ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2005年3月10日、田園調布駅

2020年04月20日 00時00分00秒 | まち歩き

 今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、第136回「東急目黒線途中下車(2) 田園調布駅」(2005年3月23日〜4月5日掲載)の再掲載です。写真撮影日は2005年3月10日です。冒頭の一文を修正しましたが、それ以外は誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません(例えば、東京急行電鉄株式会社は2019年10月より東急株式会社となっており、鉄道部門が分社した形で東急電鉄株式会社となっていますが、以下においては東京急行電鉄のままです)。御注意ください。

 

 今回は、東急東横線・目黒線の田園調布駅です。東京の郊外にある街でも、隣の自由が丘とともに、おそらくは全国的に最も有名な所でしょう。私は、住んだことこそ一度もないものの、度々通っていましたし、街を歩いたことも何度かありました。

 田園調布駅の改札口です。以前は地上駅で、西口と東口に分かれていましたが、東横線および目蒲線(当時)の地下化に伴い、このような駅になっています。現在、東横線の特急は通過してしまいますが、急行の停車駅であり続けています。

 目蒲線には田園調布止まりの電車が何本かあり、電留線がありました。私が持っている写真集などによると、東横線にも田園調布止まりの電車があったようです。駅の南側には、以前貨物の積み出しなどに使われていたスペースが残っていました。

 「田園調布と言えばまずはこれ!」というべきものです。田園調布駅西口の駅舎です。現在は、いわばアーチというべきものになっていますが、モニュメントとも言うべきでしょう。そして、一般的に流布している田園調布のイメージは、大田区田園調布3丁目に由来するもので、西口はその3丁目にあります(東口は2丁目です。ついでに記しますと、多摩川駅は田園調布1丁目にあります)。

 田園調布といえば東横線の駅というイメージが強いのですが、歴史的に見れば実は目蒲線の駅でした。現在の東京急行電鉄の前身である目黒蒲田電鉄が目黒から沼部(現在は東急多摩川線)まで開業した時、同時に開業した駅です。その開業以来、西口はこの駅舎でした。地下化工事のために解体されたのですが、地元の声が強かったのか、東京急行電鉄の意思なのか、このように復元されています(2000年のことです)。

 ちなみに、東横線は、元々が東京横浜電鉄で、目黒蒲田電鉄の子会社的な存在だったようです。また、渋谷から丸子多摩川(現在の多摩川)まで開業したのは比較的遅かったようです。

 (大正出版から『回想の東京急行』という本が出版されています。その第1巻が東横線と池上線の各駅を取り上げていますので、参考にされるとよいでしょう。私は大分時代に購入しました。)

 御覧のように、駅前にこのような碑があります。田園調布の歴史については、まずこれをお読みいただければよいと考えますが、補足をしておくと、この辺りが1932(昭和7)年に東京市に編入されてから、田園調布は大森区に属していました。1947(昭和22)年に大森区と蒲田区が合併し、大田区になっています。

 渋沢栄一がアメリカの都市を見て田園都市の構想を得たことは有名です。ここに掲げる何枚かの写真でおわかりと思いますが、田園調布3丁目は、駅を中心として通りが放射線状に延びています。戦前の分譲地だけあって区画が広かったことでも有名です。もっとも、戦後、地価の上昇などで相続税の問題などが発生し、敷地などがかなり狭くなってきています。

 この田園調布3丁目の構造は、後の東京急行電鉄の沿線などに大きな影響を与えています。私の知る限りでは、日吉駅西口、たまプラーザ駅西口(美しが丘)が放射線状の構造になっていて、とくにたまプラーザ駅西口から少し離れたところを歩くと、「昔の田園調布はこのような感じだったのだろう」と思われてきます。

 最近できた東急スクエアの建物です。田園調布駅西口駅舎に合わせたデザインとなっています。もちろん、地上駅時代にはなかったものです。この建物の下に、東横線と目黒線のホームがあります。道路の幅などは、私が記憶している限りではほとんど変わっていません。

 先ほどの田園調布駅西口駅舎の中にあるものです。他にどこが認定されているのか、よくわからないのですが、東横線の日吉駅も認定されているはずです(日吉も特急通過駅になってしまいました。但し、通勤特急は停車します)。

 今度は、反対側から駅舎を見ます。手前左側に現在の駅舎がありますが、比較してみると、やはり、昔の駅舎には趣があると思わざるをえません(機能的ではないのでしょうが)。

 階段の手すりが意外なほど凝っていると思ったので、撮影してみました。

 田園調布駅西口、つまり田園調布3丁目の通りです。御覧のように並木があります。東横線・目黒線に乗ると、この街が別格であることはすぐにわかります。

 夏に歩くと、緑のためか、少しばかり涼しく感じられます。たまプラーザ駅西口が、こことよく似ています(というより、ここをモデルにしたことは明らかです)。

 今度は南西に延びる通りです。この辺りも、細かい点を別とすればあまり変わっていません。散歩には「もってこい!」の所かもしれません。商店などは少ないのですが、派手な広告なども少ないので、落ち着きがあります。今のニュータウンには感じられないようなものも、田園調布にはあります。

 今度は、西口から多摩川駅の方向を撮影してみました。実は、地上駅時代、少し奥のほうに、地元、そして東横線・目蒲線の利用者には有名な桜並木がありました。地下化工事の支障になるとして伐採されてしまいましたが、反対運動も起きたと記憶しています。せめて、少し移動させるくらいのことができなかったのかと思いますが、植え替えることにも問題があったのでしょうか。

 少しばかり途中下車をして、撮影してみましたが、いかがでしたでしょうか。今度はどこを取り上げようか、などと考えています。

 なお、文中で、とくに断りもなく、目蒲線と目黒線とを混用しています。整理のために記しておくと、次の通りです。

 目蒲線:目黒~蒲田(2000年8月5日まで)。

 2000年8月6日、目黒~田園調布(~武蔵小杉)を目黒線に、多摩川~蒲田を多摩川線に変更。また、多摩川園を多摩川に改称。

 2000年9月26日、目黒線と営団(現在は東京メトロ)南北線・都営三田線との相互乗り入れを開始。

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