競馬ファンにとっては大変残念なニュースが入りました。かつて1000勝以上挙げ、マヤノトップガンやトウカイテイオーとのコンビでGIを制し、日本を代表するジョッキーだった田原成貴容疑者が22日、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反の容疑で逮捕されていた事がわかりました。再び薬物に手を染めた田原容疑者は、過去に覚醒剤で逮捕歴があり、今回の逮捕で2度目の逮捕となりました。
京都府警東山署によると、田原容疑者は今月14日、京都市内の自宅で警察の任意の尿検査を受け、陽性反応が出たため現行犯逮捕されました。取り調べでは容疑を一部認める一方、否認もしていたという事です。捜査関係者のコメントでは、別の覚せい剤事件で逮捕した男の供述から、田原容疑者が浮上したそうだ。警察では覚醒剤の入手経路などを追及する方針。
田原容疑者は1978年に騎手デビューし、83年にはリードホーユーで有馬記念を制し、年間103勝で全国リーディング(最多勝)に輝きました。87年にはマックスビューティーで桜花賞とオークスの牝馬2冠、93年の有馬記念では、トウカイテイオーを1年ぶりの勝利に導き、インタビューで涙を流すシーンも。94年に通算1000勝を達成すると、95年はマヤノトップガンとのコンビで菊花賞と有馬記念の2冠、翌年の96年にはGI4勝を挙げ、特にフラワーパークとのコンビでは高松宮記念とスプリンターズステークスの短距離春秋連覇を果たしました。
通算1112勝、重賞65勝・GI競走16勝、関西リーディングジョッキー4回、全国リーディング2度と様々な輝かしい成績を残して1998年に現役を引退し、調教師に転身。99年には厩舎を設立し、2000年には管理馬のフサイチゼノンが弥生賞を制覇しました。
田原容疑者は現役時代、トラブルメーカーとしても有名でした。ここでは有名な事件を3つ挙げてみました。
①82年のスプリングステークスで、田原が乗っていたサルノキングが4着。その際「同じ馬主の馬を勝たせるためにわざと後方で待機させた」と八百長疑惑がかけられる。批判を受けた田原は「八百長じゃありません!」と疑惑を否定。結局は田原騎手の判断ミスだった。(いわゆるサルノキング逆噴射事件)
②1992年のエリザベス女王杯の直前、騎乗馬のサンエイサンキューの馬主が「順調だ」と言ったのに対し、田原容疑者は「調子が非常に悪い」と馬の体調が思わしくないというようなコメントを発した。(以前から体調を巡って馬主と厩舎スタッフとの対立が起きていたという)インタビュー後、田原は冗談で「これだけ言って勝っちゃったら坊主だな」。しかし、サンケイスポーツの記者が翌日の1面に「田原1,2着になったら坊主」という見出しを書く。これがきっかけでサンスポとの関係が悪化した。(サンエイサンキュー事件)サンエイサンキューは本番のレースで5着、その後の有馬記念で故障発生し競走中止、長い闘病の末94年に死亡。今思えばあの発言は正しかったのかもしれない。
③引退が間近に迫った1998年、京都競馬場の検量室でスポーツニッポンの記者を呼びだし、スポニチの記事内容を抗議。その際自らふるったムチが記者の顔に直撃し、重傷を負わせる事件が発生。田原は「ムチを振ったらたまたま当たった」と故意ではないと主張。騎乗停止にはならなかった。
田原容疑者の華やかだった人生は、2001年に転落してしまいます。2001年9月、羽田空港で手荷物検査を受けた際、大型の果物ナイフが入っていた事が発覚し、銃刀法違反の疑いで逮捕、更に覚醒剤を所持していた事が発覚し、覚醒剤取締法違反で再逮捕。調教師免許は剥奪、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受け、15年間の競馬への関与を停止されました。
事実上の永久追放処分を受けた後、「いかれポンチ」や「八百長」を出版、「法の庭」などの漫画原作を担当し、作家としての活動を続けていました。そして今回、覚醒剤と大麻所持の疑いで再び逮捕。最初の逮捕から8年、田原成貴は薬物から抜け出すことができませんでした。
「覚醒剤は絶対に2度としない」と誓っても、再犯する確率は50%前後と言われているそうです。田原容疑者が覚醒剤の他にも大麻をやっていたのもショックだ。GI競走を何度も勝っていて、トウカイテイオーの復活劇、マヤノトップガンとの名コンビが印象深かったのに、今じゃシャブの中毒者…。「競馬界の玉三郎」が「競馬界の大悪党」に変貌しましたよ。
もし裁判で判決が出たら、懲役3年以上の実刑判決は免れない。競馬界からも完全に永久追放される事でしょう。クスリで多くの競馬ファンを失望させるなんて本当に最低な人間です!田原成貴は酒井法子と同じく希代のワルで人間のクズだ!近代日本競馬の大馬鹿野郎は刑務所で反省し、競馬の世界から消えてください!ひょっこり顔を出しても大迷惑です。