ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

世田谷線の招き猫(1)

2017年09月30日 00時00分00秒 | 写真

三軒茶屋から下高井戸までの東急世田谷線に、さすがと思わせるラッピング電車が走り始めました。

招き猫です。9月29日の昼に撮影しましたが、老若男女問わず、たくさんの人がカメラを向けて撮影していました。

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ちなみに、このラッピングを施されているのは308F(編成)で、オリジナルの色は上の写真の通りです(小さくて申し訳ございません)。 

世田谷線には宮の坂駅があります。そこが、招き猫の発祥の地と言われる豪徳寺の最寄り駅です(小田急線に豪徳寺駅がありますが、宮の坂駅のほうが近いのです)。

なお、このブログに豪徳寺の記事を載せていますので、御覧いただければ幸いです。

世田谷線に乗って、豪徳寺へ行ってみた(その1)(2014年9月21日11時31分28秒付)

世田谷線に乗って、豪徳寺へ行ってみた(その2)(2014年9月21日12時4分42秒付)

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高津湯の跡

2017年09月29日 00時00分00秒 | まち歩き

 子どもの頃には当たり前のようにあったものが、年月を経るに従って見られなくなる。

 それは、皆様にとって何でしょうか。

 私に限らず、銭湯をあげる方は少なくないでしょう。

 1970年代、川崎市高津区や中原区には、木造のアパートがたくさんありました。当時、風呂付きの部屋は珍しいくらいでしたから、街のあちらこちらに銭湯があったのです。

 しかし、1980年代から、木造の風呂なしアパートも銭湯も少なくなっていきました。賃貸物件でも風呂が付いているのが当たり前の世の中になったのです。高津区でも銭湯は少なくなりました。今、区内には8軒あるようですが、ほとんどは橘出張所管轄地域で、そうでないのは諏訪の1軒のみです。

 2015年12月まで、高津区は溝口三丁目に銭湯がありました。高津湯です。今も建物が残っているので、撮影してみました。

 この細い道の途中に高津湯がありました。奥へ行けば国道409号に出るのですが、そうとは思えないような風景です。少々わかりにくいかもしれませんが、右側、道路にはみ出ているような木の緑が目印です。

溝口三丁目にあった帝京大学医学部附属溝口病院の1号館または1号棟の真裏という位置です。 

今でも薪を風呂を焚く銭湯があります。ここもそうだったのでしょうか。薪の置場が奥に見えます。

薄くはなっていますが、今でも高津湯の字がはっきり読み取れます。しかし、シャッターは閉じられたままです。次に開くとしたら解体の時でしょうか。

2015年12月に閉じられてから、しばらくの間、「休業」するという趣旨の貼り紙がありました。とは言え、再開の時期が書かれていた訳でもなく、廃業であることは明らかでした。

実は、ここに一度入ってみたいと思いつつ、かなうことなく終わってしまいました。もっとも、私自身はあまり銭湯を利用したことがありません。

手前の高津湯、奥の帝京大学医学部附属溝口病院の建物、どちらも利用されていません。いつまで残っているのでしょうか。

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元の帝京大学医学部附属溝口病院の建物はどうなるか

2017年09月28日 02時24分24秒 | まち歩き

今年の5月、帝京大学医学部附属溝口病院が溝口三丁目から二子五丁目に移転しました。田園都市線をはさんで真向かいに移った訳ですが、元々、二子研究棟があった場所でもあります。

新しい病院は、高津駅前はもとより、高津区内でかなり目立つ高層建築物です。久地三丁目からも見えますし、二子玉川駅のホームからも見えます。

移転後も溝口三丁目の建物は残っています。今後どうなるのかわからないのですが、とりあえず撮影してみました。

二子五丁目の病院から田園都市線の高架を抜ければすぐに見えます。手前右の方へ曲がれば高津駅、奥の病院の建物(3号棟または3号館)の前にある道に入れば高津警察署の真向かいに出ます。

一方通行の道路です。新しい病院へ向かう救急車が通るのでしょうか。以前、まだ溝口三丁目にあった頃に、東京消防庁の救急車が何故かここを通っていき、国道409号に戻ったことがありました。

2号棟または2号館です。ここが病院として機能していた頃に何度も入りましたが(夜の2時に入って朝の4時過ぎに出たこともあります)、入り組んだ造りで迷いかけることもありました。

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行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版  第12回 行政行為論その4:行政行為の瑕疵

2017年09月28日 00時00分00秒 | 行政法講義ノート〔第6版〕に向けての暫時改訂版

 〔はじめに〕今回の内容については、森稔樹「行政処分の無効」髙木光・宇賀克也編『行政法の争点』(Jurist増刊 新・法律学の争点シリーズ8、2014年、有斐閣)38頁もお読みいただきたい。

 

 1.行政行為の瑕疵の意味

 瑕疵とは、簡単に言うならば欠陥であり、違法な点または不当な点である。行政行為は、常に適法かつ妥当なものであるとは限らない。違法である場合も考えられるし、違法とまでは言えないが不当な内容のものも考えられる。そのような行政行為が瑕疵ある行政行為である。

 行政行為が瑕疵を帯びれば、すなわち、行政行為が違法であれば、その行政行為は無効であるとするのが最もわかりやすい。しかし、行政法学においては、行政行為に公定力が存在することを前提とする。そのため、行政行為が違法の瑕疵を帯びていても、常に無効となる訳ではない。

 違法な法律行為は無効である。たとえば、遺言は要式行為であるから、民法が定める様式に従っていない遺言は無効である(同第960条)。意思表示が法律の規定に従っていない以上、効果意思→意思表示に法律が助力を与え、効力を生じさせる必要もないからである。

 しかし、第9回において述べたように、法律行為的行政行為の場合は、行政庁の効果意思→意思表示に法律が助力を与えるのではなく、先に法律の意思があり、それにのっとって行政庁の意思表示がなされるのである。換言すれば、行政庁の意思(表示)は法律の意思に拘束される。そのため、民法の法律行為論における瑕疵とは意味が異なる。法律行為の瑕疵が意思表示の瑕疵であることは、民法第94条ないし第96条を読めば理解できる。

 そして、意外に見落とされやすいことであるが、民法の法律行為も、瑕疵があるから常に無効であるという扱いはなされていない。例えば、民法第94条によると、通謀虚偽表示は無効である。そのようなものを有効として扱うべき理由が存在しないからである。しかし、通謀虚偽表示をもって善意の第三者(すなわち、事情を知らない第三者)に対抗することはできない(法律行為の無効を主張することはできない)。民法学は無効の法律行為を瑕疵ある法律行為として扱わないが、これは民法自体に法律行為が当初から無効である場合と取り消しうる場合とが規定されているためであろう。

 また、第96条によると、詐欺や強迫をきっかけとする法律行為(意思表示)は、当初から無効なのではなく、取り消しうるにすぎない。従って、詐欺に引っかかったことによって何らかの意思表示をした場合、本人が取消の意思を表示すれば、法律行為は成立当初から効力を失うが、本人が追認すれば法律行為は確定的に有効になる。すなわち、取り消しうる法律行為(意思表示)はさしあたり有効なのである。

 瑕疵ある行政行為(違法な行政行為または不当な行政行為)の効力を考える際に前提となるのが公定力である。第11回において述べたように、行政行為が違法(または不当)である場合であっても、無効である場合を除いて、取消権限のある者(行政行為をした行政庁、その上級行政庁、不服審査庁、裁判所)によって取り消されるまで、何人もその行為の効力を否定できない。また、瑕疵ある行政行為であっても取消訴訟の排他的管轄に属するのが原則である。

 しかし、行政行為に常に公定力が伴う、という訳ではない。瑕疵の程度によっては、もはや公定力を認める必要のないほどの高い違法性を有する行政行為も存在する。行政法学においては、このようなものを無効の行政行為として扱う。無効なのであるから、行政行為の効力は一切存在しない。従って、公定力も認められないし、不可争力も生じず、取消訴訟において存在する出訴期間の制限にも服しない。また、取消訴訟の排他的管轄にも属しないので、取消訴訟でない訴訟においても裁判所が行政行為の無効を認定することができる。

 

 2.取り消しうべき瑕疵と無効の瑕疵の両者の区別

 以上から、瑕疵ある行政行為(あるいはその瑕疵)は、次の二つに分けられることとなる。

  取り消しうべき行政行為(違法または不当な行政行為として取り消しうるが有効な行政行為)

  無効の行政行為

 問題は、両者をいかに区別するのかということである。

 (1)重大明白説(判例・通説)

 この説によると、行政行為の瑕疵が重大な法令違反であり、しかもその瑕疵の存在が明白であれば、行政行為は公定力を失って当初から無効である。瑕疵の存在は、主体、内容、手続、形式の各要素について判断されることとなる。

 これに対し、行政行為の瑕疵が重大明白なものでなければ、行政行為は無効なものではなく、取り消しうべきものであるにすぎない。すなわち、その行政行為は取り消されるまで有効である。

 この考え方には、次のような問題が存在する。

 ①瑕疵の重大性という概念自体は明確であるが、具体的にいかなる場合が重大な瑕疵といいうるのか?

 結局は、行政行為の適法要件の重要性について解釈をすることになる。

 ②重大な瑕疵の明白性というが、その意味は何か?

 塩野宏教授にならって記すならば、瑕疵が瑕疵であることの明白性、瑕疵があることの明白性、そして、瑕疵の明白性が誰にとって明白であるのか(これについて見解が分かれる)、ということになる。

 こうした点について、重大明白説はさらに二つに分けられる。

 a.外観上一見明白説

 名称の通り、行政行為の成立時点より重大な瑕疵が存在することが誰にとっても外見から明らかである場合にのみ、瑕疵の明白性に該当すると考える。従って、行政庁の調査義務などは問題にならない。

 ●(農地買収・売渡処分)最小三判昭和34年9月22日民集13巻11号1426頁(Ⅰ―85)

 事案:Xが所有する農地は、自作農特別措置法による買収処分を受け、この土地が小作人に売渡処分された。Xは、これらの処分の無効確認を求めた。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、違法な行政行為が取消しうべきものであるとしても、それだけで重大かつ明白な瑕疵として無効の原因になる訳ではないと述べた。その上で、無効原因については、誤認が重大かつ明白であることを具体的な事実に基づいて主張すべきであると述べ、Xの主張を退けた。

 なお、重大明白の主張立証責任は原告側にあるということになる。

 ●(所得税額の決定と無申告加算税)最三小判昭和36年3月7日民集15巻3号381頁

 事案:Xの先代Tには養子がいた。Xと養子およびその子との間には山林などの所有権をめぐる争いがあった。しばらくして示談が成立し、TとXが所有する山林などを養子の息子に贈与し、その代償として800万円を受け取ることになった。ところが、山林所得税が課せられることを防ぐために、示談契約書に800万円の金額が示されず、養子が行った山林などの立木の処分についても、立木の売買契約書の売渡人を、実際に収入を得ていた養子ではなく、登記名義人のTとした。Y税務署長は、Tに対して山林所得金額および所得税額の決定通知書を送り、無申告加算税を賦課した。Tは死亡したので、Xが、Tに当該年度の山林所得が全くなかったことなどを理由としてYの処分の無効確認を求めて出訴した。

 判旨:最高裁判所第三小法廷は、まず、「行政行為が当然無効であるというためには、処分に重大かつ明白な瑕疵がなければならず、『処分の要件の存在を認定する処分庁の認定に重大・明白な瑕疵がある場合』を指す」と述べ、前掲最小三判昭和34年9月22日を引用している。その上で、「瑕疵が明白であるかどうかは、処分の外形上、客観的に、誤認が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきものであって、行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落としたかどうかは、処分に外形上客観的に明白な瑕疵があるかどうかの判定に直接関係を有するものではな」いと述べて、Xの請求を棄却した。

 外見上一見明白説によるならば、よほどのことがない限り、行政行為が無効であるような場合は存在しない、という結論が導かれかねない。これが極論であるとしても、行政行為が無効であると判断される場合は非常に限定されることであろう。まして、課税処分などのように、基本的に第三者への影響を考慮する必要がない行政行為についてまで明白性を要求する理由は判然としない。北野弘久博士は、次のように述べて重大明白説、とくに外見上一見明白説を批判する。

 「租税事件の取消訴訟には、出訴期間の制約のほかに行政不服申立て前置主義の適用が規定されている。このため人びとが右の制約を遵守することができなかった場合には、もはや取消訴訟を提起することができなくなる。この場合、無効確認訴訟を提起しようとしても、従来のように無効事由が『重大かつ明白』に限定される場合には出訴が困難となる。

 結論を先に述べると従来の『重大かつ明白』の理論は、明治憲法下のように行政裁判と司法裁判とが分離しており、司法裁判所では原則として課税処分の適法性を審査しえない制度のもとにおいて妥当したのであった。日本国憲法下では、司法裁判所はひろくすべての行政処分の適法性を審査しうることとなった。これに加えて、税務行政処分は本来厳格に法によって羈束されるべきであることなどを考慮すると、果たして従来の瑕疵理論を維持することに合理性があるか、重大性の要件の充足だけで足りるのではないか、という疑問が提起されうる。」※

 ※北野弘久(黒川功補訂)『税法学原論』〔第七版〕(2016年、青林書院)240頁。

 b.調査義務違反説

 客観的明白説ともいい、代表例として東京地判昭和36年3月21日行裁例集12巻2号204頁がある。重大な瑕疵の明白性について、外観から誰しも一見して認識しうる場合のみならず、行政庁が行政行為をなすに際して、職務上当然に行うべき調査義務を尽くさず、そのために行政行為の重要な要件を誤認していた場合にも、瑕疵の明白性を認める考え方である。下級裁判所の判決に散見された。

 (2)明白性補充要件説

 この考え方は、瑕疵の重大性を無効の瑕疵の要件とするが、他に明白性などの要件を課すか否かについては、必ずしも要求しなくともよいと捉えるようである。

 ●(譲渡所得の課税処分)最一小判昭和48年4月26日民集27巻3号629頁(Ⅰ―86)

 事案:原告X1の姉の夫Aは、X1およびその夫X2からの借金の担保とするために、また、自らが経営する会社の債権者からの差押えを回避するために、自らが所有する土地および建物について、X1およびX2に無断で登記の名義を変更した。Aの事業経営が不振となったため、Aはこの土地の売却を思い立ち、売買契約書などを偽造した上で土地を第三者に売却した。Y税務署長は、調査をした上でX1に建物の譲渡に関する所得が、X2に土地の売買による譲渡所得があったものとして課税処分を行い、さらに滞納処分を行った。X1およびX2は、課税処分の無効を主張したが、第一審および控訴審は、いずれも請求を棄却した。

 判旨:最高裁判所第一小法廷は、原判決を破棄し、事件を差し戻す判決を下した。理由において、課税処分が課税庁と被課税者との間にのみのものであり、第三者を考慮する必要がないというような場合には、課税処分がもたらす不利益を甘受させることが著しく不当であると認められるような例外的な事情がある場合には、課税処分を当然に無効であると解すべきであると述べている。また、本件には課税要件の根幹に関して重大な瑕疵がみられるとしつつ、明白性については触れることなく、特段の事情がない限り、原告2名に課税処分の「不可争的効果による不利益を感受させること」が「著しく酷である」と述べている。

 (3)判例はどちらの説を採用するのか

 最高裁判決は調査義務違反説を採用しないようであるが、外観上一見明白説を採用するものと明白性補充要件説を採用するものとが存在する。一貫していないようにもみえるし、見解を変更したかにもみえるのであるが、基本的には重大明白説のうちの外観上一見明白説を維持しているようである。明白性補充要件説は、利害関係を有する第三者が存在しない、または、そのような第三者が存在するとしても利益を主張することが正当化されない(前掲最一小判昭和48年4月26日の事案はまさにこの典型例である)という事件について採られているのではなかろうか。

 

 3.瑕疵が重大かつ明白であるとされる場合

 判例が採る外観上一見明白説を前提とした場合、いかなる瑕疵が重大かつ明白であるかは、単純に判断できないものと思われる。そればかりでなく、既に述べたように、瑕疵が重大かつ明白であるが故に無効である行政行為は、存在するとしても非常に限られたものとなるであろう。

 しかし、一定の場合を想定することは可能である。ここでは、原田尚彦教授の説明に従いつつ、簡単に解説していく。

 (1)行政行為をした行政庁が、実はその行政行為について無権限である場合

 法律によって権限が与えられていないのであるから、当然、重大かつ明白な瑕疵に該当する。

 但し、「事実上の公務員の理論」に注意する必要がある。これは、無権限者が正規の手続で公務員に選任され、外観上は公務員として行った行為を有効として扱う理論である(行政法上の秩序と継続性を保護するため)。例として、村長の解職請求がなされ、それに基づいて選挙が行われて新村長が選出され、就任したが、実は解職請求が無効であったという場合がある(最判昭和35年12月7日民集14巻13号2972頁)。

 また、行政庁の瑕疵ある意思表示に基づく行政行為について、民法第93条ないし第96条は適用されないというのが一般的な理解である(但し、行政庁が全く意思のない状態の場合は別の話である)。

 (2)手続に瑕疵があるという場合

 同意を要する行政行為の場合、同意がなければ行政行為は無効である。しかし、一般的に、判例は手続上の瑕疵を取消事由として扱い、無効事由としていない。

 なお、原則として行政庁は単独制であるが、委員会などのような合議制の行政庁も存在する。この場合、例えば招集手続を欠く会議、定足数を欠いた会議などにおいて行われた議決は無効と解すべきである。ただ、会議に無資格者が参加していた場合について、最一小判昭和38年12月12日民集17巻12号1682頁(Ⅰ―122)は、決議の公正を害する特段の事由が認められない限り、決議を無効とさせるような重大な瑕疵は存在しないと述べる。

 (3)行政行為の形式に不備がある場合

 行政行為は、一般的に不要式行為である(行政手続法第8条第2項・第14条第3項を参照)。但し、書面が要求される場合には、口頭で行った行政行為は無効である。

 (4)行政行為の内容自体に瑕疵がある場合

 これに該当するものとして、内容が不明確な行政行為、実現不可能な行政行為(事実上であっても論理上であってもよい)、および重大な事実誤認に基づく行政行為がある。

 

 4.違法性の承継

 先行するAという行政行為(例.租税賦課処分)の後にBという行政行為(例.滞納処分)があるとする。Bという行政行為について取消訴訟が提起された場合、Aが違法であるからBも違法と言いうるか、という問題がある。一般的には、Aが違法であったからといって当然にBも違法であるということにはならないが、Aの違法性がBに承継される場合も存在する。

 ●(農地委員会の買収計画と買収処分)最二小判昭和25年9月15日民集4巻9号404頁

 事案:或る村の農地委員会は、Xが所有する農地を不在地主所有の農地と認定し、買収する計画を立てた。Xはこの計画について異議の申立て、さらに訴願を行ったが却下された。買収計画が県の農地委員会によって承認されたので、県知事Yは買収令書を交付し、買収を行った。Xは、訴願の却下に対しては訴訟を提起しなかったが、買収処分については訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は、自作農特別措置法第5条の規定を参照しつつ、これに該当する農地を買収計画に入れることの違法性が買収処分の違法性でもあると述べ、原告が異議申立てや訴願を行わなかったことによって買収計画が確定的効力を有するとしても買収計画の違法性がなくなるものではないとしている。

 ●(「安全認定」と建築確認処分)最一小判平成21年12月17日民集63巻10号2631頁(Ⅰ−87)

 事案:東京都建築安全条例第4条第1項は、建築基準法第43条第2項に基づいて同条第1項について制約を付加した規定であって、延べ面積が1000平方メートルを超える建築物の敷地は、その延べ面積に応じて所定の長さ(最低6m)以上道路に接しなければならない旨を定めている。他方、同条例第4条第3項は、建築物の周囲の空地の状況その他土地及び周囲の状況により知事が安全上支障がないと認める場合においては、同条1項の規定は適用しないと定めており、この「安全上支障がないと認める」処分を「安全認定」という。また、条文上は「安全認定」処分を行う者が東京都知事であるが、特別区における東京都の事務処理の特例に関する条例(平成11年東京都条例第106号)により、特別区長が安全認定に係る事務を処理することとされている。

 訴外Aらは、新宿区内に地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造りの建物を建築する計画を立て、Y区(新宿区)区長に申請した。同区長は平成16年12月22日付で「安全認定」処分を行った。これを受けてAらは建築確認を申請し、Y区建築主事は平成18年7月31日付で建築確認処分を行った。

 これに対し、この計画建築物の隣などに居住するXらが、建設予定地が安全性に欠けるなどと主張して、新宿区建築審査会への審査請求を経て、「安全認定」処分および建築確認の取消を請求する訴訟を提起した。東京地判平成20年4月14日民集63巻10号2657頁はXらの請求を却下・棄却したが、東京高判平成21年1月14日民集63巻10号2724頁は、本件安全認定についてY区長が裁量権を逸脱・濫用して行った違法なものであり、当該建築物の敷地が東京都建築安全条例第4条第1項に定められた接道義務に違反しており、本件建築確認は違法であると判断し、Xらの一部の請求を認容して建築確認処分を取り消した。Y区が上告したが、最高裁判所第一小法廷は上告を棄却した(但し、X1について控訴審判決を破棄した)。

 判旨:「安全確認」処分と建築確認処分は、元々一体的に行われていたが、条例の改正によって異なる機関が実施するものとされた経緯がある。また、「安全確認」処分と建築確認処分は「避難又は通行の安全の確保という同一の目的を達成するために行われるものである。そして、(中略)安全認定は、建築主に対し建築確認申請手続における一定の地位を与えるものであり、建築確認と結合して初めてその効果を発揮する」。また、「安全認定があっても、これを申請者以外の者に通知することは予定されておらず、建築確認があるまでは工事が行われることもないから、周辺住民等これを争おうとする者がその存在を速やかに知ることができるとは限らない」ので「安全認定について、その適否を争うための手続的保障がこれを争おうとする者に十分に与えられているというのは困難である。仮に周辺住民等が安全認定の存在を知ったとしても、その者において、安全認定によって直ちに不利益を受けることはなく、建築確認があった段階で初めて不利益が現実化すると考えて、その段階までは争訟の提起という手段は執らないという判断をすることがあながち不合理であるともいえない」。そのため、「安全認定が行われた上で建築確認がされている場合、安全認定が取り消されていなくても、建築確認の取消訴訟において、安全認定が違法であるために本件条例4条1項所定の接道義務の違反があると主張することは許されると解するのが相当である」。

 それでは、いかなる場合に違法性の承継が認められるのか。

 先行の行政行為と後続の行政行為とが結合して一つの効果の実現を目指し、完成させるものである場合には、違法性の承継が認められる。このような例として、土地収用法上の事業認定と収用裁決(名古屋地判平成2年10月31日判時1381号37頁)がある(但し、福岡高判平成6年10月27日訟務月報42巻9号2127頁は違法性の承継を認めない)。

 先行の行政行為と後続の行政行為が別の効果の発生を目指すのであれば、違法性の承継は否定される。例として、租税賦課処分と滞納処分(鳥取地判昭和26年2月28日行裁例集2巻2号216頁)、第一次納税義務者に対する課税処分と第二次納税義務者に対する納付告知(最二小判昭和50年8月27日民集29巻7号1226頁)※がある。

 ※ちなみに、最一小判平成18年1月19日民集60巻1号65頁は、第二次納税義務者が第一次納税義務者に対する課税処分について不服申立てをなすことを認容する。

 

 5.瑕疵の治癒

 これは、行政行為がなされた時には欠けていた要件が追完され、瑕疵がなくなった場合を指している。

 ●(農地買収計画に対する訴願裁決)最二小判昭和36年7月14日民集15巻4号1814頁(Ⅰ―88)

 事案:或る地区の農地委員会は、Xが所有する池沼に関する買収計画を定めた。Xはこれを不服として訴願を提起した。県の農地委員会は、訴願棄却裁決を停止条件として買収計画を承認し、県知事は買収令状を交付し、本件の池沼を買収した。そして、Xの訴願は棄却された。そこで、Xは買収計画の無効確認訴訟を提起した。

 判旨:最高裁判所第二小法廷は「農地買収計画につき異議・訴願の提起があるにもかかわらず、これに対する決定・裁決を経ないで爾後の手続を進行させるという違法は、買収処分の無効原因となるものではなく、事後において決定・裁決があったときは、これにより買収処分の瑕疵は治癒されるものと解する」として、Xの請求を認容した大阪高等裁判所判決を破棄し、事件を差し戻した。

 瑕疵の治癒を認めるべきか否かについては、結局のところ、瑕疵が軽微であるか否か、最初の処分を取り消すことによって第三者の既存の利益を侵害するか否か、という点を考慮するしかない。

 ●(更正処分の理由付記に不備があった場合)最三小判昭和47年12月5日民集26巻10号1795頁(Ⅰ―89)

 事案:法人Xは法人税について青色申告の承認を受けていたが、事件当時は解散しており、清算手続をしていた。Xが確定申告をしたところ、Y税務署長は増額更正処分(本件更正処分)を行った。しかし、その通知書には理由が書かれているとはいえ、金額が記載されているにすぎなかった。これを不服としたXは、国税局長への審査請求を経て出訴した。Yは、更正処分の理由が審査請求に対する裁決書において明確にされたと主張したが、大分地判昭和42年3月29日行集19巻1・2号320頁はXの請求を認めて本件更正処分を取り消した。福岡高判昭和43年2月28日行集19巻1・2号317頁はYの控訴を棄却し、最高裁判所第三小法廷もYの上告を棄却した。

 判旨:本件更正処分に付記された理由から「更正理由を理解することはとうてい不可能であり、その記載をもってしては、更正にかかる金額がいかにして算出されたのか、それがなにゆえに被上告会社の課税所得とされるのか等の具体的根拠を知るに由ないものといわざるをえない」ので、「処分庁の判断の慎重、合理性を担保してその恣意を抑制するとともに処分の理由を相手方に知らせて不服申立の便宜を与えることを目的として更正に附記理由の記載を命じた前記法人税法の規定の趣旨にかんがみ、本件更正の附記理由には不備の違法があるものというべきである」。

 また、「処分庁と異なる機関の行為により附記理由不備の瑕疵が治癒されるとすることは、処分そのものの慎重合理性を確保する目的にそわないばかりでなく、処分の相手方としても、審査裁決によってはじめて具体的な処分根拠を知らされたのでは、それ以前の審査手続において十分な不服理由を主張することができないという不利益を免れない。そして、更正が附記理由不備のゆえに訴訟で取り消されるときは、更正期間の制限によりあらたな更正をする余地のないことがあるなど処分の相手方の利害に影響を及ぼすのであるから、審査裁決に理由が附記されたからといって、更正を取り消すことが所論のように無意味かつ不必要なこととなるものではない」から、「更正における附記理由不備の瑕疵は、後日これに対する審査裁決において処分の具体的根拠が明らかにされたとしても、それにより治癒されるものではないと解すべきである」。

 

 6.違法行為の転換

 Aという行政行為が法令の要件を充たしていないが、同じ行政行為をBという別の行政行為として考えると要件を充足しているという場合に、Aではなく、Bと読み替えて行政行為の効力を維持しようとすることがある。これが違法行為の転換であるが、判例でもあまり認められていないし、むやみに認めるべきではないであろう。なお、違法行為の転換と理由の差し替えとは、表面的に類似する部分もあるが、区別すべきである。

 ●(農地委員会の買収計画)最大判昭和29年7月19日民集8巻7号1387頁(Ⅰ―90)

 事案:或る村の農地委員会は、X所有の農地を小作地と認定し、自作農創設特別措置法施行令第43条によって小作人から買収の請求があったものとして買収計画を定めた。Xは訴願を県の農地委員会に提起したが、県の農地委員会は小作人による請求がなかったと認めつつも、同施行令第45条(こちらは、法律の附則に定められた日の事実を基にして、市町村のうち委員会が買収計画の可否を審議しなければならないとしか定められていない)を適用して買収計画を相当とする裁決を出した。Xはこれを不服として提訴した。

 判旨:最高裁判所大法廷は、施行令第43条による場合と同第45条による場合とで買収計画を相当と認める理由が異なるとは認められないとして、転換を認め、Xの上告を棄却した。

 

 7.その他

 行政行為の瑕疵に関する問題としては、他に次のようなものがある。

 (1)瑕疵の補正(最一小判昭和43年6月13日民集22巻6号1198頁)

 (2)表示の誤記(最三小判昭和40年8月17日民集19巻6号1412頁)

 (3)理由の差し替え

 行政行為としては全く同じであるが、基礎となる事実および法的根拠を、訴訟の段階になって変更することを、理由の差し替えという。違法行為の転換と類似するが、意味が異なるので注意を要する。最三小判昭和56年7月14日民集35巻5号901頁(Ⅱ―193)は、法人税の青色申告に対する更正処分について理由の差し替えを認めている。

 この問題は、かねてから租税法学において総額主義か争点主義かという問題として論じられてきた。第27回において取り上げる。

 (4)事情判決

 行政事件訴訟法第31条に規定されるもので、行政行為が違法であることを認めつつ、取り消すと公益などに著しい障害があるという場合に、判決主文においては請求を棄却し、理由においては違法であることを宣言するというものである。なお、行政不服審査法第45条第3項も事情裁決を規定する。やはり第27回において取り上げることとする。

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これをどう捉えるか 小選挙区比例代表並立制と衆議院解散との関係

2017年09月27日 00時00分00秒 | 国際・政治

 9月26日17時10分付で、朝日新聞社のサイトに「解散権の肥大化、見通せず 小選挙区推進した学者の悔恨」という記事が掲載されました(http://digital.asahi.com/articles/ASK9S5QYMK9SULZU00D.html)。1990年代、衆議院議員選挙に、中選挙区制に代わるものとして導入された小選挙区比例代表並立制と、衆議院の解散との関連性について、東京大学名誉教授の佐々木毅氏へのインタビュー記事としてまとめられたものです。

 佐々木氏は、当時多かった選挙改革推進者・支持者の中でも代表的な存在ですが、選挙改革の後に衆議院解散が大きな問題となったという旨の発言をされていました。上掲記事にも書かれていますが、今年2月27日付の朝日新聞朝刊2面14版に掲載されている 「(1強)第1部・平成の楼閣:1 平成の政治改革、官邸に権力集中」という記事では「民間政治臨調のメンバーとして旗を振った佐々木毅・東大名誉教授は『当時全然気づかなくて、後で大きくなった問題が、首相の解散権だ』。首相が自らの判断で、都合のいい時に解散権を行使することが、野党を牽制(けんせい)し、与党内の異論を封じる効果をもたらしたことへの反省である」と書かれていました。他方、同じ記事には「強い権力が必要だという認識があった。官邸への権力集中は90年代の制度改革がめざした姿。今でも間違いではないと思う」という山口二郎教授の言葉も掲載されています。

 さて、時を今に戻します。佐々木氏は、選挙改革の「当時全然気づかなくて、後で大きくなった問題が、首相の解散権だ」、「派閥の問題や政治とカネの問題に主たる関心が行っていて、首相の解散権には考えが及んでいなかった。制度を変えるに際し、見通しきれていなかった」と述べています。当時、解散権について議論を展開された方がおられたかどうかわかりませんが、小選挙区制、大選挙区制、比例代表制のそれぞれについて、世界各国の制度を十分に比較検討していたのか、改めて問われなければならないでしょう(どなたか覚えていませんが、選挙改革後の間もなく、小選挙区制は憲法に違反するという見解を述べられた方もおられます)。日本でよくあること、そればかりか何度も繰り返されることですが、一寸目に付くことが外国にあって、それが上手くいっているのであればあれば、十分に検討することなく日本も真似してやってみたがるというのが、選挙改革にも言えたことかもしれません。

 二大政党中心、政権交代可能な政治の実現。これが当時の選挙改革の目標であるとしたら、一部は実現したかもしれないが、成功したとは言いえないのではないか。

 このように考えるのは、誤解に基づくものでしょうか。

 ただ、確実に、とは言ってもどこまでかという問題はありますが、変わったことがあります。派閥の位置づけです。選挙改革以前よりも派閥の意味が小さくなっていったことは否定できないでしょう。このことが「首相の解散権」の肥大化につながった、と佐々木氏は述べます。氏は「解散は首相の専権事項だという言い方がよく使われるようになったのは割と新しいこと、21世紀に入る前後からではないか」とも指摘しました。

 佐々木氏は、2014年11月の衆議院解散についても批判をしています(読んではいませんが、文藝春秋2015年1月号に掲載されているとのことです)。また、今月中に行われるであろう解散についても「議会政治という枠組みに大きな問題を突きつけたと思う。議会を中心にして権力が構成され、その権力が議会の意向に従って行使される。それが議会政治の基本原則だ。自由裁量的に解散権を行使する首相権力の存在は、果たしてそれと両立しうるのか。よくよく考えられねばならない」と述べています。

 しかし、政治の道義などとして捉えるのであればともあれ、法的な側面からすれば説得力に欠けるように思われます。実は、そもそも誰が衆議院の解散の権限を持っているのかという問題があり、これは、芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』〔第六版〕(2015年、岩波書店)49頁の表現を借りるならば「憲法の条文の不備に由来する」のです。憲法の解釈の仕方にもよりますが、今月中に行われるであろう衆議院の解散も憲法違反であるとは言えないでしょう。また、これまでにも、例えば小泉純一郎内閣期の「郵政解散」は、説明は付けられるものの、佐々木氏の主張の論理に照らせば妥当とは言えないはずです。

 内閣総理大臣のみが衆議院の解散に関する実質的な権限を有するという論調は、憲法の規定に照らせばおかしなものであることは明らかですが、それでは実質的な権限は誰が持っているのかという問いについては、憲法の上では明確でないと言わざるをえません。実質的な解散の権限の所在が示された規定はないからです。

 形式的な権限というのであれば、憲法第7条第3号によって天皇にあることは明らかです。しかし、衆議院の解散は国事行為の一つであり、憲法第3条によって国事行為には内閣の助言と承認が必要であるため、実質的な権限は天皇にではなく、内閣に帰属する、ということになるのでしょう。

 よく誤解されているようですが、第69条も「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と定めています。この条文だけでは、内閣が解散に関する実質的な権限を持っているかどうかはわかりません。第3条および第7条第3号と結びつけて、ようやく内閣の実質的権限を導き出すことができます(ついでに記せば、第7条第2号に規定される国会の召集についても同じことが言えます。そもそも「招集」ではなく「召集」ですから、形式的であるとは言え、天皇に権限があることが前提なのです)。

 これで問題が終わる訳ではありません。衆議院の解散については、第7条第3号と第69条にのみ規定があり、具体的な想定事例は第69条にしか示されていません。そのため、第69条に示される、衆議院における内閣不信任決議案の可決または内閣信任決議の否決が行われた場合にのみ、衆議院の解散が許されるという見解も存在します。これは、内閣の助言と承認に実質的な決定権を含まないという前提を踏まえた見解ですが、同じ前提によっても衆議院の解散を第69条に示された事由に限定しないという見解も存在します。この見解は、憲法の構造、もう少し具体的に記せば議院内閣制、権力分立制に根拠を求めます。ただ、憲法の構造というのではいかにも不明確ですし、権力分立制は解散の根拠となりえても、議院内閣制が根拠となりうるかどうかは疑問とせざるをえません。むしろ、議院内閣制は解散の制限の根拠になりえます。

 現在まで、実務または運用においては、天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認には実質的な決定権も含むという前提の下、第7条第3号を一応の根拠として、内閣に自由な解散決定権限を認める見解が通用しています。学説の多くも同様でしょう。従って、内閣不信任決議案などがあろうがなかろうが、内閣は自由に衆議院解散を決定しうるということになります。

 このように考えてくれば、選挙制度に関係なく、元々、日本国憲法では衆議院の解散について事由を限定しておらず、内閣は自由に解散を決定することができるということを想定していた、と解釈することができます。そうでないというのであれば、規定の不備です。衆議院が内閣不信任決議案を可決した場合または内閣信任決議案を否決した場合に限り、衆議院の解散が許されるというのであれば、その旨の文言を入れておけばよかっただけのことで、現行の規定ではそこまで読み取ることができません。

 もっとも、中選挙区制時代には内閣、さらに内閣総理大臣の権限は、政治的にそれ程強くなかったとも言いうるかもしれません。小選挙区制になり、党首⇔派閥⇔議員(党員)という関係が弱まり、党首⇔議員(党員)という関係が強くなったことは確かなようです。

★★★★★★★★★★

 補足的に記しておきましょう。自由民主党憲法改正推進本部による日本国憲法改正草案(2017年4月27日決定)では、現行の憲法第3条と第7条をまとめたような形で第6条が作られており、その第2項第3号で衆議院の解散が天皇の国事行為の一つとされ、第4項で「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」とされています。「助言と承認」ではなく「進言」とされているのは、実質的決定権を含むという点を明確にしたかったからでしょうか。もっとも、草案の第69条も現行の第69条と全く同じ文言であり、この辺りについてはもう少し整理するほうがよいと思われます。

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後期の基本法学概論Bでも

2017年09月26日 10時26分22秒 | 受験・学校

 私が木曜日の2限に担当している基本法学概論Bでも、折に触れて時事問題を扱います。政治、経済、社会、国際といった分野からです。ニュースなどをよく読んでおくように。

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租税法講義ノート〔第3版〕準備 24 相続税その1 相続税と贈与税との関係、相続税の性質、納税義務者(1)

2017年09月24日 20時50分53秒 | 法律学

 1.相続税と贈与税との関係

 日本の相続税および贈与税は、いずれも相続税法に規定されている。日本の国税は、ドイツにならい、租税ごとに独自の法律を根拠とするのであるが、その例外が贈与税である。勿論、これには理由がある。贈与税は相続税を補完するものと位置づけられているため、独立した法律ではなく、相続税法において定められているのである。

 相続税は、人の死亡によって財産が移転する機会に、その財産に関連して課される租税である。この機会の典型は法定相続(狭義の相続)であるが、遺贈および死因贈与※※も含まれる。

 ※遺贈とは、単独行為たる遺言によって遺産を処分することをいう。民法第964条は「遺言者は、包括又は特定の名義で、その財産の全部又は一部を処分することができる。ただし、遺留分に関する規定に違反することができない」と定め、包括遺贈(遺産の全体またはその何分の1として行う遺贈のこと。同第990条により、包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有する)も特定遺贈(特定の物や権利、または一定額の金銭を与える遺贈をいう)も認める。

 ※※死因贈与とは、贈与者の死亡によって効力を生ずる契約である。単独行為に基づくものでない点において遺贈と異なるが、民法第554条により、原則として遺贈の効力に関する規定(同第991条以下、同第1031条以下)が準用される。

 これに対し、贈与税は、生前贈与によって財産が移転する機会に、その財産に関連して課される租税である。相続税のみが存在し、贈与税が存在しないとすると、生前に財産を贈与すれば相続税の負担を簡単に回避できる。そのために、贈与税が設けられた。贈与税が相続税の補完税としての性格を有するとされるのは、このような歴史的経緯によっている。

 そのため、相続税と贈与税とが共通の取り扱いを受けることもある。財産の評価が典型的である。

 なお、シャウプ勧告は、両税を統一するような累積的取得税の採用を勧告した。実際に採用されたのであるが、3年ほどで廃止された。しかし、両税の統合が世界的傾向となっている。

 

 2.相続税の性質―遺産税か遺産取得税か―

 既に述べたように、相続税は人の死亡によって財産が移転する機会に着目して課される租税である。しかし、相続そのものについての考え方が分かれることもあり、相続税についても制度の組み立て方が分かれ、相続税の性質を分けることになる。

 一つのモデルは遺産税である。これは英米法系のものであり、人が死亡した場合に、彼の遺産を対象として課税する。これは純粋な財産税である。他にもいくつかのタイプが存在するが、いずれにせよ、被相続人の遺産そのものの額に注目している。被相続人が生存している間に蓄積した富の一部を、彼の死亡にあたって社会に還元すべきである、という思考に基づく。次にあげる遺産取得税に対して「富の世代間の継承を歪め」ないという利点を持つのであるが※※、三木義一教授が述べるように、この思考は、結局、被相続人の死亡をきっかけとして過去の所得を把握し、遡及して課税することと変わりがなく※※※、租税回避や租税逋脱などがあったことを前提とするかのような説明にもなっており、かなり問題があるものである※※※※

 ※ここにいう彼は男性も女性も含む。日本における古語の用法である。

 ※※小西砂千夫『財政学』(2017年、日本評論社)75頁。

 ※※※実際に、所得税や財産税などの後払いというような説明がなされることもある。

 ※※※※三木義一『よくわかる税法入門』〔第4版〕(2006年、有斐閣)251頁を参照。三木義一編著『よくわかる税法入門』〔第11版〕(2017年、有斐閣)258頁[奥谷健担当]も、ほぼ同一の内容である。

 もう一つのモデルが遺産取得税であり、日本の相続税法の基本ともなっている。ヨーロッパ大陸法系のものであり、こちらのほうが世界的潮流ともなっている。遺産取得税は、被相続人ではなく、相続人に着目する。相続などの機会によって被相続人の遺産を、いわば不労所得として入手した相続人の担税力に注目するのである。この考え方によると、相続税は所得税の補完税という意味合いを帯びることになる。そうであるならば、所得税として扱ってもよいように思われるかもしれないが、取得財産の評価額が往々にして巨額になることなどから、所得税とは別の体系にしたということになる。

 相続人間の納税負担の公平などに鑑みれば、遺産税方式よりも遺産取得税方式のほうが優れている。大日本帝国憲法時代の相続税は遺産税方式であったが、日本国憲法の下における相続税は、シャウプ勧告を受けて遺産取得税方式に移行した。しかし、1958(昭和33)年改正で、遺産取得税方式を基本としつつも遺産税方式を加味した日本独自の方式に変更された。これは、法定相続分課税方式による遺産取得税方式と言われており、日本国憲法制定後も農村での長子相続が続いていたこと(純粋な遺産取得税方式では長子の納税負担が過度に重くなる)、遺産分割を隠蔽または仮装する例が多かったことから※、遺産についていかなる分割が行われようとも相続税の総額がほぼ同じになるように設計された制度である。ただ、この法定相続分課税方式による遺産取得税方式は、実際の算定がかなり複雑になる上に、不合理な結果を生み出しているのであるが、これについては「25  相続税その2  相続税の課税物件、課税標準および税額の計算」において取り上げる※※

 ※小西・前掲書75頁は、遺産取得税方式が一般的に「相続者を増やすことで税負担を小さくする誘因が働くこと」ものであることを指摘する。

 ※※金子宏『租税法』〔第十八版〕(2013年、弘文堂)536頁においても述べられているように、「平成20年度税制改正の要綱」において純粋な遺産取得税の体系に戻すことが予定されていた。しかし、2009年度からの施行は見送られた。なお、この記述は同書〔第二十二版〕(2017年、弘文堂)にはない。

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法学特殊講義2Bの参考書

2017年09月23日 13時20分12秒 | 法律学

 月曜日の講義の際にも紹介しますが、とりあえず、ここに記しておきます。

 安島和夫『相続税法 理論と計算』〔八訂版〕(税務経理協会、2016年)

 小池正明『知っておきたい相続税の常識』〔第18版〕(税務経理協会、2017年)

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法学特殊講義2Bのために

2017年09月22日 08時24分11秒 | 法律学

 後期の法学特殊講義2Bのために、このブログで相続税・贈与税の基本に関する内容を掲載します。現在、準備中です。

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やはり! 日本お得意の先送り

2017年09月20日 12時42分53秒 | 国際・政治

 お蕎麦解散の可能性が報じられた、このままもりもかけも捨てられるのかな、と思ったらこれです。ロイター通信社が速報として12時2分付で報じていました。

 「財政目標の先送り表明へ、PB黒字化は『2020年代』=政府筋」(http://jp.reuters.com/article/財政目標の先送り表明へ-PB黒字化は「2020年代」=政府筋-idJPL4N1M11BW?il=0

 今更驚くことでもない、と思われる方も多いでしょう。私自身もそうです。「やはり」というのが、目にした瞬間の感想でした。

 一見するとわかりにくいかもしれませんが、これまで、PB(基礎的財政収支)の黒字化は2020年度に設定されていました。しかし、達成がほぼ不可能に近いことは、これまで報じられてきたところから明らかです。そこで、2020年度ではなく、2020年代となった訳です。こうすれば、2021年(度)から2029年(度)か2030年(度)までの間に財政健全化が達成されればよいことになります。

 第193回国会が閉じられてから、「人づくり革命」、「生産性革命」などという言葉が飛び交うようになりました。1960年代の社会主義諸国かと思えたほど、多用されています。それはともあれ、これらの「革命」を推進するためには、PBなどは後回しにしなければならない、ということなのでしょう。

 しかし、政府債務残高がGDPの2倍を超えるほどの水準になってから10年程になります。これでよくぞ円が暴落しないものであると不思議な気もするのですが、やり方を間違えれば、確実に国民生活が破壊されます。そうなれば、「人づくり」も「生産性」も何処かへ吹っ飛びます。

 そうでなくとも、確実に将来へツケを残します。少子化がますます進行する可能性も否定できません。

 あるいは、子にとっての最大の親孝行は、親が残したツケだの何だのを精算することである、ということなのでしょうか。親が子に孝行をさせたいのであれば、親が今のうちに借金をしても贅沢に、気ままに生活し、子に全てを払わせればよい、ということになります。理由はいくらでも付けられますから。今までの日本は、どことなくそのような気分を持ってきたのかもしれません。しかし、そうであるとすると子は大変です。朝日新聞に先日不定期連載された「負動産」のような話が国全体で頻出することになるでしょう。

★★★★★★★★★★

 ちなみに、どうでもいいことですが、私は、もりであれかけであれ、蕎麦をよく食べます。

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