勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

お買い得な泥棒!

2007-01-13 20:48:22 | Weblog
お買い得品

泥ぼう

1袋 105円

 スーパーに買い物に行った。入り口を入ってすぐ目に飛び込んできた表示にびっくり、通り過ぎようとして思わず振り返った。な~んだ、泥ごぼうか! 


 昔、よく房総半島の海岸に海水浴に行った。千葉に入ると間もなく「大日本インキ」の大きな看板が目に入った。

大日本インキ千葉工場

 いつも「大日本インチキ工場」と読んでいた。あの看板、今でもあるのだろうか。
 
スーパーの奥に行くと、こんな張り紙もあった

 「納豆にダイエット効果」とテレビ番組で紹介され、全国のスーパーで納豆を買い求める客が殺到したため、需要に応じきれず、メーカーはお詫びの広告を新聞各紙に掲載したという。
世の中にはダイエットしたい人がこんなにも多いんですね。メタボリックシンドロームがいわれるが、太りたい僕にとってはうらやましい話です。

2007.01.13

君の名は

2007-01-11 23:54:16 | Weblog

 季節を表す植物がある。春に「椿」、夏には「榎」、秋に「萩」、冬には「柊(ひいらぎ)」。 
我が家のベランダを彩る花のひとつに椿がある。数日前から開き始めたが、今年は特別早いようだ。首から落ちることで、忌み嫌われることもあるようだが、そんなことを超越して凛と咲く姿が美しい。

 椿は種類が多く、4,000種以上もあるという。10年以上も楽しませてくれていながら、固有の名前を知らずにいる。
先日、はぐれ雲 さんに教えていただいたHPで調べてみたが、確かな名前は判らない。どなたかご存じないですか?


花の名前



花の名前を 知らない
そのことが
今朝は ばかにうれしい

花だって たぶん
自分に付けられている
名前を知らないで
咲いている

-星野富弘さん-

2007.01.11

メッセージ

2007-01-10 23:22:49 | Weblog
 正月も10日が過ぎ、朝から雲ひとつない晴れ上がった空は、青く澄んで穏やかな一日でした。西の空に日が沈むと青い空は真っ赤に燃え、静かに暮れてゆきました。

いのちの根

なみだをこらえて
かなしみにたえるとき

ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき

いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき

いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる

-みつをさん-
2007.01.10

春を待つ花

2007-01-09 23:55:31 | Weblog

 水仙

春を待つ
それだけでも希望だ
それだけで
冬を越す勇気が
湧いてくる
      
 星野富弘さん


 春を待つ花 水仙は「自己愛」の花言葉を持つ。ギリシャ神話で、美少年ナーシサスは、水に映る自分の姿に恋し溺れてしまう。その化身として水辺に咲いた水仙の学名はNarcissus。下を向いているのはそのためであり、ナルシストの語源でもある。


 各地から、季節外れに咲く福寿草やタンポポの便りも聞かれるという。墨田公園では、水仙に恋した菜の花までが、春を待ちきれずに咲いていた。

2007.01.09

八福神

2007-01-08 23:24:24 | Weblog
 七福神といえば、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋の七人の神とされるのはご存知の通り。

しかし東京下町には八福神めぐりがある。

 「東京下町八社福参り」は、八つのお社をお参りして、八つの恵みを受けることで、末広がりの人生の平安が授けられ「八方除け、八方開き」にも通じるという。


 その八社のひとつにも数えられる浅草の「鷲神社」では、7日には餅つき大会が催され、ちびっ子も参加、慣れない手つきでの餅つきに、手水を打つ小父さんはこわごわと合いの手を入れていた。

 酉の市の発祥の地ともいわれる鷲神社は「浅草名所(などころ)七福神」のひとつでもあり、寿老人を祀っている。
寿老人 は、不老長寿の神様として親しまれ、1,500歳の鹿を伴い、経巻をつけた杖を持っているのが一般的な 姿 だそうです。
ちなみに、これは僕の姿ではありません。(ニッコリ♪)

2007.01.08

大根まつり

2007-01-07 21:35:38 | Weblog


せり なずな 

ごぎょう はこべら

ほとけのざ

すずな すずしろ

これぞ春の七草


 春の七草のひとつ「すずしろ」とは大根のこと。大根は、その色から清浄であるといわれ、淡白な味は調理法を選ばず、しかも体内の毒素を中和しジアスターゼによる消化を助ける働きがある。

 墨田川の西岸に位置し、10メートルほどの丘にある浅草寺の支院「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」は、商売繁盛を表す巾着と、身体を丈夫にし良縁成就、夫婦仲良く、一家の和合を加護する意味の、大根をシンボルとする神様だそうだ。
この聖天では毎年1月7日大根まつりが行われ

今年も多くの参拝客で賑わった  

境内では、奉納神楽も披露され

参拝者は振舞われたふろふき大根とお神酒に舌鼓を打っていた



吉田兼好は、徒然草の中で大根をこのように取り上げている

 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。

 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してにげり。いと不思議に覚えて、「日々こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。

 深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。



 九州にいた兵隊の元締めが、大根を万病の薬であると信じこんで、毎朝二本づつ焼いて食べ続けていた。

 警備員が館を留守のときに、敵が襲い込んできたが、館の中に見知らぬ兵隊が二人あらわれて、捨て身の体勢で戦ったために、敵をみんなやっつけてしまった。とても不思議なことだったので「どちらさんですか? いつもここに住んでいる兵隊さんではないようですが、このように戦ってくれるとは」と尋ねると「あなたがいつも信じて疑わず、毎日、毎朝、食べていた大根でございます」といって去っていった。

 どんなことでも深く信じてさえいれば、こんな徳があるのかも知れない。

2007.01.07

くじらの目

2007-01-05 23:36:17 | Weblog
聖徳太子の「十七条憲法」には「和を以って貴しと為す」 とある。

 「和」とは、平和の和、調和の和、和(なご)みの和、和(やわ)らぎの和、そして大和(やまと)の和でもある。

下町浅草には、忘れかけた日本の心「和」の世界が息づいている。
 和の代表、手ぬぐいの店「ふじ屋」さんは、芸術的とも言える染め絵手ぬぐいを扱うお店である。江戸に生まれた木綿染色、手ぬぐいを素材とした袋物から帽子まで、その魅力は尽きない。
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 中でも人気のひとつが、この熊野染めの手ぬぐい。黒地に目だけを染め抜いた鯨の接写。捕鯨で名高い熊野灘を洒落て熊野染めというそうだ。横にして扱うところがみそで「めくじら立てちゃいけません」と江戸の洒落言葉。

 歳を重ねて角がとれ、丸くなるのが可愛い年寄り。しかし歳とともに角が立ち、己の非をも省みず、めくじら立ててばかりいる、我が身を見つめ世を見つめ、めくじら立てず 「和」 の心、大切にしてこの一年過ごせるようにと、我が家にも飾ってみました「くじらの目」。さて、効果のほどは・・・???

2007.01.05

願い

2007-01-04 23:56:27 | Weblog

どんな小さな「願」でも
心ひそかに持ち続けていると
顔がよくなり
目の色が深く澄んできます

ひとりひとり自分に合った
「願」を持ちましょう
そして
「一隅を照らす」
人間になりたいものです

- 相田みつをさん -
 

 正月三ヶ日は長蛇の列で賑わった浅草寺。2日続けて行っては見たものの、待ちきれず諦めて帰ってきた。そして出直した今日4日は、行列も規制もなくやっと詣でることができた我が初詣。あれもこれもと願いは多く、それでは神様も迷うだろうと、今年の願いはシンプルに「無事でありますように」と願かけた。

- おさい銭 -

百円玉一ッ
ぽんと投げて
手を合わす
おねがいごとの
多いこと

- みつをさん -

一隅を照らす人間にはなれそうもないが、片隅で生きてゆければ良しとしよう。

2007.01.04

原点

2007-01-03 13:53:29 | Weblog
正月

 大辞林によると「正月」とは一年の最初の月とある。
すべての漢字は必ず、いずれかの部首に所属するというが、正月の正の字にも部首があることを知った。部首とは、偏(へん)、旁(つくり)、冠(かんむり)等をいい、「正」の字は「一」と「止」からなり、部首は止(とまる・とめへん)だそうだ。
一に止(とど)まる、つまり一を守るという意味であり、一とは原点、原点を守り、原点に帰ること。自分自身が原点に立ち帰るのが正月なんだそうです。


 人間には108の煩悩があるといわれる。煩悩とは人間の心身の苦しみを生み出す精神のはたらきをいい、その根源には三毒がある。(大辞林から)

 三毒とは貪欲(とんよく、と読む)・瞋恚(しんに。しんい)・愚痴(ぐち)であり、瞋恚とは、怒り・憎しみ・怨みなどの憎悪の感情をいうそうだ。

 「勝ち組・負け組」という言葉がもてはやされた。僕の嫌いな言葉である。損得、勝ち負けにこだわらず、「いまここに生きている、そして生かされている」 いのちの尊さを知ることも原点に戻ること。そうして己の軌道修正をする月、それが正月なんだそうですよ。
2007.01.03

初詣

2007-01-02 01:35:20 | Weblog
花は雲 鐘は上野か 浅草か

-松尾芭蕉-


 松尾芭蕉の句にも詠まれた浅草寺境内の弁天堂の鐘は、江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たした「時の鐘」でもある。


 地元浅草にゆかりの深い、108人の会「百八会」のメンバーの打鐘により鳴り響く除夜の鐘を合図に、続々と詰めかける初詣客は境内に溢れ、雷門から続く仲見世通りは身動きできないほどの人の波。


 午前0時の時報を待って出かけた僕だが、これでは何時になるかわからないと諦めて、明日にしようと帰る夜空には月がにっこり微笑んでいた。

 一眠りして出かけた午後、人並みは途絶えるどころかますます多くなる。

 本堂入り口では入場規制が行われ遅々として進まない。

 しかたなく和服姿の美女に見とれながら再び出直すことにした。 

浅草寺の初詣客は、正月三ヶ日で200万人が見込まれるという。

2007.01.02