ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

フランス:高額所得者に高税率の課税は違憲

2012年12月30日 10時06分17秒 | 国際・政治

 今日の0時9分付で時事通信が「高額所得75%課税は違憲=オランド政権に痛手-仏憲法会議」(http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012123000003)として報じています。目についたので、ここに取り上げておきます。

 私はフランス法を専攻しておりませんので、フランスの裁判制度などについてはよく知りません。そのため、記事に登場する「憲法会議」という言葉が訳語として正しいかどうか、などということには触れないでおきます。

 この憲法会議が時事通信の記事の見出しにあるような判決を下したのは12月29日のことです。政府は2013年度予算に、1年間で100万ユーロ(日本円に換算するとおよそ1億1400万円とのことです)を超える所得については75%という高い率で課税するという内容を盛り込んでいました。おそらく、日本と同じ超過累進課税でしょうから、75%が最高税率(の層)ということなのでしょう。1980年代の日本と同じくらいの高い税率ですが、これはオランド政権が財政再建を掲げたことの結果です。つまり、民主党政権時代の日本でも主張されていたように、富裕層の税負担を増やすという政策です。

 少し前には、この高い税率のために富裕層がイギリスやベルギーなどの国々に移住し始めている、とも報じられています。日本も、所得税の最高税率を40%→45%に引き上げるとか、相続税の基礎控除額を引き下げる、などというような案が政策として打ち出されていますので、富裕層の国外移住、ひいては資本の空洞化が進む可能性も高いでしょう。この点で、歯磨き粉で有名なサンスターの動きは典型的なものと言えます。元々は大阪府高槻市に本社を置いていましたが、現在、同社のWorld Headquarters(実質的な本社機能)はスイスに置かれています。この件については、グーグルで検索をかけると幾つか記事を読めますので、参照していただきたいものです。「相続税の税率を上げると、日本における資本の空洞化、資産の空洞化が生じる」という趣旨の言説は、当たっているのかもしれません。

 時事通信の記事に戻りますと、この記事には判決の理由などが詳しく書かれていませんのでよくわからないところも多いのですが、憲法会議が75%という最高税率による課税を違憲としたのは、率の高さという点によるものではないようです。

 フランスの場合、基本的に所得課税は個人単位ではなく家族単位であるそうで、日本の財務省のサイトによると「夫婦及び子供(家族)を課税単位とし、世帯員の所得を合算し、不均等分割(N分N乗)課税を行う」とのことです(http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/income/029.htm)。

 ところが、最高税率75%の課税は、何故か個人の所得を対象としています。この点を、憲法会議の判決は「税負担の平等原則に反すると判断した」というのです。そうなると、家族単位であれば憲法違反でない、ということなのでしょうか。

 この判決を踏まえて、フランスのエロー首相は法案の再提出を明言しました。ちなみに、最高税率75%の課税は2年間のみとされており、来年1月から実施されることとされていました。

 さらに記すと、時事通信社の記事には「AFP通信は政府関係者の話として、違憲とされた分の税収は歳入3000億ユーロのうち5億ユーロ程度だと伝えている」と書かれています。複雑な気分になりました。

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『ソクラテスと朝食を』

2012年12月29日 09時49分14秒 | 本と雑誌

 先日、青葉台で何冊か買った本の中に、講談社から刊行されている『ソクラテスと朝食を』という本があります。タイトルに惹かれて買いました。

 サブタイトルが「日常生活を哲学する」となっているだけに、、「目覚める」、「身支度をする」などの項目が並んでおり、「目覚める」にはデカルト、カント、ヘーゲルが、「通勤する」にはニーチェとホッブズが登場します。生活スタイルなどからしてイギリスやアメリカの内容であり、日本にはなじまないような気もしますが、それはよいとしておきましょう。各項目に登場する哲学者を見ると、時代や立場などは無関係というのも、日本の哲学入門書にはあまりない(あるいは、ほとんどない)スタイルです。

 著者はロバート・ロウランド・スミス(Robert Rowland Smith)という人で、オックスフォード大学で研究生活を送ったとのことですが、詳しい経歴などはわかりません。訳は鈴木晶氏が担当しています。

 本の帯には「デリダをして『俊逸!』と言わしめた注目の星による哲学入門!」、「ミリオンセラー『ソフィーの世界』の再来を予感させる話題の書、ついに邦訳!」と書かれていますが、『ソフィーの世界』とはターゲットもスタイルも異なりますし、中身からして同書の「再来」にはならないでしょう。面白い本であるとは思いますが、それほどの深みはないでしょう。多くの哲学者や評論家(ブランショも登場します)の名はあげられているものの、代表的な著作などの名称はほとんどあげられていないので、読書ガイドなどになりません。

 私が以前から気になり、時々探したりして読んでいるブランショが、「医者にかかる」という項目で登場します。出典がわからないので、仕方なく孫引きしますと、「医師たちのことはとても好きだった。……腹立たしかったのは、彼らの権威が時とともにますます増していくことだった。人は気づいていないが、彼らは王様なのだ」。

 「哲学する」というより、日々の生活の一コマについて哲学者の言説をあてはめているという感じの強い本で、哲学入門というより哲学エッセイというに相応しい内容ではあります。

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岳南鉄道線に乗ってきました

2012年12月26日 11時32分09秒 | 写真

 東急の初代5000系が走ったことでも知られる岳南鉄道に乗ってみたいと思っていました。しかし、その機会になかなか恵まれず、ようやく意を決して、昨日(12月25日)乗ってきました。

 岳南鉄道の路線(正式な名称はないのですが、岳南鉄道線と記しておきます)は、静岡県富士市にある東海道本線の吉原駅から北のほうに伸びる、10キロメートル足らずの路線です。元々は貨物輸送が主体の路線ですが、今年の3月、JRのダイヤ改正に伴って貨物輸送が廃止され、存続が危ぶまれる状況になりました。いや、それは以前からの問題であるかもしれません。貨物輸送は1960年代にピークを迎えましたが、その後はトラック輸送への転換が進み、旅客輸送の収入が上回るようになったのですが、その旅客輸送もかなり落ち込んでおり、何年か前にDMV(Dual Mode Vehicle)の実験も行われていますし、初代東急5000系が1996年に引退して元京王井の頭線3000系の7000形と8000形に置き換えられた頃からワンマン運転が始められました。平日の朝などを除けば1両編成2本で済むほどですから、乗客が少ないことは容易に推測されます。

 ローカル私鉄に乗るために出かけるのですから、本来であれば鉄道路線を利用すべきでしょう。今年5月に豊橋鉄道渥美線を利用した時、11月に近鉄内部線・八王子線を利用した時は、新幹線を利用しました。しかし、今回は自宅から吉原駅まで車を運転しました。新幹線で行くとすると新富士駅が最も近いのですが、この駅は新幹線のみの駅で、在来線の富士駅からかなり離れています。しかも新富士駅には「こだま」しか止まりません。また、東海道本線の普通電車を乗り継ぐのも面倒です。そこで、自宅から愛車の五代目ゴルフを運転し、国道246号線を走り、横浜青葉インターチェンジから東名高速を走り、片道120キロメートル余り、富士インターチェンジで降りて吉原駅の北口の駐車場(1日100円!)に停めたのです。ちなみに、吉原駅は、吉原地区から少し離れた鈴川にあり、明治時代に開業してから1956年までは鈴川という駅名でした(それまでは、現在の本吉原駅が吉原と名乗っていました)。

 戦後に開業した岳南鉄道の吉原駅は、JR吉原駅から少し離れた所にあります。工場街の中にあるような所ですが、終日駅員配置駅はこの駅だけです。ここで一日フリー切符を買ったら硬券でした。他にも鉄道グッズがたくさん売られており、この点は他の多くの鉄道会社と共通します。

 9時39分、1両だけの電車が到着します。降りた客は10人くらいだったでしょうか。9時50分発岳南江尾行きとなって折り返す電車に乗ったのは20人くらいです。発車すると、しばらく東海道本線と並走して、右に大きく曲がりますが、工場街の中を走る光景は川崎区内の工業地帯を想起させます。実際、鶴見線の沿線を思い出しました。富士市は、万葉集にも登場する田子の浦を抱えるとともに、竹取物語の最後の場面の舞台となったとも言われており、その一方で製紙工場や部品工場などの多い工業地域なのです。岳南鉄道は、その工業地域を走り抜ける貨物輸送主体の路線でした。全線を通じて、その痕跡が色濃く残っています。

 車内放送は自動で、わざわざ「無人駅です」などと案内します。富士山を目の前にして走ったりするという点ではなかなかの路線ですが、カーブが多く、速度もあまり出ません。駅間の距離が短いので仕方がないかもしれません。ただ、国道139号線など、自動車の通行量は多いため、利用客が少ないのです。10代か中高年(とくに女性)の客が多く、20代からの青年層の客が少ないようです(もっとも、朝のラッシュ時を過ぎていますので、正確にはわかりません)。

 2つ目の吉原本町で乗客が半分くらいに減ってしまいました。列車交換ができない駅ですが、日中は駅員がいます。次の本吉原でまた半分くらいの客が降り、車内の客は私を含めて5人しかいません。ここで列車交換をしましたが、ステンレス車にしては錆のようなものが目立ちます。

 この先は、工場街に入ったり住宅街に入ったりしながらゆっくりと走り抜けます。岳南原田駅、比奈駅、岳南富士岡駅には、引き込み線が残る工場、ヤードなどが残り、岳南富士岡駅の構内には、もう二度と営業運転をすることがないものと思われる電気機関車と貨車が置かれていました。製紙工場の名前が車体に書かれています。

 須津(これで「すど」と読みます)で乗客は2人のみとなりました。この辺りからは農地が見えてきます。神谷で1人が降りたので、終点の岳南江尾駅で降りたのは私だけでした。すぐそばに東海道新幹線の高架橋があり、何分おきかで「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」が高速で通過していきます。新幹線の車窓から、岳南鉄道線は見えません。無人駅の岳南江尾駅との、あまりに強烈なコントラストが印象的です。駅の構内と言ってもよいような場所に古紙リサイクル業者の工場があり、その作業の音と新幹線の通過音以外には何も聞こえてこないのですから。


YouTube: 岳南江尾駅を発車する7000形(モハ7003)

 駅の前の道は狭く、住宅と農地以外には何もない、と思っていたら、すぐそばにマックスバリュ富士江尾店がありました。他に商店らしいものがほとんどなく、商店街もなく、人通りもあまりないような場所なので、マックスバリュの看板は目立ちます。100円ショップのセリアも同居していますが、他に店舗スペースがあり、テナント募集の貼り紙がありました。駐車場にある自動車も多く、店内に入ってみると午前中にしては多くの客がいます。もっとも、これは郊外型のスーパーマーケットなどでよく見られるものです。私も店内を歩きましたが、不思議な気分になりました。駅から歩いて1分か2分くらいの場所ですが、ほとんど人気(ひとけ)のない駅とマックスバリュの店内とがあまりに違うからです。岳南鉄道ではICカードを使うことができませんが、マックスバリュではワオンなどのカードを使えます。自動車の多さと、電車の客の少なさ。街道筋に展開する店舗の多さ。

 岳南江尾駅に戻ります。この駅のホームには2両編成の8000形(これも元京王3000系)が止まっていますが、通勤時間帯などにしか使われないらしく、パンタグラフも下ろされ、車輪には手歯止めがかけられています。正面に「がくちゃん かぐや富士」と書かれたヘッドマークが付けられています。よく見ると、かぐや姫のイラストも書かれています。

 こうした電車を日中に走らせないのは勿体ない話です。首都圏などであれば、いわば看板として走らせるでしょう。昼間に2両編成を走らせるのが無駄だからというのであれば、単行(1両で走る電車のこと)に愛称なりヘッドマークを付けて走らせなかったのは失策であるとしか思えません。要するに自社の広告を付けて走るようなものですから、日中に主力として運行するのが当然でしょう。終点の駅に留置するだけでは無意味です。

 10時47分、岳南江尾駅に1両の電車が到着しました。降りた客は2人か3人でした。これが10時53分発の吉原行きとなります。車内にはクリスマスの飾り付けが至る所に行われていました。もしかしたら、以前、東横線と田園都市線で走っていたTOQ BOX号のようなものかもしれません。吊り革に付けられている広告が統一されていたのです。乗客は私だけで、次の神谷で1人乗り、岳南富士岡で客が11人になり、岳南原田で17人になりました。無人駅が多い路線ですが、岳南富士岡と岳南原田は通勤通学時間帯のみ駅員が配置され、吉原本町は日中のみ駅員が配置されます。その吉原本町で乗客が11人になり、ジヤトコ前で10人になりました。従って、終点の吉原では10人の客が降りたということになります。

 短い時間に1往復しただけですが、存続は厳しいと感じます。「鉄道貨物の衰退、ここに極まれり」という言葉を象徴するかのような経緯がありますし、ラッシュ時に2両編成が運行されるとはいえ、富士市も典型的な自動車社会で、乗客はそれほど多くないでしょう。市内を車で走ってみてわかったのですが、商業施設は国道139号など道路沿いに展開されており、岳南鉄道の沿線にはあまりありません。あるとすればロードサイド型で、電車に乗って買い物に行くような客は少なそうです(今回、商店街らしいものを見つけることができなかったのでした。吉原駅前も閑散としており、工場と若干の店と駐車場があり、あとは住宅地だけです)。

 富士市は特例市で、今年12月1日現在の人口は26万180人(同市の公式サイトによる)ですが、政令指定都市の中を走る静岡鉄道や遠州鉄道ほどには利用客の条件に恵まれていません。また、伊豆急行、伊豆箱根鉄道駿豆線、大井川鉄道は、いずれも大手私鉄のグループに属し(伊豆急行は東急系、伊豆箱根鉄道は西武系、大井川鉄道は名鉄系)、観光地にも恵まれています(大井川鉄道に至っては、鉄道路線そのものが観光施設のようなものとなっています)。これに対し、岳南鉄道は観光地にも恵まれていません。たしかに沿線の至る所から富士山が見えますし、竹取物語の舞台の一つでもあるのですが、あまり宣伝されていないのか、広く知られていないようです。静岡県の私鉄の中で最も地味な鉄道とも言えるでしょう。親会社の富士急行が山梨県内の大月~富士山(富士吉田から改称)~河口湖を結び、観光資源などにも恵まれているのとは対照的です。

 自動車運転免許を持っていない青少年層と高齢者層にとって、岳南鉄道線は生活の足とも言えます。しかし、20代以上の青年層、中年層などの、運転免許を所持している人々の少なからぬ部分にとっては、利用する意味のない路線となっています。渋滞してでも自家用車のほうが便利なのでしょう。それがよいことかどうかは、ここで私が記すべきことではないでしょう。或る種の選択なのですから。しかし、その選択の結果が、岳南鉄道を初めとして日本全国のローカル私鉄(そしてJRのローカル線)の衰退、さらに路線バスの衰退にもつながっています。されば、この選択は地域の破壊につながるものであるのかもしれません。

 〔ちなみに、選択という行為の意味について、非常に興味深い本を、12月22日に青葉台で見つけました。ケント・グリーンフィールド(高橋洋訳)『〈選択〉の神話 自由の国アメリカの不自由』(紀伊國屋書店)です。現在、読み進めている最中です。〕

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再掲載:物を粗末に扱う人に

2012年12月19日 00時06分46秒 | 日記・エッセイ・コラム

 (2004年12月15日付で私のホームページに掲載した雑文を、ここに再掲載します。但し、一部修正を加えています。)

 よりによって年末に風邪をひいた。毎年恒例の行事のようなものだが、今回は、とくに夜、咳が出続けて眠ることができない。ここまでつらい思いをしたのは何年ぶりだろう。大分大学時代、実家で元旦に高熱を出したことがあるが、それ以来ではないか。

 こういう時には、どういう訳かわからないが、色々な考えが頭に浮かぶものである。どうせたいしたことはないのだけど、後で後悔することもある。或る小説家も述べているように、最初からフルに使えるアイディアは多くなく、何度も手を加えることによって、誰にでも楽しめるようなものを作ることができるのである。

 そこで、今回は、咳き込みながら、横になりながら思いついたことを書き留めておく。もう一つ、ひきこもりのことも考えていたが、それは別の機会にしよう。

 仕事柄、あちらこちらの食堂などに入って食事を取ることがある。大分大学時代には、それこそ市内中の食堂をまわっていたから、ゼミの学生からも「どうしてそんなに色々な店を知っているのか」とたずねられたくらいで、幾つかの店にはゼミ生を連れて行ったこともある(ここで店の名前を書いてもよいものか。場所だけ記しておくと、鴛野、宮崎、戸次、上野丘、宗方、中央町、府内町、鶴崎、羽屋、賀来などである)。大分を離れてからも、店の名前と場所について鮮明な記憶がある。

 そのような話はどうでもいい。私は、よほどのことがない限り、店で食べ残しをしない。きれいに食べるように心がけている。もし、食欲がそれほどなければ、時間をずらせたり、量を加減すればよいだけのことである。自宅での場合は、食べ切れなければ冷蔵庫に入れるなどの方法で保存しておく。大分市に住んでいた7年間は、野菜や果物の皮というようなものを別とすれば、生ごみの量が少なかった。

 しかし、実際に色々な店で、食べ残しをよく見かける。半分くらいしか食べていないという人もいる。とんかつなどの場合は付け合せのキャベツを丸ごと残す人もいる。野菜が好きな私には信じられないが(余計なお世話だが、栄養にかなりの偏りが出るだろうなどと心配になる。ちなみに、私の場合、大分大学時代には、夕食が野菜だけということもあった)、意外に多いようである。とくに、御飯を残しているのを見ていると、その犯人を見つけて殴りつけたくなる。無理やりに食べさせてやりたいくらいである(私が中学生の時、アメリカかイギリスでそのような歌が流行ったように記憶している)。

 何と勿体無いことか。無駄があまりに多い。物を大事にしないということなのであろうか。

 人によって、必要な食事の量が違うことくらい、誰にだってわかる。それにしても、中にはわざと残しているのではないかと思われるケースがある。あたかも、店で食事をする時は食べ残しをすることが粋なのだ、と主張しているかのような人もいるのかもしれない。

 飽食とは言ったものである。程度の差はあれ、どこの街へ行っても、それなりに食べる場所はある。そして、スーパーマーケットなどには多くの食品が並んでいる。到底、一日では捌けないほどの量である。備蓄と考えれば、近所の住民向けに最低でも2日間は保持可能であろうと思われるほどである。当然ながら、それだけの原料が必要である。しかし、現在の日本では、こうした豊かな食生活を維持するだけの生産量の何割かしか生産できていない。先進国の多くは食料自給率が高く、フランスのように100%を超えている国もあるが、日本は40%にも満たない。市場に出回っている食料品の6割から7割ほどは輸入品であるということになる。飽食は、いつ終わってもおかしくない。綱渡りと同じようなものである。

 食料だけではない。私がよく見かけたのは、鉛筆、ボールペン、ノートの類を最後まで使い切らないうちに捨ててしまう人である。これも私には信じられない。私は、パソコンを使って仕事をする現在でもノートを使う(原稿用紙を使うこともある)。学生時代に使っていたノートは、今でも大事に保存しているし、ページが余っているノートなら、とにかく何の用でもよいので使う。大分大学に就職する時に荷物の運搬のために使ったダンボールも捨てなかった(おかげで、大分大学から大東文化大学へ移る時、ダンボールの入手も多少は楽であった)。鉛筆に至っては、小学生時代に使っていた、非常に短くなっているものが20年間ほど、200本か300本くらいたまっていた。また、ボールペンについては、私の筆箱にあるものは使い捨てのものではないもの、六本木や二子玉川などで購入したドイツのロートリング、ファーバー、スイスのカラン・ダッシュをメインとしているから、芯を交換するだけである。

 コンピュータ時代になると紙の使用量が減るという夢(というより妄想)が広がったが、実際には紙の使用量は増えている。書類その他、一度見れば不要なものもある。私は、こうした紙の裏を活用している。講義でレジュメや資料などを配布すると、必ず余る。そういう時は、場合によっては適当なサイズに裁断し、レジュメなどの原稿にしてしまう。

 幼い頃、新聞の折り込み広告などには裏に何も書かれていないものが多かった。こういうものを適当に切り分け、メモ用紙や計算用紙にしていた。その頃の習性が少々形を変えただけである。カレンダーのデザインによっては、そのままポスターにしていた(私の部屋には、ヴァイオリニストの五嶋みどりとチェリストのヨーヨー・マのポスターがあるが、元々はカレンダーである)。最近では、西南学院大学の集中講義で出した最終レポートの採点やチェックなどをするために、本屋でくれるカヴァーの紙を使っている(このホームページにも載せているあの解説の基である)。

 要するに、使えるものは大事にとっておくという習性が付いているのである。こうなると、物ばかりが溜まっていくという不便さはある。しかし、何でも捨てればよいというものであろうか。ただでさえ資源に乏しい日本である。使えるものは徹底して使えばよい。そうすれば、ごみの量は減るし、工夫次第で生活がもっと豊かになる。

 ごみの多さということでは、今でも忘れないことがある。私は、大学3年生の夏、東急田園都市線溝の口駅・JR南武線武蔵溝ノ口駅付近の某スーパーマーケットでアルバイトをしていた。食料品関係にまわされ、夏の暑い日に一日の気温差が40度近くになるという環境で働いたのだが、ごみの多さには辟易した。ダンボール、ビニール袋など、こまごましたものも合わせるときりがない(ダンボールの一部はお客さんの荷物運搬用にまわるが)。時はバブル経済末期、消費量も多かったから、一日に出すごみの量が半端ではない。ゴミ捨て場と売場との間を何往復もするが、ゴミ収集車何台分かわからないくらいの量である。生鮮食料品であれば、期限が来たら捨てなければならない。お客さんの口に入らないまま捨てられる食料品も多かった。私が生産者だったら怒りは倍増したであろう。「せっかく俺が苦労して育てた作物を!」と。

 ちょうどその頃、ラジオ日本の「さわやかワイド ラジオ日本」という番組で、月曜日から金曜日の午前9時半から、地球環境財団による「われら地球人」というコーナー(朝のワイド番組の一コーナーであった)が放送されていた。たしか、10分か15分くらいの短いもので、私は、時間があれば聴いていた。それが、環境問題について私が関心を抱くきっかけになった。水質、大気汚染などがよく取り上げられたが、食糧問題なども取り上げられていたはずである。AMラジオにしては珍しいと評価してもよいほどの良質な番組だったが(これは言いすぎか?)、資金が続かず、その年の秋に終わった。アルバイトをしながら番組の中身を思い出し、世の中の大きな矛盾を感じていた(一店舗のごみの量からして、他の店と合わせた量のすごさを容易に想像できたからである)。この経験が、さらに物を大事にしようという思いを強くした。

 何故、よほどのことがなければ食べ残しをせず、小学生時代に使っていた鉛筆を20年以上も捨てず、ノートをとにかく最後まで使いきろうとするほどの性格になったのか。幼少時代に戦争を経験している私の親が驚いたほどなのであるが、どうやら、小学生1年生の時の担任の影響らしい。私自身の記憶からは既に彼方に去っているが、聞くところによると、児童が持っている鉛筆やノートをチェックし、担任がOKを出すまで新しいものを買わない、あるいは買わせないという教育方針だったようだ。給食についても同様である。このような面での教育は、児童に対してのみならず、その保護者に対しても徹底していたらしい。ここまで教育されれば私のようになるかどうかまでは保証できないが、大事なことなのではないかと思う。

 鶴見俊輔が、植草甚一スクラップ・ブック(植草甚一全集)第39巻『植草甚一日記』(1980年、晶文社)の解説「散歩の名人、その軽い足どり」で、明治・大正期の東京人の良き習慣について記している。鶴見氏が植草氏に一度だけ会った時のことである。

 「その時のことで、もうひとつおぼえているのは、食事の出てくるはじめのころに、植草さんが給仕の人に、

 『わたしは小食なので、これだけ食べられませんから、これとこれとは、おべんとうにしてください。家にもってかえりますから』

 とたのんでいたことで、明治大正の東京人のしきたりを植草さんはまもっているのだなと思った。わたしの自分の分を食べてしまったが。

 よばれた時には、食べきれない分を家におみやげにもってかえるというのは、明治大正のしきたりだったが、戦争中のとぼしい食生活をとおってかえってうしなわれて、戦後に経済がたちなおってからも、このしきたりはもどってこなかった。」

 これに限らず、言葉、他家庭のプライヴァシーの保護(必要以上に立ち入ったりしないこと)など、東京人には良い習慣が多かったが、かなりのものが失われている。その一つが、鶴見氏が述べているものである。あまりに惜しい。物を大事にするという意味で、この習慣の良さが見直されてよい。

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犬山駅で

2012年12月18日 23時58分46秒 | 写真

名鉄名古屋本線の名鉄名古屋駅から、犬山に向かいました。その時に乗っていたのが6000系です。

Inuyama20121102

 私が乗っていたのは新可児行きの準急で、犬山線を経由し、一部区間の存廃問題に揺れる広見線に乗り入れます。犬山で種別変更しました。

 名鉄初の、かどうかはわかりませんが、少なくとも本格的なものとしては初の3扉車である6000系は、大増備されて名鉄各線で大活躍します。しかし、これが、実はかつて東急から購入した3800系の実績によるものであったということを知る人は、あまりいないのではないでしょうか。

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再掲載:若さ

2012年12月17日 21時24分06秒 | 日記・エッセイ・コラム

(2006年3月20日付で、私のホームページに掲載した雑文を、ここに再び掲載いたします。)

 ぼくが大分大学の助教授になった年、2002年に、岩波新書として、香山リカ『若者の法則』という本が出版された。

 不可思議なことだが、ぼくはこの本を大分で見たことがなかった。いや、気づかなかっただけかもしれない。しかし、当時、大分大学生協の書籍コーナーを毎日チェックしていたし、自宅の斜め向かいにあった明林堂書店宮崎店やブックス豊後戸次店、そして明屋書店羽屋店、そして本命の淳久堂書店大分店などによく足を向けていた。自家用車通勤だったから、仕事の帰りなど、気晴らしに立ち読みなどをしたのである。それなのに、全く知らなかった。最近は岩波新書を扱わない本屋が多くなっているので、そのせいかもしれないが、それだけではないだろう。

 いつ、何処で購入したかは忘れたが、大東文化大学に移ってからのことである。何となく買ったというものであるが、気になる一節があったので、何度か読み返している。

 その一節は、次のようなものである。

 「高校や短大で十代の若者たちを前に講演をするときに、必ずしてみる質問がある。『あなたは、自分は若いと思っていますか?』。何を言っているんだ、と思う人もいるだろう。若さ真っ盛りの十代にそんなあたりまえの質問をしたって意味ないじゃないか、と。

 ところが、驚くべきことにどの会場でも『若い』という方に手をあげる若者は、わずか一割か二割。八割以上は、『自分は若くない、と思う人は?』という方に手をあげる。むしろ元気よく『若い』に手をあげ生徒たちに笑われるのは、会場にいる教師たちだ。」

 この部分にピンと来る人は少ないかもしれない。しかし、香山氏、そしてぼくのような職業に就いている人なら気づいていることであろう。そして、最初にこの部分を読んだ時、ふと、就職して間もない頃のことを思い出した。

 ぼくは大学院に5年間通ったので、就職したのが遅い。最初の勤務先である大分大学教育学部の教員になったのが28歳の時である。就職してまだ一週間も経つか経たないかの頃、ゼミの4年の男子学生と、法・政演習室で話をしていた。その時、外が急に賑やかになった。入学したばかりの1年生たちが教室から出てきたのである。その1年生たちを見て、4年生の彼がこう言ったのである。

 「いいなあ、若いなあ!若いっていいよなあ!」

 最初は驚いた。「何を言っているのか?」と思った。ぼく自身が若い、青いと思っていたし、学部の4年生なら21歳か22歳であるから、十分に若い(当時のぼくと彼とは年齢がそれほど離れている訳ではないとも言える。もう彼も30代前半である)。しかし、彼は同じ言葉を繰り返す。冗談なのか本気なのかわからないので、ぼくは彼に「若いくせに何を言っているんだい?」と言ったが、彼はまた繰り返す。そして、男子学生なのに「お肌の艶が」などと言い出した。この部分は明らかに冗談であろうが(本気だったら怖い)、たった3歳ほど年下の人を見て「若い」という彼の感覚は何だろうかと思った。10代後半と20代前半という違いはあるかもしれないが、少なくとも外見だけから一瞬で大きな違いを見受けることが可能であるようには思えない。彼はさらに続けた、「ぼくなんか、もう若くない。年をとっていますよ」。これが本当なら、ぼくは生きる屍のようなものである。だから彼に言った、「君が年寄りだったら、おれは何だ?」。

 一度だけのことであれば、特別な事件で片付けられる。しかし、このようなことがまた繰り返された。毎年、4月になると、3年生や4年生が1年生を見て「若い」と言うのである。学生の性別は問わない。そこで、上記と同じようなパターンの会話が繰り返される。やはりぼくのゼミにいた女子学生の一人は、ぼくが「それならおれは何だ?」と尋ねたのに対し、嘘か本当か、どういうつもりなのかわからないが「先生は別ですよ」と言った。

 いまや30代後半となって久しいぼくが、学生を見て「若いなあ」と言うことは許されると思う。しかし、10代や20代の人たちが、自分よりわずか3歳か4歳下の人を見て「若いなあ」と言うのは理解できなかった。ぼくが学生だった頃にはそのようなことなど思い浮かばなかったし、考えさせられるような環境でもなかった。ぼくと同じ世代で、こんなことを言っていた人がいたのであろうか。よくわからないが。

 考えられることの一つは、話題の共通性の程度であろう。ほんの1歳だけ違うのに、例えば社会問題などについて全くかみ合わないことがある。大分大学で実際に経験した例としては、私の高校時代の同級生である某ミュージシャン(ヒントはフリッパーズギターの一人)について話をしたら、彼を知っているので驚いたという学生と彼のことを知らない学生とに分かれた。知っている学生のほうが年長で、間はわずか2歳くらいである。文化、流行については、こういうことがありうる。2歳、3歳くらいの差であると共通の話題が少なくなるのかもしれない。

 しかし、これでは「若い」という発言の根拠にならない。年齢の差というが、むしろ開いているほうが、色々と話が弾むという場合もある。それに、話題に合わせるか否かは本人の心構え次第であろう(あとは趣味志向などに左右される)。

 次に考えたのは、発言した学生が、年齢の割に豊富な人生経験を積んでいるかもしれないということであった。しかし、これも根拠にはならないだろう。なる場合もあるかもしれないが、ぼくが知る限りでは人生経験の程度など無関係である。それに、人生経験を積んでいようがいまいが「わたしは若い!」と思っている人も少なくないはずである。

 そうなると、年齢感覚ということになる。実は、最近まで気づかなかった。香山氏が上記の本で記しており、「そういうことなのか」と思った次第である。もっとも、既に気づいていたとしても、香山氏のように「じゃ、あなたはいつが若かったの?」と尋ねることができたであろうか。同じ質問でも、質問者の立場やその場の雰囲気などで意味は異なりうる。ぼくが迂闊に質問すれば、相手次第では後でとんでもないことになりかねない。それでも、やはり一度は何かの席で訊いてみればよかったと思う。

 香山氏が講演などの会場で尋ねたところ、返ってきた答えは、「小学生まで」、あるいは「中学一年くらいまでかな」というものであった。どのようにお考えになるであろうか。

 「小学生まで」。何となくわかるような気もする。或る意味で一番楽しい時期かもしれないからである。6年間もあるから、具体的にいつごろなのかということについては、おそらく意見が分かれるとは思われるが。

 また、「中学一年くらいまでかな」。これもわかるような気がする。2年生以上になったら高校受験を気にし始めなければならないし、思春期ゆえの様々な体験もあろう。それとも、刑法第41条の責任年齢のことを知っているのであろうか。いや、昔の元服のことなどを考えているのか。

 色々と想像していたら、香山氏が書かれていた答えは、「楽しかったから」、あるいは「希望や夢があったから」というものである。実は、ぼくもこの点は理解できる。ぼく自身がそう考えていたからでもある。但し、希望や夢については異論がある。ぼくの場合は、希望や夢が年齢などによって変化しているが、失った訳ではない。まだまだやってみたいこともあるし、やり直したいこともある。人生をやり直せるのであれば、なるべく幼少期に戻ったほうがよいのであろう。その点は同感であるが(いったい、ぼくの精神年齢はいくつなのだろう?)、それにしても、今は楽しくない、希望も夢もない、なんて、10代にしてもう人生に疲れたということなのであろうか。それが大人というものか。いや、あるいは、10代の後半となると、一種特有の疲労感を抱くのであろうか。しかし、楽しくない、夢も希望もない、なんてことになると、「それでよく生き続けていられるね」と意地悪く尋ねたくもなる。次は「死ぬんだって大変だろうし、そんなことをしたら疲れちゃうよ」などと返されるかもしれない。

 そのうえ、若くもなければ大人でもないということになると、話が混乱してくる。

 若さというものの正体はいったい何であるのか。実のところ、ぼくにもわからない。ただ、世の中には若さを美徳とする考えがあることも確かである。美徳はおおげさかもしれないが、何か良いものであると考えられている気がする。確かに、若い人が持つ美には独特の良さがある。そうでなければ、グラビアなどが氾濫するはずもない。しかし、年齢相応の美もある。10代、20代、30代、……。こういうものを感じることができないというのも悲しい。そして、年齢とは無関係の美もある。美は外見だけから生ずるものではないし、内面の美が外見の美につながることも多い。

 あるいは、美ではなく、可能性の大きさが若さということなのか。肉体的な機能、精神面、思考能力などを考えると、これも或る程度までは妥当する。しかし、あくまでも或る程度までの話である。自ら可能性を閉ざしておいて、若い、若くない、などと思うこと自体がおかしい。

 おそらく、多くの人が、美、可能性、その他様々なものが綯い交ぜになって漠然として存在している若さというものに囚われているのであろう。そうでなければ、人生について悟りを得る時期の問題であるのか。しかし、それにしてはおかしい。若くもなければ大人でもないという時期が存在するからである。ぼくは、こういう時期があることを否定しないし、若くないすなわち大人とは言えないと思っている。しかし、大人であるから若くないというのも、あまりに単純な考え方ではないであろうか。

 また、香山氏は記していないが、ぼくには気になることもある。実際のところは、先の「若くない」ほど多く耳にすることがない発言ではあるが、それだけに恐ろしくなる。

 多くの人から叱られるかもしれないが、年をとればとるほど、若くないと思われている世代になればなるほど「今の若い者(若い奴)は」などという決まり文句を頭につけて不平不満を言う傾向が強くなる。早い話が老人の繰言であり、アニメの「サザエさん」に登場する磯野波平さんお得意のフレーズである。聞き苦しいことこの上ないし、ぼくはこういう人にはなりたくないので自戒している(あるいはもう言っているのかもしれないが、そうであるとすれば反省しなければならない)。故植草甚一氏は、何かのエッセイで「それならお前は何をやってきたんだ?」と言いたくなる、聞いていて気分が悪くなる、というようなことを書いていた(正確な引用ではない)。ぼくは、高校生の時に六本木のABCで植草氏の全集の3分の1くらい(ジャズ関係ばかり)を買って読んでいたし、植草氏の、年齢に関係のない好奇心の旺盛さに感心していた。だから、年を取っても精神面では若さを保とうと思っている。

 「今の若い者(若い奴)は」。こんな老人の繰言、あるいは波平さんの口癖を、ぼくよりもはるかに年下の人が言うのである。嘘ではない。ぼくは何度か、学生から発せられるのを耳にしている。つい、話を合わせてしまうことが多いのであるが、少し経ってから「やはりおかしい」と思うのである。場合によっては、ぼくが「今の若い者(若い奴)」の中に(無理やり)含められているかもしれないので、真意を確かめたくなるほどである。

 世代間の断絶は、年々厳しく、しかも細かくなっているのであろうか。今、一つの世代は10年ではなく、2年か3年程度なのであろうか。

 どうなっているのかよくわからなくなっているが、まだ20代前半の人から「今の若い者(若い奴)は」などと話されると、背筋が震えてくる。やはり、「もう若くはない」という自意識から発せられるのであろうか。それとも、単に異なる世代に対する理解力の不足に由来するのであろうか。

 こんなことを書き連ねてきたぼくは、最近、時々ではあるが自問する。「もう、おれも若くないのかな?」と。

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石弘光『増税時代 われわれは、どう向き合うべきか』(ちくま新書)

2012年12月12日 10時48分08秒 | 本と雑誌

 ちくま新書は、ここ20年間で濫発されている新書の類の中では比較的新しい方に入りますが、読み応えがあり、また高度な内容のものも多いので、書店でチェックするようにしています。昨日、大学内の書店で、タイトルに記した本を見つけ、買いました。奥付によれば12月10日発行となっていますので、発売されたばかりの本です。

 以前にも石教授の著作を何冊か買い、読みましたが、財政再建の必要性、いや緊急性を主張されている点では一貫しています。そして、消費税率の引き上げを必要とすること、仮に引き上げをしなければ、結局はただ先送りを繰り返すだけに終わり、結局ツケは大きくなる一方であることを主張している点でも一貫しています。『増税時代』では民主党政権の問題点を鋭く指摘しており、内容に対する賛否はともあれ、傾聴に値します。

 日本社会は先送りが好きなのでしょうか。「決められない政治」が叫ばれて久しいのですが、少なくとも日本の議会の状況などを見ていると、「決められない政治」になるのは必然的にも思えてきます。何しろ、低負担高福祉を望む人が多いですし、選挙戦で増税を叫んで当選するような議員は、皆無とは言わないまでも非常に少ないのです。あくまでも仮説の提唱に過ぎませんが、「政治主導」こそが「決められない政治」を加速化させたと言えると言えないのでしょうか。もっとも、今、私はこの仮説を実証するような手段などを持っていませんが。

 しかし、石教授も指摘されていますが、事業仕分けは結局のところ財政の健全化にもほとんど貢献していません。パフォーマンスの域を脱することができなかったのです。それに「埋蔵金」というのは、掘り当てればそれでおしまいという性格をもっており、これを見つけて財源に充てたりするとしても一時しのぎに過ぎません。そして、無駄の削減や合理化も、必要であるとは言え、限界があります。

 増税がさらなる無駄遣いにつながることは否定できないのですが、貿易収支の赤字が続き、つい数年前まで貿易黒字が続いていたことが信じられないような状態にまで落ち込んでいることなどからすれば、日本国債も安心できるようなものではないのかもしれません。そうすると、増税は避けられないということになります。多くの国民が低負担高福祉を志向し、その方角を目指してきただけに、高負担低福祉社会の到来は早晩、ということになるのでしょうか。

 消費税率の引き上げが日本経済にどのような影響を与えるのか、という肝心の問題ですら、見解が分かれている状況です。私自身も、実のところはよくわかりません(悪い影響があるという答えが正しいのであれば、1990年に特例公債を発行しなかったという事実をどのように説明するのでしょう)。しかし、税法の講義を担当する者として、取り組まざるをえない難問です。

 ともあれ、新書ではありますが、じっくり読んでみる価値はあります。

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Take Five

2012年12月10日 00時18分31秒 | 音楽

 今月5日、デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)氏が91歳で亡くなりました。

 この記事を読んでもピンと来ない方がおられるかもしれませんが、ジャズで最も有名な曲のひとつである「テイク・ファイヴ」(Take Five)は、デイヴ・ブルーベック・カルテットのアルバム「タイム・アウト」(Time Out)に収録されているものです。何年か前には女子十二楽坊が演奏していましたが、もう忘れられているでしょうか(最近、全く名を聞きません)。勿論、Take Fiveという曲そのものが忘れられるようなことはありません。日本でもCMで使われていました。ジャズで5拍子は珍しいのですが、変拍子であることを感じさせない、まさに名曲に相応しいものです。ちなみに、私が最初に知ったのは幼少期で、物心付いたときには「テイク・ファイヴ」を知っていました。日本のビッグ・バンドの演奏で聴いたのです。

 「タイム・アウト」には「トルコ風ブルー・ロンド」(Blue Rondo A La Turk)という、これまた変拍子の曲も入っており、私が生まれる前に日本コロムビアで発売された33回転シングル(いつ発売されたのかはわかりませんが、神保町の古レコード屋で買いました)には、A面に「テイク・ファイヴ」、B面に「トルコ風ブルー・ロンド」が収録されています。

 実は、「テイク・ファイブ」という名曲を作ったのはデイヴ・ブルーベックではなく、アルト・サックス奏者のポール・デスモンド(Paul Desmond)です。いかにもウェスト・コーストらしい、軽い音のサックスで、リー・コニッツ(Lee Konitz)、初期のアート・ペッパー(Art Pepper)などと同じような系列と記せばよいでしょうか。「タイム・アウト」に収録されている演奏では、デスモンドがテーマを吹き、そのまま短いソロをとるのですが、リーダーのブルーベックは「テイク・ファイヴ」の特徴であるリズムを演奏するだけで、ソロは一切とりません。しかも、ドラム・ソロの間もブルーベックのピアノは鳴り響いています。

 もう一つ、私が好きな演奏があります。それは、やはりブルーベックのアルバム「ザ・ラスト・セット・アット・ニューポート」(The Last Set at Newport)に収録されているものです(もっとも、これ以外は持っていないのですが)。バリトン・サックスの第一人者であったジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)が参加しており、テーマもマリガンが吹きます。ソロはデスモンドのものよりも面白かったという記憶があります。そして、オリジナルではソロをとらなかったブルーベックが、非常に力強いソロをとります。ライヴ演奏だったということもありますが、迫力満点の演奏でした。

 最後に、私が生で聴いた「テイク・ファイヴ」のことも書いておきます。正確な年月日を全く覚えていないのですが、学部生時代、六本木のサテンドールに数回行きました。そのうちの1回が世良譲トリオで、最初のセットの最後にこの曲を演奏したのでした。ジミー竹内氏のドラム・ソロに圧倒され、酔いが一気にさめたような感じであったのです。

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12月7日の5時32分頃と17時18分頃

2012年12月08日 01時57分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

 2012年12月7日金曜日。川崎市高津区も、二度、地震で揺れました。

 5時32分頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード4.5の地震がありました。これで目が覚めましたが、「地震情報」というサイトによれば、川崎市高津区の震度は1だったとのことです。しかし、もう少し大きかったように思います。震度2はあったのかもしれません。ただ、高津区の地震計がどこにあるのか、詳しいことを知りませんし(下作延にある区役所のあたりでしょうか?)、地盤または地質の関係で、震度が異なることはよくある話です。高津区と多摩区が震度1で、残りの5区では震度2だったということでした。

 次は17時18分頃です。この時は、或る用事のため、実家にいました。テレビ朝日のニュース番組を見ていたら、急に緊急地震速報が入り、その10秒後くらいに始まりました。長く揺れていたような感じがします。程なく、震源は三陸沖で、マグニチュードは7.3という情報が流れました。また、川崎市全区で震度3を観測しています。

 直後から番組は地震一色となりました。当然のことです。青森県の八戸市と階上町、岩手県の盛岡市と滝沢村、宮城県の栗原市と丸森町、茨城県の常陸太田市と常陸大宮市、栃木県の市貝町では震度5弱を観測しています。津波警報も出ました。それどころか、原子力発電所がありますから、すぐに原子力発電所がどうなのかと思いました。

  後者の地震は、昨年3月11日(やはり金曜日でした)の大地震の余震であるという話があります。忘れもしないあのマグニチュード9.0の震源地からそう遠くない所ですし、あの時も余震活動は数年間続くというようなことが言われていましたし、その余震がマグニチュード6以上、いや、7くらいのものになるかもしれない、という話も出ていました。やはり、夕方の地震は東日本大震災の余震なのでしょう。そして、今回の余震も何回かあったようです。

 まだまだ、警戒しなければなりません。それにしても、地震活動が活発な時期はいつまで続くのでしょうか。

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Dustin O'Halloran, Lumière

2012年12月07日 15時49分48秒 | 音楽

 先月注文して、かなり待たされましたが、買った(待った)甲斐がありました。このところ気になっているダスティン・オハロランの2011年のアルバム「ルミエール」です。

 このCDに収録されているWe Move LightlyをYou Tubeで聴いて気に入ってしまい、渡辺香津美さんの新譜と一緒に注文したのでした。いわゆるニューエイジ系の作品ですが、美しく、落ち着く作品です。妻がすぐに気に入りました。

 ダスティン・オハロランはピアノの他、シンセサイザーなども演奏していますし、エレクトリカの範疇に入るサウンドも聴けるのですが、弦楽四重奏(この中には日本人のヴァイオリニストも参加しています)の入るタイミングが絶妙ですし、温かみと冷たさ、明るさと暗さを巧みに表現していると思われます。影のある響き、と記せばよいのかもしれません。今の音楽にはあまりない良さがあるのです。

 日本盤としては発売されていないようで、そのためもあって入手が難しいようですが、先に記したようにYou Tubeで聴くことができますので、おすすめしておきましょう。

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