勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

底なし釣瓶

2006-11-15 23:20:57 | Weblog
 「秋の日はつるべ落とし」といいますが、井戸に落とす釣瓶のように、あっという間に西の空に沈んだ太陽は、見る見るあたりを暗くする。
「誰そ彼(たれそかれ)」が語源といわれる黄昏時の寂しさは秋特有のものなのか。


 秋は、日の入りの時刻が日に日にずれ、その変化が四季でいちばん大きく、気象学的にも秋の陽は引っ張られるように沈んでいく。そのため光が空に届かず、黄昏時も短くなるという。

 最近は見ることもなくなった釣瓶井戸のこんな話があります。

 昔、大金持ちがいました。子供がいないので、孝行息子が欲しいと思いました。親がなく、孝行したい若者を養子に迎えようと思い募りました。財産目当ての多くの若者が集まりました。

 井戸の前で、底のない釣瓶を指差しながら、大金持ちは言いました。
「この釣瓶で朝までに、ここにある4斗樽いっぱいに水を汲んでもらいたい」
それを聞いた若者達はそんなことは不可能だと、みな帰ってしまいます。

 本当に孝行をしたいと思っている一人の若者が、黙々と底なし釣瓶で水を汲みました。夜明けを待ちきれず大金持ちはその若者を見に行きました。そこにはわき目もふらず一心不乱に水を汲む若者と、底なし釣瓶から滴(したた)り落ちる一滴一滴の水で溢れた4斗樽がありました。

 大金持ちがこの若者を養子に迎えたのはいうまでもありません。


 ちりも積もれば山となる。 努力の積み重ねが不可能を可能にする。
釣瓶落としのように西の空に沈んだ太陽も、明日はまた東の空に昇って希望の光をとどけてくれるのです。
2006.11.15