全国的に雪が降り、寒波が訪れた建国記念日の11日、神戸市・ワールド記念ホールで「WBCミニマム級タイトルマッチ オーレイドン・シスマーチャイ(タイ)VS井岡一翔(日本・井岡ジム)」の試合が行われました。世界初挑戦の井岡選手は、国内最速記録となる7戦目での王座奪取に挑戦。対する王者のオーレイドンは40戦無敗、この試合が7度目の防衛戦でした。
まず第1ラウンド、開始1分17秒に井岡が左ジャブ2発→右ボディーストレートを放ち、1分45秒には左ボディ。残り1分を切り、オーレイドンが連打を放つと、2分24秒に右ストレート。井岡は残り20秒で右ストレート、残り15秒でボディ連打、オーレイドンのパンチをステップでかわして終了。
続く第2ラウンド、井岡が開始早々に左のパンチを出し、その後もオーレイドンに圧力をかける。オーレイドンは30秒過ぎから左ボディブロー、1分15秒で左ストレートをヒット。その7秒後に井岡が右ボディ。両者の見合いが続く中、2分過ぎにオーレイドンが連打を放ってペースを掴んだかに思われたが、残り45秒で井岡のカウンターの左フックが決まり、オーレイドンダウン。スリップ気味だったのでダメージは少なそう。
第3ラウンドはオーレイドンがアウトボクシングでリズムを取るが、井岡は右ストレートを王者のボディに放つ。オーレイドンは左右の強いパンチを振るうが、井岡にダメージ無し。残り1分に差しかかるところでオーレイドンの左が井岡の顔面を捉え、2分3秒に右フックを当てる。井岡はオーレイドンをロープに詰め、残り30秒で右ボディブロー。フェイントで相手のパンチをかわし、残り10秒でまたも右ボディを放った。
4ラウンド、立ち上がりにオーレイドンがコーナーに背負われながらもパンチを繰り出し、1分8秒にカウンターの左ストレートから左右の連打。井岡にボディパンチを貰いながらも、連打で打ち返す。1分48秒には左ボディブローを当てるも、井岡は効いてないとアピール。残り1分を切って井岡が右のノーモーションが決まると、残り10秒にもう一度井岡の右ストレートがオーレイドンの顔面を捉えた。4ラウンド終了時点の公開採点では、①40-35、②38-37、③37-38の2-1で井岡リード。1人は5点の大差、残り2人は僅差だ。
そして第5ラウンド、井岡がボディで間合いを詰めると、右ストレートを2発放つ。1分経過前にオーレイドンが連打を出すところ、井岡が左ボディを打ち返し、モロに喰らったオーレイドンが崩れ落ちるようにダウン!そのまま立ち上がれず試合終了!5ラウンド1分7秒TKOで井岡一翔が勝利し、WBC世界ミニマム級新チャンピオンになりました!
井岡選手がプロ7戦目で世界のベルトを奪ってみせました!これまでに1991年の辰吉丈一郎さん、2006年の名城信男選手が8戦目で世界王者になりましたが、この2人を抜いて日本人最速記録の偉業達成。日本のジムに所属している男子世界王者はこれで7人となります。
7戦目での世界挑戦、相手は経験豊富、日本のホープとはいえ勝ち目は無いだろうと思われましたが、王者から2度のダウンを奪い、5ラウンドにボディ一発でオーレイドンをマットに沈めました。その前に左右のボディパンチが的確に入っていましたね。オーレイドンもこれまで6度防衛しているけど、この日は減量失敗が響いたんでしょうかね…。おじでジム会長の井岡弘樹さんは1987年に初代ミニマム級王者(当時はストロー級)に君臨、それから23年後、井岡家にWBCのベルトが戻ってきました。
井岡選手の経歴を見ると、中学時代にボクシングを始め、高校時代は選抜、インターハイ、国体の「高校6冠」を達成。高校卒業後に東京農業大学に進学し、北京オリンピック出場を目指しましたが、その夢が断たれた事で大学中退。2009年4月にプロデビューし、2戦目で日本ランク入りを果たすと、3戦目には現役世界ランカーを撃破。6戦目で日本ライトフライ級王座決定戦に勝利して日本王座獲得(その後返上)。その後に階級を下げてミニマム級に転級しました。
世界ベルト奪取後はベルト返上して階級を上げるの噂もありましたが、今後もミニマム級で戦う事を示唆。さらに試合後のインタビューでは「4階級制覇を目指す」と宣言。4階級だとスーパーフライ級までですね。フライ級で3階級制覇すれば当然叔父を越えられますな。世界を制した日本ボクシング界の背負う男の戦いは始まったばかり、今後の活躍にも期待したいですね。