勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

赤い靴

2006-06-04 23:42:08 | Weblog
 日本人の誰もが知っていると思っていた童謡「赤い靴」を「夏は来ぬ」と同様、若い人は知らないということを知った。


 知らなくても恥ずかしいことでもなく、知っているからといって何か得するわけでもない。こんな哀しい歌は、今のご時世には似合わないのだろうか。


 この歌の主人公の女の子は実在したといい、横浜の山下公園には「赤い靴を履いた女の子像」がある。
 その子の名は、岩崎きみといい、明治35年、静岡県旧不二見村に私生児として生まれた。


      山下公園の女の子(本文とは関係ありません)

 後にきみがいることを承知で結婚した夫が北海道開拓の一員となり、娘の将来のため泣く泣くアメリカ人宣教師に託したが、幼いきみは当時不治の病といわれた結核に罹る。
帰国命令の出た宣教師夫妻は、仕方なく孤児院にきみを預けたが、きみは、よこはまの波止場から船に乗って異人さんのお国に行ったわけでもなく、母にも逢えず、育ての親からも離れ、9歳でひとり淋しくこの世を去ったという。

 この話を聞いた野口雨情が詩を書き、本居長世の作曲で1921年(大正10年)「赤い靴」が発表された。

 
 
 そして横浜港をながめる山下公園に像が建てられたのを皮切りに、孤児院のあった麻布十番の商店街や、母が入植した北海道留寿都(るすつ)村の赤い靴公園にもきみの像が建てられたそうだ。
この赤い靴公園には、きみ母かよの像が仲良く並び、やっと再会できた喜びに溢れているようだという。

★記事は、祥伝社「案外、知らずに歌ってた 童謡の謎」を参考にしました。

 この、切なくも哀しい歌を、もう一度きみちゃんの気持ちになって歌ってみてください。
2006.06.04