ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

議事録未作成?録音などもなされていなかった??

2012年01月31日 10時08分42秒 | 国際・政治

 今日の朝日新聞朝刊4面14版には「『議事録なし』身から出たサビ 民主 記録軽んじてきた体質」という記事が掲載されています。東日本大震災を巡ってなされてきた、政権の会議の議事録が残っていないという問題は、既に報じられておりますが、その問題に関連する記事です。また、福島県の災害対策本部も、震災から6日間に行われた33回分の会議録が作成されていないことも報じられています。

 この記事には公文書管理法第4条、行政文書管理に関するガイドラインの留意事項も、合わせて掲載されています。実は公文書管理法という法律自体が、野党時代の民主党の活動の産物でもあります。どういうことか、記事を引用させていただくならば「薬害肝炎患者リストの放置や年金記録がきちんと管理されていなかった問題など、民主党が自公政権のずさんな文書管理を追求したのがきっかけ」だったということです。

 それにしてはずいぶんとおかしな話になっています。公文書管理法第4条には「議事録」という単語は登場しないのですが、「行政機関の職員は意思決定に至る過程並びに事務及び事業の実績を検証することができるよう、軽微な事案を除き、文書を作成しなければならない。」と規定していますから、ここにいう「文書」が「議事録」や「会議録」であることは明らかです。このことは、記事にも「公文書館理法の法制化を検討した有識者会議メンバーの一人」のコメントにも記されています。

 元々、この問題は情報公開法に基づく情報公開請求によって発覚したものです。そこで私が疑問に思ったのは、一連の政権の会議について、メモも録音もされていなかったのか、ということです。情報公開法にいう行政文書には、公文書以外のものも含まれるからです。公文書は、通常、決裁や供覧という手続を経たものを指します。これに対し、行政文書は、これらの手続を経ていないものであっても、組織的に利用するものであればよい訳です(例えば、国公立学校で行われる試験の答案は、決裁や供覧を経ていませんが成績管理などのために利用するので、行政文書に当たります)。また、行政文書は紙に書かれた文書以外に、パソコンの文書データ、録音、録画なども含みます。そのため、仮に議事録が作成されていないという返答があったら、「それなら録音や議事録作成前の速記録やメモはあるだろう?」と切り返せばよいのではなかったか、と思うのです。

 上記記事には、気になる箇所がいくつかあります。第一は、次の段落です。

 「民主党は政権交代直後、政治主導の名の下に各省の政策を決める政務三役会議から官僚を締め出した。こうした経緯が、記録が残らないことにつながった。」

 これが決定的な意味を持つかどうかは疑問ですが、官僚を締め出せば良いというものでもないことは当然です。「政治主導」は、単純明快な結論のみを求めやすい昨今の風潮には合致するかもしれません。多くの国民には歓迎すべきことでしょう。しかし、政治はそんなに簡単なものでもありません。頂点に立つ政治家が放つワンフレーズ、わかりやすい言葉で全てが決まるようなものではないのです。様々な問題、課題が同時進行的に存在し、それらを調整したりしなければなりません。これが厳然たる事実です。かのマックス・ヴェーバー(Max Weber)も「職業としての政治」(Politik als Beruf)の最後の部分で、同じような趣旨のことを語っています(手元に本がないのであやふやな記憶に基づいていることをお詫び申し上げます)。

 第二に、これは民主党の体質に由来すると思われるのですが、次のような箇所が記事の中にあります。

 「党役員会や政策調査会の役員会といった民主党内の幹部会合でも議事録はないという。(中略)例えば自民党には党役員会の発言メモを、参加していない副幹事長らが回覧できる仕組みがある。野党時代の慣例が抜けないのか、民主党には政策の意思決定の記録を残す仕組みが欠けている。」

 非常に重大な事実を指摘している、と評価できないでしょうか。録音なども残されていないとすれば、党の政策などをどのようにまとめ、党員に周知しているのでしょうか。やはり今日の朝日新聞朝刊4面に「年金試算『別物』矛盾抱える民主 一体改革素案に『来年提出』」という記事が掲載されていて、この記事を読んでみても思うのですが、このところの民主党政権のブレ、矛盾などの原因の一端は、記録の軽視に由来するのかもしれません。しかし、そうであるとすれば、政権与党の自覚に欠けているとしか言い様がありません。

 独裁政権などであれば、議事録など作成する必要もないでしょうし、下手に作成すると証拠が残ってしまいますから、作成しないのが最善ということになるでしょう。しかし、日本は議会制民主主義を採用する国家です。いや、根本的には国民主権主義を採用する国家です。国家の最終的決定権が国民にあるのです。正確な判断や決定をなすために、記録が重要であることは言うまでもありません。

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東急8500系8642F(界磁チョッパ制御とVVVFの混結)

2012年01月30日 09時17分26秒 | 写真

 1年以上前の写真となりますが、2010年12月27日に桜新町駅で撮影したものを掲載します。8500系の中でもとくに変り種というべき編成です。

 8642F(1号車となるデハ8600形8642号を先頭とする編成)のデハ8542です。これは8500系としては最後の番号を示す編成ですが、東武線に乗り入れません(貫通扉の窓の右上にあるKマークでわかります)。また、8500系は界磁チョッパ制御車なのですが、8642Fの中間電動車4両はVVVF制御車(8637Fに組み込まれていた)で、2000系とほぼ同じ音を発します(若干違いますが)。

 最近はあまり見かけなくなりましたが、私が利用する時間のためかもしれません。ホームで発車や到着の様子を見ている分には8500系とわかりますが、音だけを聞いていると同じ編成とは思えません。動画も撮影されることをおすすめします。

〔2012年1月30日掲載〕

 

 動画も掲載することとしました。まずは、2011年8月16日に高津駅で撮影したものです。


YouTube: 東急8500系8642F その1

 次に、同日、半蔵門線神保町駅で撮影したものです。


YouTube: 東急8500系8642F その2

 〔2012年2月26日に追加掲載。〕

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国学院大学法学部「行政法Ⅰ」2011年度期末試験問題〔2012年1月27日出題〕の講評

2012年01月29日 21時10分37秒 | 受験・学校

 1月27日の15時から16時半まで行われた期末試験について、全体的な講評を記しておきます。問題文は http://kraft.cside3.jp/PrVwR33.htm に掲載しておりますので、御覧下さい。なお、大東文化大学の行政法1の後期末試験と同じ問題がありますが、これは意図したことです。

 私が予想していた通り、Ⅱを選択した学生が圧倒的に多かったのでした。これについては、大東文化大学のほうのⅢについてと同様のことが言えます。つまり、「ピントが絞り切れていない答案が目立ちました」ということです。ただ、国学院大学のほうが「行政庁の裁量処分に対する司法審査の方法」を記している答案が多かったことも事実です(但し、その差は僅かなものでした)。

 国学院大学のⅢも、大東文化大学のⅣと同じです。そのため、この問題についても大東文化大学の行政法1と同じことが言えます(http://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/e/f6c43f2f42ce1bdea3e23063b25a51b9)。

 国学院大学のⅠとⅣは、大東文化大学のほうで出題しておりません。

 Ⅰは、そこそこの出来であったとは思います。http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht04-4.htm の東京高判昭和41年6月6日行裁例集17巻6号607頁、最三小判昭和62年10月30日訟務月報34巻4号853頁、熊本地玉名支判昭和44年4月30日判時574号60頁、および最三小判昭和56年1月27日民集35巻1号35頁に関する説明も参照してください(なお、租税法と信義則との関係については http://kraft.cside3.jp/steuerrecht07-2.html も参照してください。

 Ⅳも選択する学生が少なかったのですが、こちらは出来が分かれました。行政上の強制執行について、基本的概念の理解が不十分であったとも思われます。私は講義でしっかり説明したつもりではありますが、とりあえず http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht19-4.htm も参照してください。

 極端に出来の悪い答案はほとんどなかったのですが、優れた答案もほとんどなかった、というのが総括です。

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大東文化大学法学部法律学科「行政法1」2011年度期末試験問題〔2012年1月27日出題〕の講評

2012年01月29日 01時49分02秒 | 受験・学校

 1月27日の9時半から10時半まで行われた期末試験について、全体的な講評を記しておきます。問題文は http://kraft.cside3.jp/PrVwR32.htm に掲載しておりますので、御覧下さい。

 私が予想していた通り、Ⅲを選択した学生が圧倒的に多かったのですが、それだけにピントが絞り切れていない答案が目立ちました。「行政庁の裁量処分に対する司法審査の方法について論じなさい」としたのですが、これについてあまり触れられておらず、要件裁量と効果裁量の概念の定義などに関する説明に費やされているのです。この問題については優れた答案が皆無であったと記してよいでしょう。

 Ⅲは司法審査の方法を問うているのですから、実体的な側面を審査する場合の方法、たとえば重大な事実誤認、目的違反、平等原則違反、比例原則違反などについて論じてほしかったところです。信義則違反もポイントの一つとなりえます。また、手続的な側面を審査する場合の方法についても論じてほしかったのですが、この点に触れている答案も皆無でした。

 次に多かったのはⅣへの解答でした。これは割にできていたと思われますが、行政契約との関係しか触れられていない答案もあり、行政指導との関係しか触れられていない答案もありました。また、「正当の理由」は不確定概念ですが、そのことから無理やり行政裁量論に引き込んでいる答案もありました。

 Ⅰについての答案も、割にできていたとは思います。これについては http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht02-4.htm の最一小判昭和35年3月31日民集14巻4号663頁に関する説明も参照してください。

 Ⅱについての答案が最も少なく、1つしかありません。これについては http://kraft.cside3.jp/verwaltungsrecht06-4.htm の最一小判平成2年2月1日民集44巻2号369頁に関する説明も参照してください。

 極端に出来の悪い答案はほとんどなかったのですが、優れた答案もほとんどなかった、というのが総括です。

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高島平一丁目の霜と残雪

2012年01月28日 14時29分17秒 | まち歩き

 このところ、東京でも最低気温が氷点下となるような寒さが続いています。今朝もそうでした。仕事のため、田園都市線・半蔵門線、三田線を乗り継ぎ、西台駅から本務校へ向かう途中、遊歩道にある立木の根のあたりに霜がおりていました。

 もう9時を過ぎていたのですが、まだ溶けていません。

 この遊歩道は高島平九丁目にあるのかもしれませんが、一丁目との境界部分にあたります。すぐそばの池には水が貼られていません。冬になると表面が凍り、ゴミなどが捨てられてみずぼらしい光景となるので、水を抜いたのでしょうか。

 さて、高島平一丁目を歩き続けますと、歩道を中心に、まだ雪が残っている所がありました。

 23日の夜には川崎市でも雪が降り、少し積もりました。そのおかげで、24日の朝、渋谷の常磐松あたりでも道路に薄く積もった雪が凍結しており、滑りやすくなっていました。軽くスケートをやることができたほどです。

 それから4日後、うちの近所では雪が残っている所が少ないのですが、都内では意外に残っています。高島平一丁目もその一つです。

 車道の端のほうにも、僅かに氷が残っています。雪が凍った、あるいは、雪が溶けかかっていたけれども、夜の冷え込みで凍った、ということです。大東文化大学板橋校舎にも、少しばかりですが雪が残っています。

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上熊本駅で孤独な老兵を見る

2012年01月26日 08時05分09秒 | 写真

 今回は、2003年3月23日に熊本市へ行った時の写真を掲載します。また上熊本駅です。

 夏目漱石は、熊本大学の前身である第五高等学校(旧制)に着任する際、上熊本駅を利用しました。当時は池田駅と言われており、1901年に現在の上熊本に改称されます(現在、熊本電気鉄道菊池線に池田駅があります)。

 この駅には鹿児島本線、熊本市電、そして熊本電鉄の電車が発着します。下の写真の右側が鹿児島本線の上熊本駅で、奥のほうに市電の上熊本電停があります。熊本電鉄の上熊本駅は、御覧のようにホーム1本だけで、駅員がいません。また、2003年当時のJR上熊本駅は立派な駅舎を構えていましたが、九州新幹線の建設工事に伴い、解体の危機にさらされました。現在の駅舎はプレハブのような簡素な建物で、駅の規模も小さくなっています。そして、旧駅舎の一部が市電の上熊本電停に移されています。

 これは、1954(昭和29)年、東急東横線にデビューした初代5000系です。東急時代は緑色に塗られ、当時の最新技術を集めたこともあって、スター的な存在でした。私が幼かったころには、東横線、田園都市線、大井町線で活躍していました。一時、目蒲線(2000年8月6日に、目黒線と多摩川線に分割)を走っていたこともあります。その前面の形状から、アマガエルなどの愛称もあります。

 1970年代後半、長野電鉄に一部が移籍してから(その長野電鉄での車両を、鷺沼で見たことがあります)、譲渡や廃車が始まりました。岳南鉄道、松本電鉄(現在のアルピコ交通)、上田交通(現在の上田電鉄)などに譲渡されたものも、ほとんどが廃車か休車になっています。

 熊本電鉄に譲渡されたのは6両で、1981年と1985年のことです。1981年当時、熊本電気鉄道には古い吊り架け駆動の車両しかなく、この5000系が最初のカルダン駆動車でした。熊本電気鉄道の全線で活躍していましたが、現在は2両が上熊本~北熊本のみで動いています。

 以前、この電車に乗った時には、つり革の広告が東急時代のままでした。熊本には東急百貨店がないはずなのですが。

 こちらは、熊本電鉄に移ってから設けられた運転台の部分です。よく見ると右運転台となっています(写真では左側に運転台があります)。日本では数が少ない右運転台の車両ですが、これはワンマン運転の便宜のためであるそうです。もっとも、これはあまり意味がなかったようで、本来であれば逆向きでなければならないのだそうです。

 熊本電気鉄道に移籍した頃は東急時代と同じ緑色でしたが、1990年代に上の写真にある塗色に変えられました。2004年、再び東急時代の緑色に変えられています。

 既に、デビューしてから50年近くが経っています。あと何年、この熊本で走っているでしょうか。

 (2003年4月26日、「待合室」第46回として掲載したものを修正・加筆)

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熊本で三田線に再会した(続)

2012年01月25日 22時04分54秒 | 写真

 1月23日付で「熊本で三田線に再会した」という記事を掲載しましたが、今回はその続編のようなものです。

 藤崎宮前から御代志行きに乗り、北熊本で降りました。ここで上熊本行きに乗り換えます。その際に、帯の色が変えられた元都営6000形を撮影しました。

 御代志発藤崎宮前行きです。ワンマン運転のため、バックミラーが付けられています。左側の方向幕は「ワンマン」となっておりますが、三田線時代は使われたことがありません。もし、東武東上線および東急池上線・大井町線・田園都市線(どうやら、旗の台までは池上線、そこからは大井町線を経由して田園都市線の長津田まで乗り入れる予定であったようです)への直通運転が実現していたら、左側の幕には「急行」などの種別が示されていたことでしょう。

 また、現在の6000形には冷房が取り付けられていますが、三田線時代は長らく非冷房でした。

 北熊本から上熊本行きに乗りました。本来、熊本電鉄の路線は、菊池線が上熊本から御代志まで(かつては菊池まで)、藤崎線が北熊本から藤崎宮前までなのですが、運転系統は藤崎宮前から御代志まで、上熊本から北熊本までとなっています。そして、上熊本から北熊本まで、アマガエルとか青ガエルなどとして親しまれた元東急5000系(初代)が走っています。現在でも走行する姿を見られるのは熊本電鉄だけなので期待していたのですが、非冷房車だからなのか、別の理由からなのか、上の写真のように別の形式の車両が走っていました。もっとも、初代5000系は1954(昭和29)年に登場した車両で、既に50年以上も走っていますから、相当に老朽化が進んでいるはずです。

 上熊本に到着して、撮影してみました。現在は200形となっていますが、元は南海22000系で、高野線用のズームカーの一種です。南海時代は薄い緑灰色の地に緑色の帯という塗色でしたが、現在は御覧のように上が水色、下が青で赤帯が巻かれるという塗色です。元東急5000系(初代)もこの塗色に変えられていたことがあります。

 この車両は、東急車輛(大阪製作所。かつての帝国車輌)で、1969(昭和44)年に製造されています。私が生まれたのが1968(昭和43)年ですので、その翌年に造られたということになります。1969年といえば、東急8000系がデビューした年でもあります。

 200形も、製造から40年以上が経過しています。あと何年、熊本電気鉄道の線路を走行するのでしょうか。菊池線も藤崎線も、あまり状況が良くないだけに気にかかります。以前、市街地の水道町まで延長するという話もあったのですが、結局立ち消えになりました。最近では、熊電を廃止して専用バス道路に変えた上でガイドウェイバスを走らせるというような案まで出される始末です。

 何しろ、両線ともあまり便利ではありません。藤崎線のターミナルである藤崎宮前駅は、中心地から少し離れています。また、菊池線の起点である上熊本駅は、鹿児島本線や熊本市電と乗り換えられるのですが、熊電の駅は無人駅ですし、周囲に大型の商店などはありません。駅前商店街らしいものも見受けられないのです。九州新幹線が全通したことにより、鹿児島本線の特急は1往復しかなくなり、しかも上熊本駅には停まりません(新幹線が全通するまでは、全部ではありませんが上熊本駅にも特急が停まっていました)。

 現在、純粋な私鉄では熊本電気鉄道が日本最南端となるのですが、今後、予断を許さない状況と言えるでしょう。

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国の借金はあと少しで1000兆円超

2012年01月25日 10時36分25秒 | 国際・政治

 今日の朝日新聞朝刊9面14版に、小さな記事ではありますが「国の借金985兆円」という、非常に気になる記事があります。24日提出の今年度(2011年度)第4次補正予算案で明らかになりました。

 今年度末の時点における借金の残高は、これまででも1024兆円ほどと、確実に1000兆円を超えると見込まれていたようですが、第4次補正予算案で985兆3586億円という見通しが出されました。かろうじて1000兆円を下回ることになります。しかし、これも束の間のことで、2012年末には1085兆円となるということです。

 国の借金は、国債の他、様々な借入金からなります(http://kraft.cside3.jp/finanzrecht06-4.htm)。そもそも、国債という言葉にはいくつかの意味があり、広くとれば「財政上の必要による国の債務で償還期限一年以上の公債および借入金の他、資金繰りの必要による大蔵省証券等の短期証券および一時借入金をも包含する」ということになります(杉村章三郎『財政法』〔新版〕(1982年、有斐閣)64頁)。朝日新聞の記事における「国の借金」は「広義の国債」ということになるでしょう。

 2011年度中に1000兆円に達しなかったことの大きな理由として、政府短期証券があげられます。最大で165兆円と見積もられていたのが129兆円に収まるためだとのことです。また、普通国債の発行残高も4000億円ほど減るようです。

 しかし、2012年度は、復興債として2兆7000億円、それ以外の国債として44兆2000億円が発行分として予定されています。こうなると確実に残高が1000兆円を超えます。

 これまで、1975年度以来、ほぼ毎年、赤字国債が発行されています。三位一体改革などの行革が進められたとしても、残高は増える一方です。勿論、「改革が不十分であったからこうなった」という評価もあるでしょう。それは大きな原因でもあります。しかし、それだけではないはずで、税制の歪み、社会における人口構造など、複数の原因があります。IMF関係者が、日本の消費税率について15%ほどが望ましいと発言したそうですが、むしろ歳出の見直しのほうが避けられない情勢です。

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川崎市高津区でも雪です

2012年01月24日 00時05分54秒 | まち歩き

 今年の1月20日、川崎市でも雪が降りました。これがこの冬の、神奈川県での初雪でした。それから3日後、夕方に雨が降ってきたと思ったら、夜には雪に変わっていました。

 屋根にうっすらと積もっていることがわかります。雪に変わってまだそれほど時間は経っていません。

 

角度を変えてみました。

日付が変わった頃にはやんだようです。

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熊本で三田線に再会した

2012年01月23日 22時17分01秒 | 写真

 今、川崎市高津区でも雪が降っています。うっすらと積もってきました。そのような中、昨年の夏の話をします。

 変なタイトルをつけましたが、まずは写真を御覧下さい。

 熊本電鉄藤崎宮前駅で発車を待つ6000形です。これは、都営地下鉄三田線を走っていた車両です。東急目黒線との直通運転が始まる前に三田線から離れました。一説には、ホームドアやATO装置の関係で引退したとのことです。

 現在の都営三田線は、白金高輪から目黒まで東京メトロ南北線に乗り入れ、目黒から東急目黒線に直通運転していますが、元々は東武東上線および東急池上線・大井町線・田園都市線との直通運転をする予定でした。そのため、6000形のデザインなどには東武鉄道の意見が入れられているとのことです。しかし、東武東上線、東急池上線・大井町線・田園都市線との直通運転は実現せず、長らく三田から西高島平までの区間に留まっていました。しかも、高島平から西高島平までは、東武鉄道が営業免許を得たものの、東京都交通局に譲渡されています。

 三田線は6300形に入れ替えられました。そして、6000形は秩父鉄道と熊本電気鉄道に譲渡されました。熊電では2両編成で藤崎宮前~御代志を走っています。藤崎宮前を出ると、次の黒髪町との間に、僅かながら道路の上を走る区間があります。元地下鉄の車両が道路の上を走るというのは、日本全国でもここしかありません。

 (撮影日:2011年8月8日)

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