ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2006年7月31日、不動前駅(その1)

2020年04月29日 00時00分00秒 | まち歩き

 東急目黒線を田園調布から目黒に向かって進んできました。今回は不動前です。駅周辺のみならず、目黒不動尊の様子も紹介したので、6回にわたりました。長くなりますので、2回に分けて再掲載します。今回は、次の記事の再掲載です。なお、基本的な内容を変更しておりませんが、文章の一部を修正しています。

 第182回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その1)」(2006年9月1日〜8日掲載)

 第187回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その2)」(2006年10月3日〜10日掲載)

 第192回:「東急目黒線途中下車(5) 不動前駅(その3)」(2006年11月6日〜13日掲載)

 

 (1)

 2006年9月5日〜8日、11日および12日に、西南学院大学法学部において集中講義を担当させていただきました。実際に福岡入りをしたのは9月1日で、これは大分大学時代のゼミ生数名と会うためです。

 福岡は、私が大分大学に就職した1997年の4月になって初めて訪れたのですが、それ以来、東京とともに私が大好きな都市の一つです。とくに、天神、大名、今泉、六本松は即座に気に入ってしまい、何度も遊びに行きました。とにかく、そこにいるだけでも楽しいのです。福岡には、強烈な独自性を持っているのにそれを表に出さない奥ゆかしさがあります。そのような場所で3年も続けて集中講義の仕事をさせていただけるので、大変光栄に思っています。

 そんな福岡で、この待合室を更新するのですが、取り上げるのは東京の風景です。おかしなことになっているのですが、これは手持ちのネタなどの関係で仕方のないことですので、お許しいただきたいと思います。

 関東の三不動というと、成田、高幡、そして目黒です。成田不動尊は、言うまでもなく千葉県成田市にあり、小学生時代に行ったことがあります。高幡不動尊は、東京都日野市にあります。京王線と多摩モノレールの乗換駅が高幡不動です。私が大学生の頃には多摩モノレールがなかったので、中央大学には京王線と動物園線とを乗り継いで行っていました。不動尊にも何度か行きました。ここは新撰組の土方歳三の出生地に近い所でもあります(多摩モノレールの万願寺駅のほうが近いのですが)。また、京王線の特急停車駅の中では、車庫があることもあってか、高尾山口駅を除けば駅前の商店街などが最も貧弱だったのでしたが、多摩モノレールが開業してからは変わってきているようです。

 そして、目黒不動尊なのですが、どういう訳か、私は東急バスの渋谷駅から五反田駅までの路線で通ったことがあるだけで(このバス路線は、境内にある専用道路を走り抜けます)、不動尊の境内に入ったことがなかったのです。目黒線の不動前駅を利用したのも、大東文化大学に勤務するようになってからです。

 もっとも、よく言われるように、地元の人間ほど地元の名所には行かないものです。故宮脇俊三氏は、名著『時刻表2万キロ』で「いつでも行けると思うと、いつまでも行かない。東京の人はいつまでたっても泉岳寺を訪れないし、東京タワーには昇らない」と書かれています。私自身は泉岳寺にも東京タワーにも行ったことがありますが、宮脇氏が書かれたことはすぐに理解できますし、そのとおりだと思うのです。

 実のところ、私自身がまさにそうです。大分県の全市町村を、58市町村時代に、しかも大分大学に就職してから2年弱で全て回ったのに、神奈川県には足を踏み入れたこともない市町村がたくさん残っています。幼稚園時代から何度も恵比寿に行っているのに、恵比寿ガーデンプレイスに入ったことがありません。高校時代からWAVEの閉店まで15年間も六本木に通っていたのに、2010年まで六本木ヒルズに入ったことがありません。そして、今でも心残りなのですが、大分市に住んでいた7年間に、いつでも高崎山に行けると思っていたせいで、 結局、一度も高崎山を訪れないままに終わっています。おそらく、こういう例を探そうと思えばいくらでも見つかるはずです。

 やはり、目黒線を通勤路線として使い、目黒線(だけでなく、東急線全線なのですが)の全ての駅を利用したことのある私が、目黒不動尊へ行ったことがないというのでは全くお話にならないでしょう。しかも、関東の三不動の中では自宅から最も近い所なのです。そこで、7月31日、途中下車をして目黒不動尊へ行くことにしました。

 目黒線の起点、目黒駅から一つ目の駅が不動前です(木に隠れて駅名標が見えませんが)。目黒線に急行が走ると、残念ながら不動前は通過駅となります。どうでもいい話ですが、個人的な趣味では、駅名標にある「東急電鉄」ではあまり格好がよくありません。少し前まで「東京急行」としていたのですが、そのほうが格好がいいと思うのです。駅名標、パスネットなどの社名表記を「東京急行」に戻して欲しいと思っています。

 ちょうど下校時間帯で、この駅の近くにある攻玉舎中学か高校の生徒らしい姿が写っています。

 ここで問題です。目黒不動尊の最寄り駅である不動前は、何区にあるでしょうか。

 実は、ちょっと難しい問題です。フジテレビ系列の番組「クイズ・ミリオネア」に出してもいいような問題だと思います。

 目黒不動尊は、目黒という地名の由来でもあるという説があるくらいで、目黒区にあります。その最寄り駅で、不動前と名乗っているのですから「目黒区にある」とお答えになる方が多いと思われます。

 残念ながら、不動前駅は目黒区にありません。正解は品川区です。品川区西五反田にあるのです。「2006年5月24日、洗足駅」でも記しましたが、目黒線という線名にもかかわらず、目黒区にある駅は洗足だけです。起点の目黒駅は品川区上大崎にあります(もっとも、駅を降りてすぐそばにある権之助坂から目黒区ですが)。JRと京浜急行の品川駅が品川区ではなく港区にあるように、名前と所在地が一致しない駅は多いものです(中目黒駅は上目黒にある、というようなものです)。新宿駅も、山手線や京王線、小田急線、丸ノ内線、都営新宿線の駅は新宿区にあるのですが、埼京線や湘南新宿ラインのホームは渋谷区にあります。新宿高島屋なども渋谷区にあるのです。 ついでに記しますと、東武東上線の下板橋駅は豊島区にあり、東武練馬駅は板橋区にあります。

 品川区にある不動前駅商店街を抜け、目黒不動尊に向かって歩きます。ただ、写真のルートは遠回りになっています。バス通りに出ようと思っているのです。不動前駅にはバスの停留所がありません。山手通りに出るか、写真に登場する道を歩き続けなければ、バス停には出られません。歩いている場所は品川区西五反田です。

 東京の脇道です。ようやく車一台が通れるほどの幅です。3ナンバーでは少々厳しいでしょうか。私の当時の愛車であるVolkswagenの5代目ゴルフGLiも3ナンバー車ですので、こんな道を通ることができるかな、などと思いました。通れるはずではあるのですが、対向車があった時には難儀がありそうです。

 品川区や目黒区、大田区、世田谷区でも、脇道と言えばこういうものでしょう。とにかく、こういう幅の狭い道路が多いのです。でも、よく考えると、私が生まれ育った川崎市もこんな道ばかりでした。私が通っていた小学校の近所でも、最近片道2車線の道路が新たに設けられたのですが、古くからある道は、今でもこの写真より狭いような幅で残っていたりします。

 つい懐かしくなって撮影したものです。私が小学生だった頃までは、オリエンタルカレーの看板を時々見かけましたが、 いつしかあまり見なくなったのでした。そういえば、サザエサンカレーというものもありました。工場が実家から自転車で15分くらいのところにあったのです。

 不動前駅の近くにオリエンタルカレーの東京支店があるというのを初めて知りました。もっとも、有名な会社の本社や支社が意外なところにあるというのは、よくあることです。川崎フロンターレの球団事務所がうちから歩いて数分の所にあるのを知った時には驚いたのですが、考えてみれば、今は富士通の系列会社となっている電機会社の本社が、やはりうちから歩いて10分くらいのところにあります。

 先ほどの道を歩いていると、寺院にたどり着きます。まだ目黒不動尊ではありません。不動前という駅名にもかかわらず、駅から目黒不動尊まではそれほど近くはありません。15分以上は歩きます。まだそんなに時間が経っていないのです。

 勾配の途中にあるのですが、この寺院に入るためにはさらに急な勾配を登って行くことがわかります。

 東京は、とにかく坂の多い街です。中央区、台東区、墨田区、江東区、江戸川区などのように勾配がほとんどないような平らな所もあるのですが、地下鉄の駅名にも中野坂上、志村坂上、神楽坂、牛込神楽坂がありますし、ランダムにあげれば夫婦坂、権之助坂、芋洗坂など、きりがないほどです。品川区では、大井町駅の近くにゼームス坂があります。 今歩いている坂の名称はわからないのですが、それほど急ではないものの、長く続きます。

 

 (2)

 2006年9月25日、目黒線のダイヤ改正が行われ、急行が走り出しました。この急行の停車駅は、私が予想していた通りで、目黒、武蔵小山、大岡山、田園調布、多摩川、武蔵小杉です。残念ながら不動前は通過しますが、これはしかたのないところでしょう。沿線最大の商店街がある所と言えば武蔵小山で、その次が大岡山だからです。 不動前駅は、目黒駅と武蔵小山駅との間にあります。

 さて、前回は不動前駅を降り、少し遠回りですがバス通りへ出て目黒不動尊へ行こうとしていました。そのバス通りに出ることができましたので、あとはその通りを歩けばよいだけです。

 マンションなどが建ち並ぶ、静かな道路ですが、これが目黒不動尊の境内を抜けるバスが通る道路です。東急バス渋72系統、渋谷駅(東口)~五反田駅という路線で、これまでに2回乗っています。小型のバスですが、バスが通るとは思えないほど狭い道も通ります。バスの旅で一番面白いのは、こうした普通の路線バスとコミュニティバスではないかと思うのですが、その中でも渋72系統は楽しめます。但し、目黒不動尊の縁日などがあると運転区間などが変わったりすることもあるようです。

 一方通行の脇道です。多分、こちらのほうが近道だったのでしょう。不動前駅は品川区にあり、目黒不動尊は目黒区にありますので、歩いているうちに区界を越えているのですが、どこがそうだったのかよくわかりません。もっとも、こういう狭い道は、品川区にも目黒区にも、そして世田谷区や大田区にもたくさんあります。

 京浜地区では色々な所に安養院というお寺がありまして、私が今住んでいる所の近くにもあります。上の写真は、目黒不動尊へ行く途中にある安養院です。

 さて、もう目黒不動尊が近くなってきました。もう少し歩くと参道の小さな商店街に入ります。小さい、と記しましたが、駅前商店街よりは大きいかもしれません。もう、このあたりは品川区ではなく、目黒区となっています。

 お昼時なら、どこかの店に入って食事をするところでしょう。しかし、この時は食事を取るべき時間帯ではなかったので、どこの店にも入っていません。

 そもそも、私は、外出すると間食などをあまりしません。一人で出歩いている時は、とくにそうです。喫茶店に入ることはありますが、コーヒーか紅茶を飲むだけで、ケーキを食べたりすることもほとんどありません。食事時でなければ、何かを食べる気にならないことが多いのです。そのため、時々テレビで食べ歩きのようなものを見ていると「よくあんなことができるな」と思うだけです。食事の際に結構な量を食べたりしますが、食いしん坊ではないのかもしれません。もっとも、そのほうがよいと思っていますが。

 

 

 

 目黒不動尊の山門前に着きました。詳しいことを全く知らないのですが、江戸時代に白井権八という男と、小柴という遊女がいたそうで、白井が処刑された後、小柴が後追い自殺したという話があり、この比翼塚が建てられています。心中がこのように美化されるのは、江戸時代になってからでしょうか。

 山門のすぐ左側にバス専用道路があり、ちょうど渋72系統のバスが出てきた所です。全国にこのような路線バスがどの程度あるのかわかりませんが、東京都23区内、川崎市内および横浜市内という京浜地区に限定すると、神社や寺の中を通り抜けるバス路線はここしかありません。この専用道路は、勿論、一般の自動車などが入ることが禁止されています。ちなみに、この専用道路の途中に目黒不動尊バス停があります。

 先ほどは記さなかったのです、渋72系統は、渋谷駅東口から恵比寿駅前を通り、林試の森、目黒不動尊、そして桐ヶ谷斎場の前を経由して五反田駅へ向かうバス路線で、一度は乗ってみる価値があります。

 

 (3)

 いよいよ、目黒不動尊に入ります。今住んでいる場所から決して遠くないのに、しかも、バスで通ったことがあるのに、初めてのことです。

 なお、今回は写真だけをあげていきます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする