ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

9例目(?)はニュースにもならず……

2013年10月25日 00時22分04秒 | 受験・学校

 法科大学院からの撤退は、もう新聞記事のネタにもならないのでしょうか。あるいは、私が見落としていただけかもしれませんが、目に付くような見出しが付いた記事を読んだ記憶がありませんし、ネットでも新聞社などのサイトで記事を見つけることはできません。ニュースヴァリューがないということなのでしょうか。

 10月17日付で、東海大学が法科大学院の学生募集を2015年度から停止すると発表しました(http://www.u-tokai.ac.jp/TKDCMS/News/Detail.aspx?code=law_school&id=6589)。この話題は、ネットではいくつかのブログなどで取り上げられていました。私も、実はこうしたブログを読んで知ったのでした。

 これで、私が勘定した限りにおいては9例目となります。発表の順に、(1)姫路獨協大学、(2)大宮法科大学院大学、(3)明治学院大学、(4)神戸学院大学、(5)駿河台大学、(6)東北学院大学、(7)大阪学院大学、(8)島根大学、(9)東海大学です。

 朝日新聞社が今年の9月11日5時26分付で「司法試験合格率26.8% 法科大学院敬遠の傾向強まる」として報じており(http://digital.asahi.com/articles/TKY201309100431.html)、その記事に付されている表によると、東海大学(法科大学院出身者。以下、大学名のみとします)の合格率は0%で、合格率の順位は72位でした(神戸学院大学および姫路獨協大学も同位)。昨年の東海大学の順位は55位でした。大東文化大学の今年の合格率が1.64%で71位(昨年は59位)でしたので、人様のことをあれこれと言えた義理でもないのですが、東海大学自身も認めるように、長らく停滞する状況にありましたので、撤退表明もやむをえないというところでしょう。

 今年の合格率順位表を改めて見直すと、1位の慶應義塾大学が56.78%で、他に50%を超えているのは2位の東京大学、3位の一橋大学、4位の京都大学のみです。40%以上50%未満は、5位の愛知大学、6位の首都大学東京、7位の中央大学です。8位が早稲田大学ですが38.41%で、20%超は24位の関西学院大学まででした。

 当初喧伝された理念などから大幅に乖離している現状ですので、どの程度の合格率までなら法科大学院の存続のボーダーラインを引けるのか、難しいところですが、低すぎるという御意見を承知で記すならば、また、合格率などは変動しやすいということも承知で記すならば、20%というところでしょうか。それでも、今年の合格率に照らせば上位の「3分の1」くらいしか残らないということになります。

 ちなみに、今年の全体の合格率は26.8%で、昨年の25.1%に比べればやや上昇しています。しかし、48位の信州大学および白鴎大学がかろうじて10%であり、50位の西南学院大学が9.62%ですから、50位から72位までの25校が10%未満であるということになります。

 いや、もう合格率云々の話ではないのかもしれません。予備試験経由の受験者の合格率が71.9%と高く、合格者の約半数は20代前半、しかもそのうちのおよそ3分の2は学部生でした。旧司法試験を見ているような気もします。おそらく、学部生ならば法曹界への就職も楽なことでしょう。細かいことには触れられませんが、制度設計のミスがあったとしか思えません。もし、法科大学院制度を存続させるならば、日本の大学の学部制度そのものにも踏み込んだ改革をしなければならないでしょう。例えば、法学部を医学部のような学部に変える、というようなことです。

 法科大学院の低迷を受けてということか、法学部の人気も落ちてきています。このように記すのは、私も影響を受けるから、という訳ではありません(これでは低次元ですから)。法律学を志し、習得する者が減るならば、国家や社会の運営に必ずや支障が生ずるであろう、と考えるからです。

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解体工事が進む東横線旧渋谷駅

2013年10月22日 23時34分32秒 | まち歩き

 2013年3月16日、東急東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始されました。これにより、東武東上線および西武有楽町線・池袋線との相互直通運転も始まっています。また、既に副都心線の駅として開業していた地下駅に東横線が入ることとなりました。あれこれと言われている駅ですが、田園都市線・半蔵門線との乗り換えは楽になりましたし、渋谷駅よりも乗り換えが大変な駅は都内にいくらでもあります。

 一方で、3月15日を最後に、東横線と東京メトロ日比谷線との直通運転は中止となりましたし、東横線から9000系と1000系が離脱しました。それだけでなく、高架の渋谷駅は廃止となりました。しばらくしてから、解体工事が始まりました。

 私は、(講義期間中の)毎週金曜日、午後に国学院大学で講義を担当しています。そのため、常盤松から渋谷駅まで歩くと、渋谷警察署前の交差点の歩道橋から東横線渋谷駅を見て歩いてきました。あの東日本大震災の日には、銀座線の車内から東横線の駅を見ています。

 2012年1月13日付「いよいよ今年! 東横線渋谷駅(2)」で、現役当時の駅の様子を、やはり歩道橋の上から撮影していますので、御覧下さい。

 あのアーチを重ねたような形の丸屋根は残っていますが、もう少し時間が経てば、完全に消滅することでしょう。そして、広告板を兼ねていた側面の壁のような飾りは、既に完全に外されていました。ホームも解体されようとしています。

 渋谷駅から代官山駅までの高架橋もまだ残っていますが、架線などは外されています。どのように変化していくのでしょうか。

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熊本市の新市街から上通商店街を歩く

2013年10月13日 17時59分55秒 | 旅行記

 (以下は「待合室」の第541回「新市街→上通商店街」として、2013年9月21日から29日まで掲載した記事の再録です。但し、一部の内容を変更しています。)

 花畑町電停から辛島町電停まで歩き、新市街に出てみました。熊本交通センターに最も近いのがここです。また、交通センターの南側に県民百貨店があります。かつて岩田屋熊本店でしたが、巨額の赤字を抱えていたために岩田屋が撤退し、一時期、くまもと阪神として営業していました。私も、一度だけですがくまもと阪神に入ったことがあります。

 辛島町電停のそばの交差点から新市街に入ります。ここもアーケード商店街ですが、下通と比べると人通りが少ない所です。また、パチンコ屋やカラオケ店などが多いのが気にかかりました。下通商店街と同じように道幅が広いだけに、少なさが目立ちます。

 それでも、西側は店舗などが多いのですが、東側へ歩くと、やはり熊本市でも中心街の空洞化が進行しているという兆候が見られるようになります。

 アーケード街の途中に、御覧のような場所がありました。お断りをしておくと2011(平成23)年8月8日の時点での話ですので、現在はどのようになっているかはわかりません。最初からこのようになっていたとは思えないので、ここには何らかの建物があり、店舗があり、営業をしていたはずです。

 1997(平成9)年から2012(平成24)年までの間に、私は、時間と金銭の余裕がある限り、九州島内の商店街を少なからず周りました。勿論、全ての市を周った訳でもありませんし、回数にも頻閑の差があります。それを承知で記しますが、上の写真のように、アーケードの意味をなさないような部分が多くの商店街で見受けられます。このコーナーで取り上げたところでは、直方市、大牟田市、佐賀市、そして北九州市八幡西区の黒崎です。熊本では、私が見た限りではここだけですが、市の随所を歩いた訳ではないのでよくわかりません。

再び下通商店街を歩きます。人通りが少しばかり多くなってきました。アーケード街を車で抜けることはできませんので、自動車は他の道路を走ることとなります。

 先ほどの交差点から東側を撮影してみました。奥のほうへ歩くと熊本ワシントンホテルプラザがあり、そのそばの交差点を右折すれば国道3号線に、左折すれば銀座通りとの交差点である下通1丁目、さらに、鶴屋百貨店のそばの通町交差点に出ます。

 通町筋電停に戻り、今度は上通の商店街を歩きます。商店街の入口東側に熊本市現代美術館があります。元々は熊本日日新聞の本社があった場所で、上通A地区市街地再開発ビル建築工事が行われる際に、市営の美術館が入居するということになっていました。このビルがびぷれす熊日会館です。「びぷれす」とは意味不明の言葉ですが、ぴぷれす熊日会館のサイト(http://www.bipuresu.jp/akusesu.htm#yurai)によると"The Birth Place of the Press"を日本語流に縮めたのだそうです。それでもよくわからないのですが。

 なお、現在、熊本日日新聞の本社は熊本市中央区世安町にあります。豊肥本線の平成駅の近くと記せばよいでしょうか。

 これまで何度か熊本市を訪れていますが、上通のほうを歩いたことがあまりありません。そのため、どのような店があるか、ということもよくわかりません。商店街の状況も知りません。ただ、下通と比べると道幅が狭いことは知っていました。通町筋からの入口のほうは広いのですが、すぐに狭くなります。

 通町筋から上通に入り、しばらくは人通りが多いのですが、だんだん少なくなってきて、いつの間にかアーケードもなくなりました。空き店舗なども見受けられ、空洞化が進んでいるようにも見えます。この辺りは上通並木坂というだけあって、なだらかな登り坂で、たしかに並木となっています。

 途中に古書店がありました。店の名前を覚えていなかったのですが、舒文堂河島書店だったようです。通町筋側から歩くと右側にありました。だいたい、古本屋の入口の前には安価な古本が置かれているもので、私はしばらく棚などを眺めていました。日記にも書いていないのですが、その店で1冊か2冊を買ったはずです。

 並木の向こうのアーケード街を撮影してみました。繁華街から外れて、この辺りになると自動車もよく通ります。駐車中の車が多いのですが、車道は広くありません。もっとも、歩道は広いので歩きやすいのがありがたいのです。

 距離としてはたいしたことがないのですが、よく歩いたような気もします(この日は熊本駅前や三角駅前も歩いています)。しかし、目的地は藤崎宮前駅ですから、もう少し歩かなければなりません。

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熊本市の通町筋電停から下通商店街を歩く

2013年10月11日 01時27分55秒 | 旅行記

 (以下は「待合室」の第540回「通町筋電停から下通商店街を歩く」として、2013年9月13日から21日まで掲載した記事の再録です。但し、一部の内容を変更しています。)

 熊本市が政令指定都市となったのは2012年4月のことですが、その前年、つまり2011年8月8日、福岡大学法学部での集中講義初日を前にして、2004年2月下旬以来、およそ7年5ヶ月ぶりに、この南九州の代表都市を訪れ、街を歩きました。

 豊肥本線に乗り換えることのできる新水前寺駅前電停から市電に乗り、しばらくすると、通町筋電停に到着します。この道路の通称が通町筋で、電停の周囲は、まさに熊本市の中心街です。「筋」と言いますが、大阪や神戸の場合は南北に伸びるのに対し(御堂筋、堺筋、谷町筋などを思い出してください)、ここ熊本市の通町筋は東西(厳密に言えば北西・南東方向)に伸びています。南側に下通(しもとおり)商店街、北側に上通(かみとおり)商店街があります。これから歩こうとするところです。

 通町筋電停には「鶴屋百貨店前」という副名称もあります。上の写真の右奥に見えるのが鶴屋百貨店で、熊本県の老舗の一つです。今年(2013年)、東急ハンズもオープンしました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、手前に熊本パルコがあります。

 電停から、今度は北西側を見ます。熊本城がよく見えます。通町筋、正式には熊本県道28号熊本高森線は、熊本城の下で左に曲がり、熊本市役所を左に見て、辛島町に抜けます。辛島町電停のそばに新市街、交通センターがあります。熊本市の繁華街は、上通から下通、さらに新市街まで続いています。

 茶臼山と言われる丘陵地に熊本城が築かれたのは、通説(熊本市も採用する)によれば1601(慶長6)年から1607(慶長12)年にかけてのことです。築いたのは、かの加藤清正です。豊臣秀吉と血縁関係にあったという清正は、元々が尾張、つまり現在の愛知県西部の出身ですが、秀吉に仕え、1588(天正16)年、肥後の領主に任ぜられます。そして、肥後の経済力を飛躍的に高めました。現在でも熊本県内には彼の善政の痕跡が所々に残っています。東京でも、白金高輪駅の近くに清正公前交差点があります。清正の位牌や像などが覚林寺にあるので、この寺のことを清正公ともいいます。

 加藤清正は豊臣家に仕えますが、関ヶ原の戦いでは東軍の一員として、石田光成、宇土城主にしてキリシタン大名でもあった小西行長などの西軍と戦います。光成や行長と確執があったためということです。御存知の通り、関ヶ原の戦いでは東軍が勝利し、豊臣家は大阪城の一大名に成り下がります。

 清正は1611(慶長16)年に亡くなります。その後もしばらく、加藤家が肥後を治めたのですが、1632(寛永9)年に改易となってしまいました。代わりに、豊前の小倉藩から熊本城主、すなわち肥後の熊本藩主となったのが細川忠利で、以後、熊本藩は細川家により治められます。1640(寛永17)年には、忠利が剣豪宮本武蔵を熊本に招きます。武蔵は、1645(正保2)年に亡くなるまで熊本に居住していました。

 ちなみに、細川家は現在も続いており、1983(昭和58)年に細川護煕氏が熊本県知事になります。その彼が内閣総理大臣となったのは1993(平成5)年のことでした。いわゆる55年体制の崩壊を意味する非自民非共産連立政権です。

 さて、下通商店街を歩いて見ましょう。ここはアーケード商店街となっており、道幅も広く、歩きやすくなっています。平日の昼間ですが、夏休み中ということもあってか、時間に照らしてみれば人通りは多いほうでしょう。さすがは県庁所在地の中心街です。ここは、九州南部でも最大の繁華街であるとも評されていますが、実際のところ、鹿児島市の天文館とどちらが大きいかはわかりません。また、九州新幹線の開業により、福岡市の博多駅周辺や天神地区への集中傾向(いわゆるストロー現象)が生じている可能性も高いのです。

 実はこの日、ちょうど私が歩いている時に、近くをパトカーなどが走り回っていました。何かの事件があったのだろうと思っていたのですが、後で、ダイエー熊本下通店で強盗事件があったことを知りました。

 下通商店街はいくつかのブロックに分かれており、所々で御覧のような交差点が存在します。道路に書かれている白線は横断歩道なのですが、繁華街のただなかにあるためか、このような形になっています。

 左側には、今や全国的に少なくなっているレコード店があります。文化堂です。以前ここに来た時には、熊本のローカルタレントながら全国的にも有名だった、ばってん荒川さんの大きな似顔絵が飾られていました。レコードが売られていたのでしょう。ばってんさんが亡くなったのが2006(平成18)年、それから、ここを歩いた時点で5年の月日が流れています。

 ローカルタレントと言えば、九州は北海道とともに独自の芸能文化があるようで、福岡や熊本にはローカルタレントが多いことでも知られています。東京に進出する人もいますが、一貫して九州に留まる人も、とくに九州朝日放送の番組に出演するローカルタレントに目立ちます(しかも、意外に他の地方の出身という人も少なくないのです)。多くの場合は首都圏や京阪神地区であまり知られていないでしょう。しかし、これは九州発の全国的番組が少ないからでして、層の厚さには驚かされます。私も、大分時代には九州朝日放送の「ドォーモ」など、九州のローカルタレントが出演する番組などを見ていたものです(集中講義の期間中も見ていました)。

 ここで下通を離れて別の通りを歩きます。2年前のことで、あまり覚えていないのですが、銀座通りだと思われます。ホテルと飲み屋が多い所で、他の都市にも共通するでしょう。城下町ということもあって、道はまっすぐになっていないのですが、碁盤の目状にはなっています。

 歩き続けると、市電の花畑町電停の近くに銀杏南通りの入口があります。飲食店、風俗店などが多そうな通りで、昼間は人通りも少ない所ですが、この雰囲気はまさに都会の飲み屋街というところでしょう。私は飲み屋街をあまり好まないので、東京や川崎でもあまり歩きませんし、店に入ったりもしません。

 ただ、2003年8月に熊本県立大学で集中講義を担当した際には、辛島町電停のそばにある熊本東急インに宿泊していたので、近くの飲み屋などに入ったことがあります。2日目の講義が終わってから、夜遅くまで、熊本県の職員、大学院生、といった方々と飲んでいて、翌朝から3コマか4コマをやったこともありました。4時間くらいしか寝られなかったのでさすがにきつかったことをよく覚えています。夕方、ホテルに戻ってすぐに1時間くらい寝てしまったのです。こうした経験が、2004年から2012年まで担当した西南学院大学での集中講義の際に生かされました。

 本題に戻りましょう。写真ではわかりにくいのですが、中央にある透明な柱をよく見ると、中に水が入っており、下から空気の泡が噴き出されています。見ているとなかなか面白いので、動画としても撮影したのですが、このページに入れることは避けました。

歩道橋の上から花畑町電停を撮影してみました。A系統健軍町行きの9700形が止まっています。表通りの沿いには金融機関の本店・支店が多く並んでいます。

みずほ銀行熊本支店がありました。そこに入ってから、また歩き続けます。

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新自由主義の新しい形? 超過累進課税は官僚の裁量を増大させる?

2013年10月03日 19時13分21秒 | 社会・経済

 10月1日、安倍内閣総理大臣が2014年4月1日からの消費税(地方消費税を含む)増税を発表しました。法人課税減税もセットにしています。

 翌日の新聞には、当然のことながら、消費増税に関する記事が多く掲載されました。その中で、朝日新聞朝刊17面13版に掲載された「耕論 増税は決めたけど」が特に気になりましたので、今回、ここに取り上げる次第です。

 この記事は、「乏しい『正当性』、説得力なし」と題された、北海道大学教授の橋本努氏へのインタビュー記事と、「生活弱者の切り捨てに懸念」と題された、自立生活サポートセンター「もやい」理事長の稲葉剛氏へのインタビュー記事から成ります。どちらも読み応えのある記事ですが、気になったのは橋本努氏のほうです。理由を記せば、端的に立論に問題があるからです。

 元々、今回の消費増税は、民主党政権時代末期の野田政権の時に、社会保障と税の一体改革の中身として、まさに社会保障の充実のためとして決定されたことです。その中身あるいは方法についての検証は、さしあたり、日本再建イニシアティブ『民主党政権 失敗の検証 日本政治は何を活かすか』(中公新書)を参照していただくとして、政権交代の後、消費増税の意味がよくわからなくなったことは否定できません。

 橋本氏は「安倍政権は消費税率を3%幅引き上げ、5兆円規模の経済対策で国民に還元するとして」いることを指摘した上で「これでは財政赤字の拡大を防げず、なんのための増税なのか、思想がはっきりしないまま国を借金づけにする恐れがあります」と評価します。私も、この評価は正当なものと考えています。

 注目すべきは、次の発言で、私の疑問の一つでもあります。

 「解雇のハードルを下げる特区をつくるなどの規制緩和を目指す一方で、国債を増発して公共事業を増やし、増税もする。こうした安倍政権の経済政策は、『新しいタイプの新自由主義』にもとづくものでしょう。」

 これが新自由主義なのか。新自由主義と土建国家の合体に過ぎないのではないか。

 内容が目新しいものとも思えず、むしろ、第一次安倍政権、福田政権、そして麻生政権の特徴を端的に言い表したかにも見えます。新自由主義の抱える問題点に切り込みにくくなるのではないか、という懸念も生まれるでしょう。

 しかし、思想を学習し、研究する際に留意すべき点を心得るならば、橋本氏の主張にも首肯することは可能です。社会契約論であれドイツ観念論であれ社会主義であれ、単純化したモデルで理解することは危険です。或る意味では日本人が得意とするステレオタイプや、過度なタイプ(グループ)分けに陥りがちで、正確な理解を不可能にするからです。それに、思想、主義といったものがいつまでも固定的な姿をしていると考えるのも不自然で、人によって、時代によって、形も中身も変わってくるものでしょう。

 橋本氏は、「従来の新自由主義は、市場での自由な競争を重視し、できるだけ規制をなくして、政府の役割を小さくしようとしました。税金も低ければ低いほどいいので、増税には反対。こうした従来型の典型が、日本でいえば小泉政権です」と述べます。しかし、このような典型で理解することができるのは2008年秋のリーマン・ショックまでである、というのです。この大事件がきっかけとなって、新自由主義に様々な変形が認められるようになったのでしょうか。氏は「国が借金をして経済や福祉にカネをつぎ込むのは、ある程度は仕方がないという方向になった」とした上で、「新自由主義が福祉国家の考え方と融合して」、あるいは新自由主義が福祉国家の一部を取り入れて、氏の言う「北欧型新自由主義」が存在するというのです。北欧と言えば、消費税率が高いことでも知られています。その下で、一方で金融の自由化を、もう一方で労働環境の整備を進める、というようなものです。

 「北欧型」という言葉ですぐに連想されるのがスウェーデン、次にデンマークというところでしょう。橋本氏もスウェーデンを例に挙げ、「北欧型新自由主義」の特徴は「所得税の累進課税のように政府による裁量の幅が大きい制度よりも、全員に一律の高い消費税率を課すという発想」であると述べています。

 私の次の疑問は、ここにあります。先に挙げた疑問よりも、こちらのほうが大きなものです。

 そもそも、新自由主義としてまとめられる思想の多くに共通するのは、実質的平等を実現しようとする志向がない点です。平等を非常に形式的に捉えているのです。選挙権の平等と同じように考えている、と表現すれば良いのでしょうか。1990年代から大蔵省・財務省が主張し続けている、所得税の課税最低限の問題を想起していただきたいのです。新自由主義の立場からすれば、累進課税による所得の再分配は企業間の競争を阻害しかねない「余計なお世話」なのであって、実際の負担能力などに関係なく、全員が一律の割合または金額を負担するような税が望ましいでしょう。付加価値税はうってつけです。また、論者によっては人頭税を高く評価します。付加価値税以上に人頭税が、新自由主義にとって相応しい税であるとも言えるためです。

 労働環境の整備を必要とするということは、それだけ、負担能力の低い者が多いということ、あるいは、負担能力に無視しえない格差が存在するということを意味します。仮に負担能力に格差が見いだされないのであれば、敢えて労働環境を整備する必要性など存在しえないからです。高い税率による負担を一律に課して調整するというのですから、よほど制度設計がしっかりしているのでしょう。還元率が高くなければ、多くの人々の理解を得られません。

 また、「所得税の累進課税のように政府による裁量の幅が大きい」という主張の意味がよくわかりません。端的に意味不明な言葉であり、私の最大の疑問でもあります。租税法学の立場からすれば、ここでいう裁量が租税法を執行する際の裁量、つまり行政裁量であるとは思えません。納税義務者に対する税率の適用に裁量が認められるとするならば、適正な課税など期待しえないので、行政裁量の行使が違法とされるでしょうし、そのような裁量を認める法(法律など)が憲法に違反してしまいます。

 従って、橋本氏が「裁量」と表現するのは立法裁量のことでしょう。あるいは政策決定における裁量と表現しても良いかもしれません。税率を決めるのは法律ですので、結局は立法裁量です。氏が言いたいことは、所得税などで採用される累進課税には立法裁量が認められるが、消費税のような比例税率、単一税率であれば、立法裁量は認められない、というのでしょう。

 しかし、少し考えればすぐにわかりますが、この主張は支離滅裂であるというべきか、論理として、それ以前に話としても成立しません。もっと悪い言葉で記すならば「馬鹿な話」なのです。こんなことがスウェーデンなどの国で真顔で主張されるのであれば、日本は見習う必要もなければ、真似する必要などありません。

 どのような税であっても、立法裁量が認められます。こんな単純な事実が、何故、累進課税について妥当するのに、付加価値税、消費税については妥当しないのでしょうか。納得のいく説明をいただきたいものです。

 そもそも、財政について、税制について、労働環境について、災害対策について、その他あらゆる事柄について、立法裁量、政策決定における裁量が認められるのは当然のことです。税制に話を絞るならば、経済情勢などに鑑みて、具体的にいかなる税制を採用するかは、時の政府(ここでは立法権と行政権を念頭に置いています)が決めることでしょう。もう少し具体的に記すと、誰が課税権者となるか(国か都道府県か市町村か)、誰が納税義務者となるか、何を課税物件とするか、課税標準をどう表すか、そして税率をどのように設定するか、ということです。

 おそらく、橋本氏の主張は、累進課税の場合は複数の税率を採用することになるため、税率の設定に関する立法裁量が増大するということでしょう。それなら意味がわからなくもないのです。但し、これは当たり前の話で、単一の税率を決めるよりも難しいからです。

 しかも、累進課税を採用するにしても、税率の設定に一定の限界があるのです。いや、裁量の行使に限界があるのは当然です。その一つが憲法による限界(日本国憲法を例にとれば第14条、第29条、第25条など)であり、社会情勢、経済情勢、財政状況などによる限界もあります。他の租税との関連も考慮に入れなければなりません(タックス・ミックスというものが話題になるでしょう)。

 こうした限界は、当たり前のことですが付加価値税(日本の消費税は付加価値税の一種です)にも妥当します。もうおわかりでしょう。税率を5%にするか8%にするか10%にするか25%にするか、こういうことはまさしく立法裁量です

 また、付加価値税などの間接税にも、当然ながら税率決定だけに裁量が認められる訳ではありません。課税主体をどうするかという問題がありますし、納税義務者を誰にするかという問題は避けられません(これが簡易課税制度にもつながります)。課税物件については、現在の日本の消費税法第6条が一定の非課税取引を定めています。その範囲を決めるにも立法裁量が認められます。税率について記すならば、軽減税率の導入の可否なども問題となります。

 これ以上記してもあまり意味がないと思われますのでやめておきますが、累進課税については裁量が認められ、一律税率については裁量が認められないというおかしな話は、成立のしようがないのです。超過累進課税が「官僚の裁量を増やす」というのであれば、比例課税、一律課税も「官僚の裁量を増やす」場合があるのです。

 新聞のインタビュー記事のみに拠っていますので、橋本氏の主張なり意見なりを私がどこまで正確に把握しているかはわかりません。かなり多くの省略があったかもしれません。私自身、大分大学時代には、ローカル記事ではありましたが大分合同新聞、西日本新聞、朝日新聞のインタビュー記事に登場したこともあります(以前はホームページにも掲載していました)。発表される前に私は目を通させていただきましたが、最終的には記者さん、さらには新聞社の編集部の意向によります。それに、紙面の都合上、省略や簡略化をせざるをえません。こうした事情は私もよく理解しています。しかし、こういうことを考慮に入れても、橋本氏の主張には疑問を抱かざるをえないという部分があるのです。

 なお、橋本氏が述べている、「財政健全化のための『規律』はあるようですが、『ルール』がない」、「安倍政権の経済思想に欠けているのは『機会の平等』を実質化しようとする視点です」、子どもの貧困に関連して「民主党政権は、まがりなりにも『子ども手当』を最重要課題に掲げましたが、それよりもむしろ後退してしまっている」という主張には、基本的に同意できます。

 〔蛇足にならない余計な話〕 18時30分頃、電話が鳴ったので出てみたら、結婚紹介所か何かでした。「結婚のお手伝いをしている」と言うので、私は「既婚者です」と言って切りました。

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再びおしらせです(2013年10月1日)

2013年10月01日 00時22分13秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 法学書院から、中村芳昭・三木義一編『演習ノート租税法』〔第3版〕が発売されました(発行日は9月30日です)。この中の「26 利子所得」、「27 配当所得」および「28 不動産所得」を、私が担当しています。

 御一読をいただければ幸いです。

 ※※※※※

 8月9日に神戸新聞社が報じており、少し期間を置いて8月26日に朝日新聞社も報じていたのですが、昨日、神戸は元町の海文堂書店が閉店しました。99年の営業期間だったそうで、何とも惜しい話ではあります。入ったのは1回か2回だけですが、品揃えが良かっただけでなく、名前の通り海に関する書籍を多く揃えるなど、個性的であった点、本を購入した時にかけてくれる紙製のカバーのデザインが秀逸であった点で、印象に残っています。今や何所の都市へ行っても、少し大きめの書店というとチェーン店ばかりなのですが、海文堂書店は完全に地元の本屋で、東京で言うと渋谷の大盛堂書店(今の場所ではなく、西武百貨店の斜め向かい辺りにあった頃の)のような感じでした。品揃えでは劣っていますが、六本木の誠志堂書店とも共通するところがあったかもしれません。

 ちなみに、私が住んでいる川崎市高津区は、文教堂書店の発祥の地です。現在も本社は同区にあります。

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