子供の頃、外ではいい子を演じていた僕にとって、友達を選ぶとき、優等生では面白くない。
いつも魅力を感じる友人は、みんな『ちょいわる』であった。
高校生のとき、何人かいる友人の中で、もっとも魅力的だったのは、いつも先生から怒られている名だたる『わる』であった。
『わる』といっても、他人と喧嘩をしたり、暴れたりする『わる』ではない。
授業をサボってタバコを吸ったり、麻雀をしたり、授業中に悪戯をして先生に「出て行け!」と言われると、さっさと教室を出て行ってしまうような、そんな『わる』である。
彼の家に遊びにいって、家族麻雀をした。ちょうど遊びに来ていた彼の親戚の子も一緒だった。
その子が上がれない手で上がってしまったとき、友人は彼に言った。
「今度上がるときは、ここをこうしてこうなってから上がろうね」
「それでは上がれないよ!」と責めるようなことは言わない。
学校では『わる』を演じている彼の心を見たようで嬉しかった。
或る日、駅のホームで待ち合わせをした。待てど暮らせど来ない彼をホームで2時間待った。
2時間後に来た彼の言い訳は、麻雀だった。
僕は嬉しかった。2時間も待たせて来る彼も凄いが、2時間も待ったわけは、必ず来ると信じたから。
途中で麻雀を抜け出せない彼の性格の優しさも嬉しいが、言い訳がその場を繕った言い訳でないことも嬉しい。
体操の時間に、柔道の技の試験があった。僕と組んだ彼は、僕が投げようとしたその瞬間、まだ何もしないのに2メートルも先に跳んでいた。
人の魅力はうわべではない。『心』であるといつも思っている。
人と付き合うとき、その人が自分にとって損か徳かで決めるのは嫌いだ。
その人の心を見たい。心と心でのふれあいを大切にしたい。
2006.06.26