〔今回は、「待合室」の第476回として、2012年5月1日から同月8日まで掲載したものです。写真撮影日は2011年8月8日です。なお、今回は内容の関係で、文章には大幅に修正を加えております。〕
私は、2004年から2012年まで、福岡市早良区にある西南学院大学で集中講義を担当しておりました。つまり、9年もの間、大学の夏休みの後半を福岡で過ごしていた訳です(勿論、ホテルに宿泊していただけですが)。よく、同僚などから「毎年、大変だね」などと言われたりしたのですが、担当している本人は、あまりそのようなことを思っていません。むしろ、福岡市を初めとして、太宰府天満宮などを訪れることもできたので、楽しみにしていました。「今年はどこを回ろうか」などと考え、計画を立てていたのです。長崎県に行って宿泊したこともありましたし、九州新幹線で鹿児島へ行って宿泊し、宮崎空港から帰ったこともあります。大分県の日田市、さらに大分市に行ったこともあります。集中講義を担当して最初の数年は大分大学時代のゼミ生たちと会いました。また、このような場で書くことではないかもしれませんが、私が結婚するきっかけも集中講義でした(誤解の無いように記しておきますが、集中講義で出会った訳ではありません)。
また、2007年、2009年および2011年には、福岡大学でも集中講義を担当しました。いずれも8月の前半のことです。これも全く苦にならなかったのでした。大分大学時代から何度となく福岡に行っていたこと、私にとって福岡が興味深い都市であること、などが理由です。今でも、時折、天神に行きたいと思うことがあるのです。
2011年は、8月9日から12日まで、福岡大学法学部での集中講義「財政法」を担当しました。この日程を利用する形で、同月8日、私が集中講義を初めて担当した場所、熊本市へ行ってみることとしました。
福岡市から熊本市へ行く場合、現在であれば博多駅から九州新幹線に乗るのが最も速く、また、常識的なルートでしょう。しかし、私は、西鉄福岡駅から天神大牟田線の特急に乗り、大牟田で鹿児島本線のワンマン列車に乗り換えました。2時間ほどかかったでしょうか。
熊本駅を利用したのは、初めて集中講義を担当した2003年8月以来、ちょうど8年ぶりでした。当時、大分大学教育福祉科学部の助教授であった私は、熊本県立大学総合管理学部の集中講義「財政法」を担当するため、大分駅から特急「あそ」6号に乗り、熊本駅を降りて、市電で辛島町へ向かい、熊本東急インに宿泊しました。そして、集中講義を終えて、熊本駅から特急「あそ」5号に乗って帰ったのです。その後、2004年2月にも熊本市を訪れていますが、当時の愛車である日産ウイングロードXを運転したので、鉄道を利用していません。
2011年3月12日、九州新幹線の博多~新八代が開業し、熊本駅も九州新幹線の駅となりました。8年ぶりに熊本駅を利用して、大きく変わったことを実感しました。もっとも、在来線のほうにはそれほど変化がないようにも思われます。
熊本駅の前を市電が通ります。二つ先の田崎橋電停から健軍町電停までの路線で、熊本駅前電停も大きく様変わりしています。
2012年から熊本市は政令指定都市となりました。九州では北九州市、福岡市に次いで三番目です。北九州市と福岡市には、西鉄が運行する路面電車がありましたが、既に廃止されています。
意外なことと思われるかもしれませんが、今でも市電が活躍しているのは、政令指定都市では札幌市とここだけです。このように書くと「違う!」という声が飛んできそうですが、広島市内の路面電車は広島電鉄、岡山市内の路面電車は岡山電気軌道、大阪市内および堺市内の路面電車は阪堺電気軌道、京都市内の路面電車は京福電鉄が運行しています。都電が走っている区域は政令指定都市ではありません。また、政令指定都市という枠を外しても、現在、市営の路面電車は札幌市、函館市、熊本市、そして鹿児島市だけです。
上の写真の車両は9700形で、日本で最初の超低床路面電車です。1997年に製造されており、翌年にローレル賞を受賞しました。
電停から熊本駅を見ています。8年前はどうであったか、思い出そうとするのですが、思い出せません。電停の位置そのものはそれほど大きく変わっていないと記憶しているのですが、どうなのでしょうか。
熊本駅前電停から南のほうを撮影してみました。この先には二本木口、田崎橋の順に電停があります。但し、熊本駅前電停で運転が打ち切られることもあります。
九州新幹線の開業によって熊本駅は随分と立派な駅になりました。それ以前から、国鉄・JR九州では熊本市の代表駅は熊本駅です。しかし、熊本市の中心部や繁華街は、この駅の近くにありません。この点は、大分市を除く九州島内の県庁所在都市と同様です。熊本駅から熊本市の繁華街へ向かうには、市電に乗り、辛島町から通町筋までの間で降りることとなります。辛島町電停を降りれば新市街は目の前ですし、通町筋電停を降りれば上通および下通は目の前です。
また、辛島町電停の近くには、日本最大級とも言われる熊本交通センターがあり、高速バスを中心として数多くの路線バスが発着しています。熊本市の公共交通機関網は交通センターを中心に組み立てられているというところが大きく、鉄道よりも高速バスの利用者が多いということもあって、熊本駅の利用客は少なかったのです。熊本市およびJR九州の統計によると、2010(平成22)年度における熊本駅の一日あたりの平均乗降客数は20700人、平均乗車人員は10307人でした。この数字は田園都市線の急行・準急通過駅である高津駅などより低いのです。JR東日本の首都圏の駅であれば、熊本駅よりも乗降客数の多い駅はいくらでも見つかるでしょう。九州新幹線が開通して、このあたりの事情がどのように変わるのか、興味深いところです。
1090形が停車しています。これは1両だけのワンマン運転で、路面電車では今でも多い吊り架け駆動の車両です。そのため、昔懐かしいような低い唸り声をあげます。前面にあるAの札は田崎橋~健軍町の系統を示しています(Bであれば上熊本駅前~健軍町の系統です)。
私が大分市に住み、熊本県立大学で集中講義を担当していた時は区間制の運賃でしたが、現在、熊本市電は均一料金を採用しています。都電や東急世田谷線であれば乗車時に運賃を払うのですが、熊本市電の場合は降車時に運賃を払います。
田崎橋電停に向かって1350形が走ります。これも吊り掛け駆動です。
1960年代から自家用車が急速に普及し、日本各地では路面電車が急速に衰え、姿を消していきます。日本最大であった都電の場合は、かろうじて荒川線が残りましたが、関東地方では川崎市電、横浜市電が全廃されました。順不同であげれば、大阪市電、神戸市電、京都市電、名古屋市電、仙台市電などが全廃されています。九州でも、西鉄の福岡市内線、大分交通別大線が全廃されています。熊本市電も、次々に路線が廃止され、全廃寸前まで行きました。しかし、結局は残り、現在の路線網となっています。
先程と同じ1090形です。
塗装は全く異なりますが、1090形です。熊本市電も全面広告車の多い路線で、2両編成でなければ車体そのものが何らかの広告になっているようです。
新型の路面電車が到着しました。0800形で、2008年に登場しました。9700形と同様、超低床路面電車です。2両編成で、車体が台車でつながっている連接車となっています。また、9700形、0800形のいずれもVVVF制御です。熊本市電は、日本で最初にVVVF制御の営業用車両を導入したことでも知られています。今回は、その栄光をもつ8200形を見ることができなかったのですが、仕方のないことではあります。
9700形や0800形に乗ると、車掌が乗務しています。女性であることが多いのですが、この列車では男性の車掌であったようです。
0800形を前から撮影してみました。この電停では停車時間が長いので、あわてる必要はありません。
上の写真では、電車の床と電停のホームとを比べてみてください。ほとんど同じ高さにあることがおわかりになるはずです。これがまさに超低床路面電車であり、乗降口にステップがありません。そのため、車椅子を利用する方も楽に乗降できます。高齢者や幼児にとっても楽です。
本当のことかどうかわかりませんが、日本の鉄道技術は世界でもトップクラスと言われます。しかし、こと路面電車に関してはかなり遅れています。次々に廃止され、市場としても縮小の一途であったためですが、このような超低床路面電車はドイツやフランスが先進国であり、日本で最初に広島電鉄が導入した超低床路面電車はドイツのジーメンス社が製造したものです。しばらくして、国産の技術が成長し、国内でも製造できるようになったのです。
もっとも、日本にも可能性が全くなかった訳ではありません。1955年に東急車輛製造(2012年4月からJR東日本の子会社である総合車両製作所)が製造したデハ200形は、現代の超低床路面電車の先駆とも言える車両でした。玉電の愛称で有名な東急玉川線と世田谷線を走り、「ペコちゃん」などの通称で親しまれたこの車両は、車輪が小さく、床は完全にフラットで、2両編成の連接車でした。当時の技術では運行や保守などが難しかったようで、玉川線の全廃時にデハ200形も廃止されてしまいました。現在は田園都市線宮崎台駅のすぐそばにある電車とバスの博物館に保存されていますので、御覧になることも可能です。
さて、健軍町行きはそろそろ発車でしょうか。私は、もう少し熊本駅前にいて、そこからどう動こうかと考えることとします。