現在も、交通論などの世界では「欧米に追いつけ」という風潮があるのでしょうか。LRTやBRTという略語そのもの、そしてそれらに関する議論などを見ている度に思うことです。
LRTのほうは、日本で路面電車復権論のようなものがなかったことと、技術面での不足という問題があったために、確かに目新しさ(いや、それを超えるようなもの)はあります。ただ、日本では東急池上線がLRTの一種とも見られるというような議論まであり、首を傾げたくなるところではあります。
これに対し、BRTは、言葉こそ目新しく映りますが、実際のところは、むしろ日本が先行していたのではないか、とすら思えてきます。もっとも、歴史などを見た訳ではないので、いい加減なことを書いていると思われるかもしれません。ただ、8月22日付で「近鉄内部線・八王子線が廃止される可能性」を書いて掲載したところ、白蛾さんからコメントをいただき、私が返答を記しているうちに、何かを思って23日にたまたま或る本かサイトを見ていたら、BRTが別に目新しいものでも何でもないことに気づいたのです。BRTそのものかどうかは別としても、日本には先例、あるいは先駆的な例があるのです。BRTに限らないことですが、歴史をしっかり見ておく必要性を感じます(中には歴史を全く無視しているか、そもそも見てもいないような議論もありますので)。
以下、白蛾さんのコメントに対する返答と重複する部分がありますが、記していきます。
既に開業している鉄道を廃止して、線路が敷かれていた用地をバス専用道路にする。または、当初は鉄道路線を開業する予定で取得し、建設を進めている用地を、何らかの理由によってバス専用道路にする。
かつて、日本国有鉄道、略して国鉄は、ローカル線などで上に記したようなことを行ってきました。
そもそも国鉄バスというものは、鉄道路線建設予定である路線(その多くが鉄道敷設法で示されていました)に、鉄道の代わりとして利用されたものが多いようで、その代表例が、最近廃止された大分県の臼三線(きゅうさんせん)です。日豊本線の臼杵駅から豊肥本線の三重町駅までのバス路線で、元々は鉄道路線として建設が予定されていたのですが、何らかの理由で中止され、バス路線として開業したのでした。途中、現在は臼杵市の一部となっている野津町を通り、その野津町には野津駅がありました。鉄道の駅ではなく、バスの駅です。
大分県に7年間も住んでいながら、この臼三線を利用したことがないのですが、国道502号線を通るバス路線であるため、自分で愛車を運転してルートをたどったことがあります。実はこの国道502号線こそ、元々が鉄道路線として建設された道路だったようです。バス専用道路とされた時期があったのかどうかはわかりません。
さて、BRTの先駆的な例についての話を進めなければなりません。既に国鉄バスを出しています。現在もJRバス関東の路線として運行されているのが、福島県の白棚(はくほう)線で、東北本線の白河駅から水郡線の磐城棚倉駅までの路線です。この路線こそ、BRTの先駆的な例でして、BRTが別に目新しくも何ともないと記したことの理由ともなっています。
この白棚線は、元々が白棚鉄道という私鉄の路線で、1940年代(戦後ではありません)に国有化されたのですが、その数年後に休止となっています。戦後、鉄道路線としての復活も試みられたのですが叶わず、鉄道用地はバス専用道路となり、そこに路線バスを走らせたのです。しかも、このバス専用道路は、1950年代としてはかなりの高規格で、全面的に舗装され、それなりに速度を出せるようにしたとのことです。本当かどうかわかりませんが、日本最初の高速バスとまで言われています。
但し、ローカル線をそのままバス路線化していますので、道の幅は単線の鉄道のまま、つまり、狭いということになります。そのため、列車交換ならぬバス交換、つまり離合をしなければなりません。また、専用道路の場合、除雪も独自に行う必要があります。それだけ経費がかかる訳ですが、現在もJRバスとして残っていることからして、需要はあるということでしょう。
現在に至るまで、バス専用道路は国道の拡張に飲み込まれる形で消滅しており、現在ではかなり短くなっているようですが、残っています。
国鉄は、白棚線にかなり力を入れたようで、ローカル線のバス転換のモデルケースとして考えていたようにも見えます。当時で全面舗装の道路としたところにもうかがえます。そして、この白棚線の成功例を、近畿地方は奈良県の五條市にも持ち込みました。それが、和歌山線の五条駅から阪本までの阪本線でした。
阪本線は、元来、五条駅から紀勢本線の新宮駅までの鉄道路線である五新線として計画されていました。和歌山県側で着工されたかどうかはわかりませんが、奈良県側では鉄道路線として着工されました。しかし、紀伊山地を通るために長大なトンネルを建造しなければならず、費用がかさむという問題がありました。それだけでなく、駅の設置を巡って地元の市町村間で深刻な対立が発生します。現在は五條市の一部である西吉野村がバス路線化を主張したのです。これで鉄道派とバス派の対立が生じました。さらに近鉄と南海が入ってきて大混乱に陥ります。結局、鉄道路線のために建設した施設の一部をバス専用道路とし、阪本線として開業したのです。
阪本線も、白棚線と同じような問題を抱えていました。五新線は単線の鉄道として企画され、建設が進められました。そのため、バス専用道路は一車線分しかありません。途中の駅予定地を転用した交換場所がなければ、離合ができません。また、近隣の国道が整備されると、元々人口が少ない地域で過疎化も進んでいたことなどが原因となり、乗客も減少し、阪本線は西日本JRバスの手を離れます。
現在は奈良交通が五條西吉野線として運行していますが、本数が少なく、廃止は時間の問題ではないか、という気もしてきます。奈良交通のサイトを見ると、五條バスセンターから「専用道方面」となっており、土曜日と休日は専用道城戸行きが早朝は6時52分発の1本だけという状態です。平日も寂しく、西吉野温泉行きが8時12分発、15時37分発の2本だけ、専用道城戸行きが6時12分発、6時52分発、18時2分発の3本だけです。
(余談ですが、五新線→阪本線の話は河瀬直美さんが監督した映画の題材となっています。その映画でデビューをした女優が尾野真千子さんで、現在の五條市の出身とのことです。)
さて、2つの先駆例を取り上げましたが、いかがでしたでしょうか。これらから得られる教訓はいくつもあると思いますが、もう少し、具体的な事情などを調べてから結論を出したほうがよいと思われます。ただ、バス専用道とするにしても単線規格の鉄道用地をそのまま転用するのは厳しいことを認めざるをえないでしょう。また、人口の問題、周辺の道路事情の問題があります。加えて、専用道に対する地元住民の意識の問題もあります。
以前、北九州市を訪れた時、西鉄北九州線の跡地をバスで通りました。戸畑区であったか、電車の専用軌道をそのままバス専用道にしている箇所があります。利用状況がどうであるのか、気になるところです。
ちなみに、私が住んでいる川崎市高津区の近く、多摩川を渡ってすぐ隣の東京都世田谷区には、鉄道代替バスが現在も走っています。二子玉川駅から砧本村までを8の字で結ぶ東急バス玉06です。かつては渋13も走っていました。二子玉川駅→中耕地→吉沢→三角公園→砧本村のルートは、廃止された砧線のルートです。但し、少なくとも二子玉川駅→中耕地→吉沢は、廃線跡とは違う道路がバスのルートとなっています。