ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

おしらせです(2012年8月30日)

2012年08月30日 00時31分20秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 8月28日付で、TKCローライブラリー(https://www.lawlibrary.jp/index.html)の「新・判例解説Watch」に、私が担当した「株主会員制ゴルフ会員権の性質および譲渡所得に係る取得費の計算が争われた事例」(租税法No. 66)が掲載されました(https://www.lawlibrary.jp/pdf/z18817009-00-130660813_tkc.pdf)。これは、東京地方裁判所平成23年12月13日判決の解説です(なお、控訴審判決の東京高等裁判所平成24年6月27日判決についても少し触れています)。

 御一読をいただければ幸いです。

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別に目新しくも何ともないBRT(バス高速輸送システム)

2012年08月25日 11時02分40秒 | 社会・経済

 現在も、交通論などの世界では「欧米に追いつけ」という風潮があるのでしょうか。LRTやBRTという略語そのもの、そしてそれらに関する議論などを見ている度に思うことです。

 LRTのほうは、日本で路面電車復権論のようなものがなかったことと、技術面での不足という問題があったために、確かに目新しさ(いや、それを超えるようなもの)はあります。ただ、日本では東急池上線がLRTの一種とも見られるというような議論まであり、首を傾げたくなるところではあります。

 これに対し、BRTは、言葉こそ目新しく映りますが、実際のところは、むしろ日本が先行していたのではないか、とすら思えてきます。もっとも、歴史などを見た訳ではないので、いい加減なことを書いていると思われるかもしれません。ただ、8月22日付で「近鉄内部線・八王子線が廃止される可能性」を書いて掲載したところ、白蛾さんからコメントをいただき、私が返答を記しているうちに、何かを思って23日にたまたま或る本かサイトを見ていたら、BRTが別に目新しいものでも何でもないことに気づいたのです。BRTそのものかどうかは別としても、日本には先例、あるいは先駆的な例があるのです。BRTに限らないことですが、歴史をしっかり見ておく必要性を感じます(中には歴史を全く無視しているか、そもそも見てもいないような議論もありますので)。

 以下、白蛾さんのコメントに対する返答と重複する部分がありますが、記していきます。

 既に開業している鉄道を廃止して、線路が敷かれていた用地をバス専用道路にする。または、当初は鉄道路線を開業する予定で取得し、建設を進めている用地を、何らかの理由によってバス専用道路にする。

 かつて、日本国有鉄道、略して国鉄は、ローカル線などで上に記したようなことを行ってきました。

 そもそも国鉄バスというものは、鉄道路線建設予定である路線(その多くが鉄道敷設法で示されていました)に、鉄道の代わりとして利用されたものが多いようで、その代表例が、最近廃止された大分県の臼三線(きゅうさんせん)です。日豊本線の臼杵駅から豊肥本線の三重町駅までのバス路線で、元々は鉄道路線として建設が予定されていたのですが、何らかの理由で中止され、バス路線として開業したのでした。途中、現在は臼杵市の一部となっている野津町を通り、その野津町には野津駅がありました。鉄道の駅ではなく、バスの駅です。

 大分県に7年間も住んでいながら、この臼三線を利用したことがないのですが、国道502号線を通るバス路線であるため、自分で愛車を運転してルートをたどったことがあります。実はこの国道502号線こそ、元々が鉄道路線として建設された道路だったようです。バス専用道路とされた時期があったのかどうかはわかりません。

 さて、BRTの先駆的な例についての話を進めなければなりません。既に国鉄バスを出しています。現在もJRバス関東の路線として運行されているのが、福島県の白棚(はくほう)線で、東北本線の白河駅から水郡線の磐城棚倉駅までの路線です。この路線こそ、BRTの先駆的な例でして、BRTが別に目新しくも何ともないと記したことの理由ともなっています。

 この白棚線は、元々が白棚鉄道という私鉄の路線で、1940年代(戦後ではありません)に国有化されたのですが、その数年後に休止となっています。戦後、鉄道路線としての復活も試みられたのですが叶わず、鉄道用地はバス専用道路となり、そこに路線バスを走らせたのです。しかも、このバス専用道路は、1950年代としてはかなりの高規格で、全面的に舗装され、それなりに速度を出せるようにしたとのことです。本当かどうかわかりませんが、日本最初の高速バスとまで言われています。

 但し、ローカル線をそのままバス路線化していますので、道の幅は単線の鉄道のまま、つまり、狭いということになります。そのため、列車交換ならぬバス交換、つまり離合をしなければなりません。また、専用道路の場合、除雪も独自に行う必要があります。それだけ経費がかかる訳ですが、現在もJRバスとして残っていることからして、需要はあるということでしょう。

 現在に至るまで、バス専用道路は国道の拡張に飲み込まれる形で消滅しており、現在ではかなり短くなっているようですが、残っています。

 国鉄は、白棚線にかなり力を入れたようで、ローカル線のバス転換のモデルケースとして考えていたようにも見えます。当時で全面舗装の道路としたところにもうかがえます。そして、この白棚線の成功例を、近畿地方は奈良県の五條市にも持ち込みました。それが、和歌山線の五条駅から阪本までの阪本線でした。

 阪本線は、元来、五条駅から紀勢本線の新宮駅までの鉄道路線である五新線として計画されていました。和歌山県側で着工されたかどうかはわかりませんが、奈良県側では鉄道路線として着工されました。しかし、紀伊山地を通るために長大なトンネルを建造しなければならず、費用がかさむという問題がありました。それだけでなく、駅の設置を巡って地元の市町村間で深刻な対立が発生します。現在は五條市の一部である西吉野村がバス路線化を主張したのです。これで鉄道派とバス派の対立が生じました。さらに近鉄と南海が入ってきて大混乱に陥ります。結局、鉄道路線のために建設した施設の一部をバス専用道路とし、阪本線として開業したのです。

 阪本線も、白棚線と同じような問題を抱えていました。五新線は単線の鉄道として企画され、建設が進められました。そのため、バス専用道路は一車線分しかありません。途中の駅予定地を転用した交換場所がなければ、離合ができません。また、近隣の国道が整備されると、元々人口が少ない地域で過疎化も進んでいたことなどが原因となり、乗客も減少し、阪本線は西日本JRバスの手を離れます。

 現在は奈良交通が五條西吉野線として運行していますが、本数が少なく、廃止は時間の問題ではないか、という気もしてきます。奈良交通のサイトを見ると、五條バスセンターから「専用道方面」となっており、土曜日と休日は専用道城戸行きが早朝は6時52分発の1本だけという状態です。平日も寂しく、西吉野温泉行きが8時12分発、15時37分発の2本だけ、専用道城戸行きが6時12分発、6時52分発、18時2分発の3本だけです。

 (余談ですが、五新線→阪本線の話は河瀬直美さんが監督した映画の題材となっています。その映画でデビューをした女優が尾野真千子さんで、現在の五條市の出身とのことです。)

 さて、2つの先駆例を取り上げましたが、いかがでしたでしょうか。これらから得られる教訓はいくつもあると思いますが、もう少し、具体的な事情などを調べてから結論を出したほうがよいと思われます。ただ、バス専用道とするにしても単線規格の鉄道用地をそのまま転用するのは厳しいことを認めざるをえないでしょう。また、人口の問題、周辺の道路事情の問題があります。加えて、専用道に対する地元住民の意識の問題もあります。

 以前、北九州市を訪れた時、西鉄北九州線の跡地をバスで通りました。戸畑区であったか、電車の専用軌道をそのままバス専用道にしている箇所があります。利用状況がどうであるのか、気になるところです。

 ちなみに、私が住んでいる川崎市高津区の近く、多摩川を渡ってすぐ隣の東京都世田谷区には、鉄道代替バスが現在も走っています。二子玉川駅から砧本村までを8の字で結ぶ東急バス玉06です。かつては渋13も走っていました。二子玉川駅→中耕地→吉沢→三角公園→砧本村のルートは、廃止された砧線のルートです。但し、少なくとも二子玉川駅→中耕地→吉沢は、廃線跡とは違う道路がバスのルートとなっています。

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特例公債法がまだ成立していない! このまま成立しなければ……

2012年08月24日 17時31分19秒 | 国際・政治

 7月28日付の「会期を延長してようやく一本?」でも記したのですが、今も開かれている第180回国会は、とにかく法律の成立数が少なく、遅いのです。消費増税法案こそ成立しましたが、もっと重要な法律が成立していないので、今年度の財政運営がどうなるのか、いや、大変な事態に陥るのではないか、という懸念が高まります。

 今日の朝日新聞夕刊トップ記事は「特例公債 自民抜きで可決  衆院委 今国会成立は困難」という見出しの記事です。この記事によると、今日、衆議院財務金融委員会で今年度の特例公債法案の審査(委員会での審議を「審査」と言います)が終了し、可決されましたが、自民党は採決に欠席しています。記事では何故か衆議院本会議を飛ばしていますが、本会議で可決されたとしても、野党が多数を占める参議院でまともに審議されるかどうかがわかりません。

 実は、昨年度の特例公債法も8月末に成立しています。これは、菅直人内閣の退陣などといった政治状況があり、与野党での取引の結果として法律が成立したという側面があります。今年はどうするのでしょうか。

 仮に今年度の特例公債法が成立しなければ、予算に盛り込まれている特例公債(赤字国債)を発行できず、今年度の財源が枯渇するという危険が目の前に現れることとなります。

 こうなると、第180回国会の再延長、野田佳彦内閣の退陣または衆議院の解散・総選挙、平成24年度第一次補正予算、などという選択肢が登場してきます。しかし、残された会期もそう長くありませんし、この国会で成立しなければ、財政空白という異常事態が日本を襲い、経済も社会も破綻することになりかねません。

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売れないのは当然か? 泉佐野市の命名権

2012年08月22日 20時12分27秒 | 国際・政治

 今年の3月25日付で「果たしてどうなのだろう? 大阪府泉佐野市の試み」と題し、泉佐野市が行っている市名の命名権売却の話を書きました。地方議員の視察は多いようですが、肝心の企業からの声が全くかかっていないという話があります。読売新聞社が、今日の14時37分付けで『泉佐野市の命名権、照会ゼロ…10億円高すぎ?』(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120822-OYT1T00677.htm)として報じています。

 この記事を読むと、企業と地方議員の間にある、見事なまでの視点のズレ、思考のズレが目立っているような気がします。これまで、地方議員の視察は今年度で60人ほどだそうで、昨年度の2.4倍ほどだということです。沖縄県の名護市、福井市などから視察に訪れる議員があるのですが、肝心の企業からの照会がないのです。

 記事では、年間広告料、公共施設の看板の付け替えなどの経費を合わせて最低で10億円という「ハードルが高い」ことを原因の一つとしてあげています。しかし、果たしてそれだけなのか、という疑問はあります。

 そもそも、命名権売却(あるいは貸借)は危険性の高いものです。たとえば、売却先の企業が何らかの不祥事を起こしたとします。そうすると、その企業の名前を冠した施設なり市町村なりは、どのように対処するのでしょうか。日本には実例が何件かあるのですが、泉佐野市の行政当局者も地方議員も、全く知らないのでしょうか。

 最近、東京都八王子市にある八王子市民会館が問題となりました。ここには命名権が設定され、オリンパスホール八王子となっているのですが、昨年明らかになった不正経理事件は企業そのものの存続にも関わる大事件でした。泉佐野市では報じられなかったのでしょうか。しかし、これはまだよいほうの例でした。

 埼玉県所沢市にある西武ドームの命名権に至っては契約の解除にまで至りました。2007年、西武ドームはグッドウィルドームとなりましたが(その前にはインボイスSEIBUドームと命名されていました)、同年中にグッドウィルグループの違法派遣業務が一大問題となり、厚生労働省から事業停止命令を受ける事態にまで至りました。こうなっては、命名権がマイナスに働きます。プロ野球チームのイメージがガタ落ちになるからです。その後、西武ドームについては命名権の設定などが行われていません。西武球団が慎重であるためで、グッドウィル事件の教訓として、命名権行使企業のイメージが球団にも響くという危険性を認識したのです。このことは、公共施設などにはいっそう強く妥当するはずなのです。泉佐野市、そして視察した地方議員は、こうしたリスク感覚に乏しいのではないでしょうか。

 また、東京都渋谷区は渋谷駅の近くにある宮下公園でも、命名権を巡る事件が生じました。ナイキジャパンが宮下公園の命名権を取得し、宮下NIKEパークという名称をつけようとしました。このことが報じられて、すぐに反発が起きました。原因は様々で、一つにはホームレスの強制排除の問題もありましたが、公共の場である公園を一私企業の宣伝の場とすることへの批判も強かったようです。結局、ナイキジャパンは命名権のために費用負担を続けているようですが、命名権の行使は見送られました。

 宮下公園の事例は、西武ドームの事例などとは性質が違いますが、場所、施設などの性質によっては命名権の行使に対する強い反発が生じるということで、大いに参考にすべきでしょう。

 小説や漫画などを書くのと同じで、アイディアを出せること自体はよいのですが、それを生のまま、何の検討もしないで出すというのでは、使い物にならないものしか産み出せないでしょう。重要なのは、出てきたアイディアをどのようにアレンジするか、ということです。この点では料理と似ています。材料を出しただけでは料理と言えないからです。

 

 大阪都構想も、安直さという点では泉佐野市の命名権売却に負けていません。大阪府と大阪市が二重行政の状態にあるというのであれば、府と市の役割を見直すか、大阪市だけを大阪府から分離して一市一県にするか、大阪市を解体して幾つかの市にすればよいだけのことです。東京都でも、かつて、千代田区が千代田市構想を発表していました。世田谷区は、人口だけであれば十分に政令指定都市としての資格を持っていますから、世田谷市世田谷区・北沢区・成城区・玉川区などという行政区割りも可能でしょう。

 大阪都構想が中途半端なのは、一つが大阪市の解体に留まるという点です。大阪府の全市町村を吸収合併しても、面積の点では岐阜県高山市にかないません。もう一つが、道州制を導入するならば中間点に過ぎないので結局は無駄であるということです。

 以前にも書いたのですが、大阪府に都政を敷きたいのであれば、一番安直で楽なのは大阪府が東京都の一部になることです。しかし、大阪府民、大阪市民の誰も望んでいないでしょう。大阪都にはならないからです。

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近鉄内部線・八王子線が廃止される可能性

2012年08月22日 13時37分20秒 | 社会・経済

 以前から存廃の岐路に立たされていることは知っていました。記事を読んだ時には「ついに決めたか」と思いました。毎日新聞社が、今日の2時30分付で「近鉄:内部線・八王子線の鉄路廃止、跡地にバス運行  三重」(http://mainichi.jp/select/news/20120822k0000m040141000c.html)として報じています。

 三重県は、今から7年前に近鉄大阪線・名古屋線の特急で通過しただけであるため、詳しいことを知りません。ただ、桑名駅に近い西桑名(桑名市)からいなべ市の阿下喜まで三岐鉄道北勢線が営業していること、四日市市の中心駅である近鉄四日市から同じ市内の内部(うつべ)まで近鉄内部線が営業していること、内部線の途中駅である日永から西日野まで近鉄八王子線が営業していることは知っています。

 この3つの路線の共通点は、近鉄が言うところの特殊狭軌線で、レールの幅が762ミリメートルしかないということです(ちなみに、北勢線もかつては近鉄が運営していました)。いわゆる軽便鉄道というもので、第二次世界大戦前には全国各地で見られたものの、バスなどとの競争に敗北して次々に廃止され、高度経済成長期にはほとんど見られなくなりました。現在、工事用軌道などの特殊な用途を除けば、上記3路線以外には富山県の黒部峡谷鉄道しかありません。ただ、黒部峡谷鉄道は観光と関西電力の物資輸送のための鉄道で、通勤通学路線とは言い難いのです。

 北勢線も廃止の危機にさらされ、結局は三岐鉄道が引き受けて存続したのですが、次に内部線と八王子線が存廃問題の渦中に入ることは予想されていました。このところ、近鉄も合理化、ダウンサイジングに取り組んでいるようで、特急の本数を減らしたりしています。それに、1974年、水害のために八王子線の西日野~伊勢八王子が運休となり、2年後に廃止されていますが、この時にも近鉄は八王子線の廃止を打ち出していました。そのため、少なくとも八王子線に関しては二度またはそれ以上の危機に直面していることになります。

 そもそも、内部線と八王子線が何故に軽便鉄道のまま残されてきたかという問題があります。線路の幅が狭いのでは速度も出ませんし、吊り掛け駆動のうるさいモーター音を出す電車しか走れません。鉄道ファンならこういう音を好むでしょうが、普通の乗客ならただの不快な騒音でしかありません。また、線路の幅が狭いことから車体も小さくせざるをえず、冷房化も難しいという問題も無視できません。

 内部線、八王子線、そして三岐鉄道に移された北勢線のいずれも、最初から近鉄の路線であった訳ではありません。1965年に三重電気鉄道が近鉄に合併され、内部線、八王子線、北勢線も近鉄の路線となったのです。

 近鉄は営業キロ数が500キロメートルを超えます。大手私鉄でもトップの営業キロ数です。そのため、よく日本一の私鉄と評されます。しかし、これは営業距離だけの話です。たとえば、会社の資本金で比較をするならば、大手私鉄で最大の会社は東京急行電鉄(東急)で、平成23年3月末日現在で1217億2400万円です。1000億円を超えるという鉄道会社は東急くらいで、営業距離でなら東急の5倍を超える大きさをもつ近鉄の資本金は、平成24年3月末日現在で927億4100万円となっています。1年間の違いはあるものの、資本金が1年間で大きく変動するということはあまりないので、資本金で行けば近鉄のほうが東急より少ないことが明らかです。敢えて単純化して記すならば、近鉄は資本力の割に過大とも言える路線網を抱えているとも評価できます。

 また、近鉄の営業距離が大手私鉄最大であるから年間輸送人員も最大である、というのであれば、近鉄が日本一の私鉄という評価も理解できるのですが、そうなっていません。日本民営鉄道協会が発表している数字を参照すると、平成23年3月現在での近鉄の年間輸送人員は5億7352万2千人です。他の大手私鉄と比較してみましょう。以下は、多いほうから順番に示しています。

 (1)東京地下鉄(東京メトロ):23億219万7千人

 (2)東急:10億6259万人

 (3)東武:8億6308万7千人

 (4)小田急:7億1040万5千人

 (5)阪急:6億323万3千人

 (6)京王:6億2543万9千人

 (7)西武:6億1777万1千人

 (8)近鉄:5億7352万2千人

 (9)京急:4億3735万1千人

 (10)名鉄:3億4038万6千人

 (11)京阪:2億8059万9千人

 (12)京成:2億5880万8千人

 (13)相鉄:2億2757万7千人

 (14)南海:2億2606万5千人

 (15)阪神:2億520万2千人

 (16)西鉄:9909万7千人

 旅客輸送人キロの面なども見なければ正確なことがわからないかもしれませんが、営業距離との関係を考えるならば年間輸送人員の数で十分でしょう。近鉄の次に営業距離が長い東武が年間輸送人員で3位に入っていることからしても、近鉄の数字は高くないと言わざるをえません。そして、この輸送人員数を大阪線、奈良線、名古屋線、京都線、南大阪線などの主要路線で稼いでいると考えると、支線区は乗客が少なく、経費ばかりかかる路線となっていることも、想像に難くありません。現に、2011年の秋から、吉野線の無人駅が増えています。資本力を考え合わせると、とてもローカル線に手を回せるような状況ではないのかもしれません。大阪線と名古屋線の特急も減便されているくらいなのです。

 内部線と八王子線は、三重県で最も人口の多い四日市市内を走ります。しかし、存廃問題が浮上しているのですから、乗客が少なく、経費がかかっていることは簡単に推測できます。軽便鉄道では、他の都道府県に同じような私鉄が存在しない(黒部峡谷鉄道は特殊な例なので、ここでは除外します)ことからすれば、仮に伊賀線や養老線(奇しくも、この両線も三重県の路線です。養老線は岐阜県も通ります)のように分社するとしても、他の会社から中古の車両を購入して走らせるという訳にもいきません。

 こうなると、現在のままでは内部線も八王子線も生き残ることはできません。或る意味で、近鉄の路線であったからこそ、現在まで維持されてきたとも言えます。しかし、今後は、近鉄のダウンサイジングの第一候補として廃止される可能性が高まっている訳です。四日市市に行ったことがないのでよくわからないのですが、自動車社会でもあるのでしょうか。

 近鉄が打ち出しているBRT化は、現実的な方向と言えます。しかし、BRTも決して万能ではありません。単線の幅のまま、バスの専用道路にするということになると、バス同士の離合が問題となります。どこでもできる訳ではないからです。そうなると、本数が限定されるだけでなく、所要時間も延びるかもしれません。ダイヤの設定が鍵になるでしょう。

 他に考えられるのは、たとえば改軌です。近鉄四日市駅から湯の山温泉に伸びる湯の山線も、元々は軽便鉄道でしたが、近鉄名古屋線と同じ標準軌に改められています。ただ、内部線と八王子線の改軌を近鉄が行うとは考えにくいので、可能性は低いでしょう。

 そうなると、分社化、他の私鉄への譲渡、第三セクターといったところが考えられます。分社化は、伊賀線→伊賀鉄道、養老線→養老鉄道という例がありますし、他の私鉄への譲渡は北勢線の例があります。ただ、分社化は一時しのぎに終わる可能性がないと言い切れない点に問題があります。また、他の私鉄への譲渡の場合は、受け皿となる会社が必要ですが、また三岐鉄道に引き受けさせるという訳にもいかないでしょう。三重交通でしょうか。しかし、内部線、八王子線は三重交通の路線であったところ、三重交通から三重電鉄に分社され、そして近鉄に合併されたという経緯を持っています。三重交通によほどの余裕がない限り、再び内部線および八王子線の運営主体になるとも思えません。第三セクター化も、他の地域の例も合わせると黒字化するほうが難しいくらいですし、まして軽便鉄道なので、これまで以上に慎重な検討が必要でしょう。第三セクター鉄道の中には、かなり安直なものとしか思えないような例もあるくらいですので、正直に記せば、あまり賛同できないのです。

 四日市という場所を考えると、観光鉄道にするというのも現実的でないような気もします。そうなると、存続の道を考えるのは難しいかもしれません。

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名盤は、何度聴いても良いものです。

2012年08月18日 23時03分28秒 | 音楽

 7月下旬にモダン・ジャズ・カルテット(The Modern Jazz Quartet)の「ラスト・コンサート」(The Last Concert)を買いました。1974年11月25日にニューヨークのエイブリー・フィッシャー・ホール(Avery Fisher Hall)で行われた演奏会の実況録音版です。1980年代にMJQは復活しますが、まさに解散コンサートといってよい内容です。

 あまり言われないことですが、これは1970年代に録音されたジャズのレコードとしては名盤に属するものです。実際、ここでの演奏はどの曲も素晴らしいもので、MJQのリーダーでもあったピアノのジョン・ルイス自身も最高傑作と認めたそうです。

 実は、私は中学生時代にこの「ラスト・コンサート」の2枚組LPを、実家の近くのレコード店(今もあります)で購入しています。しかし、このコンサートで演奏された曲の全部が入っていた訳ではなく、また、曲の順もコンサートとは全く違っていました。どうせなら全曲をコンサートの順番と同じ順で聴きたいと思い、銀座の山野楽器で買いました。

  まずは「朝日のようにさわやかに」(Softly as in a Morning Sunrise)で始まります。多くのジャズマンが演奏し、録音もたくさんありますが、やはり、J. S. バッハの「音楽の捧げもの」(Musikalisches Opfer)の中の1曲を冒頭に入れたMJQの演奏が一番です。オリジナルの演奏も好きですが、やはり解散コンサートの気迫が名演奏を産み出したのでしょう。

 その後、「サマータイム」(Summertime)、「ラウンド・ミッドナイト」(’Round Midnight)、「チュニジアの夜」(A Night in Tunisia)などと続き、アンコールに、MJQの代名詞のような「ジャンゴ」(Django)、MJQのメンバーで名ヴィブラフォン奏者のミルト・ジャクソンの名作「バグズ・グルーヴ」(Bags' Groove)が演奏されて終わります。「ジャンゴ」、「バグズ・グルーヴ」という曲を最後に持ってきたという構成も素晴らしいものですが、どちらも最高の演奏で、しかも「バグズ・グルーヴ」ではパーシー・ヒース(Percy Heath)のベースソロも聴けます。

 さらに記すならば、ドラムのコニー・ケイ(Connie Kay)は、全体的にあまり派手なところを出さないものの、堅実なリズムで演奏をまとめています。MJQに漂う上品さは、ひとえにコニー・ケイのドラムのためではないか、と思うのです。

 とにかく、演奏をお聴き下さい。私は、最初に聴いた時(中学生時代で、2年生か3年生の時です)に「朝日のようにさわやかに」で感動し、4ビートのジャズにのめりこむこととなりました。

 それから、ここで特筆すべき曲として、かのアランフェス協奏曲第2楽章をあげておきます。この解散コンサートで演奏されたのですが、通常のポップス編曲版とは全く異なり、かなり原曲に忠実に演奏しています。原曲にはギターのカデンツァも入っているのですが、この部分までMJQはしっかり再現しているのです。これには好感が持てます。何故なら、アランフェス協奏曲がその代表ともいえるのですが、概して、クラシックの名曲をポップスに編曲すると、有名なフレーズだけを取り上げたり、無理やり4拍子に変えたりするので(ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章は8分の3拍子です)、つまらない曲に変わるのです。しかし、そんな馬鹿なことをしなかったのがMJQで、ここはジョン・ルイスのセンスのよさが効いています。アランフェス協奏曲の名演奏の中にMJQのこの解散コンサートでの演奏が入らないとしたら、世の音楽評論は狂っているのではないか、などとも思います。

 既に、ジョン・ルイスとミルト・ジャクソンはこの世を去っています。この不世出のジャズ・ユニットの傑作を何度でも聴けることは、やはりうれしいものです。

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消費増税法案に示されている税率

2012年08月17日 09時40分11秒 | 法律学

 今月10日の参議院本会議で消費増税法案が可決され、法律として成立しました。

 この法律の正式名称は「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法の一部を改正する等の法律」といいます。本来は消費税法の他に所得税法や相続税法などの改正も含まれていましたが、民主党、自民党、公明党の協議で所得税法や相続税法の改正が外されています。

 御承知のように、この法律により、消費税および地方消費税の税率は、2014(平成26)年4月1日、および2015(平成27)年10月と2段階で引き上げられます。何故に二段階に分けるのかという問題もありますが、改めてこの法律(といっても概要ですが)を見ると、消費税と地方消費税との割合が変わっていることに気づかされます。

 現在の消費税法第29条によると、消費税の税率は4%です。一般的には5%と言われますが、これは地方消費税の分を合わせているからで、消費税:地方消費税=4:1となっているのです。

 それでは、地方消費税の税率は1%と規定されているのでしょうか。実は地方税法の規定を見ても、どこにも1%とは書かれていません。どういうことかというと、地方税法第72条の77第2号・第3号が地方消費税の課税標準を消費税の税額としており、同じ法律の第72条の83が地方消費税の税率を消費税額の25%としているのです。つまり、地方消費税の税額は消費税の税額を基準として、これに25%をかけることによって得られます。そのために、現在の地方消費税は、0.04×0.25=0.01ということで1%になる、という訳です。

 それで、消費増税法がどのように規定するのかというと、次のようになります。

 (1)2014年4月1日から2015年9月30日まで(消費増税法第2条)

 消費税の税率 4%→6.3%

 地方消費税の税率 1.7% (消費税額の約27%)

 合計 8%

 地方消費税の場合は地方税法の改正ということになります。まだ地方税法の改正案などを読んでいませんが、このような税率の定め方をしていることからして、現行の「消費税額の25%」というような定め方をしていないことは明白です。格好だけは、これまでのように消費税の付加税ということではなく、独立した税ということになるのでしょうか。

 この税率がどのように決定されたのかがよくわかりませんが、地方六団体、とくに地方知事会は地方消費税の税率あるいは割合を高めるように主張していました。たとえば、合計で8%として消費税:地方消費税=6:2としますと、地方消費税の税額は消費税の税額の3分の1となりますから、現在よりも割合が高まります。地方の側からは、消費税を完全に地方税にするという案も主張されていたくらいですから(現実の問題を考えると実現困難です)、何らかの妥協がなされた割合なのでしょう。

 (2)2015年10月1日から(消費増税法第3条)

 消費税の税率 6.3%→7.8%

 地方消費税の税率 1.7%→2.2% (消費税額の約28%)

 合計 10%

 このような割合にすると、地方交付税における消費税の割合をどのようにするのか、という疑問も湧きます。意外に知られていないので驚くのですが(あまり大きく報じられなかったからでしょう)、今年の4月1日から法人税の税率が引き下げられており、地方交付税における法人税の割合が維持されたとしても、額としては減少することになるためです。今後の動向が気になります。

 また、名目や格好はともあれ、今回の税率引き上げによって、地方消費税が持つ、消費税の付加税としての性格はいっそう強化されたと評価できるでしょう。地方消費税は都道府県税で、課税対象の違いによって譲渡割(国内取引の分)と貨物割(輸入取引の分)に分かれていますが、貨物割のほうは最初から国が消費税の賦課徴収と併せて行うこととなっていますし、納税義務者の申告および納付も消費税と併せて行うこととなっているからです(地方税法第72条の100以下を御覧ください)。これは納税義務者の便宜もありますし、課税・徴収する側の便宜もあるでしょう。

 一方の譲渡割ですが、実はこちらのほうについては本来、都道府県が徴収などの事務を行うこととなっています(地方税法第72条の89)。納税義務者も、都道府県知事に中間申告や確定申告を行い、納付をすることとなっているのです(地方税法第72条の87、第72条の88)。しかし、地方税法附則第9条の4以下により、「当分の間」は納税申告、確定、徴収に関する事務などを国へ委託することとなっているのです。

 良いことか悪いことかは別として、消費増税法によって複雑な税率が設定されたことからして、先の「当分の間」は生き続けることになるでしょう。しかし、「当分の間」はあくまでも「当分の間」であり、いつまでも続きますから、有害とも言えます。いっそうのこと、譲渡割についても貨物割と同様に、地方消費税の事務は恒久的に国が行うとすべきではないでしょうか。

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「鉄道は災害に弱い」

2012年08月14日 03時05分17秒 | 社会・経済

 今年の2月8日付で「バス高速輸送システム(BRT)で震災復興(地域復活)はどこまで可能か?」という記事を掲載しました。私は、そこで次のように書いています。

 「たしかに、東日本大震災では、地震に対する鉄道の弱さを改めて知らしめることとなりました。首都圏でも、一般の路線バスは夕方までに運行を再開していましたが、地下鉄は、一番早く運行を再開したところでも夜の8時半頃、私鉄が運行を再開したのは9時台から11時台にかけてです。しかし、JR東日本、東武など、早々運行中止を決めたところも少なくありません。JRは3月12日の午前中まで運休していました。当然、バスの出番となります。

 勿論、バスには渋滞という問題があります。私も、震災当日、国際興業バスと都営バスに乗って渋滞に巻き込まれました。しかし、全く動かないよりはマシです。

 東北地方でも事情は同じでしょう。しかも鉄道の利用率があまりよくないのです。山田線は盛岡~釜石の路線ですが、とくに盛岡~宮古の状況がよくありません。この区間を通しで運行するのは一日4往復しかなく、平時からバスに負けていました。大船渡線の状況はわかりませんが、おそらく営業係数は悪いでしょう。」

 不思議なことに、私が見ている限りのことではありますが、昨日まで「鉄道は地震に弱い」という趣旨の発言を見たことがなかったのでした。何故なのかはわかりませんが、このところ流行している鉄道復権論、ローカル線の廃止が地域の衰退に拍車をかけるという議論などのためなのでしょう。私も、こうした議論に正面から反対するという訳ではありません。

 しかし、赤字ローカル線活性化論などを読んでいると、根底から賛成できるとは思えないものもあります。鉄道が定点間の大量輸送に適しているという事実を前提とすると、これからの少子高齢化、さらに人口減少という時代に、鉄道を存続させるという議論は根本的な矛盾を抱えています。ローカル線活性化論は、バリアフリー、交通弱者などの問題をあげて、ローカル線の存続などを訴えています。これはこれで理解できます。私自身、7年間も大分県に住んでいましたから、自動車社会の弊害は身にしみてわかっています。それでも、人口が減少しているのに大量交通機関が必要であるという議論には、前提に矛盾があるとしか思えません。

 昨日、告別式に出席し、その帰途に渋谷のブックファーストで福井義高『鉄道は生き残れるか  「鉄道復権」の幻想』(中央経済社)を購入しました。奥付を見ると今年の8月20日が発行日となっていますので、まだ発売されて間もない本ということになります。

 福井教授の立場は明確で、貨物輸送に関しては鉄道の役割は完全に終わっている(存在意義そのものが失われている)、旅客輸送に関しては鉄道の市場が狭くなる一方である、というものです。或る意味で多くの人々に冷や水を浴びせるような内容ですが、冷徹に考えるならば核心を突いているとしか言えないでしょう。少なくとも、感傷的な赤字ローカル線反対論はせいぜい、よいところでただの話の先送りというものであることが、この本でよく示されています。

 これまた最近日本で流行しているLRTについては全く触れられていませんが、おそらく、触れる必要がないからでしょう。LRTも鉄道であることに変わりはないからです。

 私がこの本でとくに注目したのが、ローカル線をBRTに変換すべきであるとする内容です。170頁以下をお読みください。BRTはバス高速輸送システムのことです。東日本大震災の影響で不通となった山田線の宮古~釜石と大船渡線の気仙沼~盛について、JR東日本がBRT化を打ち出していますが、福井教授はBRT化を被災地に限定すべきでないという立場です。被災地に話を限れば、教授は三陸鉄道の復旧にも疑問を提起されています。しかも、採算度外視という点以外の問題を記しています。少し長くなりますが、173頁から引用させていただきます。なお、太字は、引用者の私が強調する部分です。

 「まず、震災で大きな被害を受けた三陸沿岸部の再生に役立つとは思えません。今まで同様、この地域は今後も圧倒的な車社会であり、運行再開しても利用者は減り続けるでしょう。そもそも、復旧を強く求めた知事や市長をはじめ自治体職員自身、震災前、鉄道を利用していたでしょうか。

 鉄道復旧は復興のシンボルになるという意見にも賛成できません。鉄道はいつから高価な観賞用モニュメントになったのでしょうか。学校や住宅など、復興のための予算にはもっと有効な使い道がいくらでもあります。人的物的資源に限りがあることを考えれば、地元自治体も、利用されない鉄道を復旧する提案など断って、それにかかる額と同額の復興予算を要求すべきでしょう。

  さらに、今回の震災で明らかになったのは、鉄道は災害に弱いということです。道路や空港なら、乗り心地はともかく、多少デコボコでも使うのに支障はありません。実際、今回の震災後もすぐ使えるようになりました。それに対し、線路は切断されればもちろんのこと、少しでも曲がっていれば使うことはできません。鉄道復旧には時間も費用も桁違いにかかるのです。

 かりに交通関連分野におカネをかけるのであれば、住民にとっての便利さや災害への耐性を考えると、まず道路に投資すべきです。そもそも、以前から、独自に頑張ってきた地方私鉄より、元国鉄の三セク路線は補助金等で優遇され過ぎではないでしょうか。」

 東北地方には豪雪地帯が多く、自動車は雪に弱いという問題点を忘れてはなりませんが、昨年の経験からすれば、鉄道よりバスなどのほうが災害に強いということは言えるのではないでしょうか。

 災害とは違いますが、首都圏でも、昨年の9月21日、台風15号が上陸して関東地方を暴風域に巻き込んだ時のことが思い出されます。鉄道は15時過ぎから17時過ぎにかけて、次々と運転を見合わせてしまいました。私は田園都市線駒沢大学駅で足止めを食いました。ずぶぬれになることを覚悟で地上に出てみたら、東急バスは動いていました。さすがに本数が少なくなるか、徐行でダイヤが乱れるか、というところでしょうが、動いていたのです。高津営業所行きのバスに乗ろうとしたらあまりに混んでいて乗れなかったのは残念でした。すぐに3月11日の夜、池袋駅や渋谷駅などでのことを思い出しました。その時もバスは動いていたのです。高速バスなどは運転を中止していたようですが、それは高速道路を通るからです(3月11日、地震直後から首都高速が全線で通行止めとなりました)。

 勿論、バスにも様々な問題はあります。その一つが定時性でしょう。私も普段は鉄道を使って通勤をします。それは、ひとえに普段の定時性(および営業区間)です。しかし、定時性については記すならば、最近の首都圏の鉄道各線の状況を見るとわかりますが、鉄道がバスに対して持つ優位性の一つとされた定時性は徐々に失われつつあります。普段でもこうであれば、異常時にはまして、ということにならないでしょうか。

 福井教授も指摘されていますが、現在、鉄道事業が何とか採算に乗っているのは首都圏など一部の地域のみです。かつて私鉄王国と言われた京阪神地区では、国鉄分割民営化の結果として誕生したJR西日本が大幅にシェアを伸ばし、阪急や阪神などの大手私鉄は利用客を大幅に減らしています。中京地区の名鉄も同様の状況に追い込まれています(大手私鉄で最も輸送密度が低いのが名鉄です。逆に最も高いのが東急で、福井教授は東急の輸送密度は日本一どころか世界一高いのではないかとも書かれています)。

 あれこれと記してまいりましたが、まだ福井教授の論説の全てを紹介してはおりません。御一読いただくのが最善でしょう。私も、全てに納得したという訳ではないのです。ただ、今後の交通問題を考える際には必読と言えます。

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本屋のない市町村

2012年08月13日 10時21分55秒 | 社会・経済

 昨日のことになりますが、東京新聞のサイトに「増える  書店ゼロの街」という記事が掲載されており(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081290070300.html)、気になったので読んでみました。

 私は、どこの街を訪れるにしても、必ずと言ってよいほど書店を見て回ります。その度に、「最近は首都圏でも本屋が少なくなっているな」とか「(必ずしも大型ばかりではないが)チェーン店が増えているな」とか「考えてみれば、チェーン店ばかりで買っているな」と思うのです。何せ、あの神田神保町でも古書店がますます減っているくらいですし、最近リニューアルした書泉グランデが法律学の専門書などを置かなくなったのに驚かされました(私にとっては非常な痛手です)。

 さて、東京新聞の記事ですが、それによると、日本には書店がない市が4つあるといいます。全てが書かれている訳ではないのですが、茨城県のつくばみらい市がその1つとしてあげられています。つくばエクスプレスが通る、筑波研究学園都市の隣にある市なのですが、5年ほど前から書店がないそうです。原因があまり明示されていませんが、つくばエクスプレスの始発駅である秋葉原(大型書店があります)から最速で40分ほどという位置のためなのかもしれないとのことです。たしかに原因の一つとしては考えられますが、疑問が湧きます。

 この種の話は、以前にも何度か新聞の記事に登場しています。2010年1月26日には朝日新聞も「消える書店、10年間で29%減  和歌山県ではほぼ半減」として報じており(現在はhttp://book.asahi.com/news/TKY201001260130.html で読めます)、それによると和歌山県の減少幅が約47%と最も大きく、次いで山口県と佐賀県が約38%の減少となっています。また、都道府県別に見ると最も書店数が少ないのは鳥取県で、80店しかないそうです(或る程度ならば人口比などとして説明することが可能でしょう)。この朝日新聞の記事によると、和歌山県の場合は「スーパーとの複合型店や郊外型の大型店などが増え、中小書店の廃業が相次いだ」ことが原因の一つであるそうですが、これに加えてネットでの購入の増加、読書離れ、人口減少(とくに若年世代の)も原因としてあげることができるでしょう。

 再び東京新聞の記事に戻るましょう。そこには、現在、日本で書店のない市町村が317あり(全市町村の17%にあたります)、鹿児島県の垂水市でも書店がなくなった、と書かれています。その一方、北海道の留萌市のように、2010年末に書店ゼロ状態となってから昨年の夏に三省堂書店がオープンしたという例もあります。ただ、採算の問題は避けられませんし、留萌市の場合は市民のボランティア的精神と行政のバックアップがあったからこそ上手くいっているのであって、どこでも応用できるような話ではないのです。

 市場が縮小すると、どうしても中小の小売店がなくなり、チェーン店が残るということになります。しかも、チェーン店の規模も問われることになります。私が生まれ育った町の最寄り駅(東急溝の口駅・JR武蔵溝ノ口駅ではありません)の前に広がる商店街でも、私が小学生であった頃にはチェーン店ではない、まさに町の本屋が、古書店を除いて4軒ありました。しかし、現在は文教堂しかありません。その文教堂の発祥の地である溝口も、文教堂以外の書店となると現在は1軒しかありません(古書店を除きます)。

 ネット書店や通信販売も便利ではありますが、私は洋書(専門書)を買う時以外に利用しません。理由は簡単で、手にとって少しばかり読んでみてから買うためです。辞書や参考書などは、そのようにして買わなければ失敗します。

 電子書籍なども出てきていますし、ネットの記事もありますし、グーグルマップなどもあります。コンビニエンスストアもあります。書店にとっては厳しい環境です。チェーン店でも淘汰が進む可能性は高いでしょう。しかし、完全になくなる、需要がなくなる、などということはないと思っています。

 まず、電子書籍は、いつまで経っても「元年」であるくらいで、私も電器店などで見てはいますが読みやすいと言えない物も多く、カタログが不十分です。少なくとも、私が仕事で使うような本は電子書籍で出回ることがほとんどないでしょうから、買う気がなくなります。紙の本より目に悪いかもしれません。最初から、電子書籍で販売されるようなものは限定されていると考えるほうがよいでしょう。

 次にネットの記事ですが、一昔よりはかなりよくなっているとはいえ、正確性に欠ける部分が少なくありません。いつ削除されるかもわかりません。

 そしてグーグルマップなどの電子地図ですが、これが意外に不便です。地図の使い方によっては冊子の都市地図や道路地図のほうがわかりやすく、使えます。

 紙の書籍には利点がたくさんあります。そのために、置き場所に困るようなことがあっても、本を買うのです。

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実感していたことですが、やはり、法学研究科への進学者が減っています。

2012年08月10日 21時04分49秒 | 受験・学校

 今日の朝日新聞朝刊29面13版に「先細る法学部  法科大学院設置後 研究志す学生急減」という記事が掲載されています。私が数年前から、とくに法律学科主任を務めていた頃から実感していたことは、やはり間違いでなかったことがよくわかりました。

 守秘義務などの関係もありますので、詳しいことは記しませんが、法科大学院が設置されてから、法学研究科へ進学する者が減少し、結果として博士後期課程へ進学する学生も減り、分野によっては若い研究者が僅少という事態になっています。

 私自身は経験しなかったのですが、私と同じくらいの年、またはそれより下の年代ですと、博士後期課程時代にどこかの大学の非常勤講師を勤めることが専任教員への第一歩となっています。これは今でもそうなのですが、ここ数年、分野によっては非常勤講師を勤めてくれそうな院生がいないのです。上記の朝日新聞記事には東京大学の話が出ていて、法科大学院を修了してから博士(後期)課程に入る学生(日本人に限定します)は年間で、多くても3人だそうです。法科大学院から助教になる人も、年間で3人から7人だとのことです。東京大学でこの人数ですから、他の大学は推して知るべし、というところでしょう。

 法科大学院と法学研究科では、学位の性質も違いますが、教育内容などがまるで違います。今年から客員教授として東洋大学大学院法学研究科を担当していますが、法科大学院では考えられない洋書講読(ドイツ語です)を行っています。色々なことを考えると、英米法、ドイツ法、フランス法、中国法など、外国法の研究もできる者は必要ですが、法科大学院では無理です(法学研究科でも外国法研究を行う学生が少なくなっているというのも事実なのですが)。

 法科大学院を修了すると法曹界へ進む者が多いのですが、正直に記せば、日本の法曹界は今の状態で大丈夫なのかという気もします。そもそも、学部の段階で第二外国語を切ってしまったため、第一外国語の英語についても教育効果が見られなくなっているような状態です。しかし、今後はますます、英語に限らず、外国語が必要となるでしょう。そうなると、法科大学院修了者のうちのどの程度までが、国際的法務で使い物になるのでしょうか。

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