改札口へつながっています。
↑駅前のようす。
↑駅前のようす。
↑京都ゆきの電車がやって来ました。
↑写し損ないました。
新田(しんでん)駅
前日(6月14日)撮影。
↑新田に到着。
京都ゆきの車内から撮影したものです。
↑新田を発車していく、普通奈良ゆき。
↑新田にて、跨線橋からの風景。
↑新田駅前。大きな木が立っています。
↑新田~城陽間にて。京都ゆきの車内から撮影しました。
以上、前日(6月14日)撮影 の画像でした。
◇ ◇ ◇
城陽(じょうよう)駅
↑六地蔵から乗ってきた電車の終点、城陽に着きました。16時44分着。
↑改札口。
↑城陽駅です。立派な橋上駅舎です。
↑前日(6月14日)撮影。
城陽駅前のようす。
↑城陽は昭和33年に設置された駅だそうです。
歴史の古い奈良線のなかでは、城陽は、後年に追加設置された〝新駅〟なのです。
当時は単線区間にホーム1面だけの小駅だったそうですが、現在は列車同士の行き違いもできる構造に
なっています。みやこ路快速が停車し、京都~城陽間の区間列車も走っています。
初夏の夕方で、まだまだ日は長いけれど、時刻も遅くなってくるし、城陽から新田辺まで歩くのは断念!
城陽で後続の普通奈良ゆきを待って、山城青谷まで乗ることにしました。
山城青谷からだったら、新田辺までサクッと歩けます。
↑前日(6月14日)撮影。
城陽の橋上駅舎から撮影。103系同士のすれ違い。
↑城陽16時50分発の「みやこ路快速」京都ゆきが発車していくところ。
↑ただし、城陽はホームが狭いです。正直、窮屈な印象がします。
棒線駅だったのを、対向式ホームの行き違い駅に改良したそうなので、スペース〝カツカツ〟ですね。
同じJR奈良線の東福寺駅も棒線駅から改良された駅で、この窮屈な感じは似ていますね。
↑私が城陽まで乗ってきた205系電車が、引き上げ線から向かいホームへ回送されてきました。
城陽始発17時01分の普通京都ゆきになります。
これは古いほうの205系ですね。国鉄時代から走っている車両です。
かつては、もっと長い編成で京都~西明石間の普通電車にも使われていた車両です。
205系が東海道線・山陽線を走っていたなんて、ありましたっけ? …というぐらい昔の話
↑16時57分発「みやこ路快速」奈良ゆきが入ってきました。城陽の次は玉水に止まります。
私は山城青谷を目指すので、みやこ路快速はパスし、そのあとに来た普通奈良ゆきに乗りました。
(→城陽17時00分発の普通奈良ゆきに乗りました)
↑長池付近で、アルプラザ城陽。
↑17時07分に山城青谷へ到着。ここで下車しました。
以前にも紹介しましたが、この駅のすぐ近くに城陽酒造があります。
ここから歩いて新田辺まで戻りました。
例の〝レールマップ〟の乗り歩き旅は、これで最終回とします。
以下、写してきた画像をドドドーッと貼って、報告に代えます。
↑6月15日(月)午後2時半、近鉄大久保駅前からスタート。
まず、路線バスで京阪宇治駅へ向かいます。
↑京都京阪バスの、21系統、京阪宇治駅ゆきです。
21系統は、京阪淀駅から久御山町を経て、近鉄大久保までやってきて、
城南荘前・JR宇治駅を経由して京阪宇治駅まで行く路線です。
↑宇治橋をわたっています。まもなく、京阪宇治駅(終点)に着きます。
宇治橋と並行するJR奈良線の鉄橋が見えています。
京阪宇治駅の建物も見えています。(←丸窓みたいなデザインの建物です)
↑バスを降りると、ちょうどJR電車が鉄橋を通過しているところでした。
↑京阪宇治駅のすぐそばを、宇治川が流れています。
きのうまで雨続きだったので、天ケ瀬ダムも放流中みたい。
ふだんより水量が多いですね。宇治川、元気に流れています。
↑いきなり寄り道です。
京阪宇治駅から、駅前の道路を400mほど北進(六地蔵方向)しました。
平和堂のはとマーク(看板)が見えます。フレンドマート宇治莵道店。
莵道荒槙バス停(とどうあらまき)があります。
↑フレンドマートが建っている場所は、かつて「宇治車庫」があった場所だそう。
京都京阪バスのルーツである、古くは京阪宇治交通の時代から、ここにはバス車庫がありました。
さっき乗ってきた21系統の路線も、昔は〝宇治車庫ゆき〟で運行されていたと私も記憶しています。
↑ふたたび、京阪宇治駅へ戻ってきました。
ちょうど駅前バス停に止まっていたバスが、ユニークなデザインでした。
ハート形の窓!? 宇治田原町にある正寿院というお寺に、こういうのがあるんですね。
↑京阪宇治駅の建物を写そう… と思ったら、またJR電車が鉄橋を通過!
↑京阪宇治駅です。大きな建物です。
↑駅の建物へ入ると、いきなり、下り階段です。短い階段です。
きっぷ売り場や改札口は、この先にあります。
↑階段をおりて、地下道のような通路を少し進みます。
この先に、今度は上り階段があって、それをのぼれば改札口前に到達です。
階段の箇所には、エレベーター・エスカレーターも付いています。
この地下道の上をJR奈良線が通っているので、こういう独特な構造になっています。
↑のぼり階段のところで、天井(頭上)を見上げてみました。
一番高いところの壁面に、ツバメの巣がいくつか見えました。
↑改札口です。
↑駅名標。ステイション・ナンバーはKH77。
宇治線の駅は、KH〝70番台〟でナンバーが付けられています。
↑ホームから、JR奈良線の鉄橋が見えます。
↑電車がホームに入ってきました。中書島から走ってきた宇治ゆき(終点)です。
現在、宇治線の列車は、中書島~宇治間の折り返し運行のみ。京阪本線直通はありません。
4両編成の「普通」ワンマン運行で、宇治線は回っています。
↑私もこの電車に乗りこんで、宇治線の旅をスタートです。
宇治15時09分発、中書島ゆきです。
↑次駅の三室戸(みむろど)で下車しました。
宇治から三室戸までは駅間距離が0.4kmです。所要時間1分、運賃160円。
きょうは乗り歩きなので私は降りたけれど、この一駅だけ乗車する客って珍しいのではないか?
…と思っていたら、宇治から乗った女性2人連れがこの駅で降りました。
「ここの一駅だけ乗っていく客って、いるんやね」
↑プラットホーム面から、そのまま改札口へつながっています。
↑改札口を抜けると、スロープで外へ出ていきます。
島式ホーム1面で、駅へ出入りする通路はここだけです。
ここはもう改札口の外なので、これは構内踏切ではありません。ふつうの踏切(歩道)です。
踏切道の途中に、駅への出入り通路があるのです。
踏切のなかに踏切がある…!? よく見るとふしぎな光景です。
↑駅前の交差点から眺めてみる。
車道と歩道が分離された踏切道です。
歩道の踏切道の途中に、駅への出入り通路があります。
↑駅前からちょっと南のほうへ歩いてみました。(宇治駅のほうへ戻る格好になる)
↑「莵道稚郎子尊 宇治墓参道」
↑宇治墓のそばに、「宇治川太閤堤跡」の石標があります。
周辺は工事中のため雰囲気がありませんが、史跡として環境整備が行われるのでしょう。
↑三室戸駅へ戻ってきました。
ちなみに、この駅前から西国十番・三室戸寺(みむろとじ)までは約1kmです。
↑改札口。
↑15時23分発の宇治ゆきがやって来ました。
↑ホームの駅名板。
お寺(三室戸寺)の名前は〝みむろと〟ですが、駅名は「みむろど」です。濁ります。
↑宇治ゆきが発車していきます。
私は、この電車が宇治から折り返してきたのに乗って、三室戸を後にしました。
(→三室戸15時30分発の中書島ゆきに乗りました)
↑三室戸を出ると、まもなく、JR奈良線の線路が車窓にならびます。
次駅の黄檗(おうばく)まで、並走区間です。
↑JR黄檗駅のそばを過ぎると、こちらも黄檗に到着します。
↑黄檗でも下車しました。15時32分到着です。
午後から出かけてきたので、あまり時間も無いし、ここは「下車してみただけ」です。
↑黄檗駅のホームは大きくカーブしています。
↑京阪のすぐ隣りをJR奈良線が通っています。
この電車は、JR黄檗15時33分発の普通京都ゆき、205系。
↑駅名標です。「おうばく」って、サッと漢字で書けますか。
地元の人とか、黄檗に関わりがある人でないと、なかなか書けそうにない(!?)
「壁(かべ)」という字の下を、土ではなくて木にすればいいんやね。
↑駅前のようす。
↑改札口。駅員はいません。
上りホームと下りホームは、改札口が別々になっていて、地下道や跨線橋でつながっていません。
この改札口は上り(中書島ゆき)ホーム専用です。
↑ホームの宇治方に見えるのが、JR黄檗駅です。
京阪駅とJR駅はつながっていません。
↑駅のそばにある、京都芸術高校。この建物の向こう側に校舎があります。
↑15時41分発の宇治ゆきがやって来ました。先頭車両が10005号の編成です。
きょう最初に、宇治から三室戸まで乗った車両です。
あれから中書島まで行って、折り返して、黄檗まで走ってきたところやね。
この電車、宇治線内を行ったり来たりしてるんやね。お疲れさまです。
↑この時間帯、京阪宇治線は「普通」が10分間隔で走っています。
実は、並行するJR奈良線も、「みやこ路快速」と「普通」を合わせて京阪に匹敵する運転本数で
回しており、頻繁に電車が通ります。〝奈良線は本数が少ない〟というのは昔の話。
これは、JR黄檗15時42分発となる普通奈良ゆき、221系。
↑写し損なった (肝心の京阪電車をきちっと捉えられませんでした)
15時42分発の中書島ゆきがやって来ました。
黄檗では1本落としただけで、この電車に乗って木幡へ向かいました。
↑黄檗からまた一駅乗って、15時45分着の木幡(こわた)で下車。
↑駅名標。京阪の駅名は「こわた」と読みます。
住所は「宇治市木幡…」で、その読み方は「こはた」です。
並行するJR奈良線にも木幡駅がありますが、それも「こはた」駅と読みます。
京阪の駅だけ、こわたと読むのです。不思議やね。
↑前日(6月14日)撮影。
参考画像です。JR奈良線の木幡駅の駅名標。読みは「こはた」です。
↑木幡の次駅が六地蔵ですが、京阪の六地蔵駅は京都市内(伏見区)にあります。
なので、きょうの宇治線の旅は、ここまで。
↑木幡も、改札口は上りホームと下りホームとで別々になっています。
↑改札口。駅員はいません。
↑木幡駅前からは、JR六地蔵駅を目指してウォーキングです。
途中、かつての宇治火薬製造所へ敷かれていた鉄道引込み線跡を見物します。
↑引き込み線の跡地にやって来ました。
盛り土…というか、築堤になっていて、ここを貨物車両が往来していたのですね。
↑少しの距離ですが、立ち入れるようになっています。(もしかして立ち入ったらダメなのか?)
足元に、石ころが。バラストの名残だろうか。
↑フェンスが張ってあり、これ以上は進めません。
↑今来たほうへ戻ります。
右カーブの線路跡。雰囲気が伝わりますかな。
↑築堤を、下の道路から見上げてみる。
ここに橋桁がかかって、道路をまたいでいた当時の様子を、思い浮かべてみます。
さきほどのフェンスが見えています。
↑橋桁を支えた土台(橋台)。ここに線路が通っていた証です。
↑築堤に沿って歩いていくと、また、道路をまたぐ地点があります。ここには橋桁がありますね。
ここは、散歩ウォークで幾度か通ったことがある地点です。
↑さらにその先へ進むと、京阪宇治線の線路が見えます。
↑きょうは、引込み線跡と合わせて、この場所へ来たかったのです。
京阪の線路の下をくぐる道、です。
↑制限高が1.2mと書いてあります。かなり低いです。(ホンマに低いよねぇ?)
どうやってくぐり抜ける? かがんで、身を低くして通るしかないですね。
↑頭をぶつけないように注意しながら、通り抜けました。
こちら側から写すほうが、光の向きが良いですね。
引込み線の築堤がここで京阪の線路をまたいでいた痕跡も窺えます。
↑おっ、電車が来た
↑迫力ありますねー。
こういう目線で電車を見上げることは、あまりないですね。
このタイミングで道をくぐり抜けろと言われたら、ちょっと怖いかも。
↑自転車のおじさんが通りかかったので、何の許可も得ていないけれど、後姿を写しました。
こんなふうにして通り抜けるのですね。
自転車を支えにして、また体重もかけられるので、こっちのほうがラクかもね。
単なる歩行者は、前かがみになって頭上に注意しながら歩かねばならないので、案外大変です。
↑さらに西へ、もうちょっとの距離、引込み線跡は続いています。
このあたりからは舗装されていて、道路として使われているのですね。
↑それでは、また線路の下をくぐって、向こう側へ戻ります。
線路のところで、私が目の高さでカメラを構えて写したら、こんな感じ。
↑六地蔵のほうへ歩きます。
↑山科川のそばまでやってきました。
川の向こう側に、京阪六地蔵駅が見えています。電車も写っています。
この場所では、山科川が宇治市と京都市の境界になっています。
こっち岸が宇治市で、向こう岸が京都市です。
↑前日(6月14日)撮影。
京阪六地蔵駅が見えます。こちらの画像のほうが明るくて見やすいな。
↑前日(6月14日)撮影。
この橋を渡ると京都市です。京都アニメーション放火事件の現場のすぐ近くです。
↑前日(6月14日)撮影。
JR奈良線の電車(京都ゆき)が山科川を渡っていきます。
↑JR六地蔵駅のそばに、京都市交通局(地下鉄東西線)の六地蔵駅があります。
京都市交通局の駅だけど宇治市内に立地している、東西線の六地蔵駅です。
六地蔵の次駅石田は京都市内に入るので、今回私は東西線には乗ることができません。
入場券を買って六地蔵駅に立ち入ってみる-、のはアリかもしれないけれど。やめておきます。
↑JR六地蔵駅です。
ここからJR電車に乗って、南へ向けて帰ります。
「さて、どのルートで帰ろうかなぁ。いろんな方法が考えられるけど…」
↑前日(6月14日)撮影。
JR六地蔵駅の改札口。
↑JR六地蔵駅は1992年に桃山~木幡間に新設された駅です。
↑前日(6月14日)撮影。
JR六地蔵は、カーブ区間の途中に無理やり(?)造ったような印象の駅です。
でも、地下鉄東西線との乗換駅となって、快速も停車するようになり、重要度が高まった駅です。
↑前日(6月14日)撮影。
六地蔵駅付近では、複線化工事が進められています。
↑16時26分発の普通城陽ゆきがやってきました。私もこれに乗りました。
私は、今から新田辺まで帰りたいので、どんなルートが良いか悩むところでありました。
城陽ゆき電車に乗って、
・新田で降りて、歩いて、近鉄大久保へ乗り換える
・城陽まで乗って、歩いて、近鉄寺田へ乗り換える
・城陽まで乗って、あとは新田辺まで歩く
・後続の快速に乗り継ぎ、木津回り、学研都市線京田辺駅へ帰る
など、いろいろ考えました。
『城陽まで乗って、あとは新田辺まで歩く-』というのが、実は一番心が傾いていたルートですけど。
その選択肢は一番ないやつやろ、とツッコミが入りそうかな。
きょうはそんなに歩いていないので、〝歩きたかった〟というのもあります。
↑前日(6月14日)撮影。
黄檗~宇治間にて。京阪電車と並走。
※京都ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
京阪宇治駅のそばを通過します。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治川鉄橋を渡っているところ。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治川鉄橋を渡っているところ。
※京都ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
鉄橋を渡り終えると、まもなく宇治に着きます。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治に到着。
※奈良ゆきの車内から撮影。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治に停車中。205系車内。
↑前日(6月14日)撮影。
宇治~JR小倉間にて。
※京都ゆきの車内から撮影。
JR小倉(じぇいあーるおぐら)駅
前日(6月14日)撮影。
↑JR小倉にて、京都ゆきが発車していくところ。
↑駅名標。京都ゆきホームで撮影しました。
「JR小倉」という駅名です。〝おぐら〟と読みます。JRが駅名に含まれます。
「近鉄の小倉駅」と言うならば、こちらは「JRのJR小倉駅」と言うのが正しい(はず)。
↑駅名プレート。
↑ホームから階段で改札口へつながっています。
↑駅前のようす。
↑駅前のようす。
↑京都ゆきの電車がやって来ました。
↑写し損ないました。
新田(しんでん)駅
前日(6月14日)撮影。
↑新田に到着。
京都ゆきの車内から撮影したものです。
↑新田を発車していく、普通奈良ゆき。
↑新田にて、跨線橋からの風景。
↑新田駅前。大きな木が立っています。
↑新田~城陽間にて。京都ゆきの車内から撮影しました。
以上、前日(6月14日)撮影 の画像でした。
◇ ◇ ◇
城陽(じょうよう)駅
↑六地蔵から乗ってきた電車の終点、城陽に着きました。16時44分着。
↑改札口。
↑城陽駅です。立派な橋上駅舎です。
↑前日(6月14日)撮影。
城陽駅前のようす。
↑城陽は昭和33年に設置された駅だそうです。
歴史の古い奈良線のなかでは、城陽は、後年に追加設置された〝新駅〟なのです。
当時は単線区間にホーム1面だけの小駅だったそうですが、現在は列車同士の行き違いもできる構造に
なっています。みやこ路快速が停車し、京都~城陽間の区間列車も走っています。
初夏の夕方で、まだまだ日は長いけれど、時刻も遅くなってくるし、城陽から新田辺まで歩くのは断念!
城陽で後続の普通奈良ゆきを待って、山城青谷まで乗ることにしました。
山城青谷からだったら、新田辺までサクッと歩けます。
↑前日(6月14日)撮影。
城陽の橋上駅舎から撮影。103系同士のすれ違い。
↑城陽16時50分発の「みやこ路快速」京都ゆきが発車していくところ。
↑ただし、城陽はホームが狭いです。正直、窮屈な印象がします。
棒線駅だったのを、対向式ホームの行き違い駅に改良したそうなので、スペース〝カツカツ〟ですね。
同じJR奈良線の東福寺駅も棒線駅から改良された駅で、この窮屈な感じは似ていますね。
↑私が城陽まで乗ってきた205系電車が、引き上げ線から向かいホームへ回送されてきました。
城陽始発17時01分の普通京都ゆきになります。
これは古いほうの205系ですね。国鉄時代から走っている車両です。
かつては、もっと長い編成で京都~西明石間の普通電車にも使われていた車両です。
205系が東海道線・山陽線を走っていたなんて、ありましたっけ? …というぐらい昔の話
↑16時57分発「みやこ路快速」奈良ゆきが入ってきました。城陽の次は玉水に止まります。
私は山城青谷を目指すので、みやこ路快速はパスし、そのあとに来た普通奈良ゆきに乗りました。
(→城陽17時00分発の普通奈良ゆきに乗りました)
↑長池付近で、アルプラザ城陽。
↑17時07分に山城青谷へ到着。ここで下車しました。
以前にも紹介しましたが、この駅のすぐ近くに城陽酒造があります。
ここから歩いて新田辺まで戻りました。
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